兵庫支部の白石健選手が電撃引退!2年2か月ぶりの復帰戦から全斡旋削除までの経緯・引退理由・過去に起こした3度の不正と出場停止処分まで徹底調査!!

2024年10月3日、第45代本栖チャンピオン・白石 健選手(兵庫・80期)が、2年2か月ぶりに実戦復帰を果たすことが報じられました。

**10月25日追記**
約2年2年2か月ぶりの復帰戦として注目された、2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レース。
白石 健選手はこのレースで長期間のブランクを感じさせないほどの見事なレースで2着を獲得し、実戦復帰を果たしましたが、このシリーズを初日に1走したのみで途中帰郷
また、このレース以降はレースに出場せず、欠場が続いています

**12月23日追記**
2024年12月23日、白石 健選手に入っていた斡旋が、再びすべて削除されたことが明らかになりました。
この日までに削除された斡旋は、2024年12月24日~29日まで尼崎競艇場で開催される「日本財団会長杯 歳忘れ 第37回 今年もありがとう競走」と、2025年1月11日~16日まで宮島競艇場で開催される「第5回 週刊大衆杯」の2つのシリーズです。
この斡旋削除により、白石 健選手に入っている斡旋は1つもなくなったとともに、今後の動向に注目があつまります。

**12月27日追記**
2024年12月27日、SGにも出場歴のあるベテランレーサーの白石 健選手のBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除されたことが明らかになりました。
一方で、ボートレース尼崎の兵庫支部所属選手一覧では情報の閲覧ができる状態が続いています。
現在まで引退報道はなされていませんが、引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、こちらについても引退が理由であれば、近日中に削除される見込みです。

**12月29日追記**
2024年12月29日、10月25日の復帰戦以降は欠場が続き、先日選手登録を削除されたことが判明した白石 健選手が、12月24日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。
白石 健選手については、プロフィール写真もすでに最新版に更新されていたことから、復帰戦を走るまでは選手生活を続ける意向だったことがわかります。
そのため、結果として“引退”という決断に至ったことについては「ご本人も復帰戦が行われた10月25日まで予期していなかった」と考えるのが妥当でしょう。
結果として、復帰戦となった2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースが現役最後のレースになりました。

2024年10月25日~30日に津競艇場で開催される「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」。
このレースで白石 健選手(兵庫支部・80期)が2022年8月に唐津競艇場で開催された「一般・第10回 サッポロビールカップ」以来、約2年2か月ぶりの実戦復帰を果たすことが報じられました。

白石 健選手といえば、即効力が魅力の人気レーサー。
1999年の初優勝から2022年まで、24年間途切れることなく79回の優勝を積み上げた“一般戦の鬼”とも称されます。

2022年8月からの負傷による長期欠場で、一時は引退説がささやかれたこともありましたが、長いことA1級として競艇界のトップで活躍してきた選手の戦線離脱とあり、欠場期間中も白石 健選手の復帰を望む声は多く聞かれていました。
ファンの期待を背負い戻ってくる津競艇場の水面。
これからどのような活躍を見せてくれるのかがとても楽しみですね。

ここでは、これからさらに活躍すること間違いなしの白石 健選手について、基本情報・長期欠場の理由と疑惑・過去戦績・師匠と弟子・同期の注目選手・獲得賞金・SNSの反応・過去に起こしていた3度の不正と出場停止処分まで、どこよりも詳しくご紹介していきますので、ぜひ最後までご覧ください。

**10月25日追記**
約2年2年2か月ぶりの復帰戦として注目された、2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レース。
白石 健選手はこのレースで長期間のブランクを感じさせないほどの見事なレースで2着を獲得し、実戦復帰を果たしましたが、このシリーズを初日に1走したのみで途中帰郷
また、このレース以降はレースに出場せず、欠場が続いています

出典:BOAT RACE公式サイト

**12月23日追記**
2024年12月23日、白石 健選手に入っていた斡旋が、再びすべて削除されたことが明らかになりました。
この日までに削除された斡旋は、2024年12月24日~29日まで尼崎競艇場で開催される「日本財団会長杯 歳忘れ 第37回 今年もありがとう競走」と、2025年1月11日~16日まで宮島競艇場で開催される「第5回 週刊大衆杯」の2つのシリーズです。
この斡旋削除により、白石 健選手に入っている斡旋は1つもなくなったとともに、今後の動向に注目があつまります。

出典:BOAT RACE公式サイト

**12月27日追記**
2024年12月27日、SGにも出場歴のあるベテランレーサーの白石 健選手のBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除されたことが明らかになりました。
一方で、ボートレース尼崎の兵庫支部所属選手一覧では情報の閲覧ができる状態が続いています。
現在まで引退報道はなされていませんが、引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、こちらについても引退が理由であれば、近日中に削除される見込みです。

出典:BOATRACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
出典:ボートレース尼崎official Site
出典:ボートレース尼崎official Site

**12月29日追記**
2024年12月29日、10月25日の復帰戦以降は欠場が続き、先日選手登録を削除されたことが判明した白石 健選手が、12月24日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

白石 健選手については、プロフィール写真もすでに最新版に更新されていたことから、復帰戦を走るまでは選手生活を続ける意向だったことがわかります。
そのため、結果として“引退”という決断に至ったことについては「ご本人も復帰戦が行われた10月25日まで予期していなかった」と考えるのが妥当でしょう。
結果として、復帰戦となった2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースが現役最後のレースになりました。

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目次

白石 健選手の復帰戦が決まる(=現役最後のラストレース)

白石 健の復帰戦は、2024年10月25日
10月25日~30日に津競艇場で開催される「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日だと推測されます。

長期欠場の前はA1級の実力を持ち、SG競争にも出場するほどの有力者であったため、復帰戦でも横断幕が上がって、たくさんの応援が白石 健選手に届くことでしょう。

久しぶりのレースなので、緊張もあると思いますが、まずは「無事故完走」で1日も早く“レースの勘”を取り戻してくれることに期待したいですね。

出典:BOAT RACE公式サイト

白石 健選手の実戦復帰に対するSNSの反応

白石 健選手の2年2か月ぶりの実戦復帰に際して、SNS上にはどのような投稿があったのでしょうか。
おかえり、シラケン!待ってたよ!」「もうむちゃくちゃうれしいです!」「やっと水面に帰ってくるか!」といった温かいメッセージが多数投稿されていました。

ここでは、実戦復帰が報じられたことで「復帰を心待ちにするファン声」と、長期休暇に入ってから一向に水面に戻る気配がない「白石 健選手の身を案ずる声」をご紹介します。

実戦復帰が公表されてからの反応は?

白石 健選手の「2年2か月ぶりの実戦復帰」を受けて、SNSにはどのような声があがったのでしょうか?

手首のケガを理由にしての2年2か月の長期欠場はさすがに長すぎると感じるファンが多く、この欠場には“何かほかの理由があるはず”と考える声が多く聞かれました。

ほとんどのファンが“喜び”や“歓迎”の声で迎える姿勢がとても温かく感じました。
投稿の一部を抜粋してご紹介します。

特に注目してほしい投稿

ここで紹介する2件の投稿は特に復帰を歓迎する様子が如実に表れています。
白石 健選手の再出発を後押しする内容が投稿されていたのが印象的でした。

長期欠場の理由を勘繰る声

後述しますが、白井 健選手は過去に複数回に及ぶ整備規程違反で出場停止処分を科されたことがあります。
そのような前科を踏まえての投稿と思われる投稿がいくつかありましたのでご紹介します。

長期欠場中に投稿されたSNSの反応は?

白石 健選手の「2年2か月におよぶ長期欠場」を受けて、SNSにはどのような声があがったのでしょうか?

はじめは、いつになっても斡旋が入らない状況を心配して、『長期欠場の理由を知りたい』という声からはじまり、欠場期間が長くなるにつれて『早く戻ってきてほしい』といった復帰を望む声が多くなっています。

このことから、白石 健選手が多くのファンから愛されていることがわかりますね。
その一部を抜粋してご紹介します。

長期欠場からの復帰を待ち望む声

【12月29日追記あり】白石 健選手の復帰戦(=現役最後のラストレース)

2024年10月25日、白石 健選手は2024年10月25日~30日まで津競艇場で開催された一般戦「スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースで実戦復帰を果たし、結果としてこのレースが現役最後のラストレースになりました。

このシリーズは、2022年8月に唐津競艇場で開催された「一般・第10回 サッポロビールカップ」以来、長年悩まされてきた“手首のケガの悪化”による欠場を余儀なくされた白石 健選手にとって約2年2か月ぶりの実戦。

津競艇場の企画レース・5(ゴ)ールドレースということで「1号艇にA級選手、他B級選手」が配置される番組編成で、福岡支部所属のA1級・松崎 祐太郎選手のイン戦でした。

レースは6号艇・大外6コースからの進入で、“復帰戦で一つでも良い結果をおさめて波に乗りたい”という気持ちを胸に臨んだ一般戦。

2年以上にも及ぶ長期間をレースから離れていた白石 健選手でしたが、さすがは“一般戦の鬼”とも称され、1999年の初優勝から2022年まで24年間途切れることなく79回の優勝を積み上げたほどのトップレーサーだけあり、6号艇からの出走と言えども単勝オッズは4.8倍で3番人気

さらに3連単のオッズでは、人気トップ3の買い目がいずれも“松崎 祐太郎選手が1着”と予想しており、観客からは「さすがの白石 健選手でも初戦から連に絡む活躍はむずかしいだろう」と判断していたことがわかります。

長期欠場前であれば、勝率も成績もトップだったはずのメンバーの中で、出走選手全員が自分よりも勝率が高いという状況でしたが、白石 健選手の実力は衰えていませんでした

コンマ17のやや慎重なスタートから、スリットを先行しようとするも、逃げでインコースを守り切った松崎 祐太郎選手に阻まれて2着に終わり、復帰戦で久々の勝ち星を手にすることはかなわず。
それでもしっかりと舟券に貢献する活躍を見せてくれました。

このレースの3連単126は18番人気の3,630円(36.3倍)でした。
実力ナンバーワンの松崎 祐太郎選手に迫る猛追を見せて、白石 健選手の復活を観客に印象付けたのです。

デビューから27年5か月を迎えたラストレースでも、これまでの選手生活と同様にファンの期待に応えて、見事にファンの期待にこたえることができたのは、欠場中も練習に励み、技術を磨き続けた賜物でしょう。

**10月25日追記**
約2年2年2か月ぶりの復帰戦として注目された、2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レース。
白石 健選手はこのレースで長期間のブランクを感じさせないほどの見事なレースで2着を獲得し、実戦復帰を果たしましたが、このシリーズを初日に1走したのみで途中帰郷
また、このレース以降はレースに出場せず、欠場が続いています

出典:BOAT RACE公式サイト

**12月27日追記**
2024年12月27日、SGにも出場歴のあるベテランレーサーの白石 健選手のBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除されたことが明らかになりました。
一方で、ボートレース尼崎の兵庫支部所属選手一覧では情報の閲覧ができる状態が続いています。
現在まで引退報道はなされていませんが、引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、こちらについても引退が理由であれば、近日中に削除される見込みです。

