愛知支部の笠間憲哉選手が引退!127期のルーキーに何があったのか!?直近の成績などから引退理由を徹底調査!!

2024年9月5日、127期のルーキー・笠間 憲哉選手(愛知・5159)が、8月29日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

愛知支部の127期レーサー・笠間 憲哉選手(5159)が、2024年5月12日に蒲郡競艇場で開催された「一般・マンスリーBOAT RACE杯争奪戦」を最後に日本モーターボート競走会に引退届を提出したことが報じられました。

9月5日現在、笠間 憲哉選手の情報は、ボートレースオフィシャルサイトの選手ページからは削除されており、9月5日までの期間に削除されたと推測できます。

確認したところ、ボートレース蒲郡公式サイト内の愛知支部所属選手一覧ではまだ確認できる状況であるるため、近日中に削除される見込みです。

2020年11月13日に常滑競艇場で127期としてデビューした笠間 憲哉選手。
2024年後期の勝率は3.36でしたが、デビューからこれまでに勝率が3.80を超えたことはまだ1度もありませんでした。
それでも、勝率は徐々に上昇していた矢先での引退。

これがデビューからある程度の期間を経過した選手であれば、引退勧告の対象となる成績だと納得も行きますが、笠間 憲哉選手の場合は対象外のはず。
それではなぜ、潔く身を引く決断をしたのでしょうか?

笠間 憲哉選手の基本情報・同期の注目選手・憧れていた選手から引退勧告の基準まで、近年の成績などをもとに、引退理由について考察していきたいと思います。

目次

笠間 憲哉選手の基本情報

名前
(フリガナ)
笠間 憲哉
(カサマ ケンヤ)
登録番号5159
生年月日1998年6月8日
身長166cm
体重53㎏
血液型B型
支部愛知
出身地愛知県
登録期127期
級別B1級
デビュー日2020年11月13日
最終出走日2024年5月12日
引退日2024年8月29日

笠間 憲哉選手は1998年生まれ、愛知支部所属のB1級レーサーです。

約3年間9か月の選手生活での出場節数は67期、出走数は502走で、優出・優勝はともに0回、通算21勝という成績で、生涯獲得金額は2,137万4,263円でした。

ボートレーサーを志したきっかけ

笠間 憲哉選手がボートレーサーを志したきっかけは、高校3年生の頃。
卒業を控えて進路を選択する時期になっても、いまだに自分のやりたい職業を決めきれずにいたなかで、「ボートレーサー募集の広告」を目にして『自分もやってみたい!』と思ったことでした。

幼い頃から、競艇好きの父の影響で、実家の近くにある蒲郡競艇場に足を運んでいたことからボートレースに馴染みがあった笠間 憲哉選手。
思い返せば、その頃からレースに出場する選手の姿を見て『カッコいいな、自分も乗ってみたい!』と思っていたと言います。

今までレースを目にしていた経験”と、小学校5年生から高校まで野球、そのまえはサッカーに励んだ“運動能力の高さ”が背中を押すきっかけとなったことから、ボートレーサーの道に進むことを決意。

そして、2019年10月にボートレーサー養成所に入学すると、1年間の訓練期間を経て、2020年11月に多摩川競艇場でデビューを飾りました。

笠間 憲哉選手はボートレーサーになるという夢を叶えて、ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル「勝ガマ」の取材に次のように意気込みを語っています。

デビュー戦を控えた意気込みを教えてください。

無事故完走して、少しでも出走回数を多く走り、経験を積んで、少しでもうまくなれるように頑張りますので、応援よろしくお願いします!

選手になってからの目標はありますか?

みんなに名前を覚えてもらえて、大きなレースに出られるような選手になりたいと思います。

目標とする選手像への道半ばで“引退”という選択をした笠間 憲哉選手。
現役生活最後のレースは、2024年5月12日に蒲郡競艇場で開催された「一般・マンスリーBOAT RACE杯争奪戦」最終日の第6レースでした。

おなご

野球は小学5年生~高校生までの8年間プレーしていて、小学生で全国大会に出場した経歴の持ち主なんだよ。

  • 【蒲郡】勝ガマからニックネームをプレゼント!マッケンヤーこと笠間憲哉選手にインタビュー!【命名】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル

笠間 憲哉選手の過去戦績

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
2020年11月13日第31回 中日スポーツ銀杯争奪戦常滑一般デビュー
2021年12月11日ルーキーシリーズ第23戦 スカパー!第23回 JLC杯常滑一般初勝利
2024年5月12日マンスリーBOAT RACE杯争奪戦蒲郡一般ラストラン

2020年11月、常滑競艇場の一般戦で127期としてデビュー
2021年12月に初戦を飾った同じ常滑競艇場で132走目にして初勝利を飾るも、その後は優出・優勝歴はなし。
2024年5月12日に蒲郡競艇場で開催された「一般・マンスリーBOAT RACE杯争奪戦」最終日の第6レースを最後に引退。

