兵庫支部の魚谷智之選手が電撃引退!現役生活29年のベテランボートレーサーに何があったのか?勇退報道の詳細を徹底調査!!

2024年12月17日、76期のSG3冠レーサーであり、2019年~2022年まで兵庫支部長も務めたベテランレーサー・魚谷 智之選手(兵庫・3780)が、登録消除願いを日本モーターボート競走会に提出し、近日中に引退することが明らかになりました。
※魚谷 智之選手は既に登録消除願いを提出済みで、受理され次第、正式に引退となります。

**12月20日追記**
2024年12月20日、「BOAT RACE公式サイト」と「ボートレース尼崎Official Siteの兵庫支部選手一覧」内にあった、魚谷 智之選手のプロフィールページが削除されたことが確認されました。
これによって、日本モーターボート競走会に引退届が受理されたこと、選手登録の削除が行われたことが確定しており、ついに納得がいくまで理想を追い求め、結果を残したミスターセンタープールが艇界を後にしています。

兵庫支部の76期レーサー・魚谷 智之選手(3780)が、2024年12月16日に地元・尼崎競艇場で開催された「阪神電車 ジェット・シルバー杯」最終日の第11レースでの1着を最後に日本モーターボート競走会に登録消除願を提出したことが報じられました。
※魚谷 智之選手は既に登録消除願いを提出済みで、受理され次第、正式に引退となります。

12月17日現在、魚谷 智之選手の情報は、ボートレースオフィシャルサイトの選手ページ・ボートレース尼崎オフィシャルサイト内の兵庫支部所属選手一覧からはどちらも削除されておらず、現在も確認することができます。
しかし、これから魚谷 智之選手の登録消除願いが受理されれば、近日中に両方から削除される見込みです。

1995年5月に地元・尼崎競艇場で76期としてデビューした魚谷 智之選手。
2006年と2007年にはSG3冠を達成し、勝率も圧巻の8.61を記録。
2024年後期の勝率は7.26で、現役でボートレース界をけん引できるほどの有力レーサーでしたが、今期の成績だと2025年前期は勝率6.82となる予定で、全盛期のように8.00を超えることはないものの、引退勧告とは無縁の成績だったことから、ボートレース界に大きな衝撃が走っています。

このことから、モチベーションの低下や長年トップを走り続けたプライドが故に、選手生活30年目を迎える節目に潔く身を引く決断をしたのでしょう。

魚谷 智之選手の基本情報・華麗なる過去戦績・同期の注目選手・近年の成績から引退勧告の水準まで、競艇界の大ニュースとなっている今回の引退報道について、最新情報も交えて、どこよりも詳しく解説していきますので、ぜひ最後までご覧ください。

**12月20日追記**
2024年12月20日、「BOAT RACE公式サイト」と「ボートレース尼崎Official Siteの兵庫支部選手一覧」内にあった、魚谷 智之選手のプロフィールページが削除されたことが確認されました。
これによって、日本モーターボート競走会に引退届が受理されたこと、選手登録の削除が行われたことが確定しており、ついに納得がいくまで理想を追い求め、結果を残したミスターセンタープールが艇界を後にしています。

出典:BOAT RACE公式サイト
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目次

魚谷 智之選手のラストレース

魚谷 智之選手のラストレースは、2024年12月11日~16日に尼崎競艇場で開催された一般戦「阪神電車 ジェット・シルバー杯」最終日の第11レースです。

このシリーズは、落水事故があったにも関わらず途中帰郷をせずに走り続けて、最終日の選抜戦まで駒を進めてきました。
魚谷 智之選手はここまで10戦2勝だったものの、ほぼ3連対で舟券にも貢献。
前走では4コースカドからの進入でしたが、コンマ11のトップスタートを切って、このシリーズ4本目の2着という結果となっていました。

絶好枠の1号艇・1コースからの進入で、“現役最後のラストランを有終の美で飾りたい”という意気込みを胸に臨んだ選抜戦。

魚谷 智之選手以外も4・5コースにA1級選手が配置され、2・3コースにはA2選手が控えており、ほぼ全員がA級選手というレベルの高いレースでした。
尼崎での強さに定評のある魚谷 智之選手だけあって、当地勝率は圧倒的な高値で、全国勝率もトップ
単勝オッズは1.0倍、3連単の人気上位10の買い目がいずれも1号艇が1着だと予想していたことから、観客の大半が「魚谷 智之選手が1着は鉄板」と考えていたことがわかります。

勝利へのプレッシャーがかかる条件下で、絶好枠のイン戦。
しかも、出走選手全員が自分よりも勝率が低いという状況だったため、“絶対に負けたくない”という気持ちが強かったことでしょう。
魚谷 智之選手はコンマ21でややゆっくりの2番手スタートを切るも、インを守るとしっかりと逃げ切って、通算2,081勝目の勝ち星獲得
このレースの3連単154は11番人気の3,140円(31.4倍)で、ラストランでも舟券に貢献する活躍を見せてくれました

デビューから約30年、選手生活最後となるラストレースでも、これまでの選手生活と同様にファンの期待に応えて、シリーズを“無事故”で走り切れたのは、日々の練習で操縦技術をコツコツと磨き続けた賜物でしょう。

出走表

出典:BOAT RACE公式サイト

単勝オッズ

枠番級別選手名単勝オッズ
1A1魚谷  智之1.0倍
2A2藤田  浩人24.0倍
3A2笠置  博之4.3倍
4A1松尾  夏海11.6倍
5A1水摩   敦25.7倍
6B1米田  隆弘77.1倍

3連単オッズ

買い目(人気順)オッズ(倍)
134(1番人気)6.8
123(2番人気)7.9
132(3番人気)8.8
124(4番人気)9.9
143(5番人気)10.9
135(6番人気)12.9

レース結果

出典:BOAT RACE公式サイト

魚谷 智之選手が語ったレースの感想

ラストランを有終の美で締めくくった魚谷 智之選手。
レース後にさまざまなインタビューに答えていましたので、その一部をご紹介します。
まずは、レースの終了後にホームプール・地元の尼崎のファンに向けたメッセージをご紹介します。

ファンの方々にはかわいがってもらいました。
日本で一番“上品”な尼崎のファンからの怒号も罵声も熱い声援だと思って、頑張って走ることができました
ありがとうございました!