出典:BOATRACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
出典:ボートレース尼崎official Site
出典:ボートレース尼崎official Site

**12月29日追記**
2024年12月29日、10月25日の復帰戦以降は欠場が続き、先日選手登録を削除されたことが判明した白石 健選手が、12月24日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

白石 健選手については、プロフィール写真もすでに最新版に更新されていたことから、復帰戦を走るまでは選手生活を続ける意向だったことがわかります。
そのため、結果として“引退”という決断に至ったことについては「ご本人も復帰戦が行われた10月25日まで予期していなかった」と考えるのが妥当でしょう。
結果として、復帰戦となった2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースが現役最後のレースになりました。

出走表

出典:BOAT RACE公式サイト

単勝オッズ

枠番級別選手名単勝オッズ
1A1松崎 祐太郎1.6倍
2B1堂原  洋史3.0倍
3B1崎   利仁24.1倍
4B1安田  吉宏15.0倍
5B1土山  卓也12.0倍
6B2白石   健4.8倍

3連単オッズ

買い目(人気順)オッズ(倍)
125(1番人気)7.6
152(2番人気)10.1
124(3番人気)10.2
145(4番人気)13.0
123(5番人気)14.3
142(6番人気)15.1
135(7番人気)15.2

レース結果

出典:BOAT RACE公式サイト

【12月23日追記】白石 健選手の斡旋がすべて削除される

2024年12月23日、白石 健選手に入っていた斡旋が、再びすべて削除されたことが明らかになりました。

この日までに削除された斡旋は、2024年12月24日~29日まで尼崎競艇場で開催される「日本財団会長杯 歳忘れ 第37回 今年もありがとう競走」と、2025年1月11日~16日まで宮島競艇場で開催される「第5回 週刊大衆杯」の2つのシリーズです。

この斡旋削除により、白石 健選手に入っている斡旋は1つもなくなったとともに、今後の動向に注目があつまります。

出典:BOAT RACE公式サイト

途中帰郷の約2か月後、当時入っていた2件の斡旋をすべて削除しています。

10月25日の復帰戦以降はレースに出場せず、欠場が続いていたこともあって、「長年悩まされてきた“手首のケガ”が原因でこのまま引退してしまうのか?」それとも「再び復帰を目指すのか?」に注目が集まっている状況です。

白石 健選手が12月22日に削除した2件の斡旋は次のとおりです。

  • 2024年12月24日~29日まで尼崎競艇場で開催される「一般・日本財団会長杯 歳忘れ 第37回 今年もありがとう競走」
  • 2025年1月11日~16日まで宮島競艇場で開催される「一般・第5回 週刊大衆杯」
2024年12月23日に確認できた白石 健選手のBOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ

【12月27日追記】白石 健選手の選手プロフィールページが削除される

2024年12月27日、白石 健選手のBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除されたことが明らかになりました。

一方で、ボートレース尼崎の兵庫支部所属選手一覧では情報の閲覧ができる状態が続いています。
現在まで引退報道はなされていませんが、引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、こちらについても引退が理由であれば、近日中に削除される見込みです。

出典:BOATRACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
出典:ボートレース尼崎official Site
出典:ボートレース尼崎official Site

復帰戦後にふたたび斡旋が削除されたことに対するファンの反応

白石 健選手の復帰戦が決まった当時、ファンの間では喜びと歓迎の声が聞かれていました。
そして実際に復帰戦でその走りを見て、これからの走りに期待が大きくなった矢先、突然の途中帰郷により、ファンの中には嫌な予感を感じた方もいたはずです。
残念なことに、その予感は現実となってしまいました。
10月25日の復帰戦以降、白石 健選手はすべてのシリーズを欠場すると、12月22日にすべての斡旋を削除。
その5日後である12月27日には、BOAT RACE公式サイト内のプロフィール情報が確認できない状態となりました。

この一連の動向に際して、ファンからはどのような反応があり、どのような声が寄せられたのでしょうか?
意外にも反応は薄く、あまり喜ばしくない状況にとりあえず様子見といった様子が見て取れました。

反応の一部を抜粋してご紹介します。

【12月29日追記】白石 健選手の引退が報じられる

2024年12月29日、白石 健選手が12月24日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

10月25日の復帰戦では1走したのみで途中帰郷。
それ以降は欠場が続いていたことと、2日前に選手登録を削除されたことが判明していたことから、近日中の引退報道は覚悟していましたが、こんなに早く「Yahoo!JAPANニュース」で報じられたことで、年末のボートレース界に衝撃が走っています。

10月25日に2年2か月ぶりの復帰戦が決まったことで、白石 健選手のファンにとってはまた活躍する“シラケン”の走りが見られるという喜びが広がったことでしょう。

実際、復帰戦では2年2か月ぶりのレースでありながらも2着という好成績で舟券に貢献して、衰えていない実力を披露しましたが、1走のみで途中帰郷という予想だにしない結末となり、その後は欠場が続いた後の斡旋全削除。

そして、12月27日には突然、白石 健選手の情報がBOAT RACEオフィシャルサイトから削除されたことが判明していました。

復帰戦で魅せた“一般戦の鬼”の片鱗と、現役のトップレーサーとしてまだ走り続けられるだけの実力がありながら、どうして白石 健選手は“引退”をいう決断を選択するに至ったのでしょうか?

あくまで私の個人的な推測になりますが、白石 健選手はプロフィール写真もすでに最新版に更新されていたことから、復帰戦を走るまでは選手生活を続ける意向だったと推測できます

そのため、結果として“引退”という決断に至ったことについては「ご本人も復帰戦が行われた10月25日まで予期していなかった」と考えるのが妥当でしょう。

結果として、復帰戦となった2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースが現役最後のレースになりました。

【ボートレース】兵庫支部の白石健が引退

12/29(日) 18:38配信

引退した白石健

ボートレーサーの白石健(47)=兵庫=が引退していたことが29日、分かった。24日に日本モーターボート競走会に引退届けを提出した。
 白石は1997年5月、尼崎・一般戦で80期としてデビュー。1997年6月、児島・一般戦で初1着。1998年8月、多摩川・一般戦で初優出。1999年4月、多摩川・一般戦で初優勝。通算262優出79V。通算1957勝。生涯獲得賞金は6億9434万3988円。2024年10月25日の津・一般戦、初日5Rの2着がラストレースとなった。

引用元:【ボートレース】兵庫支部の白石健が引退(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

記事に寄せられたコメント

報道はいたってシンプルなものでしたが、80期で数々の偉業を成してきたベテランレーサーが引退を決めたとあって、『長年の活躍を労うあたたかい声』や『引退を残念がる声』、過去の不正から『引退を当然とする厳しい意見』、そのほかにも『引退理由に言及する声』が聞かれました。

寄せられたコメントの数は40件を超えており、私が今まで調査した引退選手の中で過去最多となっており、それだけ白石 健選手が注目を集める人気選手であったことがわかります。

長年の活躍を労うあたたかい声

なんか懐かしい。存在を忘れてたけど一時期はSGでも活躍してたね。 白石の若い頃はベテラン勢が内側コースを取りにくるから、4カド、5カドで勝負の出来る白石はけっこう買ってたなぁ。 大けがもあって不完全燃焼かもしれないけど、お疲れ様でした。

しらけん、引退か。
内規違反の常習犯、斡旋停止も多かった。
ただ、イン戦での確勝も多く、かつ捲りのレーススタイルが好きで舟券購入に絡ませてもらってました。G1、SGのタイトル戦が取れなかったのが不思議な選手です。

1着以外は負け。そんな選手でしたね。勝つためには手段を選ばない、何がなんでも勝ちたい。そんな選手が八百長なんかしないけどね。

ラーメンイケメン僕シラケン!と言っていた頃が懐かしい。
お疲れ様でした。

引退を残念がる声

あの1走は自分なりのけじめだったのかそれともファンにむけてだったのかな。
最後の走りみたけど全然まだまだやれると思ったし復帰を楽しみにしてたんだがなぁ。

シラケン、好きだったけどな
大怪我して復帰に向けた訓練の動画でも若手に親身にアドバイスしてた

あのラスト1走の追い上げ見てたらまだまだやれそうだけどなぁ。

シラケン、津が復帰戦かと思ったら引退レースだったのか。。
残念ですね。

魚屋に続いて『シラケん』も?
寂しいわぁ〜

引退を当然とする厳しい意見

ダンボール白石、待機行動整備 白石知らない人は検索してみてくれ
この人が辞めなければ業界の健全化はないよ。
やめても同情はしない。

ダンボールしらけん引退かい。待機行動中にスパナ持ってモーター調整始めたのには笑った。怪しいので絶対に買わなかった選手。

普通に考えて引退させられたんやろな。
綱紀粛正やろ。 最近は施行者含めて不祥事多すぎたから。

段ボールにスパナ、クビにならなかったのが不思議。

お、ヤオケンちゃんと引退表明してくれたか、良かった良かった
白か黒か真偽は知らんけど、疑いたくなる様な選手な時点で出てこんでええよほんまに

引退理由に言及する声

色々言われてたかもしれんが、結局のところケガの影響があまりにも大きかったかもしれませんね、2年間のブランクだとかなり厳しいでしょう、お疲れ様でした

手首のケガが最後まで完治しなかったか。
復帰後のレース見る感じまだまだやれるとは思ったけど、往年の力を取り戻すのは難しいように映ったしな。
典型的な一般戦の鬼で、記念クラスになると戦えない選手だったけど気風の良い走りをするレーサーで大好きだったなぁ
例の件も住之江では認められてるモーターの角度を変えるライナーってのを、禁止されてる他の場で段ボールをライナー代わりにして使ってたらバレて出場停止になったが、そもそも他の選手もやってたのを白石1人がスケープゴートにされたって話だし、色々持ってない選手でもあった。
弟子の加藤翔馬は師匠と似ても似つかぬレーススタイルだが、才能はあるので師匠の取れなかった記念を取って欲しい。
てか白石レベルの選手でも6億弱しか稼げないんだな

※まとめ【12月29日追記あり】白石 健選手の長期欠場から引退までの時系列

長期欠場・復帰戦・途中帰郷・全斡旋削除から引退が報じられるまでの経緯をわかりやすく時系列にまとめましたのでご覧ください。

STEP
2022年8月28日

唐津競艇場で開催された「一般・第10回 サッポロビールカップ」に出場するも、シリーズ初日の第12レース・ドリーム戦後に長年悩まされてきた“手首のケガの悪化”により、“私傷病”のため途中帰郷

STEP
【10月25日追記】2024年10月25日(最初の途中帰郷から約2年2か月後)

10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースで実戦復帰を果たすも、このシリーズを初日に1走したのみで途中帰郷
また、このレース以降はレースに出場せず、欠場が続いています

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【12月23日追記】2024年12月22日(復帰戦から約2か月後)

当時入っていた直近の「一般・日本財団会長杯 歳忘れ 第37回 今年もありがとう競走」と2025年1月の「一般・第5回 週刊大衆杯」の斡旋が削除される。

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【12月27日追記】2024年12月27日(斡旋をすべて削除してから5日後)