笠間 憲哉選手は地元・愛知支部のホームプールであり、ボートレースと初めて出逢った水面有終の美を飾りました

笠間 憲哉選手の師匠はいない

笠間 憲哉選手の師匠について調査しましたが、特定の師匠はいなかったようです。
強者揃いの愛知支部で多くの先輩方の背中を見て、時に指導を受けながら技術を磨いていたのでしょう。

笠間 憲哉選手の憧れの選手1人目は池田 浩二選手

笠間 憲哉選手の憧れる選手の1人目は、同じ愛知支部所属、81期の池田 浩二選手です。

名前
(フリガナ)
池田 浩二
(イケダ コウジ)
登録番号5115
生年月日1978年4月3日
身長170cm
体重53㎏
血液型O型
支部愛知
出身地愛知県
登録期81期
級別A1級

池田 浩二選手は1978年生まれ、愛知支部所属のA1級選手。
現在も愛知支部を象徴する存在・総大将として活躍を続けており、選手生活は25年を超えるベテランボ―トレーサーです。

キャッチフレーズは、その巧みな操縦テクニックから「ブルーインパルス」と「イケコー」。
現在の競艇では必須のテクニック「モンキーターン」ですが、池田選手はそれをさらに発展させた「ウィリーモンキー」の先駆者として知られており、ハイレベルのターン技術と抜群のスタート力を武器に快進撃を続けています。

全盛期には“池田のイン戦は黙って買え。”と言われるほどの圧倒的な強さを誇り人気にこたえてイン戦を押し切る技術においては“艇界ナンバーワン”と言っても過言ではありません。

また、ポンコツ会に加入しているという噂もあり、大の飲酒好きで知られる一面も。
ご本人は加入を否定?していますが、ポンコツ会ならびに世間的には“ポンコツ会の立派な一員”でしょう。

普段は口数も少なく、自分からプライベートを語る機会はあまりありませんが、お酒の力で普段と違った姿を見せることもあるようで、磯部誠選手にいじられている理由は、こういう姿がきっかけだったのかも知れませんね。

「81期」の同期には、寺田 祥選手(3942)・飯山 泰選手(3940)・佐々木 康幸選手(3909)・繁野谷 圭介選手(3915)・黒崎 竜也選手(3931)・正木 聖賢選手(3920)・池田 浩美選手(3932)がいます。

  • ボートレーサー池田浩二が酔っ払って ダービーを振り返る
出典:あらおさとしYouTubeチャンネル
  • 【GⅠ初優勝】大スター池田浩二について語る「最初めちゃめちゃ緊張したっす」【レーサーコメンタリー磯部誠編#2】
出典:ボートレース公式映像配信 JLCレジャーチャンネル

池田 浩二選手の過去戦績

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1997年11月19日名古屋タイムズ杯争奪 第19回 全国三地区対抗戦常滑一般デビュー
1997年11月20日名古屋タイムズ杯争奪 第19回 全国三地区対抗戦常滑一般初勝利
1999年5月5日中日スポーツ杯争奪 第19回 チャンピオン大会常滑一般初優勝
2002年7月9日オールジャパン竹島特別開設47周年記念競走蒲郡G1G1初優勝
2003年6月29日第13回 グランドチャンピオン決定戦競走丸亀SGSG初優勝
2005年12月3日競帝王決定戦 開設51周年記念競走下関G1通算500勝を達成
2011年11月27日第14回 チャレンジカップ競走大村SG通算1,000勝達成
2014年2月1日中日スポーツ賞 第34回龍神杯争奪戦蒲郡一般通算50優勝達成
2018年6月11日開設64周年記念 G1競帝王決定戦下関G1通算1,500勝達成
2024年4月27日土曜夜は『テレビ愛知あたりまえワールドが最高!』杯蒲郡一般通算2,000勝達成

池田浩二選手は、1997年11月19日~24日に愛知支部のホームプール・常滑競艇場で開催された「一般・名古屋タイムズ杯争奪 第19回 全国三地区対抗戦」初日の第4レースでデビューを飾り、翌日には2走目にして初勝利の水神祭を飾ったうえに、年末までの27走で4勝を記録する快進撃

そして、デビューから1年5か月後の1999年5月5日に常滑競艇場で開催された「一般・中日スポーツ杯争奪 第19回 チャンピオン大会」で初優勝を果たし、2014年2月には通算50優勝、2024年4月には「一般・土曜夜は『テレビ愛知あたりまえワールドが最高!』杯」で通算2,000勝を達成しています。

G1競争で見ると、1999年1月に「第13回 新鋭王座決定戦競走」でG1初出走、翌年の1月にも同大会でG1初勝利・G1初優出を達成して、2002年7月9日に蒲郡競艇場で開催された「オールジャパン竹島特別開設47周年記念競走」でG1初優勝の栄冠を手にしました。

