全日本選抜競輪で優勝した郡司浩平選手ってどんな選手なのー?
郡司浩平選手はな、2019年〜2023年までS級S班に在籍していた選手なんだぜ!
え!?そんなにすごい選手なんだ!もっと郡司浩平選手について教えて!!
ったく。しょうがねえな。それじゃあ今回は郡司浩平選手について詳しく解説してやるとするか!
2024年2月9日〜2月12日に岐阜競輪場にて開催されたG1レース、「能登半島支援・読売新聞社杯全日本選抜競輪」を制した郡司浩平選手。
そんな郡司浩平選手は2024年はS級1班ですが、2019年〜2023年まで男子競輪の最高階級であるS級S班に在籍していて、来年2025年からは再びS級S班に在籍することが決定しました!
今回はそんな郡司浩平選手について競輪選手としての情報から生い立ち、学生時代の情報などについても紹介していくので最後までご覧ください。
この記事でわかること
- 郡司浩平選手の現在の成績
- 郡司浩平選手の出走予定のレース
- 郡司浩平選手の主な経歴
- 郡司浩平選手の落車・失格・怪我
- 郡司浩平選手の師匠・弟子
- 郡司浩平選手のプライベート情報
- 郡司浩平選手の出身地
- 郡司浩平選手の学生時代
- 郡司浩平選手の結婚相手
- 郡司浩平選手の獲得賞金
- 郡司浩平選手のSNS
- 競輪歴8年の26歳
- 成人した瞬間に車券を購入するキチガイ
- 過去に突っ込んだ累計額5000万以上(笑)
郡司浩平選手の競輪プロフィール
冒頭でもお伝えしたように、2024年最初のG1レースである全日本選抜競輪で郡司浩平選手は優勝しました!
また、2019年〜2023年までS級S班に在籍していた経験を持つ一流選手の郡司浩平選手は、どのような選手なのでしょうか。
ここからは郡司浩平選手の最近の成績や経歴、師匠や弟子について紹介していきますね。
現在の成績
最初は現在の成績について紹介していきます。
郡司浩平選手が直近4ヶ月に出場したレースの成績については下記の表をご覧ください。
着順 | 回数 |
---|---|
総出走回数 | 22 |
1着 | 9 |
2着 | 7 |
3着 | 1 |
着外 | 4 |
棄権 | 1 |
失格 | 0 |
郡司浩平選手は直近4ヶ月で22回のレースに出場していて、1着が9回、2着が7回、3着が1回と好成績を挙げているんです。
上の表の結果から勝率や2連対率・3連対率については下記のとおりとなっています。
- 勝率…40.9%
- 2連対率…72.7%
- 3連対率…77.2%
勝率が40.9%を記録しているのもすごいですが、2連対率や3連対率にいたっては脅威の70%超え!この数字から郡司浩平選手は、出場した多くのレースで車券に絡んでいることがわかりました!
ゆえに、郡司浩平選手が出場するレースでは郡司浩平選手を買い目に入れておくことをおすすめします!
