2025年2月8日、山口支部の65期レーサー・大賀 広幸選手が、1月31日に日本モーターボート競走会に引退届を提出したことが報じられました。
大賀 広幸選手といえば、2022年7月に史上158人目の通算2,000勝を達成し、G1競争で3度の優勝歴を有するベテランレーサー。
しかし、華々しい活躍の裏で、2010年9月24日~29日に浜名湖競艇場で開催された「G1・静岡県知事杯争奪戦 G1 浜名湖賞 開設57周年記念」最終日の優勝戦(6着)を最後に、股関節の難病・特発性大腿骨頭壊死症の治療のため、長期欠場を余儀なくされたことでも知られています。
2月8日現在、大賀 広幸選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内の選手紹介ページからは削除されており、2月8日までの期間に削除されたと推測できます。
一方、「ボートレース徳山Official Site」と「ボートレース下関Official Site」の山口支部所属選手一覧ではまだ確認できる状況であるため、近日中に削除される見込みです。
2000年以降の確認できる範囲では、前述の病気療養期間前の2011年前期まではずっとA1級を維持。
復帰後もB1級からA1級に飛び級で昇級し、2014年前期~2018年後期まではほぼA1級をキープするほどの確かな実力を見せていましたが、2019年前期にA2級に降級してからというもの、2025年前期には勝率が急低下して再びB1級に降級するという状態で、全盛期のような活躍を見せることが難しくなっていました。
さらに最近では2024年12月11日に丸亀競艇場で開幕した「一般・清酒金陵杯」初日の第7レースを1走したのみで途中帰郷するなど、ファンの間では「今までと様子が違う」「どこか調子が悪いのでは?」という声が聞かれるほど。
そして、2025年1月22日に地元・徳山競艇場で開催された「一般・サンケイスポーツ杯争奪戦」最終日の第7レースで2着となると、2日後の1月24日に直近の斡旋を1件、その後も2月7日にそれまで入っていたすべてのレースの斡旋を削除したことで今後の動向が注視されていた矢先の引退発表。
65期として1989年11月にデビューした大賀 広幸選手にとって、2025年はデビュー36年目の戦いに向けて意気込み新たに踏み出すはずだった年であり、33年ルールも適用される年。
2024年後期には5.54あった勝率が、2025年前期には4.49まで一気に低下してしまったためにB1級への降級を許しましたが、徐々に勝率の低下は見られたものの、今期の成績だと2025年後期は勝率4.40のため、引退勧告を受けるような成績ではありませんでした。
しかし、ボートレース界の第一線で長年戦い続けた大賀 広幸選手にすれば、年を重ねたことによる体力の衰えに加えて、これまで下回ることのなかった勝率5.50のボーダーをクリアできないことへのプレッシャー、さらには今までの選手生活で最も低い勝率を更新してしまう状況の3重苦に胸を締め付けられたはずです。
このことから、引退勧告ではなく、一身上の都合やモチベーションの低下といった理由で潔く身を引く決断をしたのかもしれません。
大賀 広幸選手の基本情報・同期の注目選手・引退勧告の水準まで、近年の成績などから考え得る引退理由について考察していきたいと思いますので、ぜひ最後までご覧ください。



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大賀 広幸選手のラストレース
大賀 広幸選手のラストレースは、2025年1月17日~22日に徳山競艇場で開催された「一般・サンケイスポーツ杯争奪戦」最終日の第7レースです。
このシリーズは、ここまで7走して1着と2着を1本ずつと3着を3本あげて舟券に貢献。
センター3コースからの進入で、“ラストランを有終の美で飾りたい”という意気込みを胸に臨んだレース。
もちろんこのレースでは地元の後輩・石川 諒選手(4890)のイン戦ということもあり、単勝オッズは14.2倍で3番人気。
さらに3連単のオッズでは、人気トップ10の買い目がいずれも“1号艇の石川 諒選手が1着”と予想していたものの、トップ3の買い目はいずれもヒモかトリで名前が挙がっていることから、このレースで連に絡む確率が高いと考えられていたことがわかります。
勝利へのプレッシャーがかかる条件下で、出走選手全員が自分よりも全国勝率が高いものの、当地勝率なら2番目という微妙な状況。
大賀 広幸選手は3号艇・3コースからの進入で、コンマ21のスロースタートで出遅れたものの、地の利をいかした見事なレース展開で2着となり、最終戦でもしっかりと舟券に貢献するベテランの“矜恃”を見せてくれました。
このレースの3連単1–3–4は1番人気の430円(4.3倍)でした。
もっとも多くの時間を練習に費やした地元・徳山競艇場の水面でカポックを脱いだのです。
デビューから35年2か月目のラストレースでも、これまでの選手生活と同様にファンの期待に応えて、シリーズを“無事故”で走り切れたのは、日々の努力や練習を大切にコツコツと操縦技術を磨き続けた賜物でしょう。
出走表

単勝オッズ
枠番 | 級別 | 選手名 | 単勝オッズ |
---|---|---|---|
1 | B1 | 石川 諒 | 1.1倍 |
2 | B1 | 高山 敬悟 | 17.7倍 |
3 | B1 | 大賀 広幸 | 14.2倍 |
4 | B1 | 乙津 康志 | 3.0倍 |
5 | B1 | 吉永 泰弘 | 44.4倍 |
6 | B1 | 平岡 重典 | 71.1倍 |
3連単オッズ
買い目(人気順) | オッズ(倍) |
---|---|
1–3–4(1番人気) | 4.3 |
1–3–5(2番人気) | 6.6 |
1–4–3(3番人気) | 7.4 |
1–3–2(4番人気) | 12.2 |
1–4–5(5番人気) | 12.7 |
1–2–3(6番人気) | 14.8 |
レース結果

