石野貴之選手がチャレンジカップ出場取消!相次ぐ斡旋削除の理由・長期欠場の可能性を徹底調査!!

2024年11月8日、トップレーサーの石野 貴之選手(大阪・90期)が、11月19~24日まで下関競艇場で開催される「SG・第27回 チャレンジカップ」の出場取消を行っていたことが明らかになりました。
11月7日時点での石野 貴之選手の賞金ランキングは36位のため、チャレンジカップ欠場によりグランプリ本戦への出場の可能性はなくなり、同時に自身3度目のグランプリ制覇と連覇の道は途絶えてしまいました。

2024年11月8日、2023年のグランプリ覇者の石野 貴之選手(大阪・90期)が、11月19日~24日まで下関競艇場で開催される「第27回 チャレンジカップ」の出場取消を行っていたことが判明しました。

11月7日時点での石野 貴之選手のチャレンジカップ選出順位は25位。
チャレンジカップを欠場することにより、グランプリ本戦に出場できる可能性が消滅したと同時に自身3度目のグランプリ制覇、ならびに2連覇の道は途絶える結果に。

石野 貴之選手の斡旋については、現在すべてが削除されており、年内はその走りを見ることができない状況となっています。
斡旋をすべて削除した理由として、石野 貴之選手は11月3日に自身のInstagramを更新。
『近況のご報告を。』として膝の状態悪化による治療のため、長期欠場の可能性を示唆しています。

2023年のグランプリ以降、石野 貴之選手のレースでの成績もふるわないことから、前回のグランプリ制覇後と同様にスランプと目されていましたが、大きな原因はほかにあったようです。

復帰後はさらに活躍すること間違いなしの石野 貴之選手について、基本情報・過去戦績・ニックネームの由来・同期の注目選手・獲得賞金・SNSまで、どこよりも詳しくご紹介していきますので、ぜひ最後までご覧ください。

出典:BOAT RACE公式サイト
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目次

石野 貴之選手がチャレンジカップ出場取消の大波乱

石野 貴之選手は2024年11月19~24日まで下関競艇場で開催される「SG・第27回 チャレンジカップ」の出場権を獲得していました。
しかも、選出順位は25位、2年ぶり10回目の節目となる出場で、活躍を期待していたファンも多かったことでしょう。

しかし、3日後に石野 貴之選手が自身のInstagramで膝の状態悪化による治療のため、長期欠場の可能性を示唆したことで状況が一転。
この時点では斡旋が入っている状態だったため、年内もしくは「チャレンジカップに出場してくれるのでは?」という淡い期待とともに、出場可否が話題となっていました。

しかし、石野 貴之選手が11月7日までに“私傷病のため”チャレンジカップの出場を取り消したことで、年内における石野 貴之選手の出場予定はなくなったと同時に、グランプリの出場・連覇の道も閉ざされました

石野 貴之選手の出場取消により、予備選手1位の坪井 康晴選手(3959)の繰り上がり出場が決定しています。

出典:BOAT RACE公式サイト
【ボートレース】石野貴之が下関SGチャレンジC欠場 GP連覇ならず…

【ボートレース】石野貴之が下関SGチャレンジC欠場 GP連覇ならず…
2024年11月8日 18:25

昨年のグランプリ覇者・石野貴之

 ボートレースの石野貴之(42=大阪)が8日、下関SGチャレンジカップ(19日開幕)の出場取消手続きを行った。私傷病のため。これに伴い、坪井康晴(47=静岡)が繰り上がる。
 
 7日現在、石野は賞金ランク36位。チャレンジカップ欠場によりグランプリ出場の可能性はなくなった。石野は昨年、2回目のグランプリVを達成していた。

引用元:【ボートレース】石野貴之が下関SGチャレンジC欠場 GP連覇ならず… | 東スポWEB

石野 貴之選手のケガの詳細

石野 貴之選手の膝のケガ、ましてはその程度について気になるファンは多いのではないでしょうか。
調査していたところ、X(旧:Twitter)で気になる情報を入手しました。

それは「ボートレースなM記者!」こと、森本 浩司氏の10月30日の投稿です。
この時点ではまだ1度目の斡旋削除が発表されたばかりで、欠場理由となった“私傷病”の詳細について知っていたのはごく一握りの人間だったはず。

そのような中でもたらされたのが、次の投稿でした。

森本 浩司氏の投稿を原文のままご紹介します。

HPで石野貴之の高松宮記念欠場が発表された。
「右膝は3回手術しましたが、今回は左膝。右をかばってるうちに左がロックした状態で痛くなりました。MRI検査では即。即手術は必要ないけど、頃合いをみて…という診断でした」
これは春先に聞いた報告だが、さらに深刻になっていたのだ。
大事な地元の特別戦を欠場。賞金ランクを上げるチャンスなのに。苦渋の決断だった。
今年の不振はパワーがない新型エンジンの調整が思うようにいかないこと。誰よりも試運転して正解を見つけ出す男が膝痛で思うように試運転できないのが原因。

引用元:ボートレースなM記者!氏のX

森本 浩司氏は、ボートレース記者歴33年目の某スポーツ紙記者という肩書の持ち主であり、予想まで手掛けるボートレース界のベテラン記者。
もちろん選手にも近い存在として、情報を手に入れることができた人物でもあります。

そのため、石野 貴之選手のInstagramの“春頃から膝が良くなく”という内容とも一致する部分があり、この投稿の信憑性はとても高いと言えます。

石野 貴之選手がどれだけ満身創痍で戦ってきたのか、その真面目で誠実な人柄がわかる文章を読んで、今は何よりも治療に専念して、万全の状態で復帰を目指してほしいと願うばかりです。

石野 貴之選手が実際に投稿した近況と心境

11月3日に石野 貴之選手が投稿した内容は次のとおりです。
実際に投稿された内容を原文のままご紹介します。

近況のご報告を。

春頃から膝が良くなく、レースの間隔を空けながらレースをして来ました。
それでも、レース前の試運転の量が十分に取れず、自分の中でこれ以上悪化すると100%全力でレースに参加出来ないと判断致しました。

投票して下さった方の期待に応えられない、応援下さったかたに心配をかけてしまう。

そしてこれ以上レースに出たら自分にも、ファンの方にも嘘をついてしまう事になってしまう。。。

病院の先生と相談して、しっかりと治療し、時間がかかってもまた、自分が100%のパフォーマンスでレースができる状態になってから復帰したいと思っております!

最後に、なかなか期待に応えられなかったにも関わらず、応援、投票して下さった方に感謝の気持ちを伝えたいとおもいます!

ありごとうございました!

引用元:石野貴之選手のInstagram

この突然の現況発表を発端として、多くのファンが驚きと応援の声を寄せたと同時に、チャレンジカップ出場の可否に注目が集まりました。

石野 貴之選手の復帰時期はいつ?

2024年11月3日、大阪支部の90期レーサー・石野 貴之選手が、自身のInstagramで膝の状態悪化による治療のため、長期欠場の可能性を示唆したことが明らかになりました。

石野 貴之選手は、11月3日に自身のInstagramに『近況のご報告を。』と銘打ってファンに向けたメッセージを投稿。
真っ黒な画像と共に、膝の具合が春頃からすぐれなかったこと・ファンの期待に応えられないことへの葛藤や感謝の気持ち・長期欠場となる可能性を示唆したうえで、復帰するための基準についても触れています。

石野 貴之選手いわく、今後については『病院の先生と相談して、しっかりと治療し、時間がかかってもまた、自分が100%のパフォーマンスでレースができる状態になってから復帰したいと思っております!』としており、この文面から復帰の時期は未定であるものの、復帰を目標としてしっかり治そうとする強い意志が読み取れます。

そして、最後には『なかなか期待に応えられなかったにも関わらず、応援、投票して下さった方に感謝の気持ちを伝えたいとおもいます!ありがとうございました!』と締めくくっています。

相次ぐ斡旋削除と泡に消えたグランプリ連覇

2023年のグランプリ制覇以来、いまいち調子がふるわない状態が続いていた石野 貴之選手。
当初は2019年に自身初のグランプリ制覇した翌年にもスランプに陥っていた過去があるため、「2020年同様にスランプなのでは?」と思われていました。

それを裏付けるように、2023年の賞金王にして2億円レーサーが今年はボートレースダービー終了後の獲得賞金ランキング32位。
しかも、ボートレースダービー終了後(10月末時点)の獲得賞金総額は50,949,466円。
チャレンジカップで優勝するほどの結果を残さなければグランプリ本戦への出場は難しい状況となっていたのです。

とくに、2024年10月22日~27日に戸田競艇場で開催された「第71回 ボートレースダービー」における不調ぶりは目に見えて明らかでした。
石野 貴之選手がこのシリーズで舟券に貢献できたのは4日目の1度のみで、そのまま5日目以降は途中帰郷し、動向が注目されていた矢先。
それまでに入っていた斡旋をすべて10月30日までに削除したことから、心配する声が多く聞かれていました。

ボートレースダービーを途中帰郷した時点で石野 貴之選手に入っていた斡旋は次のとおり。

  • 2024年11月1日~6日まで住之江競艇場で開催された「G1・第52回 高松宮記念特別競走」
  • 2024年11月10日~15日まで尼崎競艇場で開催される「G1・尼崎ダイヤモンドカップ」
  • 2024年11月28日~12月3日まで三国競艇場で開催される「G1・開設71周年記念 北陸艇王決戦」
  • 2024年12月8日~13日まで福岡競艇場で開催される「G1・福岡チャンピオンカップ 開設71周年記念競走」

