先日、野原雅也選手は29歳という若さで亡くなってしまったんだ…。
29歳で…。なぜ亡くなってしまったんだろう…。
2023年4月2日、野原雅也選手は2023年3月30日に亡くなっていたことが発表されています。突然の訃報に、競輪ファンのみならず話題になりました。
そこで、今回は野原雅也選手の競輪選手としての実績やプライベート情報、SNSなどについて詳しくまとめてみたので最後までご覧ください。
この記事でわかること
- 野原雅也選手の主な経歴
- 野原雅也選手の怪我・落車
- 野原雅也選手の師匠・弟子
- 野原雅也選手の㊙情報
- 野原雅也選手の出身地・学生時代
- 野原雅也選手の獲得賞金
- 野原雅也選手のSNS
- 競輪歴8年の26歳
- 成人した瞬間に車券を購入するキチガイ
- 過去に突っ込んだ累計額5000万以上(笑)
野原雅也選手の競輪プロフィール
S級1班に所属し、若いながらも実力があり将来有望だった野原雅也選手。そんな野原雅也選手の競輪プロフィールを紹介していきます。
主な経歴
野原雅也選手の主な経歴として、下記の内容に沿って紹介してきます。
- 競輪学校時代
- 初出場
- 初勝利
- 初優勝
- 級班歴
- 主なビッグレース出場歴
- 優勝回数
野原雅也選手は、2012年に競輪学校102期生として入所しました。
競輪学校時代の実技で行われたレースで、野原雅也選手は以下のような成績を挙げています。
- 1着…21回
- 2着…8回
- 3着…8回
- 着外…33回
上記の結果から、野原雅也選手は競輪学校内順位が9位で卒業。その後、日本競輪選手会福井支部に所属し、福井競輪場をホームバンクとして登録しました。
野原雅也選手が競輪選手としてデビューしたのは、2013年7月9日。ホームバンクの福井競輪場でのレース。
このレースで、野原雅也選手は初勝利と初優勝を同時に達成しています!
また、数々のレースで勝利を重ねてきた野原雅也選手は、2017年8月12日にいわき平競輪場にて開催されたレースで勝利し、通算100勝を達成。
そんな野原雅也選手の級班履歴としては、下記の表をご覧ください。
年度 | 級班 |
2013年後期 | A級3班 |
2013年後期 | A級2班 |
2014年前期 | S級2班 |
2015年後期 | S級1班 |
2016年前期 | S級2班 |
2016年後期 | S級1班 |
2017年後期 | S級2班 |
2018年前期 | S級1班 |
野原雅也選手は、ほとんどの競輪選手生活をS級1班に在籍していたことがわかりますね。
また、野原雅也選手は出場していたレースで好成績を残していたことから、優勝経験こそないものの、さまざまなビッグレースにも出場していた経歴を持ちます。
野原雅也選手が出場していた主なビッグレースについては下記のとおりです。
- ヤンググランプリ2回(2014年〜2015年)
- 共同通信社杯5回(2015年〜2016年、2018年〜2019年、2021年)
- オールスター競輪8回(2015年〜2022年)
- 寛仁親王牌競輪4回(2017年、2020年〜2022年)
- 朝日新聞社杯競輪祭1回(2017年)
- 読売新聞社杯全日本選抜競輪3回(2018年〜2019年、2022年)
- 日本選手権競輪3回(2018年、2021年〜2022年)
- オールスター競輪5回(2018年〜2022年)
- サマーナイトフェスティバル3回(2019年〜2021年)
- ウィナーズカップ1回(2020年)
- 高松宮記念競輪3回(2020年〜2022年)
- 競輪祭3回(2020年〜2022年)
そして、各グレード別の優勝回数についてもまとめてみました。
- F2…9回
- F1…11回
- G3…2回
落車・失格・怪我まとめ
野原雅也選手は、最後のレースとなった2023年3月9日のレースで落車失格となっています…。2023年3月9日、名古屋競輪場にて開催された「日刊スポーツ杯・S名古屋カップ」(F1)に出場した野原雅也選手。
レース残り2周の時点で先頭にいた野原雅也選手は、後方から追い込みをかける1番車の和田健太郎選手と交錯し、落車してしまいます。
この結果、野原雅也選手は斜行で失格となってしまいました。
この落車の影響で、2023年3月18日に出場が予定されていた別府競輪場開催の「ウィナーズカップ」(G2)を欠場しています。
師匠・弟子
野原雅也選手は師匠に野原哲也さんを挙げています。
野原哲也さんは、野原雅也選手の父親で2012年10月まで現役選手として活躍。
また、野原哲也さんは野原雅也選手を幼い頃から競輪選手になった後もスパルタで育て上げたともいわれています。
そんな野原哲也さんですが、息子野原雅也さんの結婚式では感極まり、最後のあいさつでは号泣していました。
息子思いのいい父親だね!