引用元:【ボートレース】電撃引退の魚谷智之、ファンへラストメッセージ「怒号も熱い声援だと思って」 – ボート : 日刊スポーツ

次に、レースの終了後に現役生活で最も印象に残っているレースを尋ねられた際、次のように語っていました。

何年かしたら、あったな。
そう思うことがあるかもしれないけど、(今のところ最も印象に残っているレースは)ないですね。
例えばSGで優勝した時も何日かしたら次のレースを走っている。
浮かれていたらやっていけない世界なので、どんどん上書きされていたんですよ
良かったことは忘れるようにやっていた
強いて言えば、最後の11Rがすごくうれしかった。めっちゃ緊張したけどね。
気持ち良かったですね。
引用元:【ボートレース】SGで3度優勝の魚谷智之が49歳で電撃引退「トップを狙えなくなった」(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース

最後のファンに向けたメッセージ

魚谷 智之選手の“引退”はあまりに突然で、まだ感情が追い付かないというボートレースファンも多いのではないでしょうか。
まだまだ第一線で戦い続けられたであろう成績を維持しながら、それでも引退を選択したという、名残惜しくも、かっこよすぎる姿に向けられた様々な反応。

長年、競艇界のトップで戦い抜いてきたレジェンドレーサーの勇退。
その決断の裏にあるであろう想いを、これから活躍していくであろう後輩レーサー達が受け止めて、さらにボートレースの未来を盛り上げてくれることを魚谷 智之選手は期待しているはずです。

最後に、今後については『何も考えていないです。とりあえず、ノンビリします』とした魚谷 智之選手ですが、長年応援してくれたファンに向けてメッセージを送っていますので、ご紹介します。

今は“やり切った”っていう思いが強いです
(ファンのみなさんには)熱い声援を送っていただき、感謝しています。精いっぱいやってきました。
迷惑をかけた時もあるかもしれないですけど、(ラストランの結果を)少しでも喜んでくれたらうれしいです。

引用元:【ボートレース】SG3冠 魚谷智之が現役引退 16日の地元・尼崎がラストラン「やり切った」― スポニチ Sponichi Annex ギャンブル

【12月20日追記あり】魚谷 智之選手の引退で選手情報に関するページは削除される見込み

魚谷 智之選手の引退が報じられた2024年12月17日。
情報の信憑性を確認するために、下記の2つの情報源で「魚谷 智之選手のプロフィールページ」の存在有無を調査しました。

  • BOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ
  • ボートレース尼崎Official Siteの福井支部選手プロフィールページ

2024年12月17日時点で、それぞれのサイトに“魚谷 智之選手のプロフィールページ”が存在していたのか…その調査結果をご紹介します。

**12月20日追記**
2024年12月20日、「BOAT RACE公式サイト」と「ボートレース尼崎Official Siteの兵庫支部選手一覧」内にあった、魚谷 智之選手のプロフィールページが削除されたことが確認されました。
これによって、日本モーターボート競走会に引退届が受理されたこと、選手登録の削除が行われたことが確定しており、ついに納得がいくまで理想を追い求め、結果を残したミスターセンタープールが艇界を後にしています。

ボートレース公式サイト内のプロフィールページ

2024年12月17日時点ではままだ「BOAT RACE公式サイト」内のプロフィールページは削除されていないことが確認できました。

現在、魚谷 智之選手のプロフィールページにアクセスすると、今までのように情報が閲覧可能な状態であり、2024年12月26日~2025年2月7日まで入っている斡旋が削除されずに残っている状態です。

しかし、魚谷 智之選手が登録消除願いを日本モーターボート競走会に提出済である以上、受理され次第、近日中に両方とも閲覧できなくなる見込みです。

同サイト内の検索機能を利用して“選手名”や“登録番号”で検索しても、『※ データが存在しないのでページを表示できません。』と表示されて、以前のように情報を閲覧できない状態になるのはとても名残惜しいので、ここにデータとして残しておくこととします。

**12月20日追記**
2024年12月20日、「BOAT RACE公式サイト」内にあった、魚谷 智之選手のプロフィールページが削除されたことが確認されました。
これによって、日本モーターボート競走会に引退届が受理されたこと、選手登録の削除が行われたことが確定しており、ついに納得がいくまで理想を追い求め、結果を残したミスターセンタープールが艇界を後にしています。

出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト

ボートレース尼崎Official Siteの兵庫支部選手プロフィールページ

魚谷 智之選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内からいまだ削除されていないため、2024年12月17日現在も「ボートレース尼崎Official Site」で情報を確認することができます

登録消除願いが受理されて選手登録が削除されることが確定している以上、兵庫支部所属選手一覧から削除されることは確実でしょう。
一般的に引退が報じられてから、所属支部の選手紹介から削除されるのは一定期間を経過した後に行われることが多いので、最後に確認しておきたい方は早めのアクセスをおすすめします。

こちらについても、情報を閲覧できない状態になるのはとても名残惜しいので、ここにデータとして残しておくこととします。

**12月20日追記**
2024年12月20日、「ボートレース尼崎Official Siteの兵庫支部選手一覧」内にあった、魚谷 智之選手のプロフィールページが削除されたことが確認されました。
これによって、日本モーターボート競走会に引退届が受理されたこと、選手登録の削除が行われたことが確定しており、ついに納得がいくまで理想を追い求め、結果を残したミスターセンタープールが艇界を後にしています。

出典:ボートレース尼崎official Site
出典:ボートレース尼崎official Site

ボートレース尼崎のXで引退が報告される

2024年12月17日、魚谷 智之選手の引退を受けて、所属している兵庫支部のホームプール・ボートレース尼崎では次のような投稿をしています。

兵庫支部
3780 魚谷智之選手

29年7ヶ月の選手生活お疲れ様でした。
たくさんの感動を ありがとうございました。

ファンのみなさま たくさんの応援ありがとうございました。

引用元:ボートレース尼崎のX

WEBニュースで引退が報じられる

2024年12月12日に「Yahoo!JAPANニュース」で魚谷 智之選手の引退が報じられました。

【ボートレース】SG3Vの魚谷智之が引退

12/17(火) 13:51配信

引退する魚谷智之

 ボートレーサーの魚谷智之(49)=兵庫=が、引退することが17日、分かった。近日中に日本モーターボート競走会に引退届けを提出する。
 魚谷は1995年5月、尼崎・一般戦で76期としてデビュー。その節の初戦で初1着。1996年9月の江戸川・一般戦で初優出。1997年9月の尼崎・一般戦で初優勝。G1は2004年2月の尼崎・近畿地区選手権で初優勝するなど通算70優出11V。SGは2006年10月の福岡・全日本選手権で初優勝するどなど通算14優出3V。通算2081勝で287優出88Vの成績を残した。2024年12月16日の尼崎・一般戦最終日11Rの1着がラストレースとなった。生涯獲得賞金は16億2416万6847円。

引用元:【ボートレース】SG3Vの魚谷智之が引退(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

記事に寄せられたコメント

報道はいたってシンプルなものでしたが、76期のSG3冠を誇るベテラントップレーサーが引退を決めたとあって、『長年の活躍を労う声』や『引退を惜しみつつも、決断を支持する声』が聞かれました。

まだめっちゃ上手いのに早すぎる

最近は記念すらパッとしなかったもんなぁ
パン戦(一般戦)ならまだまだイケるのに本人が納得しないんだろうな
おつかれさまでした。

お疲れ様でした。 どの枠に入っても期待出来る選手でした
引退は残念ですが第2の人生も頑張って下さい。
YouTubeとか出てくれたら嬉しいですけど。

ボートレーサーも魚谷くらい一流選手だったら野球選手みたいに早めに引退を教えてほしいな
最後の勇姿を現地で見たいファンもいると思う

年齢的にはまだまだ出来そうなんだけど、本人のモチベ的にもこれ以上あがってこなかったんだろうなぁとも思う
尼崎11Rでは実況の千葉アナもラストランに併せて心に染みる実況をしてくれてるし、お疲れ様でしたと言いたい。

同期のトップレーサーの反応とメッセージ

魚谷 智之選手の引退を受けて、同じ76期の盟友であるトップレーサーや、同支部の後輩レーサーからメッセージが寄せられました。
その一部をご紹介します。

同期の盟友:瓜生 正義選手
魚谷選手の引退について、どう感じましたか?