続いては連帯時の決まり手について見ていきましょう。
直近4ヶ月に出場したレースで記録した連対時の決まり手は下記のとおりです。
- 逃げ…13%
- 捲り…43%
- 差し…31%
- マーク13%
競輪選手は一人ひとり脚質があり、KEIRIN.JPの選手プロフィールによると郡司浩平選手の脚質は「両」と記載されています。
脚質…選手それぞれが得意としている走り方のこと。大きく分けると下記の3つのタイプに分けられる。
- 逃…レース序盤から先頭で走り続け、そのまま先頭でゴールする走り方。通称「先行選手」。
- 追…先行選手の後ろについて風を避けながらスタミナを温存し、レース終盤に前方の選手を追い抜いてゴールする走り方。通称「追い込み選手」。
- 両…上記の「逃」と「追」を出場する選手や競輪場、その他の条件によって使い分けられる選手。通称「自在選手」。
郡司浩平選手は自在選手であることから、直近4ヶ月に出場したレースではすべての決まり手を記録しているんです。
ですが、中でも捲りが43%と一番多い割合を占めており、続いて差しが31%と追い込みを基本としています。
そして、逃げが13%で割合的には少なくなっていますが、レースによっては逃げで好成績を残していることがわかりました。
出場予定のレース
続いて出場予定のレースです。2024年2月現在、郡司浩平選手の出場が予定されているレースについては下記の表にまとめてみたのでご覧ください。
開催日 | 場所 | レース名 | グレード |
2024年3月11日〜3月13日 | 福井競輪場 | 創刊70周年記念中日スポーツ杯 | F1 |
2024年3月18日〜3月20日 | 平塚競輪場 | JC×HPCJC×リンカイ杯 | F1 |
郡司浩平選手は上記の2レースに出場が予定されています。
2レースの中でも、2024年3月11日〜3月13日に福井競輪場にて開催される「創刊70周年記念中日スポーツ杯」(F1)は注目です。
2024年2月時点で獲得賞金ランキングで7位にランクインしている南修二選手や、実力のある選手として有名な山田庸平選手などの出場も予定。
郡司浩平選手は2024年2月時点で獲得賞金ランキングでトップに君臨しますが、これらのレースで勝利し獲得賞金ランキングのトップの座を死守できるでしょうか。
次に郡司浩平選手が直近4ヶ月に出場していたレースについては下記の表をご覧ください。
開催日 | 場所 | レース名 | グレード |
2023年10月6日〜10月9日 | 久留米競輪場 | 「火の国杯争奪戦」引用元:n久留米 | G3 |
2023年10月19日〜10月22日 | 弥彦競輪場 | 寛仁親王牌・世界選手権記念 | G1 |
2023年11月2日〜11月5日 | 玉野競輪場 | 周防国府杯争奪戦 | G3 |
2023年11月21日〜11月26日 | 小倉競輪場 | 朝日新聞社杯競輪祭 | G1 |
2024年1月18日〜1月21日 | 川崎競輪場 | 桜花賞・海老澤清杯 | G3 |
2024年2月1日〜2月4日 | 静岡競輪場 | たちあおい賞争奪戦 | G3 |
2024年2月9日〜2月12日 | 岐阜競輪場 | 能登半島支援・読売新聞社杯全日本選抜競輪 | G1 |
郡司浩平選手は上記の7レースに出場していました。
下記のレースについては不参加となっています。
- 2023年12月2日〜12月5日伊東競輪場開催「椿賞争奪戦」(G3)
- 2023年12月14日〜12月17日佐世保競輪場開催「九十九島賞争奪戦」(G3)
主な経歴
郡司浩平選手の主な経歴としては下記の内容の順番にお届けしていきます。
- 競輪学校時代の成績
- デビュー戦
- 初勝利と初優勝
- 出場した主なビッグレース
- 表彰歴
郡司浩平選手は2009年に日本競輪学校第99回技能試験を受験し合格。高校を卒業後の2009年5月に競輪学校に入学しました。
競輪学校へ入学し、競輪学校で行われたレースの成績としては下記のとおりです。
- 1着…20回
- 2着…18回
- 3着…12回
- 着外…38回
上記の結果から競輪学校を10位で卒業した郡司浩平選手は競輪学校を卒業後、地元の日本競輪選手会神奈川支部に所属。
ホームバンクは川崎競輪場を登録しています。
競輪選手としてデビューしたのは2011年1月15日、自身のホームバンクである川崎競輪場でのレースでした。
デビュー戦は惜しくも2着となりましたが、続く2日目には1着でゴールしデビュー2戦目で初勝利を挙げています!
初優勝となったのは、デビュー戦から約4ヶ月後の2011年5月9日〜5月11日に四日市競輪場にて開催されたレース。
郡司浩平選手はこのレースで優勝を完全優勝で決めています!