SG競争でもその勢いは衰えることを知らず、2000年5月の「第27回 笹川賞競走(ボートレースオールスター)」でSG初出走を達成し、2年3か月後にはSG初勝利
そしてデビューから5年7か月後の2003年6月29日に丸亀競艇場で開催された「第13回 グランドチャンピオン決定戦」でSG初制覇を果たしてグラチャンのタイトルを獲得したのです。

さらに2011年にはオールスター・ダービー・グランプリというSG戦3大タイトルを冠する圧巻の活躍と快挙を達成し、この年のMVPを獲得。

そして2023年には「SG・第50回 ボートレースオールスター」のファン投票で23,071票を集めて堂々の1位を獲得し、2年連続20回目の出場を果たしました。

現在までにG1競争では14回、SG競争では10回の優勝を飾っています。

2010年後期には優勝2回・優出12回という圧巻の好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.51を記録。
さらに最近では、2022年前期に優勝4回・優出8回の戦績と勝率8.50という全盛期にも劣らない成績を残しており、まだまだ現役のトップレーサーと呼ぶにふさわしい活躍を続けています

  • 【蒲郡】地元の大スター池田浩二2000勝水神祭!!【勝ガマ】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル

池田 浩二選手のSG出場歴

「絶対王者」松井 繁選手・「グランプリ2冠」の瓜生 正義選手・石野 貴之選手に次ぐ、現役SG優勝回数4位を誇り、これまでにSG競争では通算10回もの優勝を飾っている池田浩二選手。

では、どのようなタイトルを手にしているのか見てみましょう。

出典:艇国データバンク

確かに、冒頭で『12年ぶりにSG優勝戦で1号艇以外で3連対に入った』とご紹介したとおり、2012年から2024年にかけて優勝戦で1号艇以外の艇に乗って3着以内に入っているのは、優出19回のうち2回
しかも、両方ともグランプリシリーズ出場時の戦績でした。

もちろん、この期間中にSG優勝を3回も挟んではいるのですが、いずれも1号艇で逃げ切ったものです。

開催日レース名艇番着順
2012年12月24日第27回 賞金王決定戦競走3号艇3着
2024年6月30日第34回 グランドチャンピオン4号艇3着

通常であれば、ボートレースの最高峰・SG競争で優出できることだけでも素晴らしいのですが、池田 浩二選手は強すぎるがゆえに、このような不名誉な記録も残ってしまうのでしょう。

次に獲得タイトルをご紹介します。

【GRANDE5】

  • ボートレースクラシック:2009年・2013年
  • ボートレースオールスター:2011年
  • ボートレースメモリアル:2009年
  • ボートレースダービー:2011年
  • グランプリ:2011年・2013年

【その他のSG競争】

  • グランドチャンピオン:2003年・2022年
  • オーシャンカップ:優勝歴なし→優勝戦5着が最高位
  • チャレンジカップ:優勝歴なし→優勝戦2着が最高位
  • グランプリシリーズ:2005年

獲得タイトルを見て何か気づきませんか?
もし、2014年に新設されたGRANDE5制度があと5年早く創設されていたら、池田 浩二選手はグランドスラムを祝して『3億円相当のインゴット』を贈呈されていたはずなのです!

そして、残念ながら2014年以降は池田浩二選手のGRANDE5での優勝歴はありません。

笠間 憲哉選手の憧れの選手2人目は原田 幸哉選手

笠間 憲哉選手の憧れる選手の2人目は、長崎支部所属、76期の原田 幸哉選手です。
※原田 幸哉選手に憧れているという内容は、全てのインタビューで語っているわけではないため、短めにご紹介します。

名前
(フリガナ)
原田 幸哉
(ハラダ ユキヤ)
登録番号3779
生年月日1975年10月24日
身長172cm
体重54㎏
血液型B型
支部長崎
出身地愛知県
登録期76期
級別A1級

原田幸哉選手は1975年生まれ、長崎支部所属のA1級レーサーです。
闘志むき出しの荒々しいレーススタイル強烈なダンプで熱狂的なファンを獲得しています。

これまでの成績も輝かしいものがあり、ベテランとして長崎支部を牽引する存在です。

  • 令和3年度ボートレース大村CM(原田幸哉編)
出典:【公式】ボートレース大村(メインch)

原田 幸哉選手の過去戦績

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1995年4月(タイトル不明)蒲郡一般デビュー・初勝利
1996年7月(タイトル不明)児島一般初勝出
1996年10月(タイトル不明)三国一般初優勝
2000年1月30日第14回 新鋭王座決定戦(ヤングダービー)びわこG1G1初優勝
2002年1月14日(タイトル不明)常滑一般初の完全優勝を達成
2002年11月4日第49回 ボートレースダービー(全日本選手権競走)平和島SGSG初優勝
2006年9月16日第31回 八景賞下関一般連続完全優勝を達成
(19連勝を記録)
2009年5月3日中日スポーツ賞 第38回竹島弁天杯争奪戦蒲郡一般通算1,000勝達成
2017年12月19日第32回 グランプリ(賞金王決定戦)住之江SG長崎支部では1987年以来、
30年ぶり2人目のグランプリ出場選手になる
2018年9月15日マンスリーBOAT RACE杯争奪戦徳山一般全24場制覇達成
(史上17人目)
2024年9月2日第8回 徳島ヴォルティスカップ競走鳴門一般通算100優勝達成