とりあえずお疲れさまと伝えたいですね。まだ早いかというのは、本人がどう思うかでしょうし、僕も50歳までに辞めようと思っていた時期もあった。子どもが上2人だったら辞めてる可能性もあるし。いろんな家庭環境だったりとかもありますし。

一緒にGP優勝戦に乗ったこともありましたよね?

グランプリを一緒に走っていた記憶はありますね。

(魚谷 智之選手は)どんなレーサーでしたか?

一生懸命ボートに向き合っていたと思う。向き合っているからこそ、疲れる可能性もある。集中しすぎてとかもあるでしょうし。入り込むタイプなので。

瓜生さんがグランプリ勝った時にお祝いなどはしてもらいましたか?

メッセージは来たと思いますけど、覚えてない(笑い)。会った時におめでとうと言ってくれた。

今節(2024年のグランプリ)も応援してると思いますが、メッセージはありますか?

ゆっくりしてほしいですね。魚ちゃんの時間をゆっくり。体も精神的にも疲れたでしょうから。今節が終わったら連絡したいと思っている。いい報告ができるように頑張ります。

引用元:【ボートレース】瓜生正義から魚谷智之へ「今節終わったら連絡したい。いい報告を」/住之江GP – ボート : 日刊スポーツ

同期の盟友:原田 幸哉選手

今日、僕も聞いてビックリ。知らなかったです。寂しさもあるけど、ちょっといいなと思うところもある。
29年やっているので、僕も辞め時を探したりもするけど、僕はまだ辞められる状況にない。僕はやれるところまでやりたい。それに頂点を獲っていないので辞められない。

魚谷選手の引退について、どう感じましたか?

うらやましいのもあるけど、寂しいのもあるって感じです。引退はまだまだ早いんじゃないかなと思ったりもするけど、人によって考え方は違いますからね。

魚谷選手に声をかけるとしたら?

お疲れさましかないですね。

ウオちゃんとの思い出はいっぱいあるし、若い頃にはよく助けてもらったし、いい刺激をもらっていた。本栖の頃から瓜生(正義)と同い年3人でやってきましたからね。
だから最近の姿を見ていると(引退は)ありえなくないかなというのもある。
でも、僕と瓜生はあと10年はやりますよ。まだトップで戦える自信もあるし、どれだけ今の気持ちを持ち続けられるかだと思う。55歳でもトップでやっている松井(繁)さんを近くで見ているので、僕らもまあまあの歳だけど、55歳までは辞められない。
ただ、そういう面ではウオちゃんの引退は寂しいですね。自分は強い気持ちを持ってやっていきます。

引用元:【ボートレース】原田幸哉 同期・魚谷智之の引退に「うらやましいのもあるけど、寂しいのもあるって感じ」(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

同期の盟友:安達 美帆選手

同い年で来年の4月にデビュー30年なんで、その前に辞めるとは…。
ウチの期は稼ぐ人が早く辞めていくんですよ。横西(奏恵)さんもだし。
女子は6人いたけど私だけになった。
瓜生(正義)君や原田(幸哉)君は辞めないだろうけど。私はできるだけ長くやろうと思ってます

引用元:【徳山ボート・男女W優勝戦】安達美帆 同期・魚谷智之引退に「私はできるだけ長くやろうと…」 | 東スポWEB

兵庫支部の後輩:稲田 浩二選手

(引退することを)全然知らなかったし、びっくりしました。寂しいですね。
みんなが思ってることでしょうけど、40代だし、まだまだ走れたのにとは思います。
本当にお世話になりましたし、ありがとうございました。

引用元:【ボートレース】稲田浩二は魚谷智之引退に「寂しい。40代でまだまだ走れるのに」/住之江GP – ボート : 日刊スポーツ

兵庫支部の後輩:重木 輝彦選手

ご存知の方も多いと思いますが、兵庫支部の偉大な先輩である、魚谷智之選手が選手生活を終えられました。 寂しくもありますが、教わったことを活かして一生懸命レースしていきたいと思います。 長い間本当にお疲れ様でした!

引用元:重木 輝彦選手のX

兵庫支部の後輩:吉田 俊彦選手

「きょう(17日)の朝に聞いたので、まだ実感がないですね。岸蔭亮から“魚谷さん、辞めたみたいですよ”と聞いてびっくりしました。次の仕事(25日前検のびわこ)が一緒なので、どうやって行きます?って話をしていたくらいなのに」と驚きの表情を浮かべた。

もちろん吉田にとってSG、G1戦線を一緒に戦った大事な先輩。
「昔から目標にしてきました。怒られたことの方が多いかな(笑い)。いつもストイックに自分を追い込んで仕事していましたし、それが印象深いです。ボートに対する姿勢、体作りとか見てすごいなと思っていました。尊敬していました」と思い出を口にした。

私生活では「お酒とかしょっちゅう一緒に飲ませてもらって、仲良くさせてもらいました。その時は僕らがはっちゃけて、ため口でしゃべっても怒られなかったです。優しいところもありました」と素顔の一面も教えてくれた。

「本人が決めたことだけど、寂しいですね。僕はまだ子どもが小さいので、すぐに辞められる立場ではないです。しがみついて頑張ります」と先輩の思いを背負って、今後も好戦を演じる。

引用元:【ボート】多摩川 吉田俊彦が魚谷智之に惜別のコメント「朝聞いたので実感がない。寂しいですね」/レース/デイリースポーツ online

魚谷 智之選手の基本情報

名前
(フリガナ)
魚谷 智之
(ウオタニ トモユキ)
登録番号3780
生年月日1975年11月2日
身長162cm
体重54㎏
血液型A型
支部兵庫
出身地兵庫県
登録期76期
級別A1級
デビュー日1995年5月
最終出走日2024年12月16日
引退日2024年12月

魚谷 智之選手は1975年生まれ、兵庫支部所属のA1級選手です。
2019年から2022年までは兵庫支部長も務めた経歴がありますが、現在は和田 兼輔選手にバトンタッチしています。

道中で着順を上げるハンドル捌きに定評があり、自在戦を得意としていたこと、全盛期の偉業の数々から“新・艇王”とも称されたレジェンドレーサーで、愛称は「魚ちゃん」や「魚屋さん」。
トレードマークは唐草模様のヘルメットでした。