デビュー年から成績を残していた郡司浩平選手は2年目の2012年にはA級2班に昇格。そして、さらに1年後の2013年にはS級2班へと徐々にステップアップしていきました。
S級に昇格した後もレースで好成績を残していた郡司浩平選手は2014年にS級1班へ昇格しています。
郡司浩平選手がビッグレース初制覇となったのは2017年3月17日〜3月20日。高松競輪場にて開催された「ウィナーズカップ」(G2)でした。
2019年には9月13日〜9月16日に松阪競輪場にて開催された「共同通信社杯」(G2)を制しているんです!
また、2019年は獲得賞金ランキングで上位にランクインしていたことから、自身初のGPレース「KEIRINグランプリ」に出場した郡司浩平選手。
2019年に獲得賞金ランキング8位にランクインし2020年からは自身初のS級S班に昇格。
また、この頃にはビッグレース出場は常連となっていた郡司浩平選手は2020年に自身初のG1タイトルを獲得しています!
2020年11月18日〜11月22日に小倉競輪場にて開催された「競輪祭(競輪王)」(G1)で、郡司浩平選手は優勝しました!
成績は1,2,1,1,1だったぞ。
え!?もうちょっとでG1レース初制覇を完全優勝で決められていたんだね!
2021年には2月20日〜2月23日に川崎競輪場で開催された読売新聞社杯全日本選抜競輪で優勝!
2022年には、9月16日〜9月19日に名古屋競輪場で開催された共同通信社杯で自身2回目の優勝を完全優勝で制しています!
2023年はビッグレースで結果を残せず、2024年にS級1班へ降格してしまいました…。
ですが、冒頭でもお伝えしたように2024年2月9日〜2月12日に岐阜競輪場にて開催された読売新聞社杯全日本選抜競輪で優勝!
この結果、郡司浩平選手は2025年に再びS級S班への昇格を決めています!
そんな郡司浩平選手のこれまでのビッグレース出場歴と出場回数については下記のとおり。
- ヤンググランプリ1回(2013年)
- 読売新聞社杯全日本選抜競輪10回(2015年〜2024年)
- 共同通信社杯9回(2014年〜2016年、2018年〜2023年)
- 寛仁親王牌・世界選手権記念10回(2013年〜2023年)
- 日本選手権競輪9回(2015年〜2019年、2021年〜2023年)
- 高松宮記念杯競輪8回(2016年〜2023年)
- サマーナイトフェスティバル6回(2016年〜2017年、2020年〜2023年)
- オールスター競輪8回(2015年〜2020年、2022年〜2023年)
- 競輪祭(競輪王)(朝日新聞社杯競輪祭)9回(2015年〜2023年)
- ウィナーズカップ6回(2017年、2019年〜2023年)
上記の中で優勝を経験しているレースは下記のとおりです。
- 2017年3月17日〜3月20日高松競輪場開催「ウィナーズカップ」(G2)
- 2019年9月13日〜9月16日松阪競輪場開催「共同通信社杯」(G2)
- 2021年2月20日〜2月23日川崎競輪場開催「読売新聞社杯全日本選抜競輪」(G1)
- 2022年9月16日〜9月19日名古屋競輪場開催「共同通信社杯」(G2)
- 2024年2月9日〜2月12日岐阜競輪場開催「読売新聞社杯全日本選抜競輪」(G1)
そして、JKAからの表彰歴としては下記のとおり。
- 優秀選手賞2回(2020年〜2021年)
- ベストナイン3回(2020年〜2023年)
最後に節目の勝利数達成記録としては下記のとおりとなっています。
- 100勝…2014年7月30日松阪競輪場
- 200勝…2019年1月20日大宮競輪場
- 300勝…2022年4月9日平塚競輪場
落車・失格・怪我・斡旋停止の近況
郡司浩平選手は2023年の日本選手権競輪で落車し大怪我を負っていました…。2023年5月6日、平塚競輪場にて開催された「日本選手権競輪」(G1)の準決勝。
郡司浩平選手は9番車でレースに出場し、レースは残り1周半を告げる合図の打鐘が鳴ったとき、郡司浩平選手は後ろから2番目に位置取りしていました。
そこから、徐々にペースを上げていき一気に2番手まで上げてきたものの、残り半周ほどのところで2番車の清水裕友選手と交錯し郡司浩平選手は落車。
落車の後は立ち上がることができず、病院に緊急搬送されているぞ…。
レース終了後、病院に緊急搬送された郡司浩平選手は病院にて右肩甲骨の骨折、全治40日と診断されました。
その後、療養とリハビリを行い、約1ヶ月後の2023年6月13日〜6月18日に岸和田競輪場にて開催された「高松宮記念杯競輪」(G1)でレース復帰しています!