大賀 広幸選手の引退で「公式サイト内のプロフィールページ」が削除される
大賀 広幸選手の引退が報じられた2025年2月8日。
情報の信憑性を確認するために、下記の2つの情報源で「大賀 広幸選手のプロフィールページ」の存在有無を調査しました。
- BOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ
- 「ボートレース徳山Official Site」および「ボートレース下関Official Site」の山口支部選手プロフィールページ
2025年2月8日時点で、それぞれのサイトに“大賀 広幸選手のプロフィールページ”が存在していたのか…その調査結果とWEBニュースで発表された“引退の事実”をご紹介します。
ボートレース公式サイト内のプロフィールページ
2025年2月8日までに「BOAT RACE公式サイト」内のプロフィールページが削除されたことが確認できました。
現在、大賀 広幸選手のプロフィールページにアクセスすると『※ データが存在しないのでページを表示できません。』と表示されて、以前のように情報を閲覧できない状態となっています。
また、同サイト内の検索機能を利用して“選手名”や“登録番号”で検索しても、すでに情報を見ることはできなくなっていました。
2025年2月8日時点で削除されていたBOAT RACE公式サイトの選手紹介ページ


“ボートレース徳山Official Site”および“ボートレース下関Official Site”の山口支部選手プロフィールページ
大賀 広幸選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内から削除されましたが、2025年2月8日現在も「ボートレース徳山Official Web Site」および「ボートレース下関Official Web Site」では確認することが可能でした。
しかし、引退届が受理されて選手登録が削除された以上、山口支部所属選手一覧からも近日中に削除されるでしょう。
2025年2月8日現在、確認できたボートレース徳山Official Web Siteの選手紹介ページ

2025年2月8日現在、確認できたボートレース下関Official Web Siteの選手紹介ページ

WEBニュースで引退が報じられる
2025年2月8日に「Yahoo!JAPANニュース」で大賀 広幸選手の引退が報じられました。
報道はいたってシンプルなものでしたが、引退が現実であることを実感する内容となっています。
【ボートレース】G1ウィナーの大賀広幸が引退
【ボートレース】G1ウィナーの大賀広幸が引退
引退した大賀広幸(報知新聞社) 2/8(土) 15:18配信
ボートレーサーの大賀広幸(57)=山口=が引退していたことが8日、分かった。1月31日に日本モーターボート競走会で登録消除の手続きが行われた。
大賀は1989年11月、下関・一般戦で65期としてデビュー。デビュー3走目で初1着。1990年5月、徳山・一般戦で初優出。1991年8月、尼崎・一般戦で初優勝。通算279優出82V。通算2089勝。G1は1993年10月、下関・施設改善で初優勝。通算22優出3V。SGは1998年8月の多摩川・MB記念で初優出するなど通算3優出0V。生涯獲得賞金は10億2566万6500円。2025年1月22日の徳山・一般戦、最終日7Rの2着がラストレースとなった。
記事に寄せられたコメント
報道はいたってシンプルなものでしたが、65期のG1で3度の優勝歴を有するベテランレーサーが引退を決めたとあって、『長年の活躍を労う声』や『SG無冠で引退を迎えたことを残念に思う声』が聞かれました。
もっとも勢いのあった時期に患った病気である「股関節の難病・特発性大腿骨頭壊死症」というキーワードから、いろいろな意味で印象に残る選手だったことも伝わります。
また、“ミスター競艇”の異名を持ち、ボートレース殿堂の第1号選手となった「今村豊が「自分の跡を継ぐのは、大賀だ」と言っていたのを思い出す。大賀には相当、期待していたはず」というメッセージを大賀 広幸選手ご本人が目にすれば、選手冥利に尽きるこの上ない喜びだと感じることでしょう。

30数年前の新鋭リーグで初めてみて、この人は本当に天才だと思ったもんだ。
それでも天下は獲れなかったなあ。
1回SG勝てば何回でも勝てた選手だったと思う。まあこれも人生の一局だな。
長い間お疲れさまでした。



大腿骨頭壊死症でしたっけ。記念で大暴れした後に急に休養して。
何かと思えば病気で当時はびっくりしました。お疲れさまでした。



ピンクパンツの大賀さん好きだったなぁ!SGの時もSGパンツ履かないでかっこよかったです!お疲れ様でした!



今村豊が「自分の跡を継ぐのは、大賀だ」と言っていたのを思い出す。大賀には相当、期待していたはず。とうとう、SG無冠で終わってしまったね。



一度は就職したが金を貯め家族を残し 本栖に入所した根性者と同期の女子選手の父親から聞きました。 お疲れ様でした!



選手にとって50代が分岐点なんだろうな。 若い頃より体力低下を実感するから。 持病ある人とか悩むんじゃないかな?
上手くてカッコいい選手でした。選手生活お疲れ様でした。
大賀 広幸選手の引退理由は?
現在まで、大賀 広幸選手の引退理由は明言されていません。
しかし、引退が報じられる前の2024年1月24日と2月7日。
当時「BOAT RACE公式サイト」内の選手紹介ページに掲載されていた斡旋がすべて削除されたことが判明しています。
削除された斡旋は次の4件です。
- 【1月24日削除】2025年1月29日~2月2日に尼崎競艇場で開催された「一般・スポーツニッポン杯争奪 伊丹市施行71周年記念競走」
- 【2月7日削除】2025年2月10日~15日に児島競艇場で開催された「一般・にっぽん未来プロジェクト競走in児島」
- 【2月7日削除】2025年2月22日~25日に常滑競艇場で開催される「一般・第27回 日本財団会長杯争奪戦競走」
- 【2月7日削除】2025年3月7日~11日に下関競艇場で開催される「一般・MNBR下関12th 巌流本舗杯」
これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。
ここからは、斡旋がすべて削除された大賀 広幸選手の引退理由について考察していきたいと思います。
では、大賀 広幸選手の場合は、本当に成績不振による引退勧告を該当しないような立場だったのでしょうか?
さらに、引退勧告の対象に該当していないのであれば、どのような引退理由が考えられるのでしょうか?
まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。
不祥事を理由に選手登録を抹消(=競艇界から強制引退)された選手・出場停止処分を受けた選手については次の記事で触れていますので、ぜひご確認ください。