「もし、選手になっていなかったら?」という質問をされた時には「ローバーミニのショップを経営していた」と答えるほどの車好きであり、競輪選手を目指したこともあるぐらいの競輪好き。

デビュー当初から桁違いの練習量で知られており、開会式などの選手紹介のコメントでは『力を出し切ります』という言葉をよく使うことから、努力家で仕事熱心な一面がよく知られています。

76期生として1995年5月に兵庫支部のホームプール・尼崎競艇場の一般戦でデビューを飾り、約30年間の選手生活で通算6,980走2,081勝287優出優勝88回
特にグレードレースでの戦績は素晴らしく、G1競争では通算70優出・優勝11回SG競争では通算14優出・優勝3回を誇りました。
生涯獲得金額は16億2,416万6,847円という成績を収めています。

現役生活最後のレースは、2024年12月16日。
デビューから29年7か月、最も多くの時間を過ごし、無類の強さを発揮し続けた尼崎競艇場の水面で開催された一般戦「阪神電車 ジェット・シルバー杯」最終日の第11レースで1着を獲得しています。
デビュー・初勝利を飾った思い入れのある地元水面で最終出走でもしっかりと勝ち星を重ねて、有終の美を飾りました

ちなみに、魚谷 智之選手が現役最後の優勝を飾ったのは、2023年12月28日~2024年1月2日に徳山競艇場で開催された「yab山口朝日放送杯争奪戦」で、2024年の開幕シリーズを制して、選手生活最後のラストイヤーに新年初優勝を飾っていました。

2023年の年末年始を走り続けて、きっと大晦日からお正月まで大忙しだった魚谷 智之選手。
2024年の年越しは家族でゆっくりと、2025年のお正月にはボートレースを見て過ごしてくださったら嬉しいですね。

2024年の初優勝を飾ったのは魚谷智之

2024年の初優勝を飾ったのは魚谷智之

2024/01/02 17:20

ボートレース徳山の「yab山口朝日放送杯争奪戦」は2日、優勝戦を行い、魚谷智之が2024年の開幕シリーズを制した。

優勝戦に1枠で登場した魚谷はインからコンマ11のトップスタートを決めて押し切った。白井英治が最後まで離されず食らいついたが、あと一歩及ばず2着。3着は竹田辰也。3連単1-2-3は450円で1番人気だった。

魚谷は昨年11月の常滑以来の優勝で、通算では88度目のV。
引用元:2024年の初優勝を飾ったのは魚谷智之 | ボートレース(競艇)【マクール】

  • 圧巻のターン!4号艇 魚谷智之 見事な逆転劇で勝利!│BOATCAST NEWS 2024年1月20日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE official
  • 魚谷智之 単騎ガマシ強襲で予選トップ争い制す│BOATCAST NEWS 2023年5月20日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE official

魚谷 智之選手の過去戦績

魚谷 智之選手の主な過去戦績は次のとおりです。
あまりに前の記録のため、1997年5月1日以前の記録については詳細を確認することができませんでした。

スクロールできます
日付レース名レース場グレード戦績・概要
1995年5月18日一般競走(タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明
尼崎一般デビュー・初勝利
1996年9月一般競走(タイトル不明)
※1997年5月1日以前のため、詳細不明
江戸川一般初優出
1997年9月10日楠公杯争奪 第6回 兵庫・岡山選抜戦尼崎一般初優勝
1997年10月27日第25回 高松宮記念特別競走
※1997年5月1日以前のG1出場歴については調べられないため、このレースが確認できた最も昔のG1出場歴です
住之江G1G1初出走
1999年2月6日第42回 近畿地区選手権競走びわこG1G1初勝利
2000年8月22日第46回 モーターボート記念競走(ボートレースメモリアル)若松SGSG初出走
2000年8月24日第46回 モーターボート記念競走(ボートレースメモリアル)若松SGSG初勝利
2000年10月18日モーターボート大賞競走桐生G1G1初優出
2004年2月11日第47回 近畿地区選手権競走尼崎G1G1初優勝
2004年6月27日第14回 グランドチャンピオン決定戦浜名湖SGSG初優出
2006年10月29日第53回 全日本選手権(ボートレースダービー)
※兵庫支部選手のSG優勝は、1960年に平和島モーターボート記念で井上 一二郎選手が優勝して以来、46年ぶりの快挙
福岡SGSG初優勝
2007年9月2日第53回 モーターボート記念念競走(ボートレースメモリアル)
※2002年に開幕したナイターSGとしては史上初の連覇(完全制覇)の偉業を成し遂げた
蒲郡SG史上11人目のSG連覇
2009年2月5日第18回 倉敷市議会議長杯児島一般通算50優勝達成
2009年9月27日G1 全日本王座決定戦 開設57周年記念芦屋G1通算1,000勝達成
2016年3月6日マクール杯多摩川一般通算1,500勝達成
2023年10月20日公営レーシングプレスカップ大村一般史上176人目の通算2,000勝達成

魚谷 智之選手は、1995年5月18日に兵庫支部のホームプール・尼崎競艇場で開催された一般競争でデビュー戦にして初勝利を飾るというファンの度肝を抜く偉業で選手生活をスタート。
デビューから2年4か月後の1997年9月10日に尼崎競艇場で開催された一般戦「楠公杯争奪 第6回 兵庫・岡山選抜戦」で早くも初優勝を果たしました。

さらに、2009年2月5日に児島競艇場で開催された「一般・第18回 倉敷市議会議長杯」で通算50優勝、2023年10月20日には大村競艇場の「一般・公営レーシングプレスカップ」で史上176人目の通算2,000勝勝を達成しています。

G1競争で見ると、1999年2月にG1初勝利、2000年10月にG1初優出、そして2004年2月11日に尼崎競艇場で開催された「第47回 近畿地区選手権競走」でG1初優勝の栄冠を手にしました。

SG競争でもその勢いは衰えることを知らず、デビューから6年5か月後の2006年10月29日に「第53回 全日本選手権(ボートレースダービー)」でSG初制覇を果たして、ダービーのタイトルを獲得したのです。
ちなみに、兵庫支部選手のSG優勝は、1960年に平和島モーターボート記念で井上 一二郎選手が優勝して以来、46年ぶりの快挙だったそうです。

そして迎えた2007年9月2日。
蒲郡競艇場で開催された「第53回 モーターボート記念念競走(ボートレースメモリアル)」で自身2度目のSG制覇と史上11人目のSG連続優勝を達成しており、同時に2002年に開幕したナイターSGとしては史上初の連覇(完全制覇)の偉業まで成し遂げています。

このような快進撃の影響もあり、実況者やファンの間では魚谷 智之選手の偉業に敬意を表して“新・艇王”と称される機会も多くなったそうです。

魚谷 智之選手は確認できるだけでも2000年からA1級で活躍しており、実に選手生活29年7か月のうちの24年以上もの長きにわたって、ずっとA1級を維持するというまさに“レジェンドと呼ぶにふさわしい成績でした。

