東京支部の矢後剛選手が電撃引退!現役生活36年のベテランボートレーサーに何があったのか?直近の成績などから引退理由を徹底調査!!

2025年2月15日、2000年3月に浜名湖競艇場で開催された「第35回 総理大臣杯」を制したベテランレーサーの矢後 剛選手(東京・62期)が、2月12日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

2025年2月15日、東京支部の62期レーサー・矢後 剛選手が、2月12日に日本モーターボート競走会に引退届を提出したことが報じられました。

矢後 剛選手といえば、2017年7月に通算1,500勝を達成し、2000年3月には浜名湖競艇場で開催された「第35回 総理大臣杯」を制したほどのベテランレーサー。

2月15日現在、矢後 剛選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内の選手紹介ページからは削除されており、2月15日までの期間に削除されたと推測できます。

一方、「ボートレース平和島Official Site」と「ボートレース多摩川Official Site」の東京支部所属選手一覧ではまだ確認できる状況であるため、近日中に削除される見込みです。

2000年以降の確認できる範囲では、2021年後期まではずっとA1級からA2級を維持するほどの確かな実力を見せていました。
しかし、2022年前期~2023年後期はなんとかA2級とB1級を行き来していましたが、2024年前期にB1級に降級してからというもの、再びA急に昇級することは叶わず。
近年では全盛期のような活躍を見せることは難しくなっていました

さらに2020年5月8日に平和島競艇場で開幕した「一般・第43回 京急電鉄社長杯」以来は優勝ができなくなり、翌2021年以降はそれまで年間に複数回あった優出歴も大幅に減っていたことから、ファンの間では「今までと様子が違う」「どこか調子が悪いのでは?」という声が聞かれるほど。

そして、2024年8月2日に下関競艇場で開催された「一般・オラレ下関 オープン10周年記念 山口新聞社杯」最終日の第6レースで5着となると、その後は長きにわたって水面から姿を消していたことで動向が注視されていた矢先の引退発表。

62期として1988年5月にデビューした矢後 剛選手にとって、2025年はデビュー37年目の戦いに向けて意気込み新たに踏み出すはずだった年であり、33年ルールも適用される年
2023年後期には5.69あった勝率が、2024年前期には4.88まで一気に低下してしまったためにB1級への降級を許しましたが、徐々に勝率の低下は見られており、2025年前期には選手生活最低勝率となる勝率4.71まで低下したものの、引退勧告を受けるような成績ではありませんでした

しかし、ボートレース界の第一線で長年戦い続けた矢後 剛選手にすれば、年齢を重ねたことによる体力の衰えに加えて、これまで下回ることのなかった勝率4.80のボーダーをクリアできないことへのプレッシャー、さらには今までの選手生活で最も低い勝率を更新してしまう状況の3重苦に胸を締め付けられたはずです。

このことから、引退勧告ではなく、一身上の都合やモチベーションの低下といった理由で潔く身を引く決断をしたのかもしれません。

矢後 剛選手の基本情報・同期の注目選手・引退勧告の水準まで、近年の成績などから考え得る引退理由について考察していきたいと思いますので、ぜひ最後までご覧ください。

出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
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目次

矢後 剛選手のラストレース

矢後 剛選手のラストレースは、2024年7月27日~8月2日に下関競艇場で開催された「一般・オラレ下関 オープン10周年記念 山口新聞社杯」最終日の第7レースです。

このシリーズは、ここまで10走して1着は1本だけでしたが、7度の連絡みで舟券に貢献。
大外6コースからの進入で、“厳しい進入コースながら勝利を手にしたい”という意気込みを胸に臨んだレース。

もちろんこのレースではA1級の笠原 亮選手(4019)のイン戦ということもあり、単勝オッズは270.7倍で6番人気。
さらに3連単のオッズでは、人気トップ4の買い目がいずれも“1号艇の笠原 亮選手が1着で2着もA1級の松尾 拓選手の確率が高い”と予想していたものの、4番人気の136でトリに名前が挙がっていたことから、このレースで連に絡む確率もあると考えられていたことがわかります。

勝利へのプレッシャーがかかる条件下で、出走選手3人が自分よりも全国勝率が高いA級選手、しかもモーターの機力がワーストという厳しい状況。

矢後 剛選手は6号艇・6コースからの進入で、コンマ18のスロースタートで出遅れたことで5着となり、最終戦では残念ながら良い結果を得ることができませんでした。

このレースの3連単135は1番人気の510円(5.1倍)でした。
最終的にはこのレースが現役最後のラストランとなり、下関競艇場の水面でカポックを脱いだこととなったのです。

デビューから36年3か月目のラストレースでも、これまでの選手生活と同様にファンの期待に応えて、シリーズを“無事故”で走り切れたのは、日々の努力や練習を大切にコツコツと操縦技術を磨き続けた賜物でしょう。

出走表

出典:BOAT RACE公式サイト

単勝オッズ

枠番級別選手名単勝オッズ
1A1笠原   亮1.1倍
2B1宇土  泰就20.8倍
3A1松尾   拓3.3倍
4B1垂水   悠19.3倍
5A2下寺  秀和10.0倍
6B1矢後   剛270.7倍

3連単オッズ

買い目(人気順)オッズ(倍)
135(1番人気)5.1
132(2番人気)7.9
134(3番人気)10.6
136(4番人気)10.8
123(5番人気)12.3
315(6番人気)17.1