原田 幸哉選手は、1995年4月に愛知支部のホームプール・蒲郡競艇場で開催された「一般戦競争(タイトル不明)」でデビュー初勝利を同時に飾り、華々しい選手生活のスタートを切りました。

そして、デビューから1年6か月後の1996年10月に三国競艇場で開催された「一般戦競争(タイトル不明)」で早くも初優勝を果たし、1997年には新人選手では考えられないような年間優勝5回という記録まで残して最優秀新人賞のタイトルを獲得

さらに2009年5月には通算1,000勝、2018年9月には史上17人目の全24場制覇、2024年9月には「一般・第8回 徳島ヴォルティスカップ競走」で通算100優勝を達成しています。

G1競争で見ると、2000年1月30日にびわこ競艇場で開催された「第14回 新鋭王座決定戦」でG1初優勝の栄冠を手にしました。

SG競争でもその勢いは衰えることを知らず、デビューから7年7か月後の2010年3月22日に平和島競艇場で開催された「第49回 ボートレースダービー(全日本選手権競走)」でSG初制覇を果たしてダービーのタイトルを獲得したのです。

2011年後期には優勝3回・優出7回という素晴らしい戦績を積み上げて、自己最高勝率8.34を記録。
さらに2017年後期には優勝4回・優出8回の戦績と勝率8.00という全盛期にも劣らない成績を残しており、最近では勝率7.00台を維持するのが難しくなっているものの、まだまだ強さは健在で、SG競争でも活躍を続けています

「76期」の同期には、瓜生 正義選手(3783)・魚谷 智之選手(3780)・樋口 亮選手(3777)・折下 寛法選手(3771)・一柳 和孝選手(3772)がいます。

獲得タイトル

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獲得した年グレードレース場シリーズ名称
2002年SG平和島第49回全日本選手権競走
2004年SG浜名湖第14回グランドチャンピオン決定戦競走
2009年SG常滑第12回競艇王チャレンジカップ
2021年SG蒲郡第67回ボートレースメモリアル
2022年SG宮島第49回ボートレースオールスター
2021年PG1下関マスターズチャンピオン
2000年G1びわこ新鋭王座決定戦競走
2002年G1児島競艇キングカップ
2002年・2007年G1大村・芦屋モーターボート大賞
2004年・2006年G1宮島宮島チャンピオンカップ
2011年G1尼崎近松賞
2007年・2017年G1常滑・大村ダイヤモンドカップ
2012年G1常滑マーメイドグランプリ
2015年・2019年・2024年G1大村海の王者決定戦
2017年G1下関競帝王決定戦
2020年G1住之江高松宮記念特別競走
2020年G1ツッキー王座決定戦

原田幸哉選手は2021年にボートレースメモリアル、2022年にボートレースオールスターを制覇して、GRANDE5のタイトルを2つ獲得しています。

GRANDE5とは、ボートレースの歴史ある5つのSG競争(ボートレースクラシック・ボートレースオールスター・ボートレースメモリアル・ボートレースダービー・グランプリ)に総称。
GRANDE5をすべて制した最初のボートレーサー(グランドスラマー)に対して、3億円相当のインゴットが贈呈される。

愛知県出身なのに長崎支部に所属しているのはなぜ?

原田 幸哉選手の基本情報で注目したいのが、「出身が愛知県なのに、なぜ長崎支部に所属しているのか?」ですよね。

愛知県と言えば、東海地方で最もボートレースが盛んな地域と言っても過言ではありません。
その証拠に、愛知県には「蒲郡競艇場」「常滑競艇場」が開設されており、多くの選手が愛知支部に在籍しています。

それなのになぜ遠く離れた長崎県の支部に所属しているのでしょうか?

【理由1:移籍の理由】

もともと原田 幸哉選手はデビューからずっと愛知支部に所属していました。
それが2009年2月の再婚を機に、2011年7月に『愛知県から沖縄県に移住した』ことで、2017年4月1日付で愛知支部から長崎支部へ移籍しています。
ではなぜ沖縄県に移住したのか?について見ていきましょう。

【理由2:沖縄に移住した理由】

移住を決めた理由としては、原田 幸哉選手いわく『オンとオフをはっきりさせたかったから』と『沖縄の人に競艇のことをもっと知ってほしいから』だとコメントしています。

前述のとおり、愛知県には2か所の競艇場と場外舟券売り場もあるため、プライベートでも競技から完全に離れることは難しかったはず。
一方、沖縄県には競艇にかかわる施設はなく、愛知県と沖縄県は原田 幸哉選手にとって魅力的に見えたのでしょう。