八百長に関する事件・八百長への関与を噂された選手については、次の記事で触れています。






成績不振による引退勧告の基準
選手生命に関わるとされる“引退勧告”は「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」と定義されています。
あくまで“勧告”であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが実情です。
毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、選手登録3年経過後の4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補になるからです。
※選手登録3年経過していない選手は対象外。
引退勧告の基準は次のとおりとなっています。
判断項目 | 基準 |
---|---|
4期通算勝率 | 3.8未満 |
4期通算事故率 | 0.7以上 |
4期通算出走数 | 60回未満 ※自己都合により60回を下回る場合 |
ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。
- 選手登録3年以内の選手は対象外
- 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
- 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外
ちなみに、4期通算といっても“1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算する”という特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。
競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。
競艇専門誌・マクールに引退に直結する厳しいペナルティについて、詳しい説明がありましたので、以下引用します。
- 「8項」
B2級に落ちると収入減になりますが、B2級よりも怖いのが「8項」です。
正式名称は「選手出場あっせん保留基準第8号」です。
「魔の8項」よりも「魔の8号」と呼んだ方がいいかもしれません。
勝率3.00未満、事故率1.00以上の選手は6か月間あっせん保留でレースに出場できません。
勝率に関してはデビューして3年間は猶予されます。
50走以上が対象選手になるので、49走で止める選手もいます。- 「向上化ルール」
選手会の「競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程」です。
4期通算(2年)で勝率3.80未満の選手に適用され、引退を余儀なくされます。
事故率が4期通算で0.70を超えても引退です。
選手登録から35年以上の選手は4.80未満だと、選手数が1600人を超えたら引退勧告というルールがありました。
これについては、これまでは加算していた次の期にデビューする新人選手を加算しないことになりました。
選手数が1600人を超えることが当面なくなり、4期通算勝率が4.80を下回っているベテラン選手の引退が回避できるようになっています。



「魔の8項(8号)」ってなんだか怖いけど…
一体どういうこと?



「魔の8項(8号)」の正式名称は「選手出場あっせん保留基準第8号」というよ。
50走以上で勝率3.00未満・事故率1.00以上に該当する選手は、6か月間あっせん保留でレースに出場できなくなってしまうの。
それを回避する唯一の手段が「49走止め」なの。
【結論】考えられる引退の理由は?
前述の基準と大賀 広幸選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受けた可能性は極めて低いと考えられます。
その理由は以下のとおりです。
- 4期通算勝率:勝率は年々低下しているものの、基準を下回る期はなく、4期通算で勝率3.80(4.80)以上
- 4期通算事故率:事故率0.7未満(2024年5月18日と7月30日のフライング以降、スタート事故はなし)
- 4期通算出走回数:出走数は4期通算60回以上で、2024年後期まで60回未満の期はない
成績不振による引退勧告の基準のいずれにも該当しないため、引退勧告を受けるような立場ではなかったと推測できます。
そのため、考えられる引退理由として『体力やメンタル面での衰えに不安を感じていたところに、低下する勝率や成績という決定打が加わって自ら退く決断をした』、もしくは冒頭でご紹介したとおり『過去に患った病気が競技人生に何かしらの影響を及ぼしていた』ということでしょう。
そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。
年 | 期 | 級別 | 出走数 | 勝率 |
---|---|---|---|---|
2020年 | 前期 | A2 | 94走 | 6.13 |
後期 | A2 | 121走 | 5.96 | |
2021年 | 前期 | A2 | 97走 | 5.89 |
後期 | A2 | 111走 | 5.80 | |
2022年 | 前期 | B1 | 106走 | 5.34 |
後期 | A1 | 109走 | 6.22 | |
2023年 | 前期 | A2 | 129走 | 5.99 |
後期 | A2 | 124走 | 5.93 | |
2024年 | 前期 | A2 | 106走 | 5.94 |
後期 | A2 | 98走 | 5.54 | |
2025年 | 前期 | B1 | 68走 | 4.49 |
2021年以降の直近5年だけで見ても、2023年に平均125走ほどあった出走数が、翌年の2024年には平均100走ほどまで減少しました。
同様に勝率も2022年後期の6.22を目途に徐々に低下の一途をたどり、遂に2025年前期には選手人生の最低値4.49まで下がっていたことが読み取れます。
この結果から鑑みるに、現段階で考えられる引退理由の一つ目は、『年齢と体力の衰えを感じていたところに、過去最低勝率を記録したことが決定打となり、引退を決めた』ということです。
次に考えられる理由の二つ目として、病気やけが(体の痛み)の可能性ですが、引退前最後のレースである2025年1月22日に徳山競艇場で開催された「一般・サンケイスポーツ杯争奪戦」ではそのような話は聞かれませんでした。
しかし、過去に大病を乗り越えて実戦復帰を果たした大賀 広幸選手ですから、この引退を決断した背景に闘病した股関節の難病・特発性大腿骨頭壊死症が関係していないとは言い切れず、さらに調べたものの、詳細については確認できませんでした。
もし、病気やけが(体の痛み)によって引退を決断したのであれば、ゆっくりと治療をして、一日も早い回復が望まれますね。
結論として、大賀 広幸選手が勇退を決断した理由として考えられるのは『現役選手として35年間戦い続け、現在の自分の実力と置かれている立場を鑑みて引退を決めた』というところでしょうか。
もう一歩踏み込むと、2024年前期に一時的に勝率の低下は食い止めたものの、それ以降の勝率は右肩下がりで、比例するように出走数もさらに減少していることから、もしかしたらこの時期に気持ちに区切りをつけたということなのかも知れません。
引退勧告の対象とならずとも「全盛期のような活躍をファンに見せられなくなった」ことや「自身の衰えを痛感して引き際を考える」というのは、これまでの長い期間を一途に走り続けてきた一流選手だからこそ。
ボートレース界をけん引し続けてきたプライドゆえの最も納得がいく理由でしょう。
引退を考えはじめたのは2022年8月以降!
大賀 広幸選手は2022年7月19日に史上158人目となる通算2,000勝を達成しています。
達成時のインタビューで、コンマ01のあわやフライングというスタートを切った感想や、これまでの選手生活を振り返っての想い・今後の目標について聞かれた際、次のように語っています。