レース結果

出典:BOAT RACE公式サイト

矢後 剛選手の引退で「公式サイト内のプロフィールページ」が削除される

矢後 剛選手の引退が報じられた2025年2月15日。
情報の信憑性を確認するために、下記の2つの情報源で矢後 剛選手のプロフィールページ」の存在有無を調査しました。

  • BOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ
  • 「ボートレース平和島Official Site」および「ボートレース多摩川Official Site」の東京支部選手プロフィールページ

2025年2月15日時点で、それぞれのサイトに“矢後 剛選手のプロフィールページ”が存在していたのか…その調査結果とWEBニュースで発表された“引退の事実”をご紹介します。

ボートレース公式サイト内のプロフィールページ

2025年2月15日までに「BOAT RACE公式サイト」内のプロフィールページが削除されたことが確認できました。

現在、矢後 剛選手のプロフィールページにアクセスすると『※ データが存在しないのでページを表示できません。』と表示されて、以前のように情報を閲覧できない状態となっています。

また、同サイト内の検索機能を利用して“選手名”や“登録番号”で検索しても、すでに情報を見ることはできなくなっていました。

2025年2月15日時点で削除されていたBOAT RACE公式サイトの選手紹介ページ

出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト

“ボートレース平和島Official Site”および“ボートレース多摩川Official Site”の東京支部選手プロフィールページ

矢後 剛選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内から削除されましたが、2025年2月15日現在も「ボートレース平和島Official Web Site」および「ボートレース多摩川Official Web Site」では確認することが可能でした。

しかし、引退届が受理されて選手登録が削除された以上、東京支部所属選手一覧からも近日中に削除されるでしょう。

2025年2月15日現在、確認できたボートレース平和島Official Web Siteの選手紹介ページ

出典:ボートレース平和島Official Web Site

2025年2月15日現在、確認できたボートレース多摩川Official Web Siteの選手紹介ページ

出典:ボートレース多摩川Official Web Site

WEBニュースで引退が報じられる

2025年2月15日に「Yahoo!JAPANニュース」で矢後 剛選手の引退が報じられました。
報道はいたってシンプルなものでしたが、引退が現実であることを実感する内容となっています。

【ボートレース】SGウィナーの矢後剛が引退

【ボートレース】SGウィナーの矢後剛が引退

引退した矢後剛(報知新聞社)

2/15(土) 14:47配信

 ボートレーサーの矢後剛(58)=東京=が引退していたことが15日、分かった。12日に日本モーターボート競走会に引退届けを提出した。

 矢後は1988年5月、浜名湖・一般戦で62期としてデビュー。1988年10月、若松・一般戦で初1着。1990年3月、徳山・一般戦で初優出。1991年8月、児島・一般戦で初優勝。通算276優出44V。通算1784勝。G1は2005年5月、津・周年記念で初優勝。通算22優出1V。SGは2000年3月の浜名湖・総理大臣杯で初優出Vするなど通算5優出1V。生涯獲得賞金は11億2963万9576円。2024年8月2日の下関・一般戦、最終日6Rの5着がラストレースとなった。

引用元:ボートレース】G1ウィナーの大賀広幸が引退(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

記事に寄せられたコメント

報道はいたってシンプルなものでしたが、62期で「総理大臣杯(ボートレースクラシック)」制覇を果たしたほどのベテランレーサーが引退を決めたとあって、『長年の活躍を労う声』や『SG無冠で引退を迎えたことを残念に思う声』が聞かれました。

もっとも勢いのあった2000年の総理大臣杯をはじめ、2005年に津競艇場で開催された「G1・第34回 つつじ賞王座決定戦開設53周年記念競走」で大外6コースからチルト3度でまくって勝利した記憶など、アウト屋として印象に残る選手だったことが伝わります。

また「20年以上ファンとして応援していました」「アウト屋がいた中でもSGを勝ったのは矢後しかいない」「矢後選手には競艇の醍醐味を味合わせて頂きました」「記憶に残るレーサーの一人でしたし、賭けの対象に関わらず本当に楽しませてもらいました」というメッセージを矢後 剛選手ご本人が目にすれば、選手冥利に尽きるこの上ない喜びだと感じることでしょう。

今年は世代交代で 50歳以降の選手引退が増えると思います。 気力・技術があっても やはり体力の衰えは否めない
ベテランはマスターリーグがあるが 選手である以上 若手と混じり一線で 戦いたいのかな?
以前は持ちペラで レース・番組に応じて レースに臨めたのが 今は厳しい状況なのですかね。
CMでは無いが 色々な世代の選手がいて レースも予想が楽しみなのだが。

2000年に戸田の現地で関東地区選手権。矢後さんの堅実な走りを見てファンになりました。その後に総理大臣杯(現、クラシック)でSG優勝、津のG1ではチルト+3度で大外捲りで優勝️
20年以上ファンとして応援していました。お疲れ様でした。まずは、ゆっくり休んで下さい。

津のG1で2号艇から6コースを選択してチルト3度で捲って優勝。しかも優出公開インタビューではチルト0.5で2コースか、それともチルト3度で6コースの選択をファンに委ねたところ、チルト3度で大歓声があがった。イン戦の辻栄蔵を叩いて、見事ファンの期待に応えて優勝した姿は未だ脳裏に焼き付いている。その翌節は尼崎でオール連対から2枠の服部幸男を寄せつけずイン逃げで連続優勝。さらにその翌節は平和島でもイン戦ではチルトを下げて、2枠以降はチルトを跳ねて捲る。まさに無双の3節連続優勝を成し遂げた。ちなみに私は全て現地観戦させて頂きました。平和島ではたまたま解説にいた長嶺豊さんに津から平和島まで追っかけて来ましたと話したところ、矢後くんに伝えるわー!そりゃ喜ぶと思うわーって話した思い出が懐かしい。矢後選手には競艇の醍醐味を味合わせて頂きました。大変お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