2007年後期には優勝4回・優出9回という好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.61を記録。
さらに最近では、2024年後期に優勝2回・優出5回の戦績と勝率7.26という素晴らしい成績を残しており、まだまだ現役のトップレーサーと呼ぶにふさわしい活躍を続けていました。

ですが、まさに青天の霹靂という言葉がピッタリあてはまるような急展開で、2024年12月17日に突如、電撃引退する意向が報じられたのです。

そして、初出走から30年を目前とした2024年12月11日~16日に尼崎競艇場で開催された「一般・阪神電車 ジェット・シルバー杯」最終日の第11レースの1着を最後に登録消除願いを日本モーターボート競走会に提出しました。

出典:艇国データバンク
  • 魚谷智之 デビューから29年目で通算2000勝達成!│BOATCAST NEWS 2023年10月20日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE officialチャンネル

魚谷 智之選手の獲得タイトル

魚谷 智之選手が引退までに獲得したSG・G1タイトルは次のとおりです。

【SG】

  • 第53回 全日本選手権競走(2006年・福岡競艇場) ※現在のボートレースダービー
  • 第12回 オーシャンカップ競走(2007年・桐生競艇場)
  • 第53回 モーターボート記念競走(2007年・蒲郡競艇場) ※現在のボートレースメモリアル

【G1】

  • 近畿地区選手権競走(2004年・尼崎競艇場)
  • 大渦大賞(2006年・鳴門競艇場)
  • モーターボート大賞(2006年・三国競艇場)
  • ダイヤモンドカップ(2006年・芦屋競艇場)
  • 北陸艇王決戦(2007年・三国競艇場)
  • 徳山クラウン争奪戦(2007年・徳山競艇場)
  • モーターボート大賞(2007年・尼崎競艇場)
  • 近松賞(2008年・尼崎競艇場)
  • トーキョー・ベイ・カップ(2009年・平和島競艇場)
  • 福岡チャンピオンカップ(2009年・福岡競艇場)
  • つつじ賞王座決定戦(2017年・津競艇場)

魚谷 智之選手の師匠は芝田 浩治選手

魚谷 智之選手の師匠は同じ兵庫支部所属、66期の芝田 浩治選手です。

名前
(フリガナ)
芝田 浩治
(シバタ コウジ)
登録番号3484
生年月日1971年10月17日
身長168cm
体重53㎏
血液型B型
支部兵庫
出身地兵庫県
登録期66期
級別A2級

芝田 浩治選手は一般戦を中心に活躍を続けるA2級選手。
2024年の1コースでの1着率は74.4%、3連対率89.3%と高い数値をマークしており、イン戦においては非常にミスの少ない選手の一人です。
そのほかのコースでは、2コースの3連対率が73.3 %、3コースが68.0 %と高く、連に絡みやすい選手だと言えます。
平均スタートタイミングは0.16で、スタート事故が少ない慎重派
SG級常連レーサーとのレースにおいては見劣りするものの、道中での逆転や外枠からでも舟券に貢献する確率が高く、一般戦や地元・尼崎の水面では、まだまだ優勝候補の一角として注目される存在と言えるでしょう。

2016年10月30日に福岡競艇場で開催された「第63回 ボートレースダービー(全日本選手権)」でSG初優出を果たすほどの有力選手で、2020年9月24日には選手生活30年4か月にして史上135人目で通算1,000勝の偉業を達成しました。

2021年7月にびわこ競艇場で開催された「一般・第6回 滋賀レイクスターズ杯」以来、優勝から遠ざかってはいますが、全盛期の2016年には年間勝率7.20で優勝7回・優出19回という記録を残しています。

1990年5月のデビューから選手生活は34年を数えているものの、成績についてはA2級へ降級した2020年を目途に右肩下がりで低下している状況です。

  • 2019年5月2日 6号艇 芝田浩治選手 優出インタビュー
出典:ボートレース尼崎【公式】

芝田 浩治選手の過去戦績

芝田 浩治選手の主な戦歴は以下のとおりです。

スクロールできます
日付レース名レース場グレード戦績・概要
1990年5月10日(タイトル不明)尼崎一般デビュー
1990年5月(タイトル不明)
※デビュー節に初勝利を達成している
※1997年5月1日以前と推測されるため、詳細不明
尼崎一般初勝利
不明(タイトル不明)
※1997年5月1日以降はじめての優出は1997年5月12日に平和島競艇場で開催された「一般・第11回 関東日刊紙競艇記者クラブ杯争奪レース」
不明不明初優出
不明(タイトル不明)
※1997年5月1日以降はじめての優出は1997年5月12日に平和島競艇場で開催された「一般・32回 阪神杯」
不明不明初優勝
2001年2月20日第44回 近畿地区選手権競走三国G1G1初出走
2001年2月22日第44回 近畿地区選手権競走三国G1G1初勝利
2003年2月20日第46回 近畿地区選手権競走びわこG1G1初優出
2002年3月16日第37回 総理大臣杯競走(ボートレースクラシック)平和島SGSG初出走
2002年3月17日第37回 総理大臣杯競走(ボートレースクラシック)平和島SGSG勝利
2016年10月30日第63回 ボートレースダービー(全日本選手権)福岡SGSG初優出
2020年9月24日日刊スポーツ杯争奪戦福岡一般史上135人目の通算1,000勝達成

芝田 浩治選手は1990年5月10日に兵庫支部のホームプール・尼崎競艇場で初出走を飾ると、同節で早々に初勝利を果たしています。

なお、初優出と初優勝の詳細については、1997年5月1日以前と推測されるため、詳細まで調べることはできませんでした。

そして、2020年9月24日に福岡競艇場で開催された「一般・日刊スポーツ杯争奪戦」で選手生活30年4か月にして通算1,000勝を達成しました。
この記録を達成できたレーサーは、長いボートレースの歴史の中でも芝田 浩治選手で135人目の快挙でした。
達成当時、芝田 浩治選手は『SG初優出できたのも、ここの水面でしたからね。何か縁があるんでしょう』と語っています。

G1競争で見ると、2001年2月に三国競艇場で開催された「第44回 近畿地区選手権競走」でG1初出場にしてG1初勝利、さらに2年後の2003年2月20日の同シリーズでG1初優出を果たしました。

この勢いはSG競争でも衰えることなく、2002年3月に平和島競艇場で開催された「第37回 総理大臣杯競走(ボートレースクラシック)」でSG初出場にしてSG初勝利、そしてついに14年7か月後の2016年10月30日に福岡競艇場で開催された「第63回 ボートレースダービー(全日本選手権)」でSG初優出を飾りました。

2019年後期まではずっとA1級を維持していたものの、2020年前期以降はA1級とA2級を行き来し続けており、この頃を目途に平均して7.00以上あった勝率は6.00台に低迷。
2024年はA2級を維持しているものの、成績は徐々に右肩下がりで低下している状況です。