フライングじゃなくてよかった。でも、俺らしいでしょ(苦笑)
2,000勝までは長かったね。いいことばかりではなかったし、ドラマチックなボート人生だけど、達成できてよかった。
続けて今後の目標について問われた大賀 広幸選手は、目を輝かせてこう答えています。



まだまだ通過点。もっと勝ちたい。
勝手にライバルだと思っている同学年のキング・カズ(サッカー・三浦知良)が辞めるまで頑張るよ!
この受け答えの内容から、通算2,000勝を達成した当時の大賀 広幸選手は、自分が引退する未来など考えていなかったことが読み取れます。
そのため、この記録を樹立してからの期間に引退を考える出来事が起こったのでしょう。
もしかしたら、加齢や身体能力の衰えから競技人生に限界を感じたこと以外にも、古傷(特発性大腿骨頭壊死症)の痛みが再び襲ってきた可能性も考えられます。
ここでは憶測のため、はっきりと何が引退のトリガーになったのか特定はできません。
しかし、少なくとも2022年7月時点での大賀 広幸選手はさらなる勝ち星を求める強いメンタルと、具体的な目標がしっかりとあったことは確かだったことから、何か大きな壁が選手生活に立ちはだかったことは間違いないです。



ライバルはサッカーのキングカズって明言している理由って何なんだろう?



同学年って理由で勝手にライバル視しているらしいよ!
三浦 知良選手は2025年に選手生活40年を迎えるから、残念ながら先に引退を迎えることになってしまったみたいだね…
大賀広幸が通算2000勝「キング・カズが辞めるまで頑張るよ」/常滑
大賀広幸が通算2000勝「キング・カズが辞めるまで頑張るよ」/常滑
[2022年7月19日16時16分]通算2000勝を達成し記念品を受け取る大賀広幸
<常滑ボート>◇5日目◇19日
大賀広幸(55=山口)が9Rで逃げ切り、通算2000勝を達成した。史上158人目。
レース後、コンマ01のどっきりスタートについては「フライングじゃなくてよかった。でも、俺らしいでしょ」と苦笑い。病気のためレースから離れた時期もあり「2000勝までは長かったね。いいことばかりではなかったし、ドラマチックなボート人生だけど、達成できてよかった」と振り返った。
今後については「まだまだ通過点。もっと勝ちたい。勝手にライバルだと思っている同学年のキング・カズ(サッカー・三浦知良)が辞めるまで頑張るよ」と目を輝かせた。
引用元:大賀広幸が通算2000勝「キング・カズが辞めるまで頑張るよ」/常滑
大賀 広幸選手の電撃引退に対するSNSの反応は?
大賀 広幸選手の電撃引退に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?
「引退を惜しむ声」「今までの活躍労う声」そして「突然の引退に驚く声」が多く寄せられていました。
そのほかに目についたのが「1998年の「第44回 モーターボート記念(ボートレースメモリアル)」の惜敗にふれる声」です。
そんな中でも、もっとも多くの声が寄せられたのは、やはり「今までの選手生活を労う声」でした。
引退記事を書いていると、最も多く目にするのが“まだやれるだろうに残念”などといった「引退を惜しむ声」なのですが、大賀 広幸選手の場合は違います。
もちろん“走りが見られなくなることの寂しさ”を吐露する声はあるものの、ファンのメッセージに共通していたのが、“病気に勝って、長い間よく最後まで走りぬいた”という不屈の精神をたたえる内容です。
具体的な内容としては、
『さらば、悲運の天才!』
『もう一度SG走る姿が見たかったな』
『自分の中での存在感は抜群だったなぁ』
『大腿骨頭壊死症からの復帰は忘れないよ』
『ここまで良く頑張ってこられました。漢大賀広幸天晴』
『SGでゴリゴリ活躍した選手だとやはり衝撃が大きく寂しいものです』
『多摩川のMB記念優勝戦は現地で見ていて、当時1番好きな選手でした』など、ファンそれぞれの想いがたくさん詰まったコメントが投稿されています。
とくに“悲運の天才!”というキーワードから、秀でた才能の持ち主であった大賀 広幸選手が1998年の「第44回 モーターボート記念(ボートレースメモリアル)」で喫した予想だにしない惜敗と、難病の大腿骨頭壊死症に襲われた苦しみが上手く表現されていると感じました。
なかでも印象的だったのが、しまにゃん氏の次の投稿です。
投稿には『天才レーサー、大賀広幸。 僕はあなたを一生忘れない』という最上級の賞賛が記されており、結びの『(引退)セレモニーがあれば駆け付けたい』という言葉から、大賀 広幸選手をずっと応援してきた様子と、引退が突然のできごとだったことがよくわかる内容となっています。
大好きだった。
— しまにゃん (@takumasuku) February 8, 2025
天才レーサー、大賀広幸。
僕はあなたを一生忘れない。
約35年間の現役生活。お疲れ様でした。
セレモニーがあれば駆けつけたい。
この内容を大賀 広幸選手ご本人が読んでくれたら、突然の病気と闘って現役復帰した姿に多くのファンが勇気づけられたこと、長年熱心に応援してきたファンがいることが伝わるはずなので、目にしてくれることを願わずにはいられません。
それでは、投稿内容の一部を抜粋してご紹介します。
引退を惜しむ声
【ボートレース】G1ウィナーの大賀広幸が引退 – スポーツ報知 https://t.co/lojG8LJxkW
— つぅ (@R_copen_mk2) February 9, 2025
もう一度SG走る姿が見たかったな。
保護猫の活動頑張って下さい。
ついに大賀選手が引退かぁ…。小さい頃から見てたけどその時の山口の代表的なA1選手は今村豊選手、岡本慎治選手、大賀広幸選手って印象だった。何か寂しいな。
— ななしぃ (@nanasy777) February 8, 2025
とりあえず長い選手生活お疲れ様でした!
今までの選手生活を労う声
大賀広幸引退か。
— telboat (@telboat) February 8, 2025
自分が競輪ファンだった当時から、何故か名前だけは知っていた選手。それが故にボートファンに鞍替えしてからは応援してたんよな。
何年か前にケガか病気かで長欠してからは往年のような走りも潜めていたが、自分の中での存在感は抜群だったなぁ。
お疲れ様でした。
大賀広幸、おつかれさま
— ぺたれんこ (@Petalenco) February 8, 2025
大腿骨頭壊死症からの復帰は忘れないよ😭 https://t.co/h4L0zB7IHp
1998年の「第44回 モーターボート記念(ボートレースメモリアル)」の惜敗にふれる声
大賀さん長い間お疲れさまでした。
— やっさんヘタレ博打師 (@yassanhetare83) February 8, 2025
あの大病から復帰され、ここまで良く頑張ってこられました。
病気から復帰後F2で地元下関で復活優勝した時優勝セレモニーで私が現地で号泣したことか懐かしい…😭
漢大賀広幸天晴🪭
本当にありがとうございました🙇#大賀広幸
https://t.co/MQKDuJSrpC
大賀広幸さん引退。SGでゴリゴリ活躍した選手だとやはり衝撃が大きく寂しいものです。ど素人ですが、やり切ったのならならお疲れ様で御座いましただね。なんか負けたレースだけどオレの心のボート二十番勝負に残る一戦の主役レース。大賀さんグッバイ。https://t.co/H2x5QfHQQ2
— サイタマゼブラ2 (@saitamazebra2) February 8, 2025
清水愛海選手ありがとうと喜んでいたら、大賀広幸選手引退の記事を見つけてしまった。
— 🇺🇸米国株投資5年目のボートレース好き🚤 (@u4kOUW0B8LzEG86) February 8, 2025
多摩川のMB記念優勝戦は現地で見ていて、当時1番好きな選手でした。
お疲れ様でした。 pic.twitter.com/S5WgXXO1Ex
大賀 広幸選手の基本情報