師匠・弟子
郡司浩平選手の師匠は自身の父親で競輪選手として活躍していた郡司盛夫さんを挙げています。
郡司盛夫さんは競輪学校50期生で、現役時代はA級3班に在籍し息子の郡司浩平選手と同じ日本競輪選手会神奈川支部としていました。
幼い頃から競輪選手として活躍していた郡司盛夫さんの姿をスタンドで目の当たりにしていた郡司浩平選手。
後述でもしますが、小中高と野球部に所属し野球に熱を注いできた郡司浩平選手は高校3年生の春の進路希望では父親と同じく競輪選手もしくは警察官になることを志望していました。
この頃から野球部として活動する傍らで郡司浩平選手は郡司盛夫さんに、
と相談します。すると、郡司盛夫さんは、
と伝えます。その後、郡司盛夫さんは自身のトレーニングの合間に息子の郡司浩平選手の練習を見ていました。
そして、高校3年生の夏の大会が終わり、将来の目標を失っていた郡司浩平選手は以前から志望していた競輪選手になることを志します。
野球部を卒部した翌日に郡司浩平選手は郡司盛夫さんと誓約書を交わし、正式に師弟関係を結び、親子としてだけでなく師弟関係でここまで切磋琢磨してきていたことがわかりました。
親子で師弟関係を結んで競輪選手になるのはかっこいいね!
一方で弟子についてはプロフィールが記載されているKEIRIN.JPには記載されていませんでした。
郡司浩平選手の㊙情報
ここまで郡司浩平選手の競輪選手としての経歴や成績などについて紹介してきました。
ここからは郡司浩平選手のプライベートや過去、学生時代などについて詳しく見ていきましょう。
出身はどこ?
郡司浩平選手の出身は神奈川県横浜市出身であることがわかりました!
前述でもしましたが、父親の郡司盛夫さんが日本競輪選手会神奈川支部に在籍していたことから郡司浩平選手も神奈川県で生まれ育っているんですね。
小中高と神奈川県横浜市の学校に通った後に競輪学校に進学したため、一度は神奈川県を離れた郡司浩平選手。
ですが、競輪学校を卒業後に日本競輪選手会神奈川支部に在籍となったので人生のほとんどを神奈川県で過ごしているのではないでしょうか。
学生時代はどんな人?
前述でもしたように、郡司浩平選手は学生時代は野球に熱を注いでいました。
小学校で野球を始めた郡司浩平選手は小学校時代にリトルリーグのチームに所属。在籍中にはリトルリーグの全国大会で優勝を経験するなど強豪チームに所属していたんですね。
そして、中学校でも野球部に所属していた郡司浩平選手は中学校を卒業後に地元神奈川県横浜市の横浜市立横浜商業高等学校に進学。
横浜市立横浜商業高等学校でも野球部に所属していた郡司浩平選手は日々の練習と努力を積み重ね、3年生のときには外野手としてレギュラーを獲得しています!
ですが、高校生活3年間で甲子園に出場する夢は叶わず、高校3年生の夏の大会では惜しくもベスト8で敗退。
そして、前述のとおり野球部で活動していた傍らで競輪の練習をしていて、野球部を卒部した翌日に競輪選手への道を本格的に歩み始めました。
結婚はしている?