チルト跳ねて大外から豪快に捲るレースは阿波さんがよく印象に残ってる世代ですが、同じ支部で辿ると飯田加一さん、田上さん、そして今回の矢後さん。 記憶に残るレーサーの一人でしたし、賭けの対象に関わらず本当に楽しませてもらいました。お疲れ様でした。

矢後さんも引退か……。 個人的に記憶に残ってるのは、平和島一般戦の記者選抜戦での阿波勝哉vs矢後剛かな。 お互いにチルト3度で外枠の取り合い、スタート決めて阿波勝哉の捲り一発が決まってからの2周1Mを全速で握って2艇を沈めて……。あの握りは凄かったよ。 矢後さん、お疲れ様でした。

静岡(浜名湖)支部所属していたときがあったかと。SGウィナーになったとき、蒲郡で高橋アナが「ヤゴがトンボになった」って実況で言っていたた記憶がある。お疲れ様でした。

優勝した総理杯の準優で頭から取らせてもらった。
当時 まさか、浜名湖で優勝するとは思ってもみなかった選手。
ダークホース的な存在だった。
目立つ選手では無かったが、レースは上手くて着取りをしっかりしてくるタイプ。
本当にお世話になった、お疲れ様でした。

漫画モンキーターンに出てくる浜岡猛のモデルと言われていた。
自在派から6コース屋になってG1とSG1個を勝った。お疲れ様でした。自分の中でもアウト屋がいた中でもSGを勝ったのは矢後しかいない

矢後も現役引退か……… 改めて、ボートレースの世代交代は 本当に激しいものだ………… ありがとうと共にお疲れ様………(/_;)シクシク

矢後 剛選手の引退理由は?

現在まで、矢後 剛選手の引退理由は明言されていません

しかし、ラストランとなった2024年8月2日以降、矢後 剛選手は長期欠場の状態が続いており、その後は一度も水面に姿を現すことはありませんでした

そして、ラストランから6か月が経過した2025年2月12日。
日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

矢後 剛選手に限らず、これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

ここからは、斡旋がすべて削除された矢後 剛選手の引退理由について考察していきたいと思います。

では、矢後 剛選手の場合は、本当に成績不振による引退勧告を該当しないような立場だったのでしょうか?
さらに、引退勧告の対象に該当していないのであれば、どのような引退理由が考えられるのでしょうか?

まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。

不祥事を理由に選手登録を抹消(=競艇界から強制引退)された選手・出場停止処分を受けた選手については次の記事で触れていますので、ぜひご確認ください。

八百長に関する事件・八百長への関与を噂された選手については、次の記事で触れています。

成績不振による引退勧告の基準

選手生命に関わるとされる“引退勧告”は「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」と定義されています。

あくまで“勧告”であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが実情です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、選手登録3年経過後の4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補になるからです。
※選手登録3年経過していない選手は対象外。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

スクロールできます
判断項目基準
4期通算勝率3.8未満
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても“1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算する”という特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

競艇専門誌・マクールに引退に直結する厳しいペナルティについて、詳しい説明がありましたので、以下引用します。

  • 「8項」
    B2級に落ちると収入減になりますが、B2級よりも怖いのが「8項」です。
    正式名称は「選手出場あっせん保留基準第8号」です。
    「魔の8項」よりも「魔の8号」と呼んだ方がいいかもしれません。
    勝率3.00未満、事故率1.00以上の選手は6か月間あっせん保留でレースに出場できません。
    勝率に関してはデビューして3年間は猶予されます。
    50走以上が対象選手になるので、49走で止める選手もいます。
  • 「向上化ルール」
    選手会の「競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程」です。
    4期通算(2年)で勝率3.80未満の選手に適用され、引退を余儀なくされます。
    事故率が4期通算で0.70を超えても引退です。
    選手登録から35年以上の選手は4.80未満だと、選手数が1600人を超えたら引退勧告というルールがありました。
    これについては、これまでは加算していた次の期にデビューする新人選手を加算しないことになりました。
    選手数が1600人を超えることが当面なくなり、4期通算勝率が4.80を下回っているベテラン選手の引退が回避できるようになっています。

引用元:マクール・もう一つの期末勝負 ボート人生サバイバル

無知なネコ

「魔の8項(8号)」ってなんだか怖いけど…
一体どういうこと?

おなご

「魔の8項(8号)」の正式名称は「選手出場あっせん保留基準第8号」というよ。
50走以上で勝率3.00未満・事故率1.00以上に該当する選手は、6か月間あっせん保留でレースに出場できなくなってしまうの。
それを回避する唯一の手段が「49走止め」なの。

【結論】考えられる引退の理由は?