白石 健選手のBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除される。
一方で、ボートレース宮島の兵庫支部所属選手一覧では情報の閲覧ができる状態が続いている。
現在まで引退報道はなされていませんが、引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、こちらについても引退が理由であれば、近日中に削除される見込みです。

STEP
【12月29日追記】2024年12月29日(斡旋をすべて削除してから7日後)

すべての斡旋を削除してから2日後の12月29日、白石 健選手の引退が報じられました。
白石 健選手については、プロフィール写真もすでに最新版に更新されていたことから、復帰戦を走るまでは選手生活を続ける意向だったことがわかります。
そのため、結果として“引退”という決断に至ったことについては「ご本人も復帰戦が行われた10月25日まで予期していなかった」と考えるのが妥当でしょう。
結果として、復帰戦となった2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースが現役最後のレースになりました。

2022年8月28日:「第10回 サッポロビールカップ」初日に途中帰郷

白石 健選手は、2022年8月の唐津競艇場「一般・第10回 サッポロビールカップ」初日の第12レース・ドリーム戦を最後に、長年悩まされてきた“手首のケガの悪化”により途中帰郷しています。

その後は長期欠場を余儀なくされると、約2年2か月間にわたって実戦復帰を果たせず、連続優勝記録は2023年に途絶えてしまいました。

【10月25日追記】2024年10月25日(最初の途中帰郷から約2年2か月後):「スポーツ報知ビクトリーカップ」で実戦復帰

白石 健選手は、2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースで実戦復帰を果たしましたが、このシリーズを初日に1走したのみで途中帰郷

その理由については、“私傷病のため”とされているものの、詳細については公表されていない状況が続いています。

さらに、次節となった11月21日~24日まで徳山競艇場で開催された「一般・第1回 道の駅ソレーネ周南杯争奪戦」も同じ理由で欠場。
続く、12月7日に住之江競艇場で開幕した「G3・マスターズリーグ 第9戦」も欠場しました。

一連の途中帰郷と欠場の理由については同一の“私傷病”によるものであると考えられます。
しかし、それが長期欠場の理由となった“手首のケガ”なのか、それとも復帰戦で新たに負ったケガ、もしくはそれ以外の病気やケガかについては現時点で不明であり。今後何かしらの発表が待たれます。

出典:BOAT RACE公式サイト

【12月23日追記】2024年12月22日(復帰戦から約2か月後):当時入っていた2件の斡旋を削除

2024年10月25日の復帰戦から2か月後の12月22日。
白石 健選手は、当時入っていた直近の斡旋である「一般・日本財団会長杯 歳忘れ 第37回 今年もありがとう競走」と2025年1月の「一般・第5回 週刊大衆杯」の斡旋を削除しています。

2節連続の欠場後の全斡旋削除であるため、「長年悩まされてきた“手首のケガ”が原因でこのまま引退してしまうのか?」それとも「再び復帰を目指すのか?」に注目が集まります。

  • 尼崎競艇場で12月24日~29日に開幕「日本財団会長杯 歳忘れ 第37回 今年もありがとう競走」
  • 宮島競艇場で1月11日~16に開幕「第5回 週刊大衆杯」
出典:BOAT RACE公式サイト
2024年12月23日に確認できた白石 健選手のBOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ

【12月27日追記】2024年12月27日(斡旋をすべて削除してから5日後):BOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除される

2024年12月27日、白石 健選手のBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除されました。
現在まで引退報道はなされていませんし、ボートレース尼崎の兵庫支部所属選手一覧では情報の閲覧ができる状態が続いています。
引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、こちらについても“引退”が理由であれば、近日中に削除される見込みです。

出典:BOATRACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
出典:ボートレース尼崎official Site
出典:ボートレース尼崎official Site

【12月29日追記】2024年12月27日(斡旋をすべて削除してから7日後):引退が報じられる

2024年12月29日、10月25日の復帰戦以降は欠場が続き、先日選手登録を削除されたことが判明した白石 健選手が、12月24日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

白石 健選手については、プロフィール写真もすでに最新版に更新されていたことから、復帰戦を走るまでは選手生活を続ける意向だったことがわかります。
そのため、結果として“引退”という決断に至ったことについては「ご本人も復帰戦が行われた10月25日まで予期していなかった」と考えるのが妥当でしょう。
結果として、復帰戦となった2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースが現役最後のレースになりました。

【ボートレース】兵庫支部の白石健が引退

12/29(日) 18:38配信

引退した白石健

ボートレーサーの白石健(47)=兵庫=が引退していたことが29日、分かった。24日に日本モーターボート競走会に引退届けを提出した。
 白石は1997年5月、尼崎・一般戦で80期としてデビュー。1997年6月、児島・一般戦で初1着。1998年8月、多摩川・一般戦で初優出。1999年4月、多摩川・一般戦で初優勝。通算262優出79V。通算1957勝。生涯獲得賞金は6億9434万3988円。2024年10月25日の津・一般戦、初日5Rの2着がラストレースとなった。

引用元:【ボートレース】兵庫支部の白石健が引退(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

白石 健選手の電撃引退に対するSNSの反応は?

白石 健選選手の電撃引退に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?

今までの活躍を労う声」や「白石 健選手に対する思い出」が多く聞かれましたが、やっぱり1番多かったのは同じ兵庫支部に所属していた魚谷 智之選手が引退した直後ということで、おふたりの引退を絡めたうえで「引退を惜しむ声」でした。

具体的な内容としては、「今までの活躍を労う声」では『色々とあったと思いますが、お疲れ様でした。』『規定違反等の常習犯だったが、 レースは上手く、舟券が買いやすかった。』『いろいろあったりしたけど好きな選手の1人、お疲れ様でした』という声。

引退を惜しむ声」では、魚谷 智之選手の引退と絡めて『魚谷といい、しらけんといい、 実力のある選手が引退とは 寂しいです お疲れさまでした』『サカナヤに続きシラケンもか』という、白石 健選手の引退に際して寂しいという気持ちを表す声。

そして「白石 健選手に対する思い出」では、『尼崎でレース後ピットに戻る時、お客さんに大きく一礼するのが印象深かった。 兵庫支部の大きな火がまたひとつ消えてしまった。悲しい』という、白石 健選手をこれまで応援し続けてきたファンの印象に残った過去のエピソードを見ることができました。

そして最も素敵だと感じたのは、私と同じように『まだ走り続ける意思があったにもかかわらず、悔しい決断を下した白石 健選手の気持ちに寄り添う様子』を見せてくれた、次の“2boat2race1氏”の投稿です。

それでは、投稿内容の一部を抜粋してご紹介します。

白石 健選手の引退理由は?

白石 健選手の引退理由は明言されていません

しかし、成績不振による引退だと仮定するのは、2025年前期の選手級別審査終了日である10月31日までを1走しかしていない白石 健選手の場合は、いささか無理があると言わざるを得ません。

つまり、長期欠場をしていた白石 健選手にとって、4期通算の成績不振による引退勧告の対象に該当していないと、“成績不振によって引退を決断するという筋書きには矛盾が生じてしまうのです。

成績に関して言えば、白石 健選手の場合は長期欠場前の成績を参考にするしかありませんが、欠場前の4期通算で勝率が3.80を下回ったことはありません

デビューしてから27年7か月という長きにわたって、一般戦で素晴らしい戦績を残し、G1初勝利より先の水神祭をあげることはできませんでしたが、直近の成績は4期通算の成績不振による引退勧告の対象には該当しなかったと考えられます。

そのため、現時点で考えられる結論として、白石 健選手の自身が「何かしらの個人的な理由により引退を決断した」と考える方が自然でしょう。

ちなみに、これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

では、白石 健選手の場合は、本当に成績不振による引退勧告の対象に該当しない立場だったのでしょうか?
まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。

成績不振による引退勧告の基準

まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。

あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補となるからです。
※選手登録3年経過していない選手は対象外。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

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判断項目基準
4期通算勝率3.8未満
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

成績不振による引退の可能性は?

前述の基準と白石 健選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告の対象に該当していなかったと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

  • 4期通算勝率:基準を下回る期はなく、長期欠場前の4期を通算すると勝率6.94で基準値以上の状況
  • 4期通算事故率:事故率0.7以下(2027年7月以降、スタート事故はなし)
  • 4期通算出走回数:長期欠場前は出走数が100回以上であり、4期通算しても135回以上

上記の“成績不振による引退勧告基準”のいずれも当てはまらないため、引退勧告を受けるような状況ではなかったと推測できます。
そのため、考えられる引退理由として「何かしらの個人的な理由により引退を決断した」ということでしょう。

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。
なお、2023年後期以降は長期欠場となり、出走記録がないため、2022年後期以前の成績もご紹介します。

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級別出走数勝率
2018年前期B20走0.00
後期B20走0.00
2019年前期A274走7.59
後期A1131走7.06
2020年前期A1113走7.07
後期A1157走7.15
2021年前期A1136走6.97
後期A1160走6.95
2022年前期A1161走6.68
後期A1128走7.14
2023年前期A1100走7.00
後期B20走0.00
2024年前期B20走0.00
後期B20走0.00

上記の表から鑑みるに、引退理由に「4期通算の成績不振による引退勧告」が関係していないことは明白です。

長期欠場をしている2023年前期以前の直近4年だけで見ても、平均160走まで増えた出走数は年々減少して110走ほどになりました。
しかし、勝率は2019年前期の7.59を目途アップダウンを繰り返し、2022年前期こそ6.68に低下したものの、2023年前期には7.14まで上がっており、“7.00以上であれば強い選手”と言われるボートレース界においても、まだまだ現役を続けられるだけのトップレベルの実力を有していたことが読み取れます。

やはり結論として、白石 健選手は『何かしらの個人的な理由により引退を決断した』というところでしょう。

4期通算の成績不振以外で考えられる引退の理由とは?