名前 (フリガナ) | 大賀 広幸 (オオガ ヒロユキ) |
登録番号 | 3427 |
生年月日 | 1967年3月22日 |
身長 | 161cm |
体重 | 54㎏ |
血液型 | B型 |
支部 | 山口 |
出身地 | 山口県 |
登録期 | 65期 |
級別 | B1級 |
デビュー日 | 1989年11月 |
最終出走日 | 2025年1月22日 |
引退日 | 2025年1月31日 |
大賀 広幸選手は1967年生まれ、山口支部所属のB1級選手です。
攻撃的に攻めるレースを持ち味としており、ボートレーサー養成所を65期生で第1位となるリーグ勝率7.49で卒業しました。
直近では2022年7月に史上158人目の通算2,000勝を達成し、G1競争で3度の優勝歴を有するベテラン人気レーサーでありながら、大の猫好きという一面があり、奥様とともに猫の保護活動、TNR(捕獲・不妊去勢手術・元に戻す)活動をご夫婦でされています。
また、大賀 広幸選手はA級歴がとても長い選手でもあります。
確認できただけでも、2000年後期にはすでにA1級へ昇級しており、2011年後期に股関節の難病・特発性大腿骨頭壊死症の治療のために長期欠場してB2級に降級するまで、約11年以上もの長きにわたってA1級を維持するほどの素晴らしい成績の持ち主です。
さらに、2012年8月に実践復帰を果たすと、はじめの2期こそB1級でしたが、2014年に再び飛び級でA1級に返り咲くと、そこから約5年間ずっとA1級をキープし続けて、2019年前期にA2級に降級すると、2024年後期までは病気の影響がない期間についてはずっとA級を維持し続けるほどの実力を有するほど。
全盛期の2007年後期には優出10回・優勝2回という好戦績を残して自己最高勝率8.10を記録。
最近では、2022年後期の勝率6.22以降、徐々に勝率は低下の一途を辿り、2021年3月21日に下関競艇場で開催された「一般・ジャパンビバレッジ杯」で5コースからまくり差して優勝して以来、優出しても舟券に絡む頻度も減っていきました。
1990年代後半から2002年くらいまではSG競争の常連選手として、優勝戦まで駒を進めるものの、通算3優出でも載冠の夢はかなわず。
SG競争における最高戦績は、2002年に住之江競艇場で開催された「第17回 賞金王シリーズ(グランプリシリーズ)」の2着でした。
そんな大賀 広幸選手がボートレーサーを志したきっかけは、結婚をして娘さんが2人いるのでお金が必要だったこと。
一度は社会人として就職をしたそうですが、やはり安定した高収入を得られるとの理由から、ボートレーサーの道を歩み始めたそうです。
ちなみに、大賀 広幸選手のヘルメットはこちら。
うしろの部分には『ネコがしあわせに ヒトがおだやかに』と記されており、レーススタイルに反して心優しいメッセージにほっこりしますよね。
【YAMAGUCHI BOAT RACER’S FILE】大賀 広幸選手
【YAMAGUCHI BOAT RACER’S FILE】大賀 広幸選手
2024年現在のボートレースに関することはもちろん、選手の趣味や好きな食べ物など、プライベートな情報もチェックしました。
この人物こそ、勝負の世界で生きる男である。誰が相手であろうとひるまない姿は崇高。展開待ちをヨシとしない攻撃的戦法が持ち味である。
大賀 広幸選手の過去戦績
大賀 広幸選手の主な過去戦績は次のとおりです。
あまりに前の記録のため、1997年5月1日以前の記録については詳細を確認することができませんでした。スクロールできます
日付 レース名 レース場 グレード 戦績・概要 1989年11月 (タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明下関 一般 デビュー 1989年11月 (タイトル不明)
デビュー節の3戦目で達成
※1997年5月1日以前のため、詳細不明下関 一般 初勝利 1990年5月 (タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明徳山 一般 初優出 1991年8月 (タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明尼崎 一般 初優勝 1993年10月22日 施設改善記念競走
※1993年10月以前のG1出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も古いG1出場歴です下関 G1 G1初出走 1993年10月22日 施設改善記念競走
※1993年10月以前のG1出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も古いG1勝利歴です下関 G1 G1初勝利 1993年10月27日 施設改善記念競走
※1993年10月以前のG1出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も古いG1優出歴です下関 G1 G1初優出 1993年10月27日 施設改善記念競走 下関 G1 G1初優勝 1997年7月16日 〔海の日〕記念 第2回 オーシャンカップ競走
※1997年5月1日以前のSG出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も古いSG出場歴です平和島 SG SG初出走 1997年7月20日 〔海の日〕記念 第2回 オーシャンカップ競走