前述の基準と矢後 剛選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受けた可能性は極めて低いと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

  • 4期通算勝率:勝率は年々低下しているものの、基準を下回る期はなく、4期通算で勝率3.80(4.80)以上
  • 4期通算事故率:事故率0.7未満(2015年7月23日のフライング以降、スタート事故はなし)
  • 4期通算出走回数:出走数は4期通算60回以上で、2025年前期の59走以外は60回未満の期はない

成績不振による引退勧告の基準のいずれにも該当しないため、引退勧告を受けるような立場ではなかったと推測できます。

そのため、考えられる引退理由として『体力やメンタル面での衰えに不安を感じていたところに、低下する勝率や成績という決定打が加わって自ら退く決断をした』、もしくは『ラストランの後に一身上の都合や病気・ケガといった理由が生じたために引退を決めた』ということでしょう。

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。

スクロールできます
級別出走数勝率
2020年前期A2125走5.94
後期A137走6.23
2021年前期A2114走5.53
後期A297走5.56
2022年前期B194走4.70
後期A2133走5.93
2023年前期B1107走4.89
後期A2106走5.69
2024年前期B1128走4.88
後期B1105走5.30
2025年前期B159走4.71

2020年以降の直近5年だけで見ても、2020年に平均130走ほどあった出走数が、3年後の2023年には平均105走ほどまで減少しました。
同様に勝率も2020年後期の6.23を目途として、徐々に低下したりやや持ち直したりを繰り返しながら、遂に2025年前期には選手人生の最低値4.71まで下がっていたことが読み取れます。

この結果から鑑みるに、現段階で考えられる引退理由の一つ目は、『年齢と体力の衰えを感じていたところに、過去最低勝率を記録したことが決定打となり、引退を決めた』ということです。

次に考えられる理由の二つ目として、一身上の都合や病気・けが(体の痛み)の可能性ですが、引退前最後のレースである2024年8月2日に下関競艇場で開催された「一般・オラレ下関 オープン10周年記念 山口新聞社杯」ではそのような話は聞かれませんでした。

情報が出ていないだけで、このような事由がある可能性も一概には否定できず、引退にまったく関係していないとは言い切れません。

もし、病気やけが(体の痛み)によって引退を決断したのであれば、ゆっくりと治療をして、一日も早い回復が望まれますね。

結論として、矢後 剛選手が勇退を決断した理由として考えられるのは『現役選手として36年間戦い続け、現在の自分の実力と置かれている立場を鑑みて引退を決めた』というところでしょうか。

もう一歩踏み込むと、2022年後期と2023年後期に一時的に勝率の低下は食い止めたものの、それ以降の勝率は右肩下がりで、比例するように出走数もさらに減少していることから、もしかしたらA級に昇級が難しくなった2024年頃に引退を考えはじめたのかも知れません。

引退勧告の対象とならずとも「全盛期のような活躍をファンに見せられなくなった」ことや「自身の衰えを痛感して引き際を考える」というのは、これまでの長い期間を一途に走り続けてきた一流選手だからこそ
ボートレース界をけん引し続けてきたプライドゆえの最も納得がいく理由でしょう。

矢後 剛選手の電撃引退に対するSNSの反応は?

矢後 剛選手の電撃引退に対して、SNSにはどのような声が投稿されているのでしょうか?
やはり競艇界を沸かせた“チルト3度で豪快にまくっていく走り”を支持する声が大多数でした。

そのほかにも「引退を惜しむ声」「今までの活躍労う声」そして「突然の引退に驚く声」が多く寄せられていました。

とくに目についたのが、2000年3月に浜名湖競艇場で開催された「SG・第35回 総理大臣杯」での活躍にふれる声と2005年5月に津競艇場で開催された「G1・第34回 つつじ賞王座決定戦開設53周年記念競走」での活躍にふれる声です。

そんな中でも、もっとも多くの声が寄せられたのは、やはり「引退を惜しむ声」でした。

引退記事を書いていると、最も多く目にするのが“まだやれるだろうに残念”などといった「引退を惜しむ声」なのですが、矢後 剛選手の場合は内容が少し違います。

もちろん、最近多発している往年の人気レーサー達に続く引退に“走りが見られなくなることの寂しさ”を吐露する声はあるものの、ファンのメッセージに共通していたのが、“とうとう来てしまいましたね”という引退を覚悟していたという声でした。

具体的な内容としては、
チルト3度で大外から捲ってG1取った映像は今見ても強烈だった
持ちペラ時代のチルト3度は浪漫があって大好きでした
『持ちペラ制の時は枠によってチルト跳ねたり下げたりしてワクワクするレースをしてくれました』
『大好きだった矢後さん引退か』
『ヤゴがトンボになった総理杯は忘れられないレース!』
矢後選手引退の今こそ、東京支部選手の皆さん、奮起を!!』など、ファンそれぞれの想いがたくさん詰まったメッセージが投稿されています。

とくに“ヤゴがトンボになった”というキーワードから、秀でた才能の持ち主であった矢後 剛選手が2000年の「第35回 総理大臣杯(ボートレースクラシック)」でSG初制覇を達成した際の喜びと衝撃が上手く表現されていると感じました。

なかでも印象的だったのが、哲さん氏の次の投稿です。
投稿には『チルト3度での華麗な走りには魅了されました』という最上級の賞賛が記されており、結びの『引退後どんな道を歩く人のか?』という言葉から、矢後 剛選手の今後に関心を抱きつつも、活躍をずっと応援してきた様子がよくわかる内容となっています。

この内容を矢後 剛選手選手ご本人が読んでくれたら、長年熱心に応援してきたファンがいることが伝わるはずでしょう。

それでは、投稿内容の一部を抜粋してご紹介します。

引退を惜しむ声
<
今までの選手生活を労う声
2000年3月に浜名湖競艇場で開催された「SG・第35回 総理大臣杯」での活躍にふれる声
2005年5月に津競艇場で開催された「G1・第34回 つつじ賞王座決定戦開設53周年記念競走」での活躍にふれる声
東京支部の選手たちに奮起をうながす声