大事なことなので、もう一度書きますが…白石 健選手の引退理由は明言されていません

もし、成績不振による引退だとすれば、前述のような成績とは矛盾が生じてしまいます。
直近の成績が4期通算の成績不振による引退勧告の対象には該当していないと断言できる以上、なにか別の理由があるはずです。

まず、白石 健選手の場合は長期欠場が直接の引退理由には繋がりません

そのため、現時点で考えられる結論として、白石 健選手の選手の自身が「何かしらの個人的な理由により引退を決断した」と考えるのが妥当でしょう。

業界を批判するつもりはありませんが…
自分が応援していた選手が突然引退したら、その理由を知りたいと思うのは当然ですし、理由がわからなければ心配になります

個人的には、先日引退を発表した同じ兵庫支部の魚谷 智之選手のように『選手の判断によって引退理由を公表することも必要なのでは?』と考えたので、“あくまで個人的な推測”のもと、一体どのような引退理由があるのかについて考察していきたいと思います。
※ここからはあくまで個人的な推測ですので、ご了承ください。

引退理由の最有力候補は“長年悩まされてきた手首のケガ”

白石 健選手はまだまだ現役を続けられるだけのトップレベルの実力を有していました。
そして、先にご説明したように2022年8月からは「長年悩まされてきた“手首のケガの悪化”による欠場を余儀なくされた」ことから、引退理由に直結し得る“ケガ”を負って、2年2か月におよぶ長期療養と治療に専念してきたことがわかります。

そして、2024年10月25日に復帰戦を走りきっての2着。
そのレースを観戦したファンの多くが「長いこと戦線離脱していたとは思えない」「まだまだやっていけるだけの実力を有していた」という感想を残すほどの今後が楽しみなレースを披露してくれました。
このレースを観戦した誰もが、次の一戦と今後の活躍を楽しみにしていたことでしょう。

しかし、残念ながらこのレースを最後に白石 健選手は途中帰郷。
その後も欠場を繰り返すと、12月22日にすべての斡旋を削除して、2日後に引退届を日本モーターボート競走会に提出しています。

復帰戦から引退までに要した期間はちょうど2か月。
しかも、この時すでにプロフィール写真も最新版に更新されていたことから、復帰戦を走るまでは選手生活を続ける意向だったことがわかりますし、「ご本人も復帰戦が行われた10月25日まで引退をするつもりはなかった」と考えるのが妥当です。

このことから、“引退”という決断に至ったきっかけは「ラストランとなった復帰戦」と考えるのがスジでしょう。

もしも、復帰戦の前から引退を考えていたのだとすれば、プロフィール写真を新しく撮りなおすことはなかったはずです。

そして、引退届を提出するに至った理由は『手首のケガが最後まで完治せず、これ以上ボートレース界の第一線で戦い続けることが難しいと判断したため』ではないでしょうか。

白石 健選手ほどの戦績・勝率を誇る選手であれば、長年A級選手として艇界のトップを走り続けてきたこそのプライドがあるでしょうし、弟子を抱えている以上は師匠としての雄を見せたいと思うのが心理のはず。

復帰戦を走ったことで、トップレーサーであるが故にこのような気持ちに自分の身体(=心と身体)がついていけない状況であること、モチベーションの低下を痛感してしまったことこそが、勝ちにこだわり続けた白石 健選手の“真の引退の理由”だと私は感じています。

ちなみに、このような結論に至っているのは私だけでなく、引退の知らせを聞いた多くのファンにも一貫した意見のようです。

色々言われてたかもしれんが、結局のところケガの影響があまりにも大きかったかもしれませんね、2年間のブランクだとかなり厳しいでしょう、お疲れ様でした

手首のケガが最後まで完治しなかったか
復帰後のレース見る感じまだまだやれるとは思ったけど、往年の力を取り戻すのは難しいように映ったしな。
典型的な一般戦の鬼で、記念クラスになると戦えない選手だったけど気風の良い走りをするレーサーで大好きだったなぁ
例の件も住之江では認められてるモーターの角度を変えるライナーってのを、禁止されてる他の場で段ボールをライナー代わりにして使ってたらバレて出場停止になったが、そもそも他の選手もやってたのを白石1人がスケープゴートにされたって話だし、色々持ってない選手でもあった。
弟子の加藤翔馬は師匠と似ても似つかぬレーススタイルだが、才能はあるので師匠の取れなかった記念を取って欲しい。
てか白石レベルの選手でも6億弱しか稼げないんだな

もしかしたら、白石 健選手が引退届を提出する1週間前に引退が報じられた『魚谷 智之選手の引退の影響』も大きいのかもしれません。

復帰戦で途中帰郷してから引退届を提出するまでに月日を要したのは、きっと“現役を続けたいという気持ち”があり、もう少し粘りたい・頑張りたいという思いがあったからではないでしょうか?

現役か…引退か…迷い葛藤する日々の中で、SG覇者という華々しい経歴を有する同支部の魚谷 智之選手に“引き際の美学”を見せつけられたことが引き金となって、白石 健選手は“引退”という決断をくだすことができたのかも知れません。

両者ともに手段は違えど、勝つことにこだわり続け、ストイックに技術を磨き上げてきた選手であることから、その可能性は大いにあると言えるでしょう。

白石 健選手の基本情報

名前
(フリガナ)
白石 健
(シライシ タケシ)
登録番号3903
生年月日1977年6月14日
身長165cm
体重54㎏
血液型O型
支部兵庫
出身地兵庫県
登録期80期
引退時の級別B2級
※長期欠場前はA1級を維持していた
デビュー日1997年5月23日
最終出走日2024年10月25日
引退日2024年12月24日

白石 健選手は1977年生まれ、兵庫支部所属のB2級レーサー。

愛称は「シラケン」で、“一般戦の鬼”とも称されており、1999年の初優勝から2022年まで、24年間途切れることなく79回の優勝を積み上げたほどのレーステクニックを武器に、長年A1級の常連選手として活躍してきました。

しかし、2022年8月の唐津競艇場「一般・第10回 サッポロビールカップ」初日の第12レース・ドリーム戦の後に、長年悩まされてきた“手首のケガの悪化”により長期欠場を余儀なくされると、その後は実戦復帰を果たせておらず、連続優勝記録は2023年に途絶えています。

3度にもおよぶ違反を起こしたことで出場停止処分を科せられた過去があるため、アンチを一定数かかえる選手ですが、その強さのために純粋応援する根強いファンに支えられる人気レーサーでもあります。

2001年のボートレースクラシック以降は、SG競争にも出場できるだけの実力を持ち、SG競争における最高順位は2021年のボートレースクラシック準優勝戦の5着。

2024年10月までの通算成績では、G1競争では8度の優出を果たすほどの実力者。

約27年7か月間の選手生活での出場節数は624節出走数は5,484走で、通算262優出優勝は79回、通算1,957という成績で、生涯獲得金額は6億9,434万3,988円という記録を残し、一般戦を主戦場として、多くのファンを沸かせ続けた人気レーサーです。

復帰戦と考えられていた、2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースがラストレースとなり、着順は2着でした。

  • 【蒲郡】「実は昔、JLCで冠番組を持っていた」ラーメンマニアの白石健選手にインタビュー!【勝ガマ】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル
  • 【若松優勝戦】スーパーピット離れ炸裂でイン奪!白石健のイン戦。全国24場制覇の偉業達成に王手【競艇・ボートレース】
出典:犬も歩けばボートで当たる

白石 健選手の過去戦績

白石 健選手の主な戦歴は以下のとおりです。

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1997年5月23日一般競走尼崎一般デビュー
1997年6月14日第2回 日本財団会長杯争奪戦競走児島一般初勝利
1998年8月9日一般競走多摩川一般初優出
1999年4月25日第30回 東京中日スポーツ賞多摩川一般初優勝
2001年1月13日G1 近松賞競走(開設48周年記念)尼崎G1G1初出走
2001年1月15日G1 近松賞競走(開設48周年記念)尼崎G1G1初勝利
2001年2月25日第44回 近畿地区選手権競走三国G1G1初優出
2001年3月15日SG 第36回 ボートレースクラシック(総理大臣杯競走)尼崎SGSG初出走
2005年3月25日SG 第40回 ボートレースクラシック(総理大臣杯競走)多摩川SGSG初勝利
2005年4月2日一般戦競走大村一般通算500勝達成
2011年1月17日G1 近松賞競走(開設58周年記念)尼崎G1通算1,000勝達成
2012年12月30日尼崎市長杯争奪歳忘れ 第25回 今年もありがとう競走尼崎一般通算50優勝達成
2016年7月7日G2 モーターボート大賞下関G2通算1,500勝達成
2020年12月16日ギラヴァンツ北九州杯若松一般史上31人目の全国24場制覇

1997年5月23日に兵庫支部のホームプール・尼崎競艇場でデビューを飾ると、なんと初戦から舟券絡みにあと一歩となる4着という好成績を収めるとともに、翌月には6コースから見事なまくりを決め、8走目で初勝利という活躍を見せてくれました。

さらにデビューから1年11か月後の1999年4月25日には尼崎競艇場で開催された「一般・第30回 東京中日スポーツ賞」で初優勝
その後も快進撃を続けて、2012年12月には通算50優勝、2016年7月には通算1,500勝、そして2020年12月に若松競艇場で開催された「一般・ギラヴァンツ北九州杯」で史上31人目の全国24場制覇を達成しました。

G1競争で見ると、2001年1月に尼崎競艇場でG1初出場G1初勝利を果たし、翌月に三国競艇場で開催された「第44回 近畿地区選手権競走」でG1初優出にして4着

この勢いはSG競争でも衰えることなく、G1初優出の18日後の2001年3月に尼崎競艇場で開催された「第36回 ボートレースクラシック(総理大臣杯競走)」でSG初出場、そして時をおいて4年後の2005年3月に多摩川競艇場で開催された第40回大会でSG初勝利を果たしています。

白石 健選手は確認できる記録上では2000年後期にはA1級に昇級しており、2002年10月に1度目の整備規程違反で6か月の出場停止処分を科せられたことで2003年後期にB2級に降級するも、2004年前期にはA1級に返り咲いています。

そして2016年12月に2度目の整備規程違反を犯したことにより、2017年2月27日の浜名湖競艇場の一般戦を最後に1年2か月間の出場停止となったことで、2018年は再びB2級に降級しましたが、こちらもすぐにA1級へ復帰を果たすと、2022年8月からの私傷病による戦線離脱・B2級降級までの期間はずっとA1級を維持していました。

通算にして約22年にもおよぶ長きにわたってA級を維持するほどの素晴らしい成績の持ち主です。

また、2003年前期には優勝4回・優出7回という好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.19を記録

しかし、残念ながらG1初優勝・SG初優出・SG初優勝ともに果たすことはかなわず。

現役生活最後のレースは、2024年10月25日に津競艇場で開催された「スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースの2着を最後に引退を決めました。

【ボート】白石健と浜野谷憲吾を全24場制覇で表彰 平和島の前検日に記念盾を贈呈

【ボート】白石健と浜野谷憲吾を全24場制覇で表彰 平和島の前検日に記念盾を贈呈

 ボートレースで全24場制覇を達成した白石健(44)=兵庫・80期・A1=と、浜野谷憲吾(47)=東京・70期・A1=の表彰が23日、ボートレース平和島で行われ、ボートレース振興会の香川洋一常務理事から記録達成を認定する盾が贈呈された。

 2020年12月16日に、若松の一般戦で優勝し、史上31人目の達成を決めた白石は「できると思っていなかったので、うれしい。目の前の一走一走、精いっぱい全力で、いいレースをして盛り上げられるよう頑張ります」と意気込みを新たにした。

 今年3月26日に、からつの一般戦で優勝し、同32人目の快挙達成を果たした浜野谷は「28年10カ月ですか。意外と時間がかかった。できて良かった。年男だし、当たり年にならないかな」と健闘を誓っていた。

引用元:【ボート】白石健と浜野谷憲吾を全24場制覇で表彰 平和島の前検日に記念盾を贈呈/競馬・レース/デイリースポーツ online (daily.co.jp)

ボートレーサーを志したきっかけ

白石 健選手がボートレーサーを目指したきっかけについては、明らかにされていません

しかし、高校卒業後の1996年に当時の本栖研修所に入所しています。
研修所においても、80期のレーサーとして優秀な成績を修め、卒業記念競走では優勝を果たして『第45代本栖チャンピオン』の栄冠を手にしました。