芝田 浩治選手と同じ66期には、現在もA1級で活躍する石川 真二選手(3473)をはじめ、橋本 久和選手(3475)・金子 猛志選手(3482)・乙津 康志選手(3463)・近藤 稔也選手(3477)・嶋田 貴支選手(3478)がいます。

出典:艇国データバンク
【ボートレース】芝田浩治が快挙! 通算2000勝達成 135人目

【ボートレース】芝田浩治が快挙! 通算2000勝達成 135人目

2020年9月24日 16:10

同期の石井真二と2000勝を祝う芝田浩治

 24日、ボートレース福岡の一般競走5日目の第7Rで、芝田浩治(兵庫=48)が4コースからまくり差して1着、135人目となる通算2000勝を達成した。

 芝田は1990年5月に尼崎でデビュー、そのデビュー節に初勝利を挙げている。SG、GⅠのVはないが、これまで68回の優勝を飾っている。

 偉業達成に芝田は「SG初優出(2016年、第63回ダービー=5着)できたのも、ここの水面でしたからね。何か縁があるんでしょう」と笑顔で振り返った。

引用元:【ボートレース】芝田浩治が快挙! 通算2000勝達成 135人目 | 東スポWEB

魚谷 智之選手の弟子は松下 直也選手と来田 衣織選手

魚谷 智之選手が弟子として迎えいれたのは、88期の松下 直也選手と121期の来田 衣織選手です。
おふたりの基本情報と過去戦績を、登録期順にご紹介します。

松下 直也選手

魚谷 智之選手の一人目の弟子は同じ兵庫支部所属、88期の松下 直也選手です。

名前
(フリガナ)
松下 直也
(マツシタ ナオヤ)
登録番号4105
生年月日1979年10月2日
身長158cm
体重54㎏
血液型AB型
支部兵庫
出身地兵庫県
登録期88期
級別B1級

松下 直也選手の過去戦績

松下 直也選手の主な戦歴は以下のとおりです。

スクロールできます
日付レース名レース場グレード戦績・概要
2001年5月17日第36回 阪神杯尼崎一般デビュー
2001年5月22日第36回 阪神杯尼崎一般初勝利
2001年11月21日光市営開設35周年記念競走徳山一般初優出
2007年1月23日G1 共同通信社杯 第21回 新鋭王座決定戦大村G1G1初出走
2007年1月25日G1 共同通信社杯 第21回 新鋭王座決定戦大村G1G1初勝利
2011年11月20日第47回 報知新聞社賞 ダイナミック敢闘旗住之江一般初優勝
2014年5月23日若草特別常滑一般通算500勝達成

松下 直也選手は2001年5月17日に兵庫支部のホームプール・尼崎競艇場で初出走を飾ると、5日後の同節最終日にデビューから8走目で初勝利

そして、デビューから10年6か月後の2011年11月20日に住之江競艇場で開催された「一般・第47回 報知新聞社賞 ダイナミック敢闘旗」で悲願の初優勝を果たすと、2014年5月23日に選手生活13年目にして通算500勝を達成しました。

G1競争で見ると、2007年1月に大村競艇場で開催された「共同通信社杯 第21回 新鋭王座決定戦」でG1初出走G1初勝利を達成しています。

松下 直也選手は2006年後期に初めてA級に昇級すると、2017年後期~2018年前期にかけてB1級へ降級をゆるしたこともありましたが、2018年後期にはA2級へ再昇級を果たすと、現在までずっとB1級とA2級を行き来しているものの、2013年後期には最上級のA1級への昇級も果たしている成績の持ち主です。

2012年後期には優勝1回・優出3回という好成績を残して、自己最高勝率は6.26を記録
今後の活躍に期待が大きくなるとともに、まだ未達成のG1初優出・SG初出走のニュースを聞きたいところですね。

出典:艇国データバンク
  • 【蒲郡】88期自転車部を創部した松下直也選手の最新の姿はこちら【勝ガマ】
出典:ボートレース蒲郡公式YouTubeチャンネル

来田 衣織選手

魚谷 智之選手の二人目の弟子は同じ兵庫支部所属、121期の来田 衣織選手です。

名前
(フリガナ)
来田 衣織
(キタ イオリ)
登録番号5003
生年月日1996年4月4日
身長157cm
体重49㎏
血液型O型
支部兵庫
出身地兵庫県
登録期121期
級別B1級

来田 衣織選手の過去戦績

来田 衣織選手の主な戦歴は以下のとおりです。

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
2017年11月3日第15回 ダイスポスワンカップ競走尼崎一般デビュー
2019年1月5日日本モーターボート選手会長杯 男女W優勝戦 純烈祭尼崎一般初勝利

来田 衣織選手は2017年11月3日に兵庫支部のホームプール・尼崎競艇場で初出走を飾ると、1年2か月後の2019年1月5日に地元水面で開催された「日本モーターボート選手会長杯 男女W優勝戦 純烈祭」で、地元のファンに見守られる中でついにデビューから150走目で初勝利を達成しました。

まだ初優出・初優勝までは果たせていませんが、尼崎が誇るレジェンドレーサーの魚谷 智之選手に弟子入りしていたことで、今後の活躍に期待が集まる若手のホープです。

2020年前期に初めてB1級に昇級すると、2022年後期に自己最高勝率を4.67まで徐々に上げ続けましたが、2022年の8月と9月に立て続けにフライングを切ってしまった影響でB2級に降級。
2023年後期に一度勝率は4.67まで持ち直しましたが、以降は低調が続いており2024年後期には勝率を3.62まで落としてしまいました。

2025年前期には勝率3.86まで持ち直したものの、このまま引退勧告の基準である4期通算3.80のボーダーライン付近から抜け出せないと最悪は成績不振で引退の可能性も出てくることから、気持ちを奮い立たせて活躍してくれることを期待したいところです。

来田 衣織選手と同じ121期には、A1級で活躍する宮田 龍馬選手(5016)をはじめ、上田 健太選手(5002)・石田 貴洋選手(5005)・高橋 竜矢選手(5015)・澤田 尚也選手(5017)・竹下 大樹選手(5018)・柴田 百恵選手(5019)がいます。

出典:艇国データバンク
  • 未来のQueen|来田衣織|女子レーサー|ボートレース
出典:レディースインフォメーション
  • サンテレビ「ボートの時間!」 # 307 「来田衣織 おうちの時間!」2022年2月13日放送
出典:【公式】ボートの時間!
  • 【来田衣織】選手!ボートもトークも超全速!兵庫支部の元気娘登場!
出典:丸野一樹 ボートレース
来田衣織150走目での初勝利に師匠と水神祭/尼崎

来田衣織150走目での初勝利に師匠と水神祭/尼崎

[2019年1月5日19時29分]

デビュー初勝利を挙げた来田衣織が師匠の魚谷智之とにっこり

<尼崎ボート>◇2日目◇5日

121期の来田衣織(22=兵庫)が2Rで念願のデビュー初勝利を挙げた。5コースを主張して、1Mで混戦を突いてまくり差しを決めた。150走目での初白星に「同期がちらほら勝っていたので、少し焦りがありました。まくり差しで勝ちたいと思っていたので、こういうレースができて良かったです」とにっこり。師匠の魚谷智之(43=兵庫)は「今から落としますよ。いや! 落としてやりますよ」と7R発売中に行われた水神祭で、一緒に水面へ落ちて弟子を祝福した。