矢後 剛選手の基本情報

名前
(フリガナ)
矢後 剛
(ヤゴ タケシ)
登録番号3347
生年月日1967年2月11日
身長164cm
体重54㎏
血液型A型
支部東京
出身地静岡県
登録期62期
級別B1級
デビュー日1988年5月
最終出走日2024年8月2日
引退日2025年2月12日

矢後 剛選手は1967年生まれ、東京支部所属のB1級選手です。
チルト3度で大外から豪快に捲るレースを持ち味としており、ボートレーサー養成所を62期生で第1位となるリーグ勝率7.49で卒業しました。

直近では2017年7月に通算1,500勝を達成し、SG競争とG1競争で1度ずつの優勝歴を有するベテランレーサー
全盛期には“アウト屋”を代表する選手として、グレードレースで相手がだれであっても敢行する力強いまくりはファンを魅了し、漫画・モンキーターンの登場人物である“浜岡 猛のモデルというエピソードは有名です。

また、矢後 剛選手はA級歴がとても長い選手でもあります。
確認できただけでも、2000年後期にはすでにA1級へ昇級しており、2008年前期にA2級に降級するまで、約7年以上もの長きにわたってA1級を維持するほどの素晴らしい成績の持ち主でした。

その後も複数回にわたりA1級に昇級を果たし続けて、選手生活36年のうち、なんとA1級を17年以上とA級を22年以上キープし続けたほどの実力者です。

全盛期の2000年後期には優出6回・優勝4回という好戦績を残して自己最高勝率8.01を記録。
最近では、2022年後期の勝率5.93以降、徐々に勝率は低下の一途を辿り、2020年5月8日に平和島競艇場で開催された「一般・第43回 京急電鉄社長杯」で1コースから逃げで優勝して以来、優出しても連に絡む頻度も減っていきました。

2000年から2006年くらいまではSG競争の常連選手として、優勝戦まで駒を進めたものの、通算5優出でも載冠えきたのは1度きり
SG競争における最高戦績は、2000年3月に浜名湖競艇場で開催された「第35回 総理大臣杯(ボートレースクラシック)」初制覇でした。

  • 【衝撃の決着】チルト3度で矢後剛が6コースから豪快なまくり!原田幸哉と平本真之の死闘など数々の名勝負を生んだ『GⅠツッキー王座決定戦』
出典:ボートレース公式映像配信 JLCレジャーチャンネル
  • 【永久保存版】チルト3度で史上初のG1制覇!チルト3度の破壊力を見よ!【チルト3度G1優勝】【矢後剛】
出典:スマイルのボートレース情報局
  • 【競艇/ボートレース】2000.03.15~20 浜名湖 SG第35回総理大臣杯競走 優勝・矢後剛
出典:競艇動画アーカイブCH

参考情報:漫画『モンキーターン』とは?

漫画『モンキーターン』は第45回 小学館漫画賞を受賞しており、日本船舶振興会(呼称・日本財団)からも競艇初心者の入門書として推薦されるほどの人気作品です。

漫画のストーリーは、幼少期から野球に明け暮れてきた主人公の波多野 憲二が、高校生活最後の夏の甲子園予選で敗退・挫折したことをきっかけとして、“競艇”の才能を見いだされるところから始まります。

競艇ファンの担任と競艇選手のOGに連れられて行った競艇場。
そこで体験した“モーターボートの感触”と“モンキーターン”に魅了されて、競艇選手の道を志すことを決意。

必死の勉強と長年培ってきた持ち前の身体能力を駆使することで、養成所・本栖研修所に入所を果たすものの、本栖研修所での厳しい訓練からプロデビュー、そして最高峰のSGレース「ボートレースグランプリ」の出場権を得るまでには、大怪我や強力なライバルが現れるなど、数々の困難が立ちはだかり、その一つ一つを乗り越えていく波乱万丈の物語です。

ボートレーサーとしての成長はもちろんのこと、幼なじみである「生方 澄」との恋愛や、同期であり名選手を父に持つサラブレッド「洞口 雄大」とのライバル関係といった人間模様も見所となっており、『モンキーターン』がきっかけで競艇選手になった選手も多く存在します。

出典:Amazon

漫画『モンキーターン』のモデルとなった実在する選手

実は、漫画『モンキーターン』の登場人物のモデルは、実在する競艇選手だと言われています。

主だった登場人物とモデルとなった選手をまとめました。
すでに引退した選手もモデルに採用されていることもあり、漫画の世界とはいえ、現役人気選手と引退したレジェンドレーサーが共演する姿には夢があります。

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登場人物モデル選手写真モデルとなった選手登録番号登録期支部級別
波多 野憲二濱野谷 憲吾選手359070期東京A2
波多野 憲二
(手の負傷・リハビリ時)
平田 忠則選手389880期福岡A1
波多野 憲二
(復帰戦)
元選手・植木 通彦さん328559期福岡引退
波多野 憲二
(研修所時代に転覆)
元選手・今村 豊さん299248期山口引退
洞口 雄大仲口 博崇選手355469期愛知A1
青島 優子中里 優子選手357970期埼玉B1
青島 優子日高 逸子選手318856期福岡A2
犬飼 軍志元選手・大嶋 一也さん301049期愛知引退
榎木 祐介元選手・植木 通彦さん328559期福岡引退
榎木 祐介元選手・今村 豊さん299248期山口引退
櫛田 千秋寺田 千恵選手343565期岡山A1
潮崎 俊也元選手・山崎 智也さん362271期群馬引退
蒲生 秀隆山室 展弘選手307051期岡山B1
浜岡 猛矢後 剛選手334762期東京引退
高橋 香子タレント・高橋 香代さん
マンガ『モンキーターン』を軸に、トップボートレーサーと有識者がひもとくボートレースの魅力