卒業後も初戦から舟券絡みまであと一歩という4着という好成績で選手生活をスタートさせるとともに、翌月には6コースから見事なまくりを決め、8走目で初勝利という活躍を見せ、デビューから1年11か月あまりで初優勝を飾ると、7年10か月でSG初勝利までの階段を一気に駆け上るなど、本栖チャンプの名に恥じない大物ぶりを発揮したのです。

白石 健選手の師匠は元競艇選手の沼田 嘉弘さん

白石 健選手の師匠は同じ兵庫支部所属、52期の元競艇選手・沼田 嘉弘さんです。

名前
(フリガナ)
沼田 嘉弘
(ヌマタ ヨシヒロ)
登録番号3086
生年月日1960年9月26日
身長161cm
体重56㎏
血液型A型
支部兵庫
出身地兵庫県
登録期52期
引退時の級別B1
デビュー日1983年5月9日
最終出走日2015年8月2日
引退日2015年8月2日

沼田 嘉弘さんは1960年生まれ、兵庫支部所属のB1級選手でした。
残念ながら、22015年8月2日に地元・尼崎競艇場で開催された「一般・ダイスポカップ」最終日の第9レースの1着を最後に、“エンジンに対する感覚やレースに対する感性が鈍くなってきたこと”・“体力とモチベーションの低下”・“持病である腰のヘルニアの治療・療養”を理由に引退しています。

かつては兵庫支部の支部長と副支部長を約10年間務めた経歴をもち、2006年まではA級を維持し続けるほどの実力者で、SG競争の出走歴こそありませんが、一般戦を中心に活躍してきたベテランレーサーでした。

常に機力向上のための整備や調整に熱心に取り組む選手として知られており、ベテラン・若手選手関係なく、いつも優しく丁寧に、わかりやすく、時にユーモアたっぷりに指導することから後輩の育成にも定評があったそうです。
そのため、師弟間の信頼関係は非常に厚かったようで、ラストレース後の引退セレモニーには、沼田 嘉弘さんを慕う多くの兵庫支部の選手とともに、白石 健選手も駆けつけた様子が伝えられました。

現役最後のインタビューでは『本当に感無量です。最高のボートレース人生32年間でした』と語り、晴れ晴れとした表情で水面を後にし、約32年2か月間の選手生活で通算出走回数は6,742回、通算1,267勝という記録を残しました。

同期の52期には、内山 文典選手(3105)・平岡 重典選手(3107)がおり。今なお一般戦で走り続けています。

出典:ボートレース尼崎公式Facebook
【ボート】兵庫のベテラン沼田嘉弘引退

【ボート】兵庫のベテラン沼田嘉弘引退
2015.08.02

 今節限りでの引退を発表していた沼田嘉弘(54)=兵庫・52期・B1=が、ラストランとなったレースを白星で飾り、自らの引退に花を添えた。83年5月、尼崎でのデビューから6742走目。1号艇で臨んだ最終日9Rは、インから堂々と押し切って通算1267度目の1着ゴールを飾った。

 レース後の引退セレモニーには、彼を慕う多くの兵庫支部の選手や、親交のあるお笑い芸人のちゃらんぽらん冨好らが駆けつけた。「本当に感無量です。最高のボートレース人生32年間でした」。実に晴れ晴れとした表情で最後の言葉を残した。

引用元:【ボート】兵庫のベテラン沼田嘉弘引退/ボートレース/デイリースポーツ online

【ボート】引退する沼田嘉弘に直撃

【ボート】引退する沼田嘉弘に直撃
「ボートレース記者コラム・仕事 賭け事 独り言」

2015.08.03

2日、尼崎最終日第9Rを最後に現役を引退した沼田嘉弘

 8月2日、尼崎ボート最終日第9Rを最後に、沼田嘉弘(54)=兵庫・52期・B1=が現役を引退した。今年4月まで兵庫支部長を勤めたベテランレーサーに引退を決めた時期、心境から引退後の予定などを直撃取材した。

引退と聞いて、ちょっとびっくりしましたが理由は?

「何年か前からエンジンに対する感覚やレースに対する感性が鈍くなってきた。それに体力が落ちてきたこともあって、モチベーションがなかなか上がってこんかった。ボチボチかなと思っていた時に、ヘルニアが悪化しだして…」

それはいつごろのことですか?

「昨年かな。病院に通って治療をして、痛みがひけばええと思ってたんやけど、今年の春先から痛みがひどくなって。レースに集中できなくなってきて」

けがの影響というのは具体的にはどのようなものですか?

「ここ数年勝率も4点を取るのが精いっぱいで、自分にとってもジレンマでね。けがの様子をみて良くなればと思ったんやけど、年齢のこともあり良くなる見込みはないなと。兵庫の副支部長、支部長と合わせて約10年やらせてもらったんですが、この4月でそれも引き継ぎが終わって。ひとつの役目を終え、いろいろなタイミングが合ったんやと思う。この辺りが限界かなと」

引退節の前の住之江では優出(6着)。まだまだいけると思うんですが?

「あの時はエンジンが出てたからね(笑)」

2日を最後に引退。その次の節は地元レーサーが集まるお盆レースがある。そこで引退をということでも良かったのでは?

「いやいや、恥ずかしかったので(笑)そう言う話もあったんですが、いろいろ周りにやってもらうのが苦手で、あえてはずしてもらいました(笑)」

1983年5月9日がデビュー。約32年間の現役生活を振り返って、印象や思い出に残っていることは?

「僕が入ったころは、兵庫が弱小軍団と呼ばれていた時代やって。今はA1レーサーがたくさんいて、SGを制した選手も何人かいる。全国的に見ても高いレベルの支部になったね。自分が役に立ったかどうか分からんけど、その一員になれてうれしい」

何かやり残したことはありますか?

「いや、32年もやったからね。やりきった感はあるよ(笑)」

今後の予定は?

「まずは腰を治すことからやね。身体のコンディションを整えてから、セカンドライフをどうするか考えたい。今は何もまだ決めてないよ」

 常に機力向上のための整備や調整に熱心に取り組んでいた沼田氏だが、引退節の尼崎ではいつも以上に入念に本体整備に取り組んでいる姿が印象的だった。それは32年間で得たありったけの整備技術を、全身でぶつけているように見えた。取材ではベテラン、若手記者関係なくいつも優しく、分かりやすく、時にユーモアたっぷりに対応してもらった印象しかない。まずは身体をゆっくり休め、それから第2の人生を楽しく、豊かに過ごされますよう。沼田さん、長い間お疲れさまでした。

引用元:【ボート】引退する沼田嘉弘に直撃/レース記者コラム/競馬・レース/デイリースポーツ online

白石 健選手はプロペラグループ「神戸カンパニー」に所属していた

白石 健選手が若手の頃は持ちペラ制度の真っ只中で、選手は主にプロペラグループに所属して、先輩方から整備技術や操縦テクニックを学んでいたと言います。

白石 健選手が所属していたプロペラグループは「神戸カンパニー」で、師匠の元競艇選手の沼田 嘉弘さん(3086)や金子 龍介さん(3795)、そして残念ながら2020年2月のレース中の転覆で、他のボートと接触したことにより48歳で惜しまれつつこの世を去った松本 勝也さん(3529)、現役選手では吉川 元浩選手(3854)が所属していたそうです。

白石 健選手のSNSに関して紹介するYouTube動画のなかで、白石 健選手が2021年2月に地元・尼崎競艇場で開催された「サンケイスポーツ旗争奪 第52回尼崎選手権競走」で優勝した動画があります。

その説明文の中に『表彰式後の取材に「松本 勝也さんに見てもらえたので」と語っています』とあったので、もしかしたら同じグループに所属していた松本 勝也さんからも指導を受けていたのかも知れません。

ボートレース尼崎
尼崎選手権競走 優勝戦
白石健選手が地元尼崎で優勝しました
地元尼崎の優勝は7年ぶりでした
表彰式後の取材に「松本勝也さんに見てもらえたので」と語っています

引用元:【現地・優勝戦】天国に捧げる最高の勝利、白石健選手【ボートレース尼崎】 (youtube.com)

白石 健選手の弟子は加藤 翔馬選手と岩橋 裕馬選手

白石 健選手選手が弟子として迎えいれたのは、同じ兵庫支部所属、115期の加藤 翔馬選手(4857)118期の岩橋 裕馬選手(4917)です。

加藤 翔馬選手

名前
(フリガナ)
加藤 翔馬
(カトウ ショウマ)
登録番号4857
生年月日1997年5月9日
身長172cm
体重58㎏
血液型A型
支部兵庫
出身地兵庫県
登録期115期
級別B1級
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル

加藤 翔馬選手は1997年生まれ、兵庫支部所属のB1級選手です。

2014年11月に地元・尼崎競艇場でデビューを飾り、3日後にはデビューから5走目で初勝利
そしてデビューから2年後の2016年12月19日に尼崎競艇場で開催された「一般・センタープール杯争奪 ニッカングローリー賞競走」で早々と初優出にして初優勝を手にすると、2020年9月のびわこ競艇場で開催された「第7回 ヤングダービー」でG1初出走G1初勝利を果たしています。

ボートレーサーを志したきっかけは、父親からの勧めがあったからだそうです。
小学校3年生のころに知り合いから「ボートのレーサーという道もある」という話を聞いたことが転機になったそうで、実際は父親の趣味の影響で6歳くらいからレーシングカートを経験していたという経歴を持っています。
さすがに小学校の頃は本格的にボートレーサーへの道を意識していたわけではなく、実際に進路として意識し始めたのは中学生になったころだったとのこと。

アニメのモンキーターンを見て、『こんな世界もあるんだ』と興味を持ったことから、漫画も読んでボートレースについて学んで、中学校3年生の時に初めて養成所の入所試験を受けたものの、初回は不合格。
2回目に挑んだ入所試験で合格を果たすと、高校を中退してボートレーサーへの道を歩み始めました

漫画『モンキーターン』とは?