引用元:来田衣織150走目での初勝利に師匠と水神祭/尼崎

同期(76期)の注目選手

魚谷 智之選手の同期である「76期」には、走る選手会長を体現し続けている「正義のヒーロー」の異名を持つ瓜生 正義選手や、海上自衛隊に入隊していたという異色の経歴を持つ原田 幸哉選手などがおり、豪華な顔ぶれです。

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登録番号名前支部級別
3783瓜生  正義福岡A1
3779原田  幸哉長崎A1
3777樋口   亮長崎A2
3772一柳  和孝埼玉A2
3771折下  寛法東京A2
3769佐竹  恒彦滋賀B1
  • 瓜生 正義選手(3783)/1976年3月5日生まれ/福岡/A1
  • 原田 幸哉選手(3779)/1975年10月24日生まれ/長崎/A1
  • 樋口 亮選手(3777)/1975年8月6日生まれ/長崎/A1
  • 一柳 和孝選手(3772)/1974年4月3日生まれ/埼玉/A2
  • 折下 寛法選手(3771)/1974年3月10日生まれ/東京/A2
  • 佐竹 恒彦選手(3769)/1973年9月5日生まれ/滋賀/B1

76期の“出世頭”は瓜生 正義選手と原田 幸哉選手

76期の代表選手といえば、瓜生 正義選手と原田 幸哉選手でしょう。

瓜生 正義選手といえば、言わずと知れた非常勤の選手会会長であり、歴代5人目となる通算獲得賞金25億円を達成し、現在も福岡支部だけでなく、ボートレース界を象徴する存在として活躍を続けるレジェンド。

一方の原田 幸哉選手も史上17人目の全24場制覇史上25人目の通算100優勝のほか、19連勝で連続完全優勝の偉業を成し遂げ、闘志むき出しの荒々しいレーススタイル強烈なダンプで熱狂的なファンを獲得している実力派の人気レーサーです。

魚谷 智之選手の引退により、超豪華なスリートップがツートップになってしまいましたが、76期の盟友おふたりをご紹介します。

瓜生 正義選手

2022年6月27日に、唐津競艇場で開催された「SG・第32回 グランドチャンピオン」2日目の第4レースにおいて、歴代5人目となる通算獲得賞金25億円を達成し、その5日後に行われた“日本モーターボート選手会の定時社員総会”において自ら決意して立候補して非常勤の選手会会長に就任した瓜生 正義選手。
現在も福岡支部だけでなく、ボートレース界を象徴する存在として活躍を続けており、選手生活30年を目前としたベテランボ―トレーサーです。

名前
(フリガナ)
瓜生 正義
(ウリュウ マサヨシ)
登録番号3783
生年月日1976年3月5日
身長159cm
体重54㎏
血液型A型
支部福岡
出身地福岡県
登録期76期
級別A1級

選手生活30年目前にしても、福岡支部だけでなく、ボートレース界を象徴する存在として活躍を続ける瓜生 正義選手。

養成所時代は勝率10点超という異例の数値をたたき出し、「点増し制度」を見直すきっかけとなっただけでなく、期待のルーキーとして競艇界の数々の偉業を成し遂げ続けてきました。

瓜生 正義選手の偉業の数々は次のとおりです。

  • 2019年7月15日に常滑競艇場で開催された 「SG・第24回 オーシャンカップ」で史上6人目のSG10優勝を達成
  • 2020年3月に史上6人目となるゴールデンレーサー賞を受賞
  • 2020年7月30日にびわこ競艇場で開催された 「G1・開設66周年記念 びわこ大賞」のドリーム戦で通算2,000勝達成
  • 2021年12月14日に住之江競艇場で開催された「SG・第36回グランプリ」で11度目のSG優勝を果たし、現役SG優勝回数2位に単独浮上するとともに、史上4人目となるナイター7場完全制覇を達成
  • 2022年6月22日に唐津競艇場で開催され「SG・第32回 グランドチャンピオン」2日目の第4レースにおいて、歴代5人目となる通算獲得賞金25億円を達成
  • 2022年6月27日、日本モーターボート選手会の定時社員総会において立候補し、非常勤の選手会会長に就任

瓜生 正義選手は現役SG優勝回数2位にランクインする11回を誇り、SG初優勝から優勝回数10回までの所要期間はこれまでの最速記録だったそうです。
2024年12月現在、G1では22回、通算では90回の優勝を飾っているだけではなく、今なお積極的に優勝回数を更新しています。

原田 幸哉選手

1997年には新人選手では考えられないような年間優勝5回という記録を残して最優秀新人賞のタイトルを獲得して突如ボートレース界にその名を轟かせた原田 幸哉選手。
2009年5月には通算1,000勝、2018年9月には史上17人目の全24場制覇、2024年9月には「一般・第8回 徳島ヴォルティスカップ競走」で史上25人目の通算100優勝を達成しており、今なお衰えない闘争心と、勝利へのあくなき追及を見せる姿はファンの心をがっちりと掴んで放しません。

名前
(フリガナ)
原田 幸哉
(ハラダ ユキヤ)
登録番号3779
生年月日1975年10月24日
身長172cm
体重54㎏
血液型B型
支部長崎
出身地愛知県
登録期76期
級別A1級

原田 幸哉選手は1975年生まれ、長崎支部所属のA1級レーサーです。
闘志むき出しの荒々しいレーススタイル強烈なダンプで熱狂的なファンを獲得しています。

これまでの成績も輝かしいものがあり、ベテランとして長崎支部を牽引する存在です。

ちなみに直近のグレードレース制覇としては、2024年4月21日に大村競艇場で開催された「G1・開設72周年記念 海の王者決定戦」で優勝を果たしており、このシリーズは2000年1月30日にG1初優勝を飾って以来、G1では19回目の優勝でした。
※SGだと2002年11月の初優勝以降、5回の優勝実績を誇ります。
4年4カ月ぶりの当地G1制覇であり、大会3度目(2015年・2019年・2024年)の優勝を飾っています。

原田 幸哉選手の偉業の数々は次のとおりです。

  • 1997年に年間優勝5回という記録を残して最優秀新人賞のタイトルを獲得
  • 2006年9月16日に下関競艇場で開催された「一般・第31回 八景賞」で19連勝を果たして連続完全優勝を達成
  • 2009年5月3日に蒲郡競艇場で開催された「一般・中日スポーツ賞 第38回竹島弁天杯争奪戦」で通算1,000勝を達成
  • 2018年9月15日に徳山競艇場で開催された「一般・マンスリーBOAT RACE杯争奪戦」で史上17人目の全24場制覇
  • 2024年9月2日に鳴門競艇場で開催された「一般・第8回 徳島ヴォルティスカップ競走」で史上25人目の通算100優勝を達成