※このレースが確認できた最も古いSG勝利歴です平和島 SG SG初勝利 1998年8月30日 第44回 モーターボート記念競走(ボートレースメモリアル) 多摩川 SG SG初優出 2004年12月19日 一般戦 津 一般 通算50優勝達成 2022年7月19日 中日新聞・中日スポーツ 第36回 中日カップ 大村 G3 史上158人目の通算2,000勝達成 2025年1月22日 サンケイスポーツ杯争奪戦 徳山 一般 ラストレース 大賀 広幸選手は1989年11月に山口支部のホームプール・下関競艇場の一般戦で65期生としてデビューを果たすと、同じシリーズの3走目で初勝利。
そして、デビューから1年9か月後の1991年8月に尼崎競艇場で開催された一般戦で初優勝を果たし、2004年12月19日に通算50優勝、2022年7月19日に史上158人目となる通算2,000勝を達成しています。
確認できた最も古い記録を参考にしてG1競争を見ると、1993年10月22日に下関競艇場で開催された「施設改善記念競走」でG1初制覇を達成。
同じく、SG競争では1997年7月に平和島競艇場で開催された「〔海の日〕記念 第2回 オーシャンカップ競走」でSG初出走とSG初勝利。
そして、デビューから8年9か月後の1998年8月30日に多摩川競艇場で開催された「第44回 モーターボート記念競走(ボートレースメモリアル)」でSG初優出を達成しましたが残念ながら転覆失格となり、通算3度のSG優出を果たしたもののSG競争では優勝することはできず。
SG競争における最高戦績は、2002年12月に住之江競艇場で開催された「第17回 賞金王シリーズ(グランプリシリーズ)」の2着でした。
また、2000年後期以降の記録になりますが、その当時から大賀 広幸選手はA1級で活躍しており、2011年後期に股関節の難病・特発性大腿骨頭壊死症の治療のために長期欠場してB2級に降級するまで、約11年以上もの長きにわたってA1級を維持するほどの素晴らしい成績を残していました。
しかし、2023年前期にA2級へ降級してからはA1級に返り咲くことはできず。
2020年後期から次第に勝率は低下し、2022年後期に1度だけA1級に再昇級するものの、2025年前期には自己最低勝率4.49を記録しています。
2007年後期には優勝2回・優出10回という圧倒的な好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.10を記録。
さらに直近では、2018年前期に優勝5回・優出8回の戦績と勝率7.24という全盛期にも劣らない成績を残していました。35年2か月間の選手生活での通算勝利数は2,089勝で、通算279優出で優勝は82回、生涯獲得賞金は10億2,566万円6,500円という記録を残しています。
現役生活最後のレースは、2025年1月22日に地元・徳山競艇場で開催された一般戦「サンケイスポーツ杯争奪戦」最終日、第7レースの2着でした。出典:BOAT RACE公式サイト
- BOATCAST NEWS│歓喜のメモリアル!大賀広幸2000勝、杉田篤光1000勝達成! ボートレースニュース 2022年7月19日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE official
- BOATCAST NEWS│不屈の精神!大賀広幸1999勝 大台まであと1勝 ボートレースニュース 2022年7月15日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE official 大賀 広幸選手が獲得したG1タイトル
- 1993年10月27日:施設改善記念競走(下関競艇場)
- 1997年1月28日:開設43周年記念 G1 全日本王者決定戦 (唐津競艇場)
- 1998年2月11日:G1 第41回 中国地区選手権 (下関競艇場)
大賀 広幸選手は難病を克服したボートレーサー
大賀 広幸選手の経歴だけを見ると、順風満帆な選手生活のように感じるかも知れません。
しかし、華々しい活躍の裏で、大賀 広幸選手は2010年9月24日~29日に浜名湖競艇場で開催された「G1・静岡県知事杯争奪戦 G1 浜名湖賞 開設57周年記念」最終日の優勝戦(6着)を最後に、股関節の難病・特発性大腿骨頭壊死症の治療のため、長期欠場を余儀なくされたことでも知られています。
病気に気づいたのは、2010年9月に浜名湖競艇場で開催された「G1・静岡県知事杯争奪戦 G1 浜名湖賞 開設57周年記念」。
予選からオール3連対、順調に優勝戦の1号艇を手にした大賀 広幸選手でしたが、肝心の優勝戦では腰に感じた違和感の影響で6着と大敗を喫する結果(6着)に。
レース後に病院に駆け込むと、医師から病名を告げられたそうです。
当時のつらい気持ちを後に次のように振り返っています。大賀 広幸選手 ショックでした。美空ひばりさんと同じ病名(大腿骨頭壊死症)と聞いて…。
もう走れなくなるかと覚悟もした。
引退も考えたが、走りたいと思う気持ちはどうしようもなかった。そんな状況になっても『レースに出場したい』という強い気持ちを糧に、2か月の入院とリハビリに耐えて迎えた、2012年8月2日~7日に下関競艇場で開催された「一般・スポーツ報知杯」での実戦復帰。