漫画『モンキーターン』は第45回 小学館漫画賞を受賞しており、日本船舶振興会(呼称・日本財団)からも競艇初心者の入門書として推薦されるほどの人気作品です。

漫画のストーリーは、幼少期から野球に明け暮れてきた主人公の波多野 憲二が、高校生活最後の夏の甲子園予選で敗退・挫折したことをきっかけとして、“競艇”の才能を見いだされるところから始まります。

競艇ファンの担任と競艇選手のOGに連れられて行った競艇場。
そこで体験した“モーターボートの感触”と“モンキーターン”に魅了されて、競艇選手の道を志すことを決意。

必死の勉強と長年培ってきた持ち前の身体能力を駆使することで、養成所・本栖研修所に入所を果たすものの、本栖研修所での厳しい訓練からプロデビュー、そして最高峰のSGレース「グランプリ」の出場権を得るまでには、大怪我や強力なライバルが現れるなど、数々の困難が立ちはだかり、その一つ一つを乗り越えていく波乱万丈の物語です。

ボートレーサーとしての成長はもちろんのこと、幼なじみである「生方 澄」との恋愛や、同期であり名選手を父に持つサラブレッド「洞口雄大」とのライバル関係といった人間模様も見所となっており、『モンキーターン』がきっかけで競艇選手になった選手も多く存在します

出典:Amazon

漫画『モンキーターン』のモデルとなった実在する選手

実は、漫画『モンキーターン』の登場人物のモデルは、実在する競艇選手だと言われています。

主だった登場人物とモデルとなった選手をまとめました。
すでに引退した選手がモデルになっていることもあり、漫画の世界とはいえ、現役人気選手と引退したレジェンドレーサーが共演する姿には夢があります。

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登場人物モデル選手写真モデルとなった選手登録番号登録期支部級別
波多 野憲二濱野谷 憲吾選手359070期東京A1
波多野 憲二
(手の負傷・リハビリ時)
平田 忠則選手389880期福岡A1
波多野 憲二
(復帰戦)
元選手・植木 通彦さん328559期福岡引退
波多野 憲二
(研修所時代に転覆)
元選手・今村 豊さん299248期山口引退
洞口 雄大仲口 博崇選手355469期愛知A2
青島 優子中里 優子選手357970期埼玉A2
青島 優子日高 逸子選手318856期福岡A1
犬飼 軍志元選手・大嶋 一也さん301049期愛知引退
榎木 祐介元選手・植木 通彦さん328559期福岡引退
榎木 祐介元選手・今村 豊さん299248期山口引退
櫛田 千秋寺田 千恵選手343565期岡山A1
潮崎 俊也元選手・山崎 智也さん362271期群馬引退
蒲生 秀隆山室 展弘選手307051期岡山A2
浜岡 猛矢後 剛選手334762期東京B1
高橋 香子タレント・高橋 香代さん

漫画『モンキーターン』がきっかけで競艇界を志した選手

前述のとおり、『モンキーターン』という漫画・アニメをきっかけにボートレーサーへの道を志した選手がいます。
出会いはさまざまですが、素敵な作品の影響を受けて、実際にその道を歩みはじめた選手の一部をご紹介。
公表していないだけで、ほかにもきっと競艇界の『モンキーターン』愛好家は存在するはずです。

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選手写真選手名登録番号登録期支部級別きっかけ
松本 晶恵選手439998期群馬B1姉が漫画『モンキーターン』を読んでいたために興味を持った
入海 馨選手4886116期岡山A1自身が漫画「モンキーターン」を愛読していた
木場 悠介選手4948119期長崎A2趣味もパチスロを通じてアニメの『モンキーターン』と出会う
  • The Winner|加藤 翔馬|ヤングレーサー|ボートレース
出典:ボートレース公式 BOATRACE official
  • BOATCAST NEWS│加藤翔馬 鋭発スタート&脅威の粘りで本日連勝! ボートレースニュース 2022年8月24日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE official

岩橋 裕馬選手

名前
(フリガナ)
岩橋 裕馬
(イワハシ ユウマ)
登録番号4917
生年月日1988年8月1日
身長165cm
体重54㎏
血液型O型
支部兵庫
出身地大阪府
登録期118期
級別B1級

岩橋 裕馬選手は1988年生まれ、兵庫支部所属のB1級選手です。
前職が「プロボクサー」で、しかも日本ミニマム級の“元・日本ランキング1位”という輝かしい経歴の持ち主であることが話題となりました。
趣味のバイクは師匠である白石 健選手が乗っていたことがきっかけで乗りはじめたそうで、愛車はCBR250という中型バイク。
ほかにも師匠が愛してやまないラーメンを一緒によく食べに行くなど、師弟関係は大変良好な様子が伝わってきます。

2016年5月に地元・尼崎競艇場でデビューを飾り、2017年12月にはデビューから205走目で悲願の初勝利
そして2018年12月にG1初出走を果たすと、デビューから7年2か月後の2023年7月20日に蒲郡競艇場で開催された「一般・サッポロビール杯争奪 蒲郡サマーナイト特別」で初優出を達成しています。

  • 【蒲郡】日本ランキング1位だったこともある元プロボクサーの岩橋裕馬選手にインタビュー!【勝ガマ】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル
  • 【蒲郡競艇優勝戦】デビュー初V狙うB1級⑥岩橋vs①長田頼④中田ら出走優勝戦
出典:犬も歩けばボートで当たる

白石 健選手のデビュー戦

白石 健選手のデビューは1997年5月23日
地元である尼崎競艇場で1997年5月23日~28日に開催された一般競争の初日、第2レースのできごとでした。

新人ボートレーサーであれば、かなり慎重にスタートするのが一般的ですが、白石 健選手もまさにその通り、コンマ26のスロースタートで他艇から出遅れてしまいます。
5号艇で大外6コースからの出走で、スタートが他艇より遅いことで不利なレースが予想されましたが、なんとあと一歩で連に絡む活躍を見せると、4着という好成績で選手生活をスタートさせました。

おなご

初出場の新人ボートレーサーはスタートが出遅れて、最後方から6着になるのが一般的なのに4着はすごいよね。

出典:艇国データバンク
出典:艇国データバンク

白石 健選手の初勝利

白石 健選手の初勝利は1997年6月14日
デビューの次節、1997年6月14日~19日に児島競艇場で開催された「一般・第2回 日本財団会長杯争奪戦競走」の初日、第1レースでのできごとでした。

6号艇で大外6コースからコンマ34という、デビュー戦と同様のスロースタートから、デビュー間もない新人レーサーとは思えないくらいの見事なまくり差しを決めて、デビューから8走目での勝ち星獲得でした。

出典:艇国データバンク
出典:艇国データバンク

白石 健選手の初優勝

白石 健選手の初勝利は1999年4月25日

デビューから1年11か月後、1999年4月21日~25日に多摩川競艇場で開催された「一般・第30回 東京中日スポーツ賞」の最終日、第12レースでのできことでした。

初出走から活躍を見せていた白石 健選手ですが、早くもデビューから1年2か月後の1998年8月9日にも多摩川競艇場の水面で初優出を果たし、6度目の優出にしてやっとつかんだ初優勝でした。

このレースでは登録期が最も若く、勝率も出場選手6名のなかで最下位。
6戦3勝で予選3日目からは3連勝と好調を維持して臨んだ優勝戦は3号艇・5コースからの出走という不利な状況。
しかも、出走選手6名のうち4人がA1級で、なかでも高田 悌二選手は当時の勝率は6.99で出場選手の最高値で、2015年12月の現役最後のレースまで、長いこと競艇界のトップを走り続けてきた選手です。

ですが、白石 健選手はコンマ11の思い切った踏み込みでトップスタートでスリットを先行すると、鮮やかなまくり差しを決めて、4名もの格上選手を相手に悲願の初優勝を達成しました。

出典:艇国データバンク
出典:艇国データバンク

同期(80期)の注目選手

白石 健選手の同期である「80期」にはどのような選手がいるのでしょうか。
主だった選手を以下にまとめました。

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登録番号名前支部級別
3897白井  英治山口A1
3898平田  忠則福岡A1
3908重成  一人香川A1
3900香川  素子滋賀A1
3907村越   篤香川A2
3904森   貴洋大阪A2
3905天野  友和愛知A2
  • 白井 英治選手(3897)/1976年10月15日生まれ/山口/A1
  • 平田 忠則選手(3898)/1976年11月13日生まれ/福岡/A1
  • 重成 一人選手(3908)/1978年9月12日生まれ/香川/A1
  • 香川 素子選手(3900)/1977年1月8日生まれ/滋賀/A1
  • 村越 篤選手(3907)/1978年2月12日生まれ/香川/A2
  • 森 貴洋選手(3904)/1977年6月21日生まれ/大阪/A2
  • 天野 友和選手(3905)/1977年9月15日生まれ/愛知/A2

白石 健選手の獲得賞金

A1級の第一線で長いこと活躍していた白石 健選手選手。

SG戦線での活躍をはじめ、1999年の初優勝から2022年まで24年間も途切れることなく79回の優勝を積み上げた“一般戦の鬼”ですから、もちろん獲得賞金も高額なことが想像できると思います。

 年度 級別 賞金ランキング 獲得賞金
2024年B2
2023年A1→B21613位0円
(長期欠場中)
2022年A1圏外38,626,500円以下
※ランキング100位の選手の獲得賞金額を参照
2021年A1圏外37,182,532円以下
※ランキング100位の選手の獲得賞金額を参照
2020年A182位41,238,666円
2019年A2→A1圏外35,808,000円以下
※ランキング100位の選手の獲得賞金額を参照
2018年B2圏外0円
(長期欠場中)
2017年A1圏外32,710,833円以下
※ランキング100位の選手の獲得賞金額を参照
2016年A2→A1圏外29,812,000円以下
※ランキング100位の選手の獲得賞金額を参照

今回は白石 健選手の年間獲得賞金額について調査を行いましたが、賞金ランキング100位圏外の場合には詳細な金額まで知ることはできず、ランキング100位の選手の獲得賞金額を参照に記載しています。

そのため、今回の確実にわかっている金額は賞金ランキング80位に輝いた2020年の1年のみであるため。この金額を基準に話を進めさせていただきますのでご了承ください。

A1級ボートレーサーの平均年収は約3,000万円といわれているなか、2020年の獲得賞金が平均を大きく上回ることから、白石 健選手は常に賞金ランキングの100位~200位の間にいることがわかります。

とくに2020年は一般戦で6回の優勝と、「G1・第63回 近畿地区選手権競走」を含む19回の優出をしているため、最も多い獲得金額となりました。

さらに直近3年間の平均年収について見てみたいと思います。
ここ3年は賞金ランキングの100位圏外となることもあり、獲得賞金額に波はあるものの、平均年収は約4,337万円

さらに2020年の年収は、約4,124万円となりました。
ひと月に換算すると月収343万円越えですから、もはやトップレーサーって本当にすごい世界です。

近年は長期欠場の影響でレースに出ていないため、獲得賞金額が0円という年や3,000万円に満たない年もありますが、2020年に獲得賞金ランキングの80位に入っていることから、白石 健選手の成績は一般戦での優勝を重ねられるほど良い状態にあったことがわかります。

白井 健選手が過去に犯した整備規程違反とは?

復帰戦以降も次々に斡旋が入り続けている白石 健選手。
そんな白石 健選手に対するSNSのコメントで特に多かった単語が“不正”というものでした。

今回の斡旋削除の理由として、公表されていた理由は「以前から悩まされていた手首の負傷の悪化」です。
しかし、2年2か月間という長期間の欠場理由を“手首の負傷とリハビリ”だけで片付けたことをいささか不振に思うファンが多かったことも事実でしょう。

調べてみると、白井 健選手は過去に複数回に及ぶ整備規程違反で出場停止処分を科されていたことがわかりました。

このような整備規程違反をはたらいた理由については、未だに公表されていないため、推測の域を出ません。
しかし、エンジン整備に強いこだわりがあり過ぎるがゆえにこのような不祥事を起こしてしまったと考えて、現在も多くの応援しているファンが存在していることから、これからはファンの気持ちを汲んで不正は行わないでほしいと切に願います。

しかし、SNSなどでは複数回におよぶ不正に対して『引退させろ!』という声が投稿されるなど、その“懲りずに不正を繰り返す悪行”は語りぐさとなっており、白石 健選手の経歴に傷をつける一因となってしまいました。

整備規程違反とは?