郡司浩平選手は2024年2月時点では結婚しているという情報はありません。
また、以前にインタビューにて、
と発言していたことがわかっています。そのため、郡司浩平選手は結婚していないでしょう。
しかし、これだけ実力のある選手なので情報がないだけで交際相手がいる可能性もあります。
そして、年内のどこかで結婚を発表するなんて日もくるかもしれませんね。
獲得賞金・年収はどれくらい?
郡司浩平選手はどのくらいの賞金を獲得しているのでしょうか。直近5年間の郡司浩平選手の獲得賞金とランキングについては下記の表をご覧ください。
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2019年 | 75,206,400円 | 8位 |
2020年 | 95,792,000円 | 4位 |
2021年 | 129,529,200円 | 3位 |
2022年 | 128,883,600円 | 4位 |
2023年 | 66,368,400円 | 15位 |
2024年2月時点 | 52,240,774円 | 1位 |
2019年に75,206,400円を獲得し獲得賞金ランキングで8位になった郡司浩平選手は、自身初のS級S班に在籍となりました。
その後、2020年〜2022年までは獲得賞金ランキングでは上位をキープ。2023年に15位となってしまったため、S級1班へと降格となっていますが、2024年2月時点で獲得賞金ランキング1位となっています!
また、郡司浩平選手は2021年に新型コロナウイルス感染症対策で川崎市に100万円と病院に獲得賞金の一部を寄付していました!
2021年2月20日〜23日に川崎競輪場で開催された読売新聞社杯全日本選抜競輪に出場し、優勝した郡司浩平選手。
そのレースで獲得した金額の一部を寄付しているんです。まず、川崎市には100万円を寄付。
そして、深谷知広選手、和田健太郎選手のJKA南関東支部に在籍し全日本選抜競輪の決勝に出場していた選手とともに合計100万円を「医療法人社団 慶友会第一病院」に寄付しています!
郡司浩平選手は、
とコメント。
寄付金額は、
- 郡司浩平選手…50万円
- 和田健太郎選手…30万円
- 深谷知広選手…20万円
となっています。
素敵すぎて涙が出てくるよ…。
郡司浩平選手のSNS
日本競輪選手会に在籍する競輪選手の多くが自身のSNSアカウントを立ち上げて、日々の出来事や自身が出場するレースの意気込みと感謝のコメントを公開しています。
そこで、郡司浩平選手はSNSアカウントを開設しているのかどうかについて調査してみました。
郡司浩平選手のInstagramは2024年2月現在で501人のフォロワーがいます。
ですが、上記の画像を見てもわかるように、郡司浩平選手のInstagramは一般には公開しておらず郡司浩平選手が許可したユーザーしか見られない限定公開となっているんです。
そのため、投稿が65件と更新はされていますが、どのような投稿がされているのかというところまではわかりませんでした。
X(旧Twitter)
郡司浩平選手のXですが、2011年3月からアカウントを開設されています。ですが、2024年2月現在ポストは非公開となっていることがわかりました。
そのため、郡司浩平選手はInstagram同様にXのアカウントは開設しているものの、郡司浩平選手が許可したユーザーしか見られない設定にしています。
一方で、X上では郡司浩平選手のことに対するポストがいくつか見られました。
このように、郡司浩平選手の筋肉に対するポストが多く見られます。
こちらが郡司浩平選手本人と思われるFacebookアカウントです。ですが、Facebookは投稿から基本データの入力がされていません。
写真だけ郡司浩平選手本人と思われる写真が使用されています。
そのため、郡司浩平選手はFacebookアカウントを開設したものの更新は一度もしていないのではないでしょうか。
ブログ
こちらが郡司浩平選手のブログです。「G-ライフ」というタイトルで2011年7月からブログを開設しています。
ブログでは、レースの意気込みや感想、プライベート情報などを公開中です。
ですが、最後に更新された記事は2012年12月26日なので11年以上新しい記事が更新されていないことがわかりました。
コメント
コメント一覧 (2件)
静岡G3は絶対郡司選手だと思ってた!おめでとう!
郡司選手強かったな!!