大賀 広幸選手 緊張しました。デビュー戦でもこんなに固くなることはなかったのに。
復帰節の3日目には連勝を飾るなど、こんなに緊張していたとは思えないほどの活躍で、2年間のブランクを全く感じさせない巧みなレースを見せると、この年4か月だけで5度の優出という大活躍を果たしました。
そして、ついに2013年1月9日~14日にこちらも下関競艇場で開催された「一般・下関市議会議長杯争奪 クリスタルカップ」で悲願の復帰後初優勝を飾り、優勝インタビューで気持ちを問われた際には次のように語っています。大賀 広幸選手 SG(を優勝した)よりも嬉しいです!
もちろん、SG競争で優勝したことはなかったものの、つらい闘病生活の末に水面の戻ってこられた喜びや、レースで走れる喜び、そして復帰後初優勝を地元で飾ることのできた喜びを一言で表現した素敵な言葉でした。
そんな逆境に強い信念で立ち向かった大賀 広幸選手が語る名言をご紹介します。大賀 広幸選手 走れる限りは目一杯頑張りますよ!ボートはハートなんですよ!
近年のボートレース界で難病に打ち勝った選手といえば、『ホジキンリンパ腫』という血液のがんと闘病した倉持 莉々選手が記憶に新しいところですが、ドラマチックな人生という点では大賀 広幸選手も負けていませんよね。
おなご 特発性大腿骨頭壊死症は、厚生労働省の指定難病に指定されている難病で、大腿骨頭の一部が血流の低下により壊死に陥る状態のことを指すらしいよ。
痛みの発生は、骨壊死に陥った部分が潰れることがトリガーとなって出現するそう。
足腰に負担がかかるボートレースという競技において、この病は命取りとも言えるつらい病気で、手術などが適切な治療とされているんだって。無知なネコ なんか怖い病名ダネ…
難病っていうけど、1年でどれくらいの人が発症するの?おなご 日本における1年間の新規発生数は約2,000~3,000人と言われているみたい。
発症するのは働き盛りの年代(30~50歳代)が多くて、とくに男性では40歳代、女性では60歳代が多いらしいよ。
ちなみに、男女比は全体で1.5:1だから、男性の方が発症しやすい病気みたいだね!競艇コロクリ – ギャンブル初心者… 倉持莉々選手が1年3か月ぶりの実戦復帰!ファン待望の復帰戦は10月の平和島! 2024年8月30日、産休・育休を取得して長期欠場していた倉持 莉々選手(東京・114期)が自身のInstagramのストーリーズで1年3か月ぶりに実戦復帰を果たすことを発表しました…「特発性大腿骨頭壊死症」とは?
大賀 広幸選手が戦った病である「特発性大腿骨頭壊死症」とはどのような病気なのでしょうか?
公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センターのホームページに詳しい情報がありましたので、気になった方はこちらをご覧ください。特発性大腿骨頭壊死症(指定難病71)
大賀 広幸選手に師匠や弟子はいない
大賀 広幸選手の師匠や弟子についても調査しましたが、特定の師匠や迎え入れた弟子はいなかったようです。
強者揃いの山口支部で多くの先輩方が操縦・整備する姿を見て、時に指導を受けながら、練習に励んで技術を磨いたのでしょう。同期(65期)の注目選手
大賀 広幸選手の同期である「65期」には、にはどのような選手がいるのでしょうか。
主だった選手を以下にまとめました。スクロールできます
登録番号 名前 支部 級別 3435 寺田 千恵 岡山 A1 3436 柏野 幸二 岡山 A2 3439 大平 誉史明 大阪 B1 3442 宮武 英司 香川 B1 3445 加藤 高史 埼玉 B1 3432 宮迫 暢彦 大阪 B1
- 寺田 千恵選手(3435)/1969年4月11日生まれ/岡山/A1
- 柏野 幸二選手(3436)/1969年4月24日生まれ/岡山/A2
- 大平 誉史明選手(3439)/1969年7月18日生まれ/大阪/B1
- 宮武 英司選手(3442)/1969年8月18日生まれ/香川/B1
- 加藤 高史選手(3445)/1969年10月5日生まれ/埼玉/B1
- 宮迫 暢彦選手(3432)/1968年6月10日生まれ/大阪/B1
65期の出世頭は寺田 千恵選手
名前
(フリガナ)寺田 千恵
(テラダ チエ)登録番号 3435 生年月日 1969年4月11日 身長 157cm 体重 46㎏ 血液型 O型 支部 岡山 出身地 福岡県 登録期 65期 級別 A1級 デビュー日 1989年11月 寺田千恵選手は1989年にデビュー、選手生活は30年を超える、女子選手では数少ない通算2,000勝を達成した、最上位クラスのベテラン選手。
2001年6月にSG・グランドチャンピオンに出場し、女子選手として初めて優勝戦にまで進出した選手であり、2001年の年間獲得賞金6,721万5,000円は、女子競艇選手の年間獲得賞金・史上最高記録です。
男子優勢だった競艇界に大きな風穴を開けたレジェンド級の女子レーサーとして、現在も第一線で活躍し、多くのファンに支持されることで2023年まで女子選手唯一のレディースオールスター全回出場を継続していました。
“史上初”の快挙をいくつも成し、女子の実力向上に大きく貢献したのはさることながら、50歳をすぎても衰え知らずの実力は尊敬の一言。
漫画“モンキーターン”に登場する、最強の女子選手・櫛田千秋のモデルとして、後輩の面倒見が良い人間性が描かれています。