ボートレースにおいて、整備に使われる部品や燃料は、公平を期すために『すべて競艇場に備え付けられているものを使用する』ことが決まりとなっています。
そのため、選手には決められた範囲内で整備を行うルールがあり、プロペラを含めて外からの持ち込みは一切できません。
この規程を破った場合に適応されるのが「整備規程違反」です。

整備規程違反には、選手の過失や不注意によるものから、バレないよう意図的に行おうとする悪質なものまであります。
不正な整備を行った艇での出走はレース中の大きな事故につながる恐れもあることから、整備に関する違反を犯した場合には、場合によっては引退に繋がるほどのとても厳しいペナルティが科せられます

【整備規程違反①:2002年10月】6か月の出場停止処分

白井 健選手が過去に犯した整備規程違反の1回目は、2002年10月18日~22日に江戸川競艇場で開催された「一般・第3回 日刊ゲンダイ杯争奪戦競走」。

江戸川競艇場での大会に出場中、ボートとエンジンの取り付け箇所の間に艇の伸びをよくする目的で「無断で」持ち込んだダンボール紙を挟んで、エンジンの高さを不正に操作してレースに出走したことで、4日目の第6レースは即日強制帰郷となり、その後は日本モーターボート選手会から6か月の出場停止処分を科されています。

その結果、2002年11月3日の津競艇場の一般戦を最後に出場停止となり、復帰戦は2003年5月2日~6日に三国競艇場で開催された「一般・第11回 湯の花賞」でした。

2002年の白井 健選手は一般戦ですでに4度の優勝を果たしており、2節前に桐生競艇場で開催された「一般・アクアンナイトカップレース」でも優勝するなど、決して成績が低迷しているわけでもなかったのです。

このように意図的な不正をはたらいたことは、ファンの期待を裏切った悪行として今日でもボートレースファンの記憶に残っており、皮肉を込めて“段ボール”という悪名もついているほどです。

これまでの処分を受けて、軽すぎるとの批判が噴出!!

白井 健選手が過去に犯した2度の整備規程違反+1度の検査指示違反に対して、『処分が甘すぎる』という批判がファンから噴出したことも事実です。
確かにこれだけの意図的な整備規程違反・検査指示違反を重ねれば引退勧告の対象となっておかしくありません

しかし、それでも出場停止処分は短く、選手会からの処分も「1年間の自粛勧告」であり、あくまで“自粛勧告”どまり。
いくら強くて優秀な戦績を残しているA1級選手であっても、この処分は“ボートレース界からの忖度”ととられかねないと思います。

白井 健選手に科せられた処分を次にまとめました。

  • 【整備規程違反①:2002年10月】6か月の出場停止処分
     ⇒ボートとエンジンの取り付け箇所の間に艇の伸びをよくする目的で持ち込んだダンボール紙を挟んで、エンジンの高さを不正に操作してレースに出走した
  • 【検査指示違反:2011年12月】4か月の出場停止処分
     ⇒待機行動中の艇に工具を持ち込んでモーターの振り止め板調整を行った
  • 【整備規程違反②:2016年12月】2か月の出場停止処分+1年間の自粛勧告
     ⇒エンジンの原形を変えてレースに出走した

このような事態を受けて、ファンからはどのような意見があったのでしょうか?

白石 健選手を「Mr.整備違反」と揶揄する声や、「普通の会社なら、同じ不祥事を3回犯した社員は懲戒解雇、甘くても諭旨解雇、めちゃ甘でも強制辞職勧告」「競艇業界は白石健を首にできない理由でもあるの?」「もう白石健をクビにしろ!」という痛烈な批判の数々から、一般社会とボートレース界の常識の乖離を感じました。

これは競艇界のこれまでの不祥事における対応にもみられることで、不祥事を起こした選手に対する処罰の明確化は日本モーターボート競走会に対する批判やファンの不信感につながる重要事項であり、早急に着手すべき案件でしょう。

過去にSNSで投稿された声を集めてみましたので、その一部をご紹介します。

実際、そんなに軽い処分だったのか!?

ボートレーサーには『交流を避けなければならない立場の人間』が存在します。
このことは、ボートレースの規約で定められており、一言で説明すると『ボートレースの予想や情報提供を生業とする人物』のことです。

そのような立場の人物と関わりを持つということは、レースに係る情報の漏洩などを行う可能性があり、その結果として出場停止処分を科された選手がボートレース界には数多く存在します。

有名な代表例としては、2021年まで7年連続最高勝率を記録し、2018年と2020年には賞金王を獲得し、“競艇界最強”とも称されたトップレーサー・峰 竜太選手が不祥事で出場停止処分を科せられて大きなニュースとなったのが記憶に新しいところ。

峰 竜太選手は、自身が主催するインターネット上の個人的なゲームイベントにおいて、SNSで協賛を募った際、本来は交流を避けなければならない、ボートレースの予想を生業とする人間(予想業)とネット上で接触し、協賛金という名目で金銭のやりとりをするなど、自身のルールに対する理解不足により、ボートレースの信頼を失墜させ、褒賞懲戒審議会で4か月間の出場停止処分を下されることが決定しました。

協賛金については、すぐに返金したといいますが、公営ギャンブルの選手が利害関係者から金銭を受け取るのはご法度
艇界きってのスター選手の不祥事で業界に衝撃が走ったことは言うまでもありません。

交流を避けるべき相手と金銭の授受をした峰 竜太選手ですら4か月の出場停止ですから、やはりボートレース界における処罰の程度は一般社会における常識よりも軽いと判断せざるを得ません

元ボートレーサー・中村 亮太選手の不祥事と出場停止処分

白石 健選手の不正に対する処罰の比較対象として、SNS上では2023年4月に引退を発表した元ボートレーサー・中村 亮太選手の名前が頻繁に見られました

現役時代の不祥事からはじまり、八百長に加担したとされる疑惑などあまり良くないイメージを持たれる方も一定数いた選手ですが、ここでは2013年に起こした不祥事についてご紹介します。

元ボートレーサー・中村 亮太選手の不祥事

元ボートレーサーの中村 亮太選手は、2013年2月3日に大村競艇場で行われた「SG・第40回 笹川賞競走(ボートレースオールスター)」のファン投票イベントに参加した際、配布するマークシートの自分の名前の欄にマークしてからお客さんに配る投票工作をしたことが発覚。

しかも、この行為が表沙汰となったきっかけは、参加したファンからのクレーム。
このことは、当時インターネット上で多くの批判が寄せられたことから大きな話題となり、ボートレース界の不祥事の一つとなってしまいました。

この状況を重くみた運営元の日本モーターボート競走会と選手の総意である日本モーターボート選手会は、一連の中村 亮太選手の行為が『ボートレース界の公平・公正のイメージを損なう行為に該当する』と判断。

その結果、中村 亮太選手は「ボートレーサーとしての体面汚し」に該当する行為を行ったとして、日本モーターボート競走会から12ヶ月の出場停止処分と日本モーターボート選手会から12ヶ月の自粛欠場勧告をそれぞれ受けたことで、2013年2月26日以降、合計2年間の出場停止処分を下されることになりました。

きっと白石 健選手の出場停止処分からの期間が近く、特にインパクトの強い不祥事だったことから、比較対象として名前が挙がったのでしょう。

ボートレースファンにとっては、故意に整備規程違反と検査指示違反を3度も犯している白石 健選手よりも、マークシートの自分の欄をマークした中村 亮太選手の行為の方が罪が軽いと受け止められたようです。

これは、運営側が“お客様ファースト”として中村 亮太選手の行為の方が罪が重いと判断したものの、世論は整備などで度重なる不正を犯してきた白石 健選手の方が罪が重いと感じているため、運営側が下した処罰が世論の意見とはかけ離れた結果ということを露呈しているとも言えます。

あくまで運営側ではない私個人の見解ですが、「レースの結果=ファンの収益に直結する不正」と「ファン投票の票数操作=出場権獲得の可否に関する不正」では、前者の方が罪が重いと感じますし、それも度重なる不正であれば、もっと厳粛な処罰をされた方がよかったのではないかと感じています。

いつも思いますが、このような出場停止処分を科されるような事案が発生した場合には、しっかり処罰の判断基準を明確に公表してほしいと感じます。

これもモーターボート競走会の隠蔽体質と言われてしまえばそれまでなのですが…

元ボートレーサー・中村 亮太選手ってどんな選手だったの?

名前
(フリガナ)
中村 亮太
(ナカムラ リョウタ)
登録番号4070
生年月日1980年11月25日
身長159cm
体重51㎏
血液型O型
支部長崎
出身地長崎県
登録期86期
引退時の級別A1級
デビュー日2000年5月20日
最終出走日2022年10月31日
引退日2023年3月31日

中村 亮太選手は1980年生まれ、長崎支部所属のA1級レーサー。
ニックネーム は「片翼の天使」や「ジョーカー」が有名で、座右の銘は「エースに勝てるジョーカー」と語るなど、デビューから半年でB1級に昇級するほどの天才でありながら、“艇界の異端児・問題児”とも呼ばれる選手でした。

しかし、2013年のオールスターファン投票で不正行為からはじまり、2021年には新型コロナ持続給付金の不正受給、さらには2022年の下関で意図的に順位操作した八百長疑惑が浮上するなど、引退前にはかなりのブラックなイメージがついてしまった選手ではありますが、その人気はとても高かったと言えます。

特に、漫画・モンキーターンからヒントを得た“亮太スペシャル”という独自の理論を駆使したプロペラが有名ですが、ほかにも「シャドウモンキーターン」という独自のターンを開発するなど“才能”以外にも“個性”が豊かな選手だったことがうかがえます。

22年10か月間の選手生活での出場節数は459期、出走数は4,032走。
通算143優出で優勝は28回、通算1,095勝を挙げて、通算勝率は6.34という記録を残しています。
SG競争には9回出場したものの、優出・優勝はなし。
G1競争では4回優出・G2競走は2012年10月に大村競艇場で開催された「第16回 モーターボート誕生祭〜マクール賞〜」で優勝しており、生涯獲得賞金は4億3,082万9,980円。

現役生活最後のレースは、2022年10月31日に下関競艇場で開催された一般戦「BTS山口あじすオープン11周年記念」最終日の第7レースの3着でした。

同期には、柳沢一選手(4074)・萩原 秀人選手(4061)・中野次郎選手(4075)・原田篤志選手(4064)がいます。

引退後は実業家・タレントとして、ゲーム配信などもをしており、日本語・英語・韓国語を話せるトリリンガルの才能を生かすため海外を拠点に活動していく方針だそうです。

ちなみに中村 亮太選手のIQは150だそうです。
IQ140が出せると天才といわれるなかで、IQ150と言えばその上の上。
まさに世界最大の高IQ団体である Mensaの会員になれるレベルの知能指数であることを意味します。
これほどの頭脳を有するのであれば、もちろん難しい知識を学ぶのもお手の物で、普通の人には解けない問題も簡単に解いてしまえるほどの優秀な頭脳を持っているということ。
しかし、その一方で周りとは明らかに違う頭脳を持っているために理解者が少なく、生きづらさや孤独な思いを経験する人もいるとも言われています。