また移住後のインタビューでは、競艇を愛する原田 幸哉選手らしく『自分が活躍することで、沖縄から競艇選手を目指す人が出てきてほしい』とも語っています。

【理由3:長崎支部に移籍した理由】

移籍先を長崎支部にした理由について、原田 幸哉選手ははっきりと『今の奥さんの出身地が長崎県だから』と公表しています。

なんとも奥様への愛情を感じる名言ですね。
実際に支部を移籍したことで、お正月・ゴールデンウィーク・お盆は奥様の実家がある長崎(大村競艇場)への斡旋となるため、帰省とレースへの出場がかなうのは好都合。

さらに長崎支部には同期である樋口 亮選手(3777)・津留 浩一郎選手(3773)が在籍しているので、なじみやすかったことが理由の一因でしょう。

笠間 憲哉選手のデビュー戦

笠間 憲哉選手のデビューは2020年11月13日
2020年11月13日~16日に常滑競艇場で開催された一般戦「第31回 中日スポーツ銀杯争奪戦」初日の第2レースでのできことでした。

このレースは「2号艇にA級選手、そのほかはB1級選手」が配置される新人レーサーにはとても厳しい番組編成
6号艇・6コースからの出走で、コンマ15という新人選手にしては素晴らしいスタートを決めましたが、舟券に絡むことはできず、6着で終わっています。

おなご

新人レーサーの初出走は、出遅れたスタートから6着っていうのが既定路線らしいよ!

出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
  • 【127期の愛知支部新人選紹介】127期の愛知支部新人選手3名の選手紹介動画ですニャ!
出典:ボートレースとこなめ公式チャンネル
  • 【蒲郡】デビュー直前!127期、愛知支部新人レーサー3人をご紹介します!【笠間憲哉・仲道大輔・堀本翔太】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル

笠間 憲哉選手の初勝利

笠間 憲哉選手の初勝利は2021年12月11日
2021年12月9日~14日に常滑競艇場で開催された一般戦「ルーキーシリーズ第23戦 スカパー!第23回 JLC杯」3日目の第5レースでのできことでした。

このレースは「1号艇がA1級、2号艇から4号艇までがB1級、そして6号艇の選手もA2級」という配置。
もちろん全員が笠間 憲哉選手よりも格上であり、A1級の木谷 賢太選手(4931)のイン戦速攻を狙う非常に勝ちを狙いにくい状況。

笠間 憲哉選手はコンマ11の好スタートを決めると、5コースから見事な最内差しを決めて、初白星を獲得しています。
このレースの3連単561は、78番人気の87,300円(873.0倍)という超特大配当に貢献。
選手にとって走りにくい難水面の常滑競艇場で、デビューから1年132走目にして初勝利をあげました。

初勝利の水神祭の後、笠間 憲哉選手は心境を次のように語っています。

「もっと早くできると思っていたけど、うれしい。蒲郡、とこなめとルーキーシリーズが続いていたので、どちらかで決めたかった。まずはB1に上がることを目標に、先々は大きいレースにも出たい」と、寒さも一切感じさせず、今後への熱い思いを語った。

引用元:【常滑ボート・ルーキーS】地元愛知の新鋭・笠間憲哉が132走目でうれしい水神祭 | 東スポWEB (tokyo-sports.co.jp)

出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
  • BOATCAST NEWS│展開キターーーーッ!笠間憲哉 デビュー水面で嬉しい初1着! ボートレースニュース 2021年12月11日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE official

笠間 憲哉選手の獲得賞金

デビューからずっとB級選手として戦い続けた笠間 憲哉選手。

2023年前期以降、B2級からB1級への昇級後もG3競争以上のレースへの出場経験はありませんでしたが、一般戦で活躍を続けていました。

2024年後期には自身の持つ最高勝率を3.36に更新したものの、優勝はおろか優出さえできず。
勝率は徐々に上昇していましたが、結局は成績も振るわない状況が続いていました。

そのため、もちろん獲得賞金も平均的なB1級選手より少ないことが予想できると思います。

年度級別賞金ランキング獲得賞金
2024年B11,531位2,970,000円
2023年B11,374位8,860,000円
2022年B21,523位4,100,000円
2021年B21,483位4,760,000円
2020年B21,562位670,000円

B1級ボートレーサーの平均年収は約1,100万円といわれています。
笠間 憲哉選手は2023年以前はずっとB2級だったことから、今回の比較対象はB2級レーサーの平均年収500万円とします。

1年分の獲得賞金額が出ている2021年から2023年まで、直近3年間のデータから算出した平均年収は、約591万円程度。

2023年以降はB1級に昇級していたことを考慮すれば、B2級ボートレーサーの平均金額500万円よりやや多い金額ではありますが、B1級選手の平均金額の半分くらいです。