マンガ『モンキーターン』を軸に、トップボートレーサーと有識者がひもとくボートレースの魅力
青島優子のモデル・日高逸子選手、櫛田千秋のモデル・寺田千恵選手、波多野憲二と榎木祐介のモデル・植木通彦さんによる対談の様子です。

ボートレースを身近な存在にした『モンキーターン』

前田:まさにそうですね。私がスポーツマンガ100選に『モンキーターン』を推薦したのも、レースの中での登場人物たちの駆け引きやプレッシャーがある中で切磋琢磨する姿、アスリートとして挑戦し続ける姿の描き方が素晴らしいと感じたところが大きかった。

竹谷:私は普段はあまりスポーツマンガを読まないのですが、「距離感が近くなる」作品が好きで、『モンキーターン』はボートレースの世界をぐっと身近にしてくれました。読むまでは賭け事のイメージが強かったのですが、読み終わった後に専門用語やルールも自然に身に付いていて、実際のレースをこの目で見たくてレース場に足を運んだりもしました。

前田:悪役がいないところや、かわいい女子レーサーが出てくるところ、登場人物たちのモデルになった選手が実在すると言われているところも、読んでいて面白いですよね。日高さんと寺田さんは、『モンキーターン』を読まれたことはありますか。

寺田:自分が櫛田千秋(くしだ・ちあき※)のモデルになっていると聞いて読んだのですが、少し恥ずかしかったですね。これが私?と衝撃的だった(笑)。

  • ※「最強の女子選手」として全国の女子ボートレーサーが憧れる、SG競走に初優出を決めた強豪レーサー

植木:誰がどのモデルになっているのかというのも、最初は明確じゃなかったんですよね。後になって言われ出したというか。僕も榎木祐介(えのき・ゆうすけ※)という素晴らしい選手のモデルになったと言われているんですけど、初めて聞いた時は戸惑いました。

  • ※自他共に認めるボートレース界のトップレーサーで「艇王」の異名を持つ、主人公・波多野憲二(はたの・けんじ)が超えようとしている選手の1人

日高:私もファンの方から「青島優子(あおしま・ゆうこ※)は日高さんじゃないの?」って言われましたけど、こんなに肌の色黒かったっけ?とびっくりしました。

  • ※主人公・波多野憲二の研修所時代の同期生。褐色の肌をした美少女で、女子の中ではトップ選手であるという実力も持っている

寺田:けど、ボートレーサーとしての一生懸命さは日高さんに似ているかも(笑)。

引用元:マンガ『モンキーターン』からひもとくボートレースの魅力 (nippon-foundation.or.jp)

漫画『モンキーターン』がきっかけで競艇界を志した選手

前述のとおり、『モンキーターン』という漫画・アニメをきっかけにボートレーサーへの道を志した選手がいます。
出会いはさまざまですが、素敵な作品の影響を受けて、実際にその道を歩みはじめた選手の一部をご紹介。
公表していないだけで、ほかにもきっと競艇界の『モンキーターン』愛好家は存在するはずです。

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選手写真選手名登録番号登録期支部級別きっかけ
松本 晶恵選手439998期群馬A2姉が漫画『モンキーターン』を読んでいたために興味を持った
入海 馨選手4886116期岡山A1自身が漫画「モンキーターン」を愛読していた
木場 悠介選手4948119期長崎B1趣味もパチスロを通じてアニメの『モンキーターン』と出会う

矢後 剛選手の過去戦績

矢後 剛選手の主な過去戦績は次のとおりです。
あまりに前の記録のため、1997年5月1日以前の記録については詳細を確認することができませんでした。

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1988年5月(タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明
浜名湖一般デビュー
1988年10月(タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明
若松一般初勝利
1990年3月(タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明
徳山一般初優出
1991年8月(タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明
児島一般初優勝
1997年9月6日第41回 赤城雷神杯競走 桐生競艇開設記念
1997年5月1日以前のG1出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も古いG1出場歴です
桐生G1G1初出走
1997年9月7日第41回 赤城雷神杯競走 桐生競艇開設記念
※1997年5月1日以前のG1出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も古いG1勝利歴です
桐生G1G1初勝利
1997年10月7日第44回 全日本選手権競走(ボートレースダービー)
※1997年5月1日以前のSG出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も古いSG出場歴です
唐津SGSG初出走
1997年11月16日福岡チャンピオンカップ 開設44周年記念競走
※1997年5月1日以前のG1出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も古いG1優出歴です
福岡G1G1初優出
1999年10月6日第46回 全日本選手権競走(ボートレースダービー)
※1997年5月1日以前のSG初勝利については調べられないため、このレースが確認できた最も古いSG勝利歴です
戸田SGSG初勝利
2000年3月20日第35回 総理大臣杯(ボートレースクラシック)浜名湖SGSG初優出
2000年3月20日第35回 総理大臣杯(ボートレースクラシック)浜名湖SGSG初優勝
2005年5月19日第34回 つつじ賞王座決定戦 開設53周年記念競走G1G1初優勝
2017年7月31日ふみづき 第1戦三国一般通算1,500勝達成
2024年8月2日オラレ下関 オープン10周年記念 山口新聞社杯下関一般ラストレース