  • 最近は〇〇へ旅行に!?中村亮太選手にインタビュー!【前編】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル
  • シャドウモンキーとは!?中村亮太選手にインタビュー!【後編】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル
  • 【蒲郡】「実は〇〇の資格持ってます」中村亮太選手にインタビュー!
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル

ボートレーサー中村亮太が引退

中村亮太

2023/04/07 13:25

長崎支部の中村亮太(42)が7日、引退したことが分かった。
中村は86期生として2000年5月20日に大村でデビュー。
通算4032走し、1095勝、勝率6.34、143優出、28優勝の成績。
SGには9回出場し優出・優勝はなし。
GIは4回優出、GⅡは2012年10月の大村モーターボート誕生祭で優勝した。
生涯獲得賞金は4億3082万9980円。

持ちペラ当時は、漫画「モンキーターン」の「洞口スペシャル」にヒントを受け、プロペラをカットした「亮太スペシャル」で一世を風靡。
2013年から15年にかけて2年間の出場停止処分を受け、その後復帰すると、今度は「シャドーモンキー」で話題になるなど、陸でも水面でも沸かせる一人だった。

昨年10月末の下関が現役最後の出走となった。

引用元:ボートレーサー中村亮太が引退 | ボートレース(競艇)【マクール】 (macour.jp)

中村 亮太選手の過去戦績

中村 亮太選手の主な過去戦歴は以下のとおりです。

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
2000年5月20日スポーツ報知杯争奪戦競走大村一般デビュー
2000年5月21日スポーツ報知杯争奪戦競走大村一般初勝利
2002年5月19日一般戦競走大村一般初優出
2004年1月7日新春開運特選レース福岡一般初優勝
2004年4月13日G1 つつじ賞王座決定戦開設52周年記念競走G1G1初出走
2004年4月16日G1 つつじ賞王座決定戦開設52周年記念競走G1G1初勝利
2006年5月23日SG 第33回 笹川賞(ボートレースオールスター)戸田SGSG初出走
2011年7月27日G1 北陸艇王決戦三国G1G1初優出
2011年11月7日開設57周年記念 G1 競帝王決定戦下関G1通算500勝達成
2012年7月18日SG 第17回 オーシャンカップ尼崎SGSG初勝利
2020年11月3日資さん杯若松一般通算1,000勝達成

2020年5月20日に長崎支部のホームプール・大村競艇場で初出走を飾ると、残念ながら、初戦は5着で舟券に絡むことはできませんでした。
しかし、翌日に2走目で初勝利を飾ると、早くも2004年1月には福岡競艇場の一般戦「新春開運特選レース」で初優勝、2020年11月には通算1,000勝を達成しました。

G1競争で見ると、2004年4月に津競艇場でG1初出場G1初勝利をあげて、2011年7月17日に下関競艇場で開催された「第63回 中国地区選手権」でG1初優出を果たしています。

さらにSG競争では、2006年5月の「第33回 笹川賞(ボートレースオールスター)」でSG初出場を飾ると、デビューから12年後の2012年7月に尼崎競艇場で開催された「第17回 オーシャンカップ」でSG初勝利を達成しました。

2003年後期に初めてA2級に昇級すると、それからは2014年前期に不祥事による2年間の出場停止処分でB2級に降級するまで10年以上もの間ずっとA1級を維持し続けました。
また、2022年前期にも2021年5月~10月まで「私傷病による欠場」の影響により、再度B2級に降級を許しているものの、2022年後期にはA1級へ返り咲きを果たすと、引退までA1級を維持し続けるほどの素晴らしい成績の持ち主でした。

2018年前期には優勝4回・優出8回というずば抜けた好戦績を積み上げて、自己最高勝率7.68を記録。
その後の活躍と、まだ未達成だったG1初優勝とSG初優出・SG初制覇のニュースを期待されていた矢先の引退でした。

白石 健選手のSNS

白石 健選手のファンならレースでのかっこいい姿やプライベート、寡黙ながらも時々発する一言が面白くて魅力的な白石 健選手のオフショットが気になるところですよね。

白石 健選手のSNSを調査したところ、Instagram・X(旧Twitter)のアカウントは開設されていませんでした。
Instagram・X(旧Twitter)についてはアカウントがみつからないので、開設されていない、もしくは匿名かと推測されます。

ほかにも、白石 健選手ご自身はYouTubeでチャンネル開設していませんが、ご自身が登場する動画が数多く投稿されています。

なお、Instagram・X(旧Twitter)ともに「#白石健」で検索することで、たくさんの写真を閲覧することができます。

  • Instagram  アカウント開設していない
  • X(旧Twitter) アカウント作成していない
  • YouTube チャンネル開設していない

・Instagram

現在、白石 健選手のInstagramのアカウントは存在しません

アカウントは確認できませんが、白石 健選手に関連した投稿の確認が可能です。
その一部を抜粋してご紹介します。

おなご

白石 健選手はラーメンが大好きらしいよ♡
もはや“艇界一のラーメンマニア”なんだって!

無知なネコ

「ラーメン、水面、ぼく しらけーん!!」だね♪

X(旧Twitter)

現在、白石 健選手のX(旧Twitter)のアカウントは存在しません

アカウントは確認できませんが、白石 健選手に関連した投稿の確認が可能です。
その一部を抜粋してご紹介します

・YouTube

白石 健選手はYouTubeチャンネルを開設していませんが、ボートレース公式チャンネルなどで登場する動画を見ることができます。
インタビューやトークショー、そのほかにもレース映像など多くの動画が投稿されていましたので、気になる方はチェックしてみてはいかがでしょうか。

ぜひこの機会に、白石 健選手のこれまでの軌跡を振り返ってみてくださいね。

  • 【現地・優勝戦】天国に捧げる最高の勝利、白石健選手【ボートレース尼崎】
出典:一撃まくり
  • 松本勝也選手を想い・・・白石健選手ピットルーティン【G1・近畿地区選手権・ボートレース尼崎】
出典:一撃まくり
  • 碧南訓練中のリアルな会話…自分の課題と向き合うボートレーサーの真の姿が明らかに!新人レーサーへの指導|試運転後の会話|練習の取り組み方【深・ボートレース#3】
出典:ボートレース公式映像配信 JLCレジャーチャンネル

まとめ

白石 健選手、デビューから約27年7か月、お疲れさまでした。
トップレーサーとして一般戦を中心に第一線で戦い続け、口数が少ないながらも丁寧な対応が好印象の白石 健選手。

インタビューの際は、『いつも応援ありがとうございます!いつも横断幕を出していただいたり…赤い色のタオルを掲げてくださったり…ファンの方々の応援が僕の励みです。本当に力になっています!』と語るなど、ファンを気遣ったメッセージがとても魅力的だと感じました。

さらに、YouTube動画の出演時には、今までの水面のイメージとは全く違う“艇界一のラーメンマニア・シラケン”をさらけ出す姿を見ることもできました

ただ…どうしても不正に手を染めてしまった過去があるため、アンチも一定数いるのは残念でなりません。
いつの時代も不正は最高のタブーでありご法度!なので、しっかりルールを守った整備を行ってほしいと切に願います。

また、SNSをのぞくと、家での時間は『プロペラを叩いて、ゲージを削って…あとは、猫3匹(のんちゃん・姫ちゃん・マロンくん)と遊んでお世話しています』という貴重なプライベート情報を話してくれていることもあって、白石 健選手の意外な一面に魅かれること間違いなしです。

最近では弟子の動画にも出演するなど、師弟関係はとても良好な様子で、趣味などでも影響を与えていることが伝わっていました。
きっと、白石 健選手がレースでみせる“ファンへの感謝を込めた熱い走り”と“熟練のレーステクニック”は必見であり、SNSに投稿された「復帰を待ち望む声」の多さこそが、『ボートレースファンの心を掴んでいる証』なのでしょう。

しかし、待ちに待った10月下旬の復帰戦から急転直下の途中帰郷と欠場に続き、12月に入ってからは、予想だにしなかった全斡旋削除からの電撃引退までの一連の経緯を追い続けましたが、やはり同支に所属していた魚谷 智之選手の件も然り、実力あるベテランレーサーの引退はうまく言葉にできない、口惜しいものがあります。

観客が「まだまだ現役選手として第一線で戦い続けられる実力がある」と感じても、トップレベルで長年戦い続けてきた一流選手にとってはモチベーションの低下は命取りになり、そのプライドに火が灯らなくなる時こそ引退を決断する潮時なのかも知れませんね。

この記事を書くにあたって、白石 健選手について調べるうちに、ただひたすらに真っすぐ勝ちにこだわり続けたレーサーだということがわかりました。
もし、復帰戦で今後も戦い続けられるとご本人が判断していたなら、引退という選択肢はまだ見えなかったはずです。
きっとファンの思いをしっかりと心に留めて、信頼回復に努めてくれたのではないか…と思いたいとともに、これからの活躍に期待が大きくなっていたことでしょう。

白石 健選手ご自身が決めた引き際ですから、それは他人には口出しのできないことですが、一流レーサーゆえの厳しいボーダーが存在していたことは間違いありません。

2024年も残りわずかとなったタイミングで飛び込んできた電撃引退。
白石 健選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

**10月25日追記**
約2年2年2か月ぶりの復帰戦として注目された、2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レース。
白石 健選手はこのレースで長期間のブランクを感じさせないほどの見事なレースで2着を獲得し、実戦復帰を果たしましたが、このレースを1走したのみで途中帰郷
また、このレース以降はレースに出場せず、欠場が続いています

出典:BOAT RACE公式サイト

**12月23日追記**
2024年12月23日、白石 健選手に入っていた斡旋が、再びすべて削除されたことが明らかになりました。
この日までに削除された斡旋は、2024年12月24日~29日まで尼崎競艇場で開催される「日本財団会長杯 歳忘れ 第37回 今年もありがとう競走」と、2025年1月11日~16日まで宮島競艇場で開催される「第5回週刊大衆杯」の2つのシリーズです。
この斡旋削除により、白石 健選手に入っている斡旋は1つもなくなったとともに、今後の動向に注目があつまります。

出典:BOAT RACE公式サイト

**12月27日追記**
2024年12月27日、SGにも出場歴のあるベテランレーサーの白石 健選手のBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除されたことが明らかになりました。
一方で、ボートレース尼崎の兵庫支部所属選手一覧では情報の閲覧ができる状態が続いています。
現在まで引退報道はなされていませんが、引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、こちらについても引退が理由であれば、近日中に削除される見込みです。

出典:BOATRACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
出典:ボートレース尼崎official Site
出典:ボートレース尼崎official Site

**12月29日追記**
2024年12月29日、10月25日の復帰戦以降は欠場が続き、先日選手登録を削除されたことが判明した白石 健選手が、12月24日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

白石 健選手については、プロフィール写真もすでに最新版に更新されていたことから、復帰戦を走るまでは選手生活を続ける意向だったことがわかります。
そのため、結果として“引退”という決断に至ったことについては「ご本人も復帰戦が行われた10月25日まで予期していなかった」と考えるのが妥当でしょう。
結果として、復帰戦となった2024年10月25日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」初日の第5レースが現役最後のレースになりました。

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