その理由は、B2級が長い期間続いていたことと、引退までに優出・優勝歴がひとつもないどころか、予選を突破して準優勝戦に乗った経験もなかったことです。

ただ、2023年は直近3年間の中では最も1着数が多く、そのぶん獲得賞金額が前年より476万円アップしており、その後の活躍も相まって最近では最も高い獲得賞金額を記録しました。

ちなみに、一般的な20代の社会人男性の平均年収は約340万円とされていますので、笠間 憲哉選手の平均年収である591万円は1.7倍以上の金額に相当します。

直近3年間の平均年収をひと月に換算すると月収が約49万円ですから、同年代の一般的な社会人男性と比べたら高収入であると言えます。

近年は獲得賞金額が890万円ほどまで一気に増加していたようですが、2024年度は5月中旬のラストランを終えた時点で獲得賞金額は297万円のため、2023年度と大きく変わらない獲得賞金額となる見込みでした

同期(120期)の注目選手

笠間 憲哉選手の同期である「127期」にはどのような選手がいるのでしょうか。

主だった選手を以下にまとめました。

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登録番号名前支部級別
5166仲道  大輔愛知A1
5161登玉  隼百兵庫A2
5150坂本  雄紀群馬A2
5174川井   萌静岡B1
5163清水  愛海山口B1
5160藤森  陸斗福岡B1
5172田村   慶徳島B1
5158宮脇  遼太福岡B1
  • 仲道 大輔選手(5166)/2000年5月6日生まれ/愛知/A1
  • 登玉 隼百選手(5161)/1999年6月3日生まれ/兵庫/A2
  • 坂本 雄紀選手(5150)/1994年10月18日生まれ/群馬/A2
  • 川井 萌選手(5174)/2002年1月8日生まれ/静岡/B1
  • 清水 愛海選手(5163)/1999年11月23日生まれ/山口/B1
  • 藤森 陸斗選手(5160)/1999年1月28日生まれ/福岡/B1
  • 田村 慶選手(5172)/2001年2月4日生まれ/徳島/B1
  • 宮脇 遼太選手(5158)/1998年2月10日生まれ/福岡/B1

127期のサラブレットの卵

127期」には、羽野 直也選手の従兄弟・丸山 祐也選手や、村松 修二選手の弟・村松 栄太選手、往年の元ボートレーサーである橋本 忠選手の孫・内山 七海選手という輝かしいサラブレットの卵がいます。

まだどの選手も目まぐるしい活躍を果たせていませんが、これからの活躍に期待したいですね。

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登録番号名前支部級別親族関係
5152丸山  祐也福岡B1羽野 直也選手(4831)の従兄弟
5154村松  栄太広島B1村松 修二選手(4816)の弟
5155内山  七海福岡B1元ボートレーサー・橋本 忠(671)の孫
5169堀本  翔太愛知B1堀本 裕也選手(3895)の息子
5173谷口  佳蓮香川B1谷口 知優選手(5032)の弟
5164森田  梨湖福岡B2森田 昭彦選手(3851)の娘
  • 丸山 祐也選手(5152)/1995年8月14日生まれ/福岡/B1
  • 村松 栄太選手(5154)/1996年6月24日生まれ/広島/B1
  • 内山 七海選手(5155)/1996年12月12日生まれ/福岡/B1
  • 堀本 翔太選手(5169)/2000年12月14日生まれ/愛知/B1
  • 谷口 佳蓮選手(5173)/2001年11月14日生まれ/香川/B1
  • 森田 梨湖選手(5164)/1999年11月30日生まれ/福岡/B2

同期で支部も同じ堀本 翔太選手は、ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル「勝ガマ」で、父である堀本 裕也選手と共演していて、父は“ポリノウチ“で息子は“ムスコウチ”と呼ばれてました。

  • 【蒲郡】デビュー直前!127期、愛知支部新人レーサー3人をご紹介します!【笠間憲哉・仲道大輔・堀本翔太】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル

笠間 憲哉選手のラストレース

笠間 憲哉選手のラストレースは、2024年5月8日~12日に蒲郡競艇場で開催された一般戦「マンスリーBOAT RACE杯争奪戦」最終日の第6レースです。

このシリーズは、ここまで7走して3着を1本あげて舟券に貢献。
前走では絶好枠1コースに控えながら、前付けを許したことで3コースからの進入となり、このシリーズ4本目の6着という苦い結果となっていました。

前走と同様に4号艇ながら、大外6コースからの進入で、“現役最後のラストランを有終の美で飾りたい”という意気込みを胸に臨んだレース。

1・3・5コースにA級選手が配置され、A1級の高倉 和士選手(4736)のイン戦ということもあり、単勝オッズは26.1倍で5番人気。
さらに3連単のオッズでは、人気トップ3の買い目がいずれも“高倉 和士選手が1着”と予想していることから、観客からは「笠間 憲哉選手がこのレースで活躍するのは難しい」と判断されていたことがわかります。