矢後 剛選手は1988年5月に静岡支部のホームプール・浜名湖競艇場の一般戦で62期生としてデビューを果たすと、5か月後の若松競艇場で初勝利

そして、デビューから3年3か月後の1991年8月に児島競艇場で開催された一般戦で初優勝を果たし、2017年7月31日に通算1,500勝を達成しています。

確認できた確かな記録を参考にしてG1競争を見ると、2005年5月19日に津競艇場で開催された「第34回 つつじ賞王座決定戦 開設53周年記念競走」でG1初制覇を達成。

同じく、SG競争では2000年3月20日に浜名湖競艇場で開催された「第35回 総理大臣杯(ボートレースクラシック)」でSG初優出SG初制覇を同時に達成しました。

また、2000年後期以降の記録になりますが、その当時から矢後 剛選手はA1級で活躍しており、2008年前期にA2級に降級するまで、約7年以上もの長きにわたってA1級を維持するほどの素晴らしい成績の持ち主でした。

その後も複数回にわたりA1級に昇級を果たし続けて、選手生活36年のうち、なんとA1級を17年以上もの長い期間キープしたほどの実力者です。

しかし、2020年後期にA2級へ降級してからはA1級に返り咲くことはできず
同様に2024年前期以降はA2級への再昇級もできず、2022年後期の勝率5.93以降は徐々に勝率は低下して、2025年前期には自己最低勝率4.71を記録しています。

2000年後期には優勝4回・優出6回という圧倒的な好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.01を記録。
さらに直近では、2020年後期に優勝1回・優出7回の戦績と勝率6.23という成績を残していました。

36年9か月間の選手生活での通算勝利数は1,784勝で、通算276優出優勝は44回生涯獲得賞金は11億2,963万円9,576円という記録を残しています。

現役生活最後のレースは、2024年8月2日に下関競艇場で開催された一般戦「オラレ下関 オープン10周年記念 山口新聞社杯」最終日、第6レースの5着でした。

出典:BOAT RACE公式サイト

3347矢後剛選手(東京支部)がボートレース三国で通算1,500勝達成!!

2017/07/31

平成29年7月31日(月)、ボートレース三国にて開催中の「ふみづき第1戦」最終日第11レースにおいて、登録第3347号 矢後剛選手(東京支部)が粘り強いレースで抜きを決め、通算1,500勝を達成しました。
矢後選手の偉業を称え、越前三国競艇企業団事業局次長の網頭忠生より目録が授与されました。
矢後選手の今後ますますのご活躍を期待しております。

引用元:BOAT RACE公式サイト

矢後 剛選手が獲得したSG・G1タイトル

  • 2000年3月20日:第35回 総理大臣杯(浜名湖競艇場)※現在のボートレースクラシック
  • 2005年5月19日:第34回 つつじ賞王座決定戦 開設53周年記念競走 (津競艇場)

矢後 剛選手に師匠や弟子はいない

矢後 剛選手の師匠や弟子についても調査しましたが、特定の師匠や迎え入れた弟子の情報を見つけることはできませんでした

しかし、持ちペラ制の時代には東京支部の元ボートレーサー・桑原 淳一さんが率いたTMRというプロペラグループに所属していたそうです。

強者揃いの東京支部で多くの先輩方が操縦・整備する姿を見て、時に指導を受けながら、練習に励んで技術を磨いたのでしょう。

「TMR」とは、元ボートレーサーの桑原 淳一さんが率いた東京支部最大規模のプロペラグループの名前です。

主な所属メンバーは、矢後 剛選手(3347)・本吉 正樹選手(3313)・浦田 信義選手(3226)・鈴木 猛選手(3911)・阿波 勝哉選手(3857)・山谷 央選手(3681)・尾形 栄治選手(3868)・齊藤 仁選手(3978)・森 弘行選手(3467)・桑原 将光選手(4318)が所属していました。

なお、齊藤 勇選手・山来 和人選手・荒川昭選手・道見 数成選手・河相 秀行選手については、すでに現役を引退しています。 

同期(62期)の注目選手

矢後 剛選手の同期である「62期」には、にはどのような選手がいるのでしょうか。
主だった選手を以下にまとめました。

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登録番号名前支部級別
3349吉田   一郎長崎A2
3350藤本   佳史山口A2
3362間嶋   仁志三重B1
3339泉     具巳兵庫B1
3352小川  晃司福岡B1
3357福島  陽子岡山B1
  • 吉田 一郎選手(3349)/1968年1月27日生まれ/長崎/A2
  • 藤本 佳史選手(3350)/1968年4月23日生まれ/山口/A2
  • 間嶋 仁志選手(3362)/1969年7月28日生まれ/三重/B1
  • 泉 具巳選手(3339)/1965年5月29日生まれ/兵庫/B1
  • 小川 晃司選手(3352)/1968年6月20日生まれ/福岡/B1
  • 福島 陽子選手(3357)/1968年11月8日生まれ/岡山/B1