おなご 往年のファンからは“てらっち”という愛称で親しまれているんだって。
競艇コロクリ – ギャンブル初心者… 寺田千恵選手の旦那さんは立間充宏選手!弟子の安井瑞紀選手や師匠・獲得賞金・出身高校まで徹底調査! 寺田千恵選手は賞金女王ランキング常連のトップレーサー。旦那さんは同じく競艇選手の立間充宏です。寺田千恵選手の結婚相手や成績・師匠・弟子の安井瑞紀選手・獲得賞金・…大賀 広幸選手のデビュー戦
大賀 広幸選手の初勝利
大賀 広幸選手の初優勝
大賀 広幸選手の獲得賞金
大賀 広幸選手のこれまでの獲得賞金は次のとおりとなっています。
2000年後期以降の記録になりますが、その当時からすでにA1級で活躍し、2011年後期に股関節の難病・特発性大腿骨頭壊死症の治療のために長期欠場してB2級に降級するまで、約11年以上もの長きにわたってA1級を維持するほどの素晴らしい成績を残していた大賀 広幸選手。
全盛期の2007年後期には、優勝2回・優出10回という圧倒的な好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.10を記録。
さらに直近では、2018年前期に優勝5回・優出8回の戦績と勝率7.24という全盛期にも劣らない成績を残していました。
2019年前期以降はA2級に降級し、2022年後期には再びA1級への返り咲きを果たしたものの、2023年前期にA2級へ降級してからはA1級に返り咲くことはできず。
2020年後期から次第に勝率は低下し、2025年前期には自己最低勝率4.49を記録しています。
2021年2月17日~22日に児島競艇場で開催された「G1・第62回 中国地区選手権競走」以降のG1競争への出場はなく、2021年3月21日に下関競艇場で開催された「一般・ジャパンビバレッジ杯」以降は優勝歴もないなど、成績が振るわない状況が続いていたものの、近年では主戦場を一般戦に移して活躍を続けていました。
そのため、もちろん獲得賞金も全盛期よりは減少していることが予想できると思います。
年度 級別 賞金ランキング 獲得賞金 2025年 B1 - - 2024年 A2 1,203位 12,036,786円 2023年 A2 554位 20,286,733円 2022年 B1→A1 453位 21,779,666円 2021年 A2 404位 22,172,509円 2020年 A2 595位 17,756,000円 2019年 A2 599位 17,136,000円 2018年 A1 498位 17,936,066円 2017年 A1 196位 26,092,000円 2016年 A1→A2 479位 16,930,000円 2015年 A1 379位 18,745,000円 B1級ボートレーサーの平均年収は約1,100万円といわれています。
大賀 広幸選手は引退時はB1級であるものの、2015年から2018年まではA1級、2019年以降はA2級期間が長いため、今回の比較対象は最も期間が長かったA2級レーサーの平均年収1,800万円とします。
直近3年間のデータから算出した平均年収は、約1,803万円程度。
2024年に獲得賞金額が大幅に減少しているものの、A2級ボートレーサーの平均金額1,800万円とぴったり同じ金額くらい。
直近3年間の平均年収をひと月に換算すると月収が約150万円越えですから、かなりの高収入です。このような結果となった理由は、2022年と2023年の獲得賞金額が1,800万円を大きく上回っていたことです。
ただ、2021年は一般戦で1度の優勝と2度の優出を果たしたことで、最近では最も高い獲得賞金額を記録しました。
ちなみに、直近10年間の平均年収を計算したところ、ボートレーサー全体の平均年収とほぼ同額の約1,747万円となりました。
一般的な50代の社会人男性の平均年収は約680万円とされていますので、大賀 広幸選手の平均年収は約2.6倍の金額に相当します。
さらに獲得賞金額が最高額となった2017年は、年間出走数が246走と多く、そのうち1着数が78回。
一般戦で5回の優勝と11回の優出をしているため、直近10年間の中では最も高い獲得賞金額を記録しました。近年(2024年は除く)は獲得賞金額が2,000~2,200万円前後で推移していたようですが、全盛期の優勝歴・優出歴のあった時期の獲得賞金額はもっと高額だったことは容易に想像できるでしょう。
おなご ボートレーサー全体の平均年収は1,700万円といわれています。
まとめ
大賀 広幸選手、デビューから約35年2か月もの長きにわたってのご活躍、本当にお疲れさまでした。
素晴らしい活躍とボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供し、何よりも多くのファンから愛された選手ということがよく伝わってきました。
残念ながら、SG競争での載冠はかないませんでしたが、難病にも屈することなく、常に上を求めて走り続け、ボートレースの人気を長年支え続けた選手だったことがよくわかりました。
大賀 広幸選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。目次
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