一方で野原雅也選手の弟子については記載されていませんでした。
野原雅也選手の㊙情報
野原雅也選手は、競輪選手以外の部分ではどのような人だったのでしょうか。ここからは、野原雅也選手の学生時代やプライベートなどについて見ていきましょう。
出身はどこ?
野原雅也選手の出身は福井県であることがわかりました。
前述でもした師匠であり父親の野原哲也さんが日本競輪選手会福井支部で活躍していたこともあり、野原雅也選手も福井県で生まれ育ち、競輪選手としても福井支部に在籍。
ほとんどの人生を福井県で過ごしていたことがわかりますね。
学生時代はどんな人?
学生時代の野原雅也選手は、競輪には興味はあまりなく、中学校時代までは野球をしていました。
その後、福井県の福井県立春江工業高等学校に進学。
福井県立春江高等学校では、中学時代に所属していた野球部ではなく、自転車競技部に所属し、父親の野原哲也さんと同じ道を歩み始めます。
そして、福井県立春江高等学校在籍時に競輪学校の技能試験に合格し、高校を卒業後は競輪学校に入所していました。
獲得賞金・年収はどれくらい?
野原雅也選手は2021年に獲得賞金ランキングで34位と、ランキング上位にランクインしたことがあります。
その際、獲得賞金は3178万7900円だったことがわかりました。
また、野原雅也選手はS級1班に長らく在籍していて、S級1班に在籍している競輪選手の年収の平均は1500万円〜3000万円ほどといわれています。
夢があるなあ!
そのため、野原雅也選手は少なくとも1500万円以上は毎年稼いでいたことがわかりますね。
小川美咲と結婚している!
野原雅也選手は、元ガールズケイリン選手で106期の小川美咲さんと結婚しています!
小川美咲さんは2014年に日本競輪選手会静岡支部で競輪選手としてデビューし、実力がありルックスもよく、競輪ファンから人気を集めていた選手でした。
そんな小川美咲さんと野原雅也選手は、2016年11月14日に結婚と妊娠を発表しています。
そして、2017年5月17日に第一子の長女を出産し当初はレースに復帰を予定していたものの、野原雅也選手が落車で大怪我を負ったことがきっかけとなり、小川美咲さんは家庭を優先。
そして、2018年12月15日に現役引退を表明し、2019年1月15日にガールズケイリン選手として引退しています。
2020年4月6日には第二子となる長男を出産し、夫の野原雅也選手を側で支えながら、長女・長男の育児に専念していたことがわかりました。
父は元競輪選手!