その後も追加で2件の斡旋が入りましたが、いずれの斡旋も11月7日までに削除

  • 2024年11月19~24日まで下関競艇場で開催される「SG・第27回 チャレンジカップ」
  • 2025年1月11日~16日まで下関競艇場で開催される「G1・開設70周年記念 G1競帝王決定戦」

これによって、石野 貴之選手の年内における出場予定はなくなったと同時に、グランプリの出場・連覇の道も閉ざされました

出典:BOAT RACE公式サイト

11月11日現在、入っている斡旋は一つもない状態が続いています
ビッグレースの斡旋が続いていただけに、すべての斡旋が削除されたことに対する反響は大きく、治療と療養により石野 貴之選手が語る『自分が100%のパフォーマンスでレースができる状態』での復帰が待たれる状況です。

突然の“全斡旋削除”の経緯

石野 貴之選手は、10月22日から埼玉県にある戸田競艇場で開催された「第71回 ボートレースダービー」に出場しましたが、シリーズ4日目・第8レースの2着を最後に5日目以降のレースを“私傷病”のため斡旋を削除して、そのまま途中帰郷しています。

この時点では、昨年のグランプリ覇者の不調は“2020年にも前例があったこと”と考える意見も多くありました。
そして、グランプリ本戦への出場には赤信号が灯っていましたが、それでもファンは年末に向けて応援していこうと考えていたでしょうし、年内の活躍を期待するファンも大勢いたに違いありません。

しかし、途中帰郷から5日後の10月30日に当時入っていた4件の斡旋をすべて削除したことから状況は一転
年末のグランプリに直結する「SG・第27回 チャレンジカップ」への出場可否と今後の動向に注目が集まっていました。

石野 貴之選手が10月30日に削除した4件の斡旋は次のとおりです。

  • 2024年11月1日~6日まで住之江競艇場で開催された「G1・第52回 高松宮記念特別競走」
  • 2024年11月10日~15日まで尼崎競艇場で開催される「G1・尼崎ダイヤモンドカップ」
  • 2024年11月28日~12月3日まで三国競艇場で開催される「G1・開設71周年記念 北陸艇王決戦」
  • 2024年12月8日~13日まで福岡競艇場で開催される「G1・福岡チャンピオンカップ 開設71周年記念競走」

そして、1度目の斡旋全削除から4日後の11月3日。
冒頭でもご紹介したとおり、石野 貴之選手自身の言葉で予想だにしなかった発表がなされることになります。
それが前述したファンへ向けてのInstagramの投稿です。

この投稿は石野 貴之選手のファンのみならず、ボートレースファン全体で話題となっており、心配する声と復帰を待つ温かい声が多く寄せられました。

しかし、この時点では長期欠場となる可能性は記されているものの、チャレンジカップの出場選手にも選出されていたため「もしかしたら…年内は走ってくれるのでは?」という淡い期待もありましたが、その3日後に今度は2度目の全斡旋削除
結局はこのInstagramのメッセージをもって事実上の無期限欠場が告知されたのです。

石野 貴之選手が11月7日に削除した2件の斡旋は次のとおりです。

  • 2024年11月19~24日まで下関競艇場で開催される「SG・第27回 チャレンジカップ」
  • 2025年1月11日~16日まで下関競艇場で開催される「G1・開設70周年記念 G1競帝王決定戦」
出典:BOAT RACE公式サイト

この斡旋削除により石野 貴之選手に入っている斡旋は1つもなくなりました

ここでは、石野 貴之選手が「第71回 ボートレースダービー」を途中帰郷する直前のレースから、10月30日と11月7日までにすべての斡旋が削除されるまでをわかりやすく時系列にまとめましたのでご覧ください。

STEP
2024年10月25日

10月22日から戸田競艇場で開催された「第71回 ボートレースダービー」に出場するも、“私傷病”を理由に10月26日(5日目)以降のレースの斡旋を削除し、途中帰郷した。
※シリーズ4日目の第8レースでは2着となるが、4日間を通しての節間成績は〔5 6 662〕で舟券に貢献できたのは1度きりだった。

STEP
2024年10月30日(途中帰郷から5日後)

当時入っていた4件すべての斡旋を削除したことが判明する。
※削除された斡旋は「第52回 高松宮記念特別競走」「尼崎ダイヤモンドカップ」「開設71周年記念 北陸艇王決戦」「福岡チャンピオンカップ 開設71周年記念競走」

STEP
2024年11月3日(途中帰郷から9日後)

石野 貴之選手が自身のInstagramで真っ黒な画像と共に、膝の具合が春頃からすぐれなかったこと・ファンの期待に応えられないことへの葛藤や感謝の気持ち・長期欠場となる可能性を示唆した。

STEP
2024年11月8日(途中帰郷から14日後)

追加されていた「第27回 チャレンジカップ」と「開設70周年記念 G1競帝王決定戦」の斡旋が“私傷病”を理由に削除され、ボートレース公式サイト内の石野 貴之選手のプロフィールページに記載されていた斡旋が1つもなくなる
※チャレンジカップの出場取消により、グランプリ本戦への出場と連覇の道が閉ざされた。

2024年10月25日:“私傷病”のため「第71回 ボートレースダービー」5日目以降のレースの斡旋を削除・途中帰郷

まずはじめに、石野 貴之選手の途中帰郷について見ていきましょう。

石野 貴之選手が、私傷病を理由に翌日以降の斡旋を削除・途中帰郷となった直前のレースは、10月22日~27日に戸田競艇場で開催された「第71回 ボートレースダービー」4日目の第8レースです。

シリーズも予選最終日を迎えて、相変わらずの絶不調で苦しい状況に立たされていた石野 貴之選手。
このレースでは3号艇・3コースからの進入で活躍を期待されており、単勝オッズでは4番人気。

結果は1周1マークでコンマ11の好スタートを決めて、シリーズ初の舟券絡みとなる2着を獲得
転覆・接触などの事故もなく、傍目にはいつも通りのレースに見えました。

しかし、このレース終了後に石野 貴之選手は翌日以降に予定されていたレースの斡旋を削除して、最終的には“私傷病のため途中帰郷”をしています。

途中帰郷は、選手自身の都合で帰郷するときに使われる用語で、病気などのほか、級別審査対象期間の締めとなる4月と10月の下旬には、次期の昇級や降級回避が確定した時点で帰郷する選手もいるとされます。

出典:BOAT RACE公式サイト

出走表

出典:BOAT RACE公式サイト

単勝オッズ

枠番級別選手名単勝オッズ
1A1山口   剛1.4倍
2A1佐藤   翼2.7倍
3A1石野  貴之11.6倍
4A1大峯   豊8.4倍
5A1松村   敏16.7倍
6A1三浦  永理33.4倍

3連単オッズ

買い目(人気順)オッズ(倍)
124(1番人気)8.0
123(2番人気)10.7
125(3番人気)13.1
142(4番人気)14.9
132(5番人気)15.9

レース結果

出典:BOAT RACE公式サイト

2024年10月30日(途中帰郷から5日後):当時入っていた4件すべての斡旋を削除

石野 貴之選手は10月25日に戸田競艇場で開催された「第71回 ボートレースダービー」4日目の第8レース以降、5日目を“私傷病”を理由に斡旋削除し、途中帰郷しました。

そして、5日後の10月30日に当時入っていた4件すべての斡旋を削除しています。
この日に削除された斡旋は次のとおりです。

  • 2024年11月1日~6日まで開催:「G1・第52回 高松宮記念特別競走」(住之江競艇場)
  • 2024年11月10日~15日まで開催:「G1・尼崎ダイヤモンドカップ」(尼崎競艇場)
  • 2024年11月28日~12月3日まで開催:「G1・開設71周年記念 北陸艇王決戦」(三国競艇場)
  • 2024年12月8日~13日まで開催:「G1・福岡チャンピオンカップ 開設71周年記念競走」(福岡競艇場)

この時はまだ石野 貴之選手の膝の調子が悪いことは発表されておらず、途中帰郷の理由も“私傷病”であったため、向こう1か月半の斡旋を削除したことは納得できました。

しかし、この時点では“全治2か月以内病気・もしくはケガ”と考えられており、選出確実とされていた11月19日~24日まで下関競艇場で開催を予定されている「SG・第27回 チャレンジカップ」には復帰してほしいと誰もが感じていたはずです。

しかし、5日後に事態は急展開を見せます。
石野 貴之選手のInstagramで思いもよらない発表を目にすることになったのです。

2024年11月3日(途中帰郷から9日後):自身のInstagramで膝の治療による長期欠場を示唆

石野 貴之選手は11月3日に自身のInstagramで『近況のご報告を。』という題でファンに向けたメッセージを投稿しています。

内容については、前述したとおりですが、この投稿は石野 貴之選手なりのファンを大切にする気持ちの表れだったのだと思います。

現在のボートレース界において、突然の斡旋全削除などは珍しいことではありません。
特に2度も賞金王に輝いたトップレーサーの石野 貴之選手がそのような事態になれば、観客の間にも動揺が走るでしょうし、妙な勘繰りや憶測、さらには引退の可能性までも囁かれるような事態。

特に石野 貴之選手を応援し続けているファンにとっては、欠場期間が長期になればなるほど心配で、ご本人のSNSをはじめ、さまざまな方法を駆使して情報収集を集めようとするでしょう。

それだけ、現在の石野 貴之選手がボートレース界にとって大きな存在であるということは明白。
きっとそれをご自身もよく理解されているからこぞ、今回の発表に至ったのだと思います。

この発表によって、多くのボートレースファンが斡旋削除の理由を知ることができました。
石野 貴之選手が膝の負傷とともに満身創痍で戦っていたこと・長期欠場になったとしても復帰を目指して治療を行っていくこと・これが苦渋の決断だったことが読み取れるはずです。