2024年12月現在、SGでは5回、G1では19回、通算では100回の優勝を飾っているだけではなく、今なお積極的に優勝回数を更新しています。

  • 令和3年度ボートレース大村CM(原田幸哉編)
出典:【公式】ボートレース大村(メインch)

魚谷 智之選手のデビュー戦と初勝利

魚谷 智之選手のデビューは1995年5月に尼崎競艇場で開催された一般戦競争のできことだったようです。
そして、同シリーズで初勝利まで達成しているため、初出走の直後から注目された選手であったことがわかります。

しかし、あまりに前の記録のため、詳細な記録までは確認することができませんでした。

魚谷 智之選手の初優勝

魚谷 智之選手の初優勝は1997年9月10日
デビューから2年3か月後、尼崎競艇場で開催された「一般・楠公杯争奪 第6回 兵庫・岡山選抜戦」最終日、第12レースのできごとでした。

魚谷 智之選手は予選を5戦1勝で、オール3連対をキープして乗り込んできた優勝戦。
隣の2コースには兵庫支部の先輩で、このレースの出走選手で最も高い勝率7.18を保持していた格上の水野 要選手が控えているうえに、出場選手の中で最も登録期が若く、勝率も2番目に低いという厳しい状況でした。

準決勝戦を1位で通過した魚谷 智之選手は、1号艇・5コースからの進入という不利な条件下で、コンマ10という圧倒的なトップスタートを切り、鮮やかな差しを決めて、悲願の初優勝を達成しました。

デビューを飾ってからの期間、一心に練習に励んだ尼崎競艇場の水面で、格上選手を相手に初勝利をあげました。

おなご

隣のレーンに同支部の大先輩・水野 要選手がいるプレッシャーのなかで優勝できたのは、メンタルの強さが影響しているんだろうね!

無知なネコ

ここ一番の重要な局面でスタートが強いのはかなりの“強み”だよね。

出典:艇国データバンク
出典:艇国データバンク

魚谷 智之選手の獲得賞金

魚谷 智之選手のこれまでの獲得賞金は次のとおりとなっています。

SG競争で3度の優勝と14度の優出、G1競争では通算11度の優勝と70度の優出。
通算2,081勝で287度の優出と88度優勝の成績を残したのですから、その実力は誰もが認めるところです。

魚谷 智之選手は確認できるだけでも2000年からずっとA1級で活躍しており、実に選手生活29年7か月のうちの24年以上の長きにわたってA1級を維持
まさに“レジェンドと呼ぶにふさわしい成績を残していることから、獲得賞金ももちろん高額だったことが想像できると思います。

スクロールできます
年度級別賞金ランキング獲得賞金
2024年A1
2023年A152位52,634,000 円
2022年A167位44,924,000 円
2021年A156位45,191,066 円
2020年A161位45,985,000 円
2019年A136位51,612,500 円
2018年A162位38,799,000 円
2017年A113位71,899,000 円
2016年A118位58,994,000 円
2015年A167位34,589,000 円
2014年A146位37,926,961 円

A1級ボートレーサーの平均年収は約3,000万円といわれているなか、過去10年間の獲得賞金が平均を上回っていることから、魚谷 智之選手は常に賞金ランキングの上位にいることがわかります。

とくに2016年・2017年・2019年・2023年は5,000万円を超えており、とくに優勝3回と優出9回の賞金が加算された2017年が最も多い獲得金額となりました。

さらに直近3年間の平均年収について見てみたいと思います。
2020年以降は毎年1回以上の優勝と8回以上の優出を果たしていることもあって、平均年収は約4,758万円

2021年後期以降はA1級を維持し続けていることを考慮すれば、A1級ボートレーサーの平均金額3,000万円よりかなり多い金額で、ちょうどA1級の平均年収の1.5倍より少し多いくらい

ちなみに、一般的な40歳の社会人男性の平均年収は約618万円とされていますので、魚谷 智之選手の平均年収は同年代男性の約7.7倍の金額に相当します。

2021年から2023年の3年間の平均年収をひと月に換算すると月収が約397万円ですから、一般人とはかけ離れた高収入であることは明らかです。

さらに直近10年間の平均年収を計算したところ、約4,825万円となりました。

直近5年間は獲得賞金額が安定して4,500万円を超えていることから、これまで魚谷 智之選手の成績がかなり安定して良かったことがうかがえます。

ボートレーサーの級別ごとの平均年収の目安はつぎのとおりです。
・A1級:平均年収は、約3,000万円
・A2級:平均年収は、約1,800万円
・B1級:平均年収は、約1,100万円
・B2級:平均年収は、約 500万円

おなご

ボートレーサー全体の平均年収は1,600万円といわれています。

魚谷 智之選手の引退理由は?

魚谷 智之選手の引退理由は「(体力・技術の)クオリティー低下によるモチベーションの低下によりトップを狙えなくなった」ことに対して『お客さんに失礼だと思った』ことだそうです。

自身の引退理由について、日刊スポーツの取材に応えていましたので、一部抜粋してご紹介します。

「49歳で辞めようと思っていたんですよ。たまたまタイミングが合って、今年がちょうど良かった。手前でも良かったけど、少し物足りない気がしたし、伸ばすと続けそうな気がした。あとクオリティーが落ちていることは認めていて、トップを狙えなくなった。それはお客さんに失礼だと思ったので」

引用元:【ボートレース】SGで3度優勝の魚谷智之が49歳で電撃引退「トップを狙えなくなった」(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース

29年7か月の選手生活において最上級を維持し続け、常に最高のレースを見せ続けてくれたレジェンド
レースとファンに対しての誠実な姿勢と、トップレーサーとして示してくれた“責任”と“プライド”、そして大切にしてきたファンへの“感謝”の気持ちは、今後のボートレース界を背負っていく後輩にとって指針となるであろう理想の姿です。

誰よりも誠実に、デビュー当時から誰にも負けないほどの練習量を自信に科してきた魚谷 智之選手。
現在もボートレース界のトップを走り続けられるだけの実力を保持しながらも勇退を決断したことは、尊敬に値しますし、誰にでもできることではないでしょう。

今回の勇退を名残惜しく感じるレーサー仲間や競艇ファンがとても多くみられた反面、最後まで“プロ”を貫き続けた姿勢を支持する声が多く聞かれたのも事実です。

ちなみに、これまで艇界を去った選手の多くは「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

では、「4期通算の成績不振による引退勧告」とはどのような基準なのでしょうか?
参考資料として、成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。

成績不振による引退勧告の基準

まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。

あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、選手登録3年経過後の4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補になるからです。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

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判断項目基準
4期通算勝率3.8以下
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。

そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

本当にトップを狙えないような成績だったのか?

前述の基準と魚谷 智之選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受けた可能性はないと断言できます

その理由は以下のとおりです。

  • 4期通算勝率:勝率は年々低下しているものの、基準を下回