勝利へのプレッシャーがかかる条件下で、出走選手全員が自分よりも勝率が高いという非常に厳しい状況。
コンマ12のスタートを決めるも、やはり高倉 和士選手がイン戦をしっかり逃げて、結果は6着となるも、最終戦でもしっかりと無事故完走で観客からの声援にこたえてくれました。

このレースの3連単153は2番人気の730円(7.3倍)でした。
決して良くない機力のモーターながら、所属する愛知支部のホームプールで有終の美を飾ったのです。

デビューから3年6か月目のラストレースでも、これまでの選手生活と同様にファンの期待に応えて、シリーズを“無事故”で走り切れたのは、日々の努力や練習を大切にコツコツと操縦技術を磨き続けた賜物でしょう。

出走表

出典:BOAT RACE公式サイト

単勝オッズ

枠番級別選手名単勝オッズ
1A1高倉  和士1.2倍
2B1酒井  陽祐14.9倍
3A1野口  勝弘3.9倍
4B1笠間  憲哉26.1倍
5A2三川  昂暁6.6倍
6B1桑原   啓34.8倍

3連単オッズ

買い目(人気順)オッズ(倍)
135(1番人気)3.4
153(2番人気)7.3
132(3番人気)7.7
315(4番人気)12.6
123(5番人気)12.9

レース結果

出典:BOAT RACE公式サイト

笠間 憲哉選手の引退で「公式サイト内のプロフィールページ」が削除される

笠間 憲哉選手の引退が報じられた2024年9月5日。
情報の信憑性を確認するために、下記の2つの情報源で「笠間 憲哉選手のプロフィールページ」の存在有無を調査しました。

  • BOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ
  • ボートレース蒲郡Official Siteの愛知支部選手プロフィールページ

2024年9月5日時点で、それぞれのサイトに“笠間 憲哉選手のプロフィールページ”が存在していたのか…その調査結果をご紹介します。

ボートレース公式サイト内のプロフィールページ

2024年9月5日までに「BOAT RACE公式サイト」内のプロフィールページが削除されたことが確認できました。

現在、笠間 憲哉選手のプロフィールページにアクセスすると『※ データが存在しないのでページを表示できません。』と表示されて、以前のように情報を閲覧できない状態となっています。

また、同サイト内の検索機能を利用して“選手名”や“登録番号”で検索しても、すでに情報を見ることはできなくなっています。

出典:BOAT RACE公式サイト

ボートレース蒲郡Official Siteの愛知支部選手プロフィールページ

笠間 憲哉選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内から削除されましたが、2024年9月5日現在も「ボートレース蒲郡Official Site」では情報を確認することが可能でした。

しかし、引退届が受理されて選手登録が削除された以上、愛知支部所属選手一覧からも近日中に削除されるでしょう。

出典:ボートレース蒲郡official Site
出典:ボートレース蒲郡official Site

WEBニュースで引退が報じられる

2024年9月5日に「Yahoo!JAPANニュース」で笠間 憲哉選手の引退が報じられました。

【ボートレース】愛知支部の笠間憲哉が引退

9/4(水) 15:35配信

引退した笠間憲哉

 ボートレーサーの笠間憲哉(26)=愛知=が、引退していたことが4日、分かった。8月29日に日本モーターボート競走会に引退届けを提出した。
 笠間は2020年11月、とこなめ・一般戦で127期としてデビュー。2021年12月、とこなめ・ルーキーシリーズで初1着。優出はなし。通算21勝。2024年5月12日の蒲郡・一般戦最終日6Rの6着がラストレースとなった。生涯獲得賞金は2137万4263円。

引用元:【ボートレース】愛知支部の笠間憲哉が引退(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

記事に寄せられたコメント

報道はいたってシンプルなものでしたが、127期のルーキーが早すぎる引退を決めたとあって、『引退理由を気にする声』や『もう少し見たかったという声』が聞かれました。

カサケンは競艇ユーチューバーのシンさんがターンに光るものを感じる、今後に注目と推していた選手。
もう少し見たかったなぁー

個人的には笠がつく苗字の人に何故かかなり儲けさせてもらった記憶があるので、未だに一度しかない二十万舟とらしてもらったのもこの人からだし、他の人は馴染みのない選手だろうけど、自分は忘れることのできない選手であるのは違いない。

自分の中でこれ以上伸びしろが無いと思ったのか!?
家事都合も考えられるな。

新人は3年の猶予期間があって、その後に4期通算(2年)が適用される。
なので、ストレート代謝だと最短で5年ということになる。
127期は今期も含めてまだ3期残っているので、引退は個人的な理由だと思われる。

笠間 憲哉選手の引退理由は?

笠間 憲哉選手の引退理由は明言されていません

しかし、笠間 憲哉選手はまだデビューして3年を経過したばかり。
ラストランの時点でデビューから3年6か月の若手選手ですので、引退勧告の規定「デビューして3年以内の新人を除く(※3年経過後に4期通算(2年)が適用)」に該当しています。
つまり、引退勧告の対象となる選手の条件は、最短でも選手登録から5年が経過した選手
そのため、笠間 憲哉選手は4期通算の成績不振による引退勧告の対象ではなかったと考えられます。

以上の理由から、ここからは個人的な憶測となりますが、下記のいずれかの理由で引退を決断したと推測できるのです。

  1. ボートレースにおける技術・レースの成績に限界を感じて、自ら潔く引退を決めた
  2. 何かしらの不祥事を理由に選手登録を抹消(=競艇界から強制引退)された

これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

しかし、笠間 憲哉選手の場合はデビューからの期間が短いため、引退勧告を受けるような立場ではなかったはず。
それでも、デビュー以来ずっと3年6か月もの期間にわたって初勝利より先の水神祭をあげることもできず勝率も3.80を上回ることはありませんでした

そのため、笠間 憲哉選手自身が「このままではいずれ近いうちに引退勧告の対象となる未来が待っている」と判断してもおかしくはなかったはずです。

そして、二つ目の「何かしらの不祥事を理由に選手登録を抹消(=競艇界から強制引退)された」については、現在のところそれといった情報は何も発表されておらず、この可能性も低いと考えられます。

それでは、まずは笠間 憲哉選手自身が危惧したであろう「成績不振による引退勧告の基準」についてご紹介します。

不祥事を理由に選手登録を抹消(=競艇界から強制引退)された選手・出場停止処分を受けた選手については次の記事で触れていますので、ぜひご確認ください。

八百長に関する事件・八百長への関与を噂された選手については、次の記事で触れています。

成績不振による引退勧告の基準

まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。

あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補となるからです。
※選手登録3年経過していない選手は対象外。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

スクロールできます
判断項目基準
4期通算勝率3.8未満
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

考えられる引退の理由は?

前述の基準と笠間 憲哉選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受ける対象には該当していなかったと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

  • ラストランの時点でデビューから3年6か月の若手選手のため、4期通算勝率・事故率・出走回数の対象外
  • 4期通算勝率:デビュー以来ずっと3.80を下回り続けており、4期通算すると勝率3.70で基準以下
  • 4期通算事故率:事故率0.7以下(2024年1月23日に出遅れ歴あり)
  • 4期通算出走回数:4期連続で出走数が60回以上

上記の“成績不振による引退勧告基準”の1つが当てはまるものの、デビューから3年6か月の若手選手のため、引退勧告を受けるような状況ではなかったと考えられます。
そのため、考えられる引退理由として「自分の限界を感じて、自ら退く決断をした」ということでしょう。

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。

スクロールできます
級別出走数勝率
2021年前期B20走0.00
後期B266走1.42
2022年前期B248走1.44
後期B255走1.67
2023年前期B150走2.18
後期B191走2.64
2024年前期B196走2.31
後期B189走3.36

上記の表から鑑みるに、引退理由に「成績不振による引退」が関係していることは明白です。

勝率は2021年後期の1.42を底に徐々に上向いてきましたが、3.80を超えたことは1度もなかったことが読み取れます。

前述の『成績不振による引退勧告の基準』でも述べたとおり、勝率が厳しかった笠間 憲哉選手は全く勝てていなかったものの、デビューからまだ期間が短かったため選手を続けることができたようです。

しかし、直近4年だけで見ても、2021年に平均66走だった出走数は年々増加して、平均90走を超えるようになっていたので、個人的には「もう少し続けてほしかった」と思いますし、引退という決断を残念に思います。

結論として『デビュー以来ずっと勝率が引退勧告の基準をクリアできなかったことと、自分の限界を感じたことが決定打となって引退を決めた』というところでしょう。

笠間 憲哉選手の電撃引退に対するSNSの反応は?

笠間 憲哉選手の電撃引退に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?

引退を惜しむ声」「これからの第2の人生を応援する声」が寄せられていました。

具体的な内容としては『残念だけど、笠間憲哉選手は引退やね』『お疲れさまでした!若いからまだまだこれから目指す方へ進んでいって下さい』という、笠間 憲哉選手を応援してきたファンが今後を思いやる投稿が印象的でした。

ほかには『香ばしい理由でなければ良いがな』という“引退理由が不祥事でなければいいが…”という声や、『あまりよく知らないレーサー でしたね』『ルーキーは興味無いからかもだけど、この選手は知らない』という悲しい投稿も見られました。

それでは、投稿内容の一部を抜粋してご紹介します。

まとめ

笠間 憲哉選手、デビューから約3年9か月の間、本当にお疲れさまでした。

残念ながら、輝かしい活躍とまではいきませんでしたが、そのカッコいいルックスと高配当に貢献したことで、ファンから愛された選手ということがよくわかりました。

まだ若い笠間 憲哉選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

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