理由も期間もわからずに待ち続けるのはつらいことですが、石野 貴之選手が復帰に向けて頑張っているとわかれば、ファンは希望をもって待ち続けられることでしょう。

2024年11月8日(途中帰郷から14日後):追加された2件の斡旋をすべて削除

石野 貴之選手は11月7日に追加されていた斡旋2件を“私傷病”を理由にすべて削除したことが明らかになっています。
削除された斡旋は次のとおりです。

  • 2024年11月19~24日まで開催:「SG・第27回 チャレンジカップ」(下関競艇場)
  • 2025年1月11日~16日まで開催:「G1・開設70周年記念 G1競帝王決定戦」(下関競艇場)

この時すでに石野 貴之選手が膝の治療のために無期限欠場をする意向は周知の事実だったため、この2度目の斡旋削除については、ファンの間でも予想していたことでしょう。

そして注目すべきはBOAT RACE公式サイトに掲載された『第27回チャレンジカップ(下関)の出場選手繰り上がりについて』です。

出典:BOAT RACE公式サイト

この公式発表により、次の4点について明らかになりました。

  1. 石野 貴之選手が自身の判断により「第27回 チャレンジカップ」の出場取消の手続きを行ったこと
  2. 出場取消手続きをとった理由が『私傷病』であること
  3. チャレンジカップの出場取消により、グランプリ本戦への出場と連覇の道が途絶えたこと
  4. 短く見積もっても2025年1月までのレースは欠場する意向であること

つまり、この時点でグランプリへの出場はおろか、2025年1月までのレースを欠場する意向であると判断することが可能。
そのため、石野 貴之選手のひざの状態はどんなに短く見積もっても『3か月以上の療養期間を要するほどの重症』ということになるのです。

突然の近況報告と全ての斡旋が削除されたことに対するSNSの反応

これまでに入っていたビッグレースの斡旋をすべて削除して、膝の治療のために長期欠場を選んだ石野 貴之選手の選択に対してSNSにはどのような声があったのでしょうか?

いい決断ですね』『今は何よりゆっくりと休んで治療に専念していただきたい』『ボートファンは1日も早い復帰を信じて待ってます!』『復帰戦は必ず、石野-全-全で買います!!』という声が聞かれたことから、ファンが石野 貴之選手の選択を肯定的に受け入れると同時に、その選択を支持する様子が見て取れます。

抜群の安定感で石野信用金庫と称えられる石野 貴之選手らしく、『再建』という単語もよく見かけました。

さらにSNSの“泣き顔”“号泣している顔”の絵文字と『石野選手のいないボートレース界は寂しすぎます』という言葉が正直なファンの心理だと感じます。

ほかにも『きちんと理由を発表した石野選手を讃えたい』という声が投稿されていたところを見て、理由がわからない斡旋削除や長期欠場が相次ぐ最近のボートレース界において、石野 貴之選手の対応は“ファンを大切にしている証”であると言えるでしょう。

特に『頑張れ』『待っています』という言葉を投稿しているファンが多かったことが印象的で、石野 貴之選手がどれだけ多くのファンに愛され、応援されているのかがわかる内容でした。

実際に投稿された投稿の一部を抜粋してご紹介します。

石野 貴之選手の基本情報

名前
(フリガナ)
石野 貴之
(イシノ タカユキ)
登録番号4168
生年月日1982年6月3日
身長166cm
体重52㎏
血液型O型
支部大阪
出身地大阪府
登録期90期
級別A1級

石野 貴之選手は1982年生まれ、大阪支部所属のA1級選手です。

どのコースからでも安定して勝利を狙えるだけの抜群の操縦技術と整備技術を併せ持つオールラウンダータイプの選手で、各競艇場の水質・コースの特徴・気象条件・レース展開に合わせて戦い方を変える様子はまさに千変万化のスタイルと言えます。

その証拠に、不調と言われた2024年でも年間勝率は6.57、イン1着率77.5%・2連対率は92.5%・3連対率は92.5%という非常に高い数値を示しています。

そして石野 貴之選手といえば、3コースからの進入時に“まくり”での勝利が多いことも特徴です。

また、直近のグランプリを制した2023年の勝率は7.36で強い選手の基準である7.00を超えており、スタートタイミングも0.13でかなり優秀なことからも、着実に勝利を重ね続けている選手といえます。

近年のSGやG1競走においてはSG常連選手として選出されるだけではなく、高確率で優出しており、2023年にはボートレースオールスターとグランプリの2冠を達成しました。

さらに、一般戦クラスでは“必ず”と言っていいほど優勝候補の一人として挙げられるため、石野 貴之選手が良いモーターを引き当てた時はかなり期待ができるでしょう。

ちなみにファンからはその信頼度の高さから“石野信用金庫”という愛称で親しまれており、その名に違わない活躍を見せてくれていることから、SNSでは本名よりもニックネームで語られてしまうほどです。

どうしてこのようにユーモラスなニックネームがついたのかについては後述しますが、紛れもなくご本人の意向で決まったことは確かなので、水面での活躍だけでなく、ユーモラスな人柄でもファンの心を掴んでいます

石野 貴之選手の過去戦績

石野 貴之選手の主な戦歴は以下のとおりです。

スクロールできます
日付レース名レース場グレード戦績・概要
2002年5月10日第39回 スポニチ杯争奪 なにわ賞住之江一般デビュー
2002年6月19日第38回 報知新聞社賞ダイナミック敢闘旗住之江G3初勝利
2003年1月15日一般競走児島一般初優出
2003年10月16日G3 2003新鋭リーグ戦競走 第19戦宮島G3初優勝
2004年1月27日G1 第18回 新鋭王座決定戦徳山G1G1初出走・G1初勝利
2004年2月1日G1 第18回 新鋭王座決定戦徳山G1G1初優出
2005年5月24日SG 第32回 笹川賞(ボートレースオールスター)常滑SGSG初出走
2005年5月28日SG 第32回 笹川賞(ボートレースオールスター)常滑SGS1初優勝
2007年1月28日G1 共同通信社杯 第21回 新鋭王座決定戦大村G1G1初優勝
2010年6月27日いいことイロイロ16#杯児島一般通算500勝達成
2010年7月19日SG 第15回 オーシャンカップ競走丸亀SGSG初優出・SG初優勝
2016年10月16日サンケイスポーツ旗争奪 第59回 GSS競走住之江一般通算1,000勝達成
2018年5月1日オール大阪 2018 ラピートカップ住之江一般通算50優勝達成
2020年9月18日オラレ下関オープン6周年記念 山口ヤクルト杯下関一般史上23人目の全24場制覇
2022年6月10日G1 太閤賞競走 開設66周年記念住之江G1史上10人目のゴールデンレーサー賞
2024年1月19日開設69周年記念 競帝王決定戦下関G1通算1,500勝達成

石野 貴之選手は、2002年5月10日~15日に大阪支部のホームプール・住之江競艇場で開催された「一般・第39回 スポニチ杯争奪 なにわ賞」初日の第3レースでデビューを飾り、翌月には25走目にして初勝利

そして、デビューから1年5か月後の2003年10月16日に宮島競艇場で開催された「G3・2003新鋭リーグ戦競走 第19戦」で早くも初優勝を果たし、2018年5月には通算50優勝、2020年9月には史上23人目となる全24場制覇、2022年6月には「G1・太閤賞競走」で優勝して史上10人目のゴールデンレーサー賞を手にすると、2024年1月には「G1・開設69周年記念 競帝王決定戦」で通算1,500勝を達成しています。

G1競争で見ると、2004年1月に徳山競艇場でG1初出走とG1初勝利を達成して、2007年1月28日に大村競艇場で開催された「共同通信社杯 第21回 新鋭王座決定戦」でG1初優勝の栄冠を手にしました。

SG競争でもその勢いは衰えることを知らず、2005年5月の「第32回 笹川賞(ボートレースオールスター)」でSG初出走とSG初勝利を達成
そしてデビューから8年2か月後の2010年7月19日に丸亀競艇場で開催された「第15回 オーシャンカップ競走」でSG初優出にしてSG初制覇を果たしてオーシャンカップのタイトルを獲得しました。
ちなみに、石野 貴之選手は“夏男”とも称されることがありますが、これはオーシャンカップで2010年に続き、2015年と2016年には連覇を果たしたという戦績によるものです。

また、2004年前期にB1級から初めてA2級に昇級すると、次の期にはA1級に昇級。
2004年後期から現在までA1級を維持しており、実に選手生活22年のうちの21年間、A級を維持するという素晴らしい成績でした。

2016年後期には優勝3回・優出12回という好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.14を記録。
さらに最近では、2023年前期に優勝2回・優出7回の戦績と勝率7.84という全盛期にも劣らない成績を残しており、まだまだ現役のトップレーサーと呼ぶにふさわしい活躍を続けています

出典:艇国データバンク
  • 2度目のグランプリ制覇のレースとインタビューのダイジェスト動画です。
出典:ボートレース公式 BOATRACE officialチャンネル
  • 海響ドリームを豪快まくり!グランプリ覇者・石野貴之 1500勝達成│BOATCAST NEWS 2024年1月19日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE officialチャンネル

石野 貴之選手がボートレーサーを目指したきっかけ

石野 貴之選手が「ボートレーサーになろう」と決めたきっかけは、高校3年生の夏

主将を務めていた近畿大学付属高等学校の野球部が大阪大会で敗戦したことがきっかけでした。

近大付属と言えば甲子園にも出場したことのある強豪校です。

そのため、大学で野球を続けるか、高校卒業後にG1制覇を成し遂げた元ボートレーサーの父・石野 美好さん(2009年引退)の背中を追ってボートレーサーになるかで悩みましたが、高校3年夏の大阪大会で敗戦をきっかけにボートレーサーを目指すことを決意。

父・美好さんは進学を望んでいたため、猛反対をしましたが、幼い頃からの強い憧れを告げて挑戦を認められることになりました。

ちなみにその時、父に伝えたまっすぐな本心というのが…

石野 貴之選手

お父さんの姿を見て、小さいときからボートレーサー(競艇選手)になりたいと強く思っていた。ボートレーサー(競艇選手)になることしか考えてなかった。

こんなにストレートな言葉で自分への憧れを伝えられたら、お父さんは猛反対できませんね。

そして、入所したやまと競艇学校をリーグ戦勝率6.63(90期リーグ勝率第2位)の成績で卒業して、2002年5月に地元水面である住之江競艇場でデビューを果たしました。

数々の華々しい戦績を誇りながら、2023年のグランプリを制したことで、SG競争11冠という偉業を達成し、更なる記録の樹立に向けて、今日もトップレーサーとして走り続けています。

過去にインタビューで「近大付属の野球部キャプテンをしていてなぜ競艇選手になったのか?」と問われた際、次のように答えていました。

石野 貴之選手

野球でご飯を食べていきたかったんですけど、身体も小さいし、身近に(競艇選手の)親父もおったんで後を継ごうかなぁと。
(親父は競艇選手になることを)最初は反対してました。
まぁ、(競艇選手に)なってからは喜んでくれている。

甲子園に出場して、結果を残していたら、現在の競艇選手としての未来はなかった可能性もあるので、大阪大会での敗戦により野球選手の道を諦めたこと、そして平均よりも身長が低かったことが結果として良い方向へ進むきっかけとなったのかも知れませんね。

  • 賞金王決定戦特別トークショー(石野美好氏・石野貴之選手)
出典:aqua live station suminoe 住之江アクアライブステーションチャンネル

石野 貴之選手の師匠は原田 智和選手

石野 貴之選手の師匠は同じ大阪支部所属、71期の原田 智和選手です。

名前
(フリガナ)
原田 智和
(ハラダ トモカズ)
登録番号3607
生年月日1972年2月19日
身長164cm
体重52㎏
血液型B型
支部大阪
出身地大阪府
登録期71期
級別B2級

原田 智和選手は1992年11月にデビューし、選手生活は30年を超えるベテランボートレーサーです。

これまでSG競争への出場歴はなく、グレードレースでは目立った成績は残していないものの、安定した走りが持ち味で、石野 貴之選手と同じくインコースまでを得意としているようです。

直近の優勝歴は2010年7月27日に芦屋競艇場で開催された「外向販売所アシ夢テラスオープン記念」で、デビューから通算6度目の優勝を飾っています。

そして、なんと原田 智和選手の師匠は石野 智之選手の父・石野 美好さんであり、兄弟子として石野 貴之選手にプロペラの指導をしてきたという間柄。

それゆえ、石野親子にとっては師匠でも弟子でもある選手で、石野 貴之選手とは幼い頃からの顔見知りだったそうです。

学生時代の石野 貴之選手と原田 智和選手の過去のエピソードについて、後のインタビューで楽しそうに語っていましたのでご紹介します。

原田 智和選手

貴之が小さい頃から知ってるんですけど、朝から晩まで師匠(石野 美好さん)の家にいて、朝一でプロペラを作り、終わったら奥さんの手料理を食べ、お酒を飲むのが日常でした。

石野 貴之選手

学校から帰ってきたらもうお酒飲んでるんですよ(笑)

石野 貴之選手は後に『もはや(師匠は)選手関係を超えた“お兄さん”みたいな存在』だと話していますが、一方で次のようにも語っています。

石野 貴之選手

(師匠は)でもやっぱり怖いですよ。
僕はよう怒られました。

けれど、師匠の原田 智和選手は弟子の石野 貴之選手の凄いところを次のように評価しているようです。

原田 智和選手

いやまぁ、すごいところは、仕事に対して凄いですよね。
デビューした時から筋が通ってますね。

もちろん師弟関係は良好なようですが、理論派の原田 智和選手に対して、感覚派だという石野 貴之選手は師匠から学ぶことが多くあると言います。

このように、石野 貴之選手がSGやG1戦線で活躍できているのは、元競艇選手であり父である石野 美好さんと、師匠であり兄弟子として近しい間柄の原田 智和選手の支えがあってこそなのでしょう。

同期の71期には端正な顔立ちから「艇界の貴公子」の異名を持っていた元ボートレーサーの山崎 智也さん(3622)・深川 真二選手(3623)・川北 浩貴選手(3606)・馬袋 義則選手(3612)・海野 ゆかり選手(3618)・岩崎 芳美選手(3611)など豪華な面々が揃っています。

出典:【公式】ボートの時間!
出典:【公式】ボートの時間!
出典:【公式】ボートの時間!

しかし、師匠である原田 智和選手については引退を心配する声があります

その理由としては、2022年12月22日~27日に尼崎競艇場で開催された「一般・本財団会長杯争奪 歳忘れ今年もありがとう競走」の最終日の第1レースで前を走っていた星野 政彦選手(3246)の転覆艇と激突して負傷、途中帰郷して以降、レースに復帰していないのです。

これまでケガの詳細などについて公表されておらず、2023年は1年間の長期の戦線離脱、そして2024年現在も出走予定がない状況となっています。

  • サンテレビ「ボートの時間!」 #149 「宿舎突撃インタビュー!」 2019年2月3日放送
出典:【公式】ボートの時間!

石野 貴之選手の弟子は藤山 雅弘選手・浜本 裕己選手・中村 魁生選手

石野 貴之選手が弟子として迎えいれたのは、99期の大原 由子さん(2014年9月8日引退)・105期の藤山 雅弘選手・115期の浜本 裕己選手、そして119期の中村 魁生選手です。

大原 由子さんが引退後、現在も現役で活躍している弟子が3名いますので、迎え入れた順にご紹介します。

おなご

初めて迎え入れた弟子の大原 由子さんは、2014年2月に105期の渡部 悟選手(4572)と結婚。
それを機に同じ年の9月8日に引退しているよ。

藤山 雅弘選手

石野 貴之選手が2人目の弟子として迎え入れたのは、同じ大阪支部所属、105期の藤山 雅弘選手です。

名前
(フリガナ)
藤山 雅弘
(フジヤマ マサヒロ)
登録番号4578
生年月日1989年6月5日
身長167cm
体重53㎏
血液型B型
支部大阪
出身地大阪府
登録期105期
級別B1級

藤山 雅弘選手の過去戦績

藤山 雅弘選手の主な戦歴は以下のとおりです。

スクロールできます
日付レース名レース場グレード戦績・概要
2009年11月15日あざやか霜月競走住之江一般デビュー
2010年7月10日JLC杯下関一般初勝利
2012年6月5日第36回 東京中日スポーツ杯江戸川一般初優出
2013年10月9日G1 第41回 高松宮記念特別競走住之江G1G1初出走
2018年3月29日第6回 シニアVSヤング戸田一般初優勝
2018年12月2日G1 浜名湖賞開設65周年記念浜名湖G1G1初勝利
2023年6月2日トランスワードトロフィー2023一般通算500勝達成

藤山 雅弘選手は、2009年11月15日~20日に大阪支部のホームプール・住之江競艇場で開催された「一般・あざやか霜月競走」初日の第1レースでデビューを飾り、1年7か月後には112走目にして初勝利

そして、デビューから8年4か月後の2018年3月29日に戸田競艇場で開催された「一般・第6回 シニアVSヤング」で初優勝を果たし、2023年6月には「一般・トランスワードトロフィー2023」で通算500勝を達成しています。

G1競争で見ると、2013年10月に住之江競艇場でG1初出走、2018年12月2日に浜名湖競艇場で開催された「浜名湖賞開設65周年記念」でG1初勝利を達成しています。

  • サンテレビ「ボートの時間!」#221「おうちの時間!その2」2020年6月21日放送
出典:【公式】ボートの時間!

浜本 裕己選手

石野 貴之選手が3人目の弟子として迎え入れたのは、同じ大阪支部所属、115期の浜本 裕己選手です。
浜本 裕己選手は元サラリーマンという経歴を持っています。

名前
(フリガナ)
浜本 裕己
(ハマモト ユウキ)
登録番号4834
生年月日1987年10月13日
身長168cm
体重52㎏
血液型AB型
支部大阪
出身地大阪府
登録期115期
級別B1級

浜本 裕己選手の過去戦績

浜本 裕己選手の主な戦歴は以下のとおりです。

スクロールできます
日付レース名レース場グレード戦績・概要
2014年11月23日報知杯争奪 第32回 全国地区選抜戦住之江一般デビュー
2015年4月9日サンケイスポーツ大阪 発刊60周年記念競走児島一般初勝利
2020年3月9日ルーキーシリーズ 第5戦 スカパー!第20回 JLCカップ多摩川一般初優出

浜本 裕己選手は、2014年11月23日~27日に大阪支部のホームプール・住之江競艇場で開催された「一般・報知杯争奪 第32回 全国地区選抜戦」初日の第1レースでデビューを飾り、1年4か月後には50走目にして初勝利

そして、デビューから5年3か月後の2020年3月9日に多摩川競艇場で開催された「一般・第ルーキーシリーズ 第5戦 スカパー!第20回 JLCカップ」で初優出を果たしていますが、今のところ優勝歴・G1出走歴はまだありません。

中村 魁生選手

石野 貴之選手が4人目の弟子として迎え入れたのは、同じ大阪支部所属、119期の中村 魁生選手です。

名前
(フリガナ)
中村 魁生
(ナカムラ カイセイ)
登録番号4967
生年月日1998年7月5日
身長165cm
体重51㎏
血液型AB型
支部大阪
出身地大阪府
登録期119期
級別A2級

中村 魁生選手の過去戦績

中村 魁生選手の主な戦歴は以下のとおりです。

スクロールできます
日付レース名レース場グレード戦績・概要
2016年11月15日スポニチ杯争奪 第50回 住之江選手権競走住之江一般デビュー
2017年1月6日第55回 全大阪王将戦住之江一般初勝利
2018年1月8日第55回 全大阪王将戦住之江一般初優出
2018年2月18日G1 第61回 近畿地区選手権競走びわこG1G1初出走
2020年12月31日森下仁丹杯争奪 2020 住之江ファイナル競走住之江一般初優勝
2022年9月23日第9回 ヤングダービー多摩川G1G1初勝利

中村 魁生選手は、2016年11月15日~20日に大阪支部のホームプール・住之江競艇場で開催された「一般・スポニチ杯争奪 第50回 住之江選手権競走」初日の第1レースでデビューを飾り、2か月足らずで23走目にして初勝利

そして、初出走から4年1か月後の2020年12月31日にデビューした水面である住之江競艇場で開催された「一般・森下仁丹杯争奪 2020 住之江ファイナル競走」で初優勝を果たしました。

G1競争で見ると、2018年2月にびわこ競艇場でG1初出走、2022年9月23日に多摩川競艇場で開催された「第9回 ヤングダービー」でG1初勝利を達成しています。

  • サンテレビ「ボートの時間!」 #119 「中村魁生の休日」 2018年7月8日放送
出典:【公式】ボートの時間!
  • 師匠が弟子を紹介する『ウチの弟子!』第8弾!第8弾は大阪支部の石野貴之選手(師匠)×中村魁生選手(弟子)!
出典:ボートレース公式 BOATRACE officialチャンネル

2021年10月にボートレース公式YouTubeチャンネルで、師匠が弟子を紹介する『ウチの弟子!』第8弾に石野 貴之選手(師匠)と中村 魁生選手(弟子)が出演されていました。
グランプリを制覇した石野 貴之選手が、中村 魁生選手にボートレースの極意を伝えているので、是非ご覧ください。

石野 貴之選手の同期選手

石野 貴之選手の同期である「90期」にはどのような選手がいるのでしょうか。

主だった選手を以下にまとめました。

登録番号名前支部級別
4166吉田  拡郎岡山A1
4174赤坂  俊輔長崎A1
4155長野 壮志郎福岡A1
4172森定  晃史岡山A1
4183宇野  弥生愛知A2
  • 吉田 拡郎選手(4166)/1982年4月18日生まれ/岡山/A1
  • 赤坂 俊輔選手(4174)/1982年10月9日生まれ/長崎/A1 ※90期修了記念競走優勝者・リーグ勝率1位
  • 長野 壮志郎選手(4155)/1980年12月21日生まれ/福岡/A1
  • 森定 晃史選手(4172)/1982年10月2日生まれ/岡山/A1
  • 宇野 弥生選手(4183)/1986年3月7日生まれ/愛知/A2

90期」といえば、2014年7月にSG初優勝、2022年10月に通算50優勝、2023年6月には通算1500勝を達成した「吉田 拡郎選手」をはじめとして、90期修了記念競走優勝者であり、やまと学校をリーグ戦の勝率ナンバーワン6.89で首席卒業した「赤坂 俊輔選手」、デビューから19年9か月で遂にG1初制覇を果たした福岡支部の人気者「長野 壮志郎選手」。

さらに女子選手トップクラスのスタート力を武器に、2012年7月にG2以上の男女混合戦で13年ぶりに女子選手が優勝するという快挙を飾った「宇野 弥生選手」がいます。

石野 貴之選手のデビュー戦

石野 貴之選手のデビューは2002年5月10日

2002年5月10日~15日に地元・住之江競艇場で開催された「一般・第39回スポニチ杯争奪 なにわ賞」初日、第3レースのできごとでした。

このレースは40期のベテランボートレーサー・竹本 幸造選手(2764・2009年引退)のイン戦。
さらに2コースには大阪支部の先輩・伊藤 健次選手(3487・2013年引退)がひかえる一般戦でした。

石野 貴之選手は6号艇・6コースからの出走で、初戦の新人ボートレーサーであればかなり慎重にスタートするのが一般的ですが、なんとコンマ13の好スタートを決めましたが、プロの洗礼を浴びて、惜しくも4着に終わっています。

おなご

初出場の新人ボートレーサーはスタートが出遅れて、最後方から6着になるのが一般的なんだってさ。

無知なネコ

そう考えると、初戦からスタートを踏み込んだ石野 貴之選手の度胸は素晴らしいよね!

石野 貴之選手の初勝利

石野 貴之選手の初勝利は2002年6月19日
2002年6月15日~20日に住之江競艇場で開催された「G3・第38回報知新聞社賞ダイナミック敢闘旗」5日目、第1レースのできごとでした。

石野 貴之選手はこのレース、5日目から追加斡旋を受けて出場し、その1走目で初勝利をあげています。

デビュー後の初勝利はほとんどの選手が一般戦であるなか、石野 貴之選手はなんとG3戦で水神祭をあげました。
女子選手であれば、G・3オールレディースでの水神祭は稀にありますが、男子選手のG3での初勝利は非常に珍しいといえるでしょう。

6コースには現在もA1級で活躍を続ける、中村 尊選手(4090)。
出走選手全員が20歳代で、デビュー間もない若手が集まったレース。

石野 貴之選手は2号艇・6コースからの出走で、コンマ19の4番手スタートを決めると、1周1マークで内側に空いた隙を見逃さず、大外から見惚れるほどの見事な差しを決めて白星を獲得しました。

デビューから1か月にして24走目、わずか4節目でつかんだ初勝利。

この勝ち星獲得スピードは、通常なら初勝利を獲るのに100走前後、もしくはそれ以上かかる選手もいるので、強豪ひしめくボートレーサーの中でも“かなり早い”といえます。

このレースの3連単256は、77番人気の14,990円(149.9倍)という高配当でした。

石野 貴之選手の初優勝

石野 貴之選手が記念すべき初優勝を飾ったのは、2003年10月16日
デビュー翌年の2003年10月11日~16日まで宮島競艇場で開催された「G3・2003新鋭リーグ戦競走第19戦」でのできごとでした。

このレースの出場者は現在も第一線で活躍を続けている強者ぞろい。
そのうえ、石野 貴之選手以外の全員がA級選手という新人にはかなり厳しい番組編成でした。

注目の1号艇は2006年のグランプリ覇者・赤岩 善生選手 (3946)。
そして、隣の3コースには“イン屋”として名を馳せ、2024年5月に引退したた村上 純選手(3919)。
さらに5コースには“テラショー”の愛称で知られ、2017年のメモリアル覇者にして“スタートの巧者”の寺田 祥選手 (3942)が控えるレース。

4号艇・4コースカドからの出走で、コンマ19でスタートした石野貴之選手は、1周1マークで操縦技術を見せつけるような差しを決めて、観客にその存在を知らしめました。

2002年5月10日の住之江競艇場でのデビューから1年5か月、新人ながらG3の舞台で35節目にしてつかんだ初優勝。
石野 貴之選手は初勝利と初優勝がG3レースというとても珍しい戦歴の持ち主です。

おなご

石野 貴之選手の初優勝は90期一番乗りでした。

出典:艇国データバンク

石野 貴之選手の獲得賞金

A1級の第一線で長いこと活躍し続けている石野 貴之選手。

冒頭でも紹介しましたが、2019年と2023年には最高峰のグランプリでSG制覇の金字塔を打ち立てたのですから、もちろん獲得賞金も高額なことが想像できると思います。

 年度 級別 賞金ランキング 獲得賞金
2024年A1
2023年A11位222,030,000円
2022年A114位86,944,000円
2021年A113位80,108,274円
2020年A136位54,144,000円
2019年A11位225,642,666円
2018年A113位86,944,000円
2017年A14位126,779,000円
2016年A12位161,247,800円
2015年A13位117,654,000円
2014年A110位73,156,000円
2013年A1100位圏外不明
2012年A139位42,718,000円
2011年A155位34,486,000円
2010年A14位128,315,000円
2009年A1100位圏外不明
2008年A1100位圏外不明
2007年A142位43,525,000円

A1級ボートレーサーの平均年収は約3,000万円といわれているなか、獲得賞金が平均を大きく上回ることから、石野 貴之選手は常に賞金ランキングの上位にいることがわかります。

とくに2019年と2023年はグランプリ優勝賞金の1億円が加算されているため、2億2,000万円を超えており、2019年が最も多い獲得金額となりました。

さらに直近3年間の平均年収について見てみたいと思います。
2023年はグランプリの優勝賞金が上乗せされていることもありますが、平均年収は約1億2,969万円

さらに直近10年間の平均年収を計算したところ、約1億2,346万円となりました。
圧巻の1億円越えです。

ひと月に換算すると月収1,029万円越えですから、もはやトップレーサーって本当に規格外…もはや想像もつかない世界です。

近年は獲得賞金額が1億円を超えない年もありましたが、2020年のスランプを底として獲得賞金額が着実に増加していることからも、石野 貴之選手の成績が成績が常に良い状態にあったことがわかります。

【2019年・2023年】自身2度の「グランプリ制覇」と「年間賞金王」

石野 貴之選手は2019年と2023年に2度のグランプリを制覇して、その年の年間賞金王の座を手にしています

1度目は、2019年12月22日に住之江競艇場で開催された「SG・第34回賞金王決定戦競走」。
念願のグランプリ初優勝を果たして、ボートレーサー約1,600名の頂点に立ったとともに、2019年(2億2,564万2,666円)との年間賞金王となりました。

そして迎えた、2023年12月24日。
同じく、住之江競艇場で開催された「SG・第38回賞金王決定戦競走」で自身2度目のグランプリ制覇を達成して黄金のヘルメットを載冠。
賞金1億1,000万円を獲得して、2023年の年間賞金王(2億2,203万円)に輝いています。

ちなみに初のグランプリ制覇の翌年、2020年にはひどいスランプに悩まされた経験を持つ石野 貴之選手。
その経験から、2024年の目標は“安定して勝つこと”を挙げています。

しかし、思わぬかたちで2024年も獲得賞金額を増やすことができず、チャレンジカップ・グランプリでもその姿を見ることはできません。
それでも、きっと復帰後の活躍を期待できることでしょう。

2023年のグランプリ制覇後の取材で自身のファンから寄せられた質問に答えた時のエピソードをご紹介します。

ボートレーサーとして1番大切にしていることは?

メンタル!技術とかはみんなそこまで大差ないし、いかにメンタルを、自分のパフォーマンスを発揮できる状態に持っていくかを大切にしています。

また、2023年のグランプリ優勝後のインタビューでは次のように語っていますので、原文のままご紹介します。

正直負ける要素がなかったです。これまでのグランプリと全然違う感じで入ったので、意識してじゃないんですけど。これでかなり強くなれた気がします。本当にレースにグッと1節間集中して今まではやってたんですけど、普段通りというかいつも通りできたっていうのがすごく成長に繋がったと思います。(平常心?)元々そうなんですけど、もう怖いものがないです。お化けくらいですね。お化けが怖いです。(たくさんのファンがいて圧倒された?)事故レースだったので正直ちょっとスタンドを見る余裕も3周ありまして、めちゃくちゃ嬉しかったです。ガッツポーズしたかったんですけど、2周目から。怒られそうだったんでやめました。(ヘルメット)めちゃくちゃ重たいです。(グランプリは)今年の顔だと思ってるんで、来年はそのメンツを潰さないように走りたいと思います。(スタート展示からの修正も平常心の賜物?)11レースで全体的に遅かったのでスタート展示ちょっと仕掛けたんですけど早かったんで。もう腹くくって自分の勘で行きました(コンマ12)。コロナ禍もあって今またファンの方が戻ってきてくださって、コロナ以前よりもたくさんのファンの方がつめかけてくださってます。これからもボートレース続いていきます。ぜひ本場の方に来ていただいて盛り上げていただけると選手冥利に尽きます。ご声援よろしくお願いします。

引用元:結果|BOAT RACE オフィシャルウェブサイト
出典:日刊スポーツ
出典:スポニチアネックス

2020年】歴代23人目の「全24場制覇」達成

石野 貴之選手は2020年9月14~18日に下関競艇場で開催された「一般・オラレ下関オープン6周年記念 山口ヤクルト杯」で優勝したことで、24場制覇を達成
記念として第23号として24場制覇のメダルを受賞しています。

38歳3か月15日、デビュー18年5か月21日での達成は最年少かつ最速記録です。

【2021】石野 貴之選手の復活劇

2019年に地元グランプリの覇者に輝いた石野 貴之選手ですが、2020年5月と10月に2本のフライングを喫したことから、2020年は前年の活躍が嘘のようなスランプに陥ります。

そして試練の2021年。

1月の平和島の一般戦では節間1勝、大敗も経験します。

その後も活躍は一般戦で1回の優出に留まり、大きな着を取る姿もしばしば見受けられました。

勝率は2020年後期の7.37から5.46まで落とし、一時はA2級降格が濃厚どころかB級落ちまで心配される状況となります。

しかし、2021年最初の「SG・第56回ボートレースクラシック」でエースモーター(46号機)を引き当てたことで風向きが変わります。

それまでの不調を吹き飛ばすような見事なターンを見せて、復活劇の口火を切る優勝

この優勝で3つ目のGRANDE5のメダルを手に入れ、グランドスラム達成まで残るメダルはあと2つとなり、峰 竜太選手・毒島 誠選手と並ぶ暫定1位に。

これで上昇気流に乗った石野 貴之選手は最終的にA1級をキープすることに成功しました。

2024年は前回のスランプの反省を踏まえて、メンタルを一定して勝負に臨むように努めているとのことですので、きっと安定して勝ち星を量産してくれることでしょう。

出典:週刊大衆

2022年】史上10人目の「ゴールデンレーサー賞」受賞

石野 貴之選手は2022年6月10日、住之江競艇場で開催された「G1・太閤賞競走開設66周年記念」 を優勝したことで基準を満たし、史上10人目のゴールデンレーサー賞を受賞しました。

ゴールデンレーサーとは競艇選手でもほんの一握り“トップ中のトップに与えられる称号”で、歴代の受賞者は言わずと知れた最強選手ばかりです。

受賞日選手名
2019年3月21日白井  栄治
2019年5月26日峰   竜太
2019年9月1日菊地  孝平
2019年9月29日井口  佳典
2019年11月14日桐生  純平
2020年3月31日瓜生  正義
2020年10月25日毒島   誠
2021年8月29日平本  真之
2021年10月14日茅原  悠紀
2022年6月10日石野  孝之
2022年12月18日馬場  貴也
2023年3月21日篠崎  元志

ゴールデンレーサー賞の受賞資格は次のとおり…

  • BOATRACE振興会会長賞メダルを24個以上授与
  • GRANDE5のメダルを3個以上授与
  • ゴールデンレーサーとして適切な品格を保ち、他の模範となっている者

ちなみにGRANDE5とは5つのSG競争をまとめた総称で、優勝戦3着以内の選手を対象に金(1着)・銀(2着)・銅(3着)のメダルが贈られる2014年に新設された制度。
※ただし最も賞金額の高いグランプリのみ「プラチナ(1着)・金(2着)・銀(3着)」となる。

GRANDE5と呼ばれるSG競争は次のとおり…
*は石野貴之選手がすでに獲得済のタイトル

  • ボートレースクラシック*
  • ボートレースオールスター*
  • ボートレースメモリアル
  • ボートレースダービー
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ちなみに石野 貴之選手は現在、GRANDE5のメダルを3つ所持しており、グランドスラム達成まで残るメダルはあと2つ
達成条件はボートレースメモリアルボートレースダービーで優勝を勝ち取ること。

現在までに獲得したメダルの数は峰 竜太選手・毒島 誠選手と並ぶ暫定1位となり、誰が先にグランドスラムを達成できるかに注目が集まっています。

そしてGRANDE5で最初にすべてのレースで優勝した場合、グランドスラムを祝して『3億円相当のインゴット』が贈呈されるそうです。

おなご

ゴールデンレーサー賞は2019年に新設された賞だよ。

出典:日刊スポーツ

石野貴之選手の強みは「ターン力」「強運」「整備力」「メンタル」

石野 貴之選手にはほかのボートレーサーも羨むような4つの強みがあります。
操縦技術や整備技術という基礎の部分がしっかりしているからこそ、これらの強みにスポットライトが当たり、さらに輝きを増すのでしょう。
一つずつ順にご紹介します。

多彩なターン力

まずはじめに、石野 貴之選手の代名詞といえば多彩なターン力

1周1ターンをいかに早く、そして小さく回れるかという技術が他の選手よりも格段に優れており、特に上位グレードレース(G1・SG)では“神業”とも称されるような見事なターンを決めます。

  1. 頭脳的ターン
    • 2022年5月のボートレースオールスターで見せた、前本泰和選手・瓜生正義選手との接戦を制した決め手。
    • レースでほかの選手の動きや仕掛ける姿を見て、的確な判断をしてから “くるっ”と小回りを決めるターン。
  2. 超絶ターン
    • 勝利レースで見せる、どのコースからも1着を狙えるターン。
  3. 超高速ターン
    • 2023年12月のグランプリで見せた、もつれた進入からの冷静かつ豪快に押し切ったターン。

いろいろな呼び方で称賛される多彩なターン力をもって、通算11度目のSG優勝を果たし、山崎 智也選手(引退)・瓜生 正義選手に並ぶ3位タイに浮上しました。

現在、石野 貴之選手の上にいるのは大阪支部の偉大な先輩・12度のSG優勝を誇る松井 繁選手と17Vの野中 和夫選手(引退)の2人だけです。

現在の年齢と実力を考えると、SG優勝回数が単独2位に浮上するのは時間の問題と言っていいでしょう。

誰もがうらやむ強運

次にご紹介するのが、石野 貴之選手が“強運の持ち主”と言われている所以です。
石野 貴之選手はSG競争などの特に負けられない局面で“良いモーター”を高確率で引き当てるという、他のボートレーサーからしたら羨ましいくらいの運を味方に付けているようです。

競艇のモーターは同一規格で作られていながらも個体差があり、良し悪しに差が生じてしまうことが常。

その【良】の中でも圧倒的に良い動きをするモーターを“エースモーター”“超抜モーター”と呼び、石野 貴之選手はこのようなトップクラスのモーターを引き当てた時ほど段違いの強さを発揮する確率が高いのです。

モーターの良し悪しだけで1着を狙えるような甘い世界ではありませんが、勝敗を左右する一因になり得るのは確か

運も実力のうちとはよく言ったもので、モーターが厳正なる抽選を経て決まるものだと考えると、石野 貴之選手には勝利の女神がついているのかも知れませんね。

定評がある整備力

3つ目にご紹介する石野 貴之選手の強さの要因は、引き当てたモーターに最高のチューニングを施して、高性能モーターに仕上げる整備力です。

YouTubeでファンからの質問に答えた時のエピソードをご紹介します。

モーターの出し方の秘訣は?

ずっと継続して(何事も)やり続ける
プロペラ・整備・試運転もそうやし、ずっとやり続けていたら、意外とそれがモーター出しに繋がるというか、傾向がわかってくる感じかな。
このモーターでこのプロペラやったらこれぐらいの足にならなあかんのに、ならへんってことはモーターが悪いから整備しようとか、そういうことの積み重ねです。

地道にコツコツと調整をして、しっかりモーターやボートに向き合って味方につけることが定評ある整備力の基礎であり、さらに良いモーターに仕上げるコツなのですね。

強靭なメンタル

最後にご紹介する石野 貴之選手の根本的な強さの源は、強靭なメンタルです。

そのメンタルや心持ちについて、YouTubeでファンからの質問に答える企画があり、次のように語っていました。

レースで心がけていることは何ですか?

常に感情を一定にする
(レースに)勝っても喜ぶけど、その起伏をできるだけ平らにする。
負けてもへこまない。
(感情の起伏が激しいと)やっぱり自分の体がもたないね。
自分の精神ももたないし。
勝負の世界やから勝ったり負けたりは当たり前と思っています。

勝った負けたで一喜一憂しないというのは常人ではなかなか難しいことですよね。
しかしながら、心が弱ると体も弱ってしまいます。

石野 貴之選手は自分の長所を『(嫌な気持ちを)引きずらない、寝て起きると忘れる。』とも述べており、自分の感情と上手に向き合って、上手に切り替えていくことが強みに繋がっているのですね。

石野 貴之選手は夏男?

石野 貴之選手といえば、ここまで述べてきたとおり、その“勝負強さ”が印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

その勝負強さを見せた代表的なエピソードが、2020年のグランプリ制覇後に陥ったスランプからの脱出です。
A1級から降格を危惧されたなかで挑んだ大事な一戦・2021年3月の「SG・第56回 ボートレースクラシック」で見せた石野 貴之選手の“驚異的な集中力”には目を見張るものがありました。

そのSG制覇のはじまりとも言えるのが、2010年に丸亀競艇場で開催された「SG・第15回オーシャンカップ競走」。
このレースで石野 貴之選手はSGレース初優出にして初優勝の偉業を達成しています。
また、この時の優勝を転機として、2015年にはSG競争で2度目の優勝、翌2016年には同大会史上初の連覇を果たしました。

そして、オーシャンカップで3度の優勝を掴んだことが起因となり、とにかく夏に強い“夏男”としても知られています

出典:デイリー

石野 貴之選手は気象予報士?

石野 貴之選手は勝負前のルーティーンとして、気象予報士並に天候や風向きをチェックするそうです。
気象条件は調整面やスタートに重要な要素ですが、「気象予報士並」と称されるといかに熱心に確認しているかが読み取れますね。

レースではモーターやコース、乗り心地などを優先しがちですが、人の力ではどうにもできないのが天候や風向き。
それを知っているからこそ、軽視することなく、より細かく把握することが千変万化のレーススタイルに結び付くカギなのかもしれません。

石野 貴之選手と笹川保健財団(ハンセン病制圧チャリティ基金)

石野 貴之選手は2010年7月19日「SG・第15回オーシャンカップ競走」の賞金の一部(50万円)を“笹川保健財団(ハンセン病制圧チャリティ基金)”に寄付しています。

SG初優勝の賞金を世界のハンセン病患者・回復者支援のために寄付するなんてかっこいいですよね。

笹川保健財団では、ボートレーサーや関係者からの寄付を、「ハンセン病制圧ボートレースチャリティ基金」として預かり、アジアやアフリカの国々のハンセン病患者・回復者、家族やコミュニティにおける生活環境の向上・制圧活動・教育支援・機材購入などハンセン病に関する様々な分野で必要な支援に活用しているとのこと。

石野 貴之選手の気持ちが、世界のハンセン病患者・回復者、そしてその家族への支援として届き、彼らの将来への希望と力に繋がったと考えると、ボートレーサーが行っている慈善事業の重要性を感じますね。

ちなみに、ボートレーサーの中には社会貢献の一環として、獲得した賞金の一部を寄付する選手が一定数います。
その代表選手が2024年のボートレースクラシック覇者となった毒島 誠選手(4238)です。
これまで何度も自然災害の被災地への支援を積極的に行っており、獲得賞金の一部を日本財団へ継続的に寄付し続けた功績が認められ、2020年5月にはボートレース界史上2人目の紺綬褒章を受章しています。

石野 貴之選手がポンコツ会に加入?

石野 貴之選手は2022年中頃に“艇界のエンターテイナー”こと西山 貴浩選手が中心となって設立されたポンコツ会に電撃加入しました。

賞金の一部を寄付するような立派な選手が“ポンコツ”だなんて似合わない気がしますが…
ポンコツ会とは、その名のとおりボートレース関係の話は一切せず、ポンコツな話をしながら飲み明かす集まりで、西山 貴浩選手いわく「ポンコツ会はとことんバカなことをやり続ける会」だそうです。

会長の大庭 元明選手(3662)を筆頭に、西山 貴浩選手(4371)・林 恵祐選手(3928)・谷村 啓司選手(4046)という福岡支部を中心としたメンバーで構成されています。

石野 貴之選手はかねてより西山 貴浩選手から“才能がある”と目をつけられており、満を持しての加入となったようです。
YouTubeなどで見るお酒が入った石野 貴之選手は、もはやお酒の力でレースとは違った【無双状態】

平常時とのギャップを見たら、ポンコツ会ではドラフト1位指名レベルでほしい人材だったことでしょう。
さすが関西人!会話のテンポやノリの良さはさすがの一言!!
ポンコツ会に入ってもその話術は全くひけを取りませんね。
ボートレース界の人気組織・ポンコツ会に加入したことで、ボートレース界だけでなくエンターテイナーとしても業界をけん引していく存在になりつつあります

これから勢力拡大の様相をみせるポンコツ会から目が離せません。

次にご紹介する動画で初めてポンコツ会の会合に参加した様子を見ることができますので、ぜひご覧ください。

  • 新メンバー石野貴之加入記念!西山ポンコツ会・全員集合!「西山貴浩・石野貴之・大庭元明・林恵祐」
出典:マクールチャンネル
  • ターンマーク坊やTV vol.94 石野貴之選手
出典:【公式】ボートレース大村(メインch)

他にも加入選手として須藤 博倫選手(3983)や期待のルーキー・仲道 大輔選手(5166)などの名前も挙がっています。

須藤 博倫選手といえば長らく埼玉支部の支部長を務め、現在は日本モーターボート選手会役員(関東地区・理事)を務める人物。
G1タイトルを3度獲得し、2001年以降はA1級を維持し続けている超一流レーサーです。

ポンコツとは無縁に思える須藤 博倫選手の強制加入についてはボートレース蒲郡のYouTubeチャンネルをぜひご覧ください。

  • 【蒲郡】須藤博倫はポンコツ会なのか?【勝ガマ】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル

石野 貴之選手のニックネームは『石野信用金庫』

石野 貴之選手は、その精緻な操縦技術と安定感のあるレース運びから「石野信用金庫」という愛称で親しまれています。

2010年4月に大阪発のローカルスポーツブログ「十三スポーツプログ」内の“ニックネーム命名企画第4弾”での募集がきっかけとなり、集まった162件の中から、自分で選んだそうです

これは、命名した投稿者が「石野 貴之選手の舟券を買えば間違いないと信用されるくらいの選手になってほしい」と思って命名。
「(信用金庫に)お金を預ければ確実に利子が付いて戻って来る」という信頼性の高さを愛称で表現するなんて、すばらしい発想力ですよね。
あまりに印象的で一度聞いたら忘れないけれど、今の石野 貴之選手にピッタリすぎるニックネーム。

十三スポーツプログによれば、実況アナKさんと「浪速のショットガン」岡村 仁選手が飲んでいた時に、一緒に飲んでいた石野 貴之選手から『ニックネームいいですね。ボクにもかっこいいニックネーム考えてもらえませんか?』と依頼したことがはじまりだったそうです。

さらに石野 貴之選手がこのニックネームを選んだ理由というのが、『大阪らしく、面白くて親しみやすいものにしよう。』という思いからだとか。
関西人らしく頓智の利いた、インパクトと抜群のセンスを感じさせるチョイスですね。

また、この愛称について当時の石野 貴之選手は次のように語っていました。

石野 貴之選手

今はまだ頼りない面がありますが、これから一層頑張ってファンの方に信用してもらえるように、僕の舟券で儲けてもらえるような選手を目指します。

この当時は石野 貴之選手にとってようやくSG競争でも結果が出始めた時期。
石野信用金庫には『将来は自分の舟券で儲けてほしい』という願いと目標が込められており、今となってはこれ以上ピッタリくるニックネームはないと断言できます。

ブログの内容が気になった方はこちらをご覧ください。

十スポにトップレーサーから依頼がきたよ!!ニックネーム命名企画第4弾!!! – 十三スポーツ (goo.ne.jp)

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総数162件!GⅠレーサー石野貴之のニックネーム発表~!!! – 十三スポーツ (goo.ne.jp)

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「石野信用金庫」誕生記念!石野貴之&岡村仁&沢田昭宏選手ドマーニご来店だ~ – 十三スポーツ (goo.ne.jp)

ブログの内容が気になった方はこちらをご覧ください。

祝 『石野信用金庫』活字デビュー!! – 十三スポーツ (goo.ne.jp)

石野 貴之選手は結婚している?

石野 貴之選手は2007年に一般女性と結婚されています

そして同じくらいの時期に第一子・けんとくん、6年くらい期間をおいて第2子・あやとくんも誕生していることから、今は2人の息子をもつお父さんになっていることも確認できました。

Instagramの投稿でもご夫婦のエピソード・お子さんに関する投稿などを確認することが出来るので、かげながら支えてくれる奥様とお子さんの存在が石野 貴之選手をさらに強くしているのでしょう。

ちなみに上の息子さんは高校生くらいになっているはずですので、偉大な父の影響で祖父・父・息子の3世代ボートレーサーの誕生に期待ができるかも?しれませんので、嬉しいニュースが聞ける日を楽しみに待ちたいですね。

出典:石野貴之選手Instagram
出典:石野貴之選手Instagram

石野 貴之選手の趣味は釣り・お酒・オンラインゲーム

石野 貴之選手がよく口にする趣味は、釣り酒飲みの2つです。

釣りは自然と触れ合えるだけでなく、集中力を高める効果もあるため、よいリフレッシュの時間となっています。
酒飲みはポンコツ会への加入を見ればすでに明らかですよね。

その趣味に加えて、新型コロナ感染症の影響から自宅で過ごす時間が増えたことで、オンラインゲームにはまっているようです。
YouTubeのサンテレビ「ボートの時間!」♯234でご本人が話している内容では『バトルロイヤル系オンラインゲームがマイブーム』とのことですので、Apex Legendsやフォートナイトみたいなゲームだと推測できます。

飲酒とオンラインゲームについては、コミュニケーションツールとしてだけでなく、息抜きの一環となっているようで、時にはボートレーサー仲間と楽しんでいるそう。

YouTubeでも語っていたとおり、レースへのモチベーション維持として、『遊びがあるから仕事がある、だから遊びは全力で遊ぶ。』これが石野 貴之選手の強さの一端なのかもしれません。

石野 貴之選手の愛車はポルシェとハーレーダビッドソン

石野 貴之選手のプライベートについて調査していたところ、SNSの投稿からカスタムされたポルシェハーレーダビッドソンが確認できました。

数百万円はくだらない高級オートバイ「ハーレーダビッドソン」だけでなく、その画像の後ろにはドイツの高級外車「ポルシェ」が写りこんでおり、きっと1台あたり1,500万円はくだらないでしょう。
特にバイクは燃え上がる炎のデザインが印象的な1点もの
ポルシェもピカピカのブラックボディがかっこいいです。

過去にはメルセデス・ベンツにも乗っていたとのことですので、高級車を何台も維持できるボートレーサーって本当に夢がある職業ですよね。

石野 貴之選手の出身高校

石野 貴之選手は大阪府東大阪市にある中高一貫校の近畿大学付属高等学校を卒業しています。

近畿大学付属高等学校は、その名のとおり“産近甲龍”の一角であり、関西最大級の規模を持つ近畿大学の付属高校です。
※産近甲龍とは、京都産業大学・近畿大学・甲南大学・龍谷大学の4校をまとめた大学群の名称を指します。

3万人以上の在籍者がいると言われる近畿大学の付属校である近畿大学付属高等学校も、生徒数が約3,000人いるというマンモス校で、偏差値は59~70を維持する、大阪府屈指の進学校だと言えます。

大阪府下の全高校の偏差値ランキングでも549校中15位、私立高校の中では345校中8位、全国でも9,835校中129位に入る学力を有しており、難関大学を含む全国の国立大学に140名ほどの合格者を出すほどの名門校です。
ほとんどの生徒(2023年度は91.8%)が進学を希望し、卒業後は多くの生徒が近畿大学・大阪大学・関西大学・立命館大学・同支社大学などの国公私立大学に進学しています。

部活動においては、石野 貴之選手が在籍していた男子野球部が1990年春の甲子園で1度優勝しており、春夏合わせて10回以上の甲子園出場という実績をもつ強豪として知られ、プロ野球選手のOBも多数輩出しています。
その他の運動部では、サッカー部が全国大会の大阪府代表の常連であったり、水泳部もインターハイ優勝を数多く経験、ほかにも相撲部・レスリング部・ラグビー部・スキー部など、個人と団体での全国大会出場者・国体出場者も数多く在籍。
また文化部だと吹奏楽部・囲碁将棋部も全国大会に連続出場し、金賞を獲得するほどの実力がある常連校です。

そう考えると、甲子園に出場するほどの強豪校で主将を務めた石野 貴之選手の経歴ってすごいですね。

石野 貴之選手のSNS

石野 貴之選手のファンならレースでのかっこいい姿や、通常時の落ち着いた雰囲気とお酒が入ると茶目っ気たっぷりになるギャップなど、人柄でも魅力的な石野 貴之選手のプライベートやオフショットが気になるところですよね。

石野 貴之選手のSNSを調査したところ、InstagramX(旧Twitter)のアカウントが開設されていました。

ほかにも石野 貴之選手ご自身はYouTubeでチャンネル開設していませんが、ご自身が登場する動画が数多く投稿されています。

なお、Instagram・X(旧Twitter)ともに「#石野貴之」で検索することで、たくさんの写真を閲覧することができます。

・Instagram

アカウント名はtaka.4168です。

石野 貴之選手は2020年4月からInstagramを開設しており、投稿は25件ありました。

ちなみにフォロワーは12,000人(2024年11月11日現在)を超えて、今後ますます多くなることが予測されます。

本当に多くのファンに愛されていることがよくわかりますね。

今はX(旧Twitter)よりもInstagramの方が更新頻度が高いことから、こちらがメインのようです。

更新頻度はそこまで高くないものの、ボートレースに関する内容や、家族とすごす姿が垣間見える写真、ファンへのメッセージが投稿されており、自然体で飾らず、お酒を楽しむ石野 貴之選手の投稿の数々は必見です。

出典:石野貴之選手Instagram
おなご

Instagramで1番フォロワーが多いのは峰竜太選手で6.3万人。

X(旧Twitter)

アカウント名は@kaimona0603です。

石野 貴之選手は2023年1月からX(旧Twitter)を開設しており、投稿は20件ありました。

開設から2年未満でフォロワー数が6,656人(2024年11月11日現在)を超えているので、その人気のほどがよくわかります!

その証拠にたくさんのファンから応援メッセージが寄せられているのが見て取れます。

レースの感想やプライベートに関する内容、動画も投稿されており、ここでしか見られない写真や動画は見逃せませんよ。

出典:石野貴之選手X

・YouTube

石野貴之選手はYouTubeチャンネルを開設していません

しかしボートレース公式チャンネルなどで登場する動画を見ることができます。
インタビューやトークショー、そのほかにもレース映像など多くの動画が投稿されていましたので、気になる方はチェックしてみてはいかがでしょうか。

ぜひこの機会に石野 貴之選手のグランプリ制覇までの軌跡を振り返ってみてくださいね。

  • ボートの時間! # 425 「石野貴之のノーバン始球式に潜入!」2024年5月19日放送【サンテレビ】
出典:【公式】ボートの時間!
  • 【完勝】西山貴浩が驚愕! SG10冠を果たした圧巻のスタート!石野貴之がレーサーとして大切にしていることは?【レーサーコメンタリー石野貴之編 #2】
出典:ボートレース公式映像配信 JLCレジャーチャンネル
  • 【完勝】西山貴浩が驚愕! SG10冠を果たした圧巻のスタート!石野貴之がレーサーとして大切にしていることは?【レーサーコメンタリー石野貴之編 #2】
出典:ボートレース公式映像配信 JLCレジャーチャンネル
  • 【復活】スランプを克服し復活優勝!石野貴之が見る福岡の水面特性とは?さらに憧れのレーサーは意外なあの人!?【レーサーコメンタリー石野貴之編 #3】
出典:ボートレース公式映像配信 JLCレジャーチャンネル
  • グランプリ特別企画・SG覇者の石野貴之選手へ一問一答インタビュー#1
出典:ボートレース住之江公式チャンネル
  • グランプリ特別企画・SG覇者の石野貴之選手へ一問一答インタビュー#2
出典:ボートレース住之江公式チャンネル

まとめ

誰もが一流ボートレーサーと認めるポジションに居ながら、それでも上を目指して挑戦を続ける石野 貴之選手。
ボートレースの実力もさることながら、趣味やこだわり、ボートレースにかける熱意はベテランになっても変わらないことがよくわかりました。

トップレーサーの座を維持し続けるには、“不断の努力”が必要でしょうし、YouTubeのモーターの出し方の秘訣で語っていたとおり『ずっと継続してやり続けて、積み重ねることが勝ちにつながる。』のでしょう。

石野 貴之選手の通算SG優勝回数は11回
現役ボートレーサーでは、松井 繁選手(3415)がもつ最多SG優勝回数12回まであと1回。

石野 貴之選手は2024年の年頭、次のような目標を掲げています。
『またグランプリを取るのが大前提。その上で松井さんを超えるSG優勝回数とグランドスラムをやりたい。去年よりもモチベーションは高いです。』
この目標には“トップの頂に立ったからこそ、記録更新が容易ではないからこそ、言葉にすることで自身にプレッシャーをかけて有言実行に臨む“覚悟と決意”が表れています。

歴史に名を刻む伝説のボートレーサーたちの背中を見据え、更新・樹立せんとする記録の数々…
残念ながらその目標はしばらく持ち越しとなりそうですが、達成するために必要となる強靭なメンタルを石野 貴之選手はすでに持っているように感じてなりません。

自身3度目のグランプリ優勝、SG優勝回数の歴代記録の更新、史上初のグランドスラム達成へ…
数多くの信用を守り続けてきた実績があるからこそ、ファンは復帰を待ち望むとともに、今後の活躍に期待が高まるのではないでしょうか。

石野 貴之選手が示した“100%のパフォーマンスができる状態”への1日も早い回復を願って、復帰戦の吉報を待ち続けたいと思います。

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