前述でもしましたが、野原雅也選手の父親は元競輪選手で51期の野原哲也さんです!野原哲也さんは、1983年4月14日に大津競輪場でデビューして初勝利を挙げています。
野原哲也さんは通算で375勝という実績を残し、在籍していた日本競輪選手会福井支部では、選手会会長も務めていました。
また、数々のビッグレースにも出場しており、主なビッグレース出場歴と回数については下記のとおりです。
- オールスター競輪15回(1984年〜1989年、1991年〜1999年)
- 寛仁親王牌競輪2回(1994年〜1995年)
- 朝日新聞社杯競輪祭5回(1984年〜1988年)
- 読売新聞社杯全日本選抜競輪11回(1985年〜1994年、1996年)
- 日本選手権競輪15回(1984年、1987年〜2000年)
- オールスター競輪15回(1984年〜1989年、1991年〜1999年)
- 共同通信社杯2回(1997年〜1998年)
- 世界選記念1回(1990年)
- 高松宮記念競輪15回(1985年〜1996年、1998年〜2000年)
- 競輪祭9回(1989年〜1997年)
- ふるさとダービー12回(1990年〜1996年、1998年、2000年〜2001年)
また、野原哲也さんは、野原雅也選手の他にも、
- 市田佳寿浩選手
- 北川紋部選手
- 後藤純平選手
などといった数多くの選手を育て上げています。
野原雅也選手のSNS
競輪選手の多くはSNSアカウントを開設している選手も多くいます。
そして、SNSアカウントを通じて自身が出場するレースの宣伝や意気込み、感想などといった競輪に関する情報はもちろん。
その他にもプライベート写真などを公開する選手も多いです。そこで、野原雅也選手はSNSを開設しているのかどうかについて調べてみました。
インスタ
野原雅也選手のインスタですが、野原雅也選手自身のものと思われるアカウントは発見できませんでした。
ですが、野原雅也選手の写真を投稿するアカウントも多く存在しています。
ツイッター
野原雅也選手のツイッターは、インスタ同様に野原雅也選手本人と思われるアカウントは発見できませんでした。
しかし、ツイッターでも野原雅也選手について投稿するアカウントも多いことが見受けられます。
野原雅也選手のFacebookアカウントについてですが、本人が開設したと思われるアカウントは発見できませんでした。
そのため、おそらく野原雅也選手はFacebookのアカウントは持っていないのではないでしょうか。
野原雅也選手が死去…。
冒頭でもお伝えしましたが、2023年4月2日。2023年3月30日に野原雅也選手が亡くなっていたことが、各メディアから明らかになりました。
そこで、ここからは野原雅也選手の競輪選手としての最後やネット上の反応について紹介していきます。
最後のレース
野原雅也選手の最後のレースとなったのは、前述の落車でも紹介した2023年3月9日。名古屋競輪場にて開催された「日刊スポーツ杯・S名古屋カップ」(F1)です。
上記のレースで落車と同時に失格となってしまった野原雅也選手。
このレースの11日後の2023年3月18日に開催された、別府競輪場開催「ウィナーズカップ」(G2)にも野原雅也選手は出場が予定されていましたが、負傷欠場となっていました。
死因は?
野原雅也選手の死因については、2023年4月4日時点では各メディアからは公表されておらず、明らかになっていません。
ですが、ネット上では野原雅也選手の死因について、
- 落車の影響
- ワクチン接種(コロナワクチン)による突然死
- 自殺
などといったように、さまざまな噂が飛び交っていることがわかりました。
また、とある情報で野原雅也選手は落車後も練習を行っていた姿が発見されています。さらに野原雅也選手は、
と言い残し、一人で20時頃に競輪場へ向かっていったという情報も。そして、最近のレースでは、病気欠場や不参加が多かった野原雅也選手。
ネット上の多くの意見としては、精神的に問題があって自殺した可能性が高いともいわれていることがわかりました。
SNSでの反応
野原雅也選手の死にSNSではどのような反応が多かったのかについて紹介していきます。
このように、突然の死にショックを受ける方も多くいることがわかりました。
また、
29歳と年齢的にもまだまだ若かったことから、これからの成長に期待していた方や野原雅也選手の競輪スタイルが好きだったという競輪ファンも多いことがわかりました。
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