矢後 剛選手のデビュー戦

矢後 剛選手のデビューは1988年5月に浜名湖競艇場で開催された一般戦での出来事でした。
もともとは実家のあった静岡支部に所属しており、当時の地元・浜名湖競艇場でデビューを飾りましたが、実家の移転をきっかけに東京支部に転籍し、その頃から成績も上向き始めたそうです。
あまりに前の記録のため、詳細な記録までは確認することができませんでしたが、初勝利までの期間が短いことから、デビュー当時から注目の新人だったことでしょう。

矢後 剛選手の初勝利

矢後 剛選手の初勝利は1988年10月に若松競艇場で開催された一般戦での出来事でした。
こちらについても詳細を確認することはできませんでしたが、初出走から5か月目で初勝利を達成しているということは、新人選手にしては早めの達成だったと言えます。

矢後 剛選手の初優勝

矢後 剛選手の初優勝は1991年8月に児島競艇場で開催された一般戦での出来事でした。
こちらについても詳細を確認することはできませんでしたが、初優勝までにかかった期間は4年未満。
3年3か月で初優勝を飾ったということは、それだけ矢後 剛選手の才能や努力が優れていたことを意味します。

矢後 剛選手の獲得賞金

矢後 剛選手のこれまでの獲得賞金は次のとおりとなっています。

2000年後期以降の記録になりますが、その当時から矢後 剛選手はA1級で活躍しており、2008年前期にA2級に降級するまで、約7年以上もの長きにわたってA1級を維持するほどの素晴らしい成績の持ち主でした。

その後も複数回にわたりA1級に昇級を果たし続けて、選手生活36年のうち、なんとA1級を17年以上もの長い期間キープしたほどの実力者です。

しかし、2020年後期にA2級へ降級してからはA1級に返り咲くことはできず
同様に2024年前期以降はA2級への再昇級もできず、2022年後期の勝率5.93以降は徐々に勝率は低下して、2025年前期には自己最低勝率4.71を記録しています。

2000年後期には優勝4回・優出6回という圧倒的な好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.01を記録。
さらに直近では、2020年後期に優勝1回・優出7回の戦績と勝率6.23という成績を残していました。

2019年4月16日~21日に宮島競艇場で開催された「PG1・第20回 マスターズチャンピオン」で優出して以降、G1競争への出場歴はなく、2020年5月8日に平和島競艇場で開催された「一般・第43回 京急電鉄社長杯」以降は優勝歴もないなど、成績が振るわない状況が続いていたものの、近年では主戦場を一般戦に移して活躍を続けていました。

そのため、もちろん獲得賞金も全盛期よりは減少していることが予想できると思います。

年度級別賞金ランキング獲得賞金
2025年B1
2024年B11,355位9,460,000円
2023年B1→A2624位18,780,000円
2022年B1→A2718位16,787,000円
2021年A2750位15,185,733円
2020年A2→A1362位22,959,066円
2019年A2→A1234位27,267,000円
2018年A2→A1271位24,022,000円
2017年A1331位21,698,000円
2016年A1278位21,811,000円
2015年A1379位18,745,000円

B1級ボートレーサーの平均年収は約1,100万円といわれています。
矢後 剛選手は引退時はB1級であるものの、2015年から2017年まではA1級、2018年以降はA2級期間が長いため、今回の比較対象は直近の期間が最も長かったB1級レーサーの平均年収1,100万円とします。

直近3年間のデータから算出した平均年収は、約1,500万円程度。
2024年に獲得賞金額が大幅に減少しているものの、A2級ボートレーサーの平均金額1,800万円とB1級の平均額の中間よりやや多い金額くらい。
直近3年間の平均年収をひと月に換算すると月収が約125万円越えですから、かなりの高収入です。
このような結果となった理由は、2022年と2023年の獲得賞金額の平均がA2級の平均金額、および全ボートレーサーの平均金額に近い1,778万円だったことです。

2023年は一般戦で3度の優出を果たしたことで、最近では最も高い獲得賞金額を記録しました。

ちなみに、直近10年間の平均年収を計算したところ、ボートレーサー全体の平均年収とほぼ同額の約1,967万円となりました。
一般的な50代の社会人男性の平均年収は約680万円とされていますので、矢後 剛選手の平均年収は約2.9倍の金額に相当します。

さらに獲得賞金額が最高額となった2019年は、年間出走数が279走と多く、そのうち1着数が56回。
「G1・第20回 マスターズチャンピオン」で優出したほか、一般戦で6度の優出を果たしたことで、直近10年間の中では最も高い獲得賞金額を記録しました。

近年(2024年は除く)は獲得賞金額が1,500~1,800万円前後で推移していたようですが、全盛期の優勝歴・優出歴のあった時期の獲得賞金額はもっと高額だったことは容易に想像できるでしょう。

ボートレーサーの級別ごとの平均年収の目安はつぎのとおりです。
・A1級:平均年収は、約3,000万円
・A2級:平均年収は、約1,800万円
・B1級:平均年収は、約1,100万円
・B2級:平均年収は、約 500万円

おなご

ボートレーサー全体の平均年収は1,700万円といわれています。

まとめ

矢後 剛選手、デビューから約36年9か月もの長きにわたってのご活躍、本当にお疲れさまでした。
素晴らしい活躍とボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供し、何よりも多くのファンから愛された選手ということがよく伝わってきました。

残念ながら、SG競争で2度目の載冠はかないませんでしたが、アウト屋としてSG競争を制覇するという偉業を成し遂げてことに加え、外からまくっていく豪快なレースでファンの心をしっかりと掴み、ボートレースの人気を長年支え続けた選手だったことがよくわかりました。

矢後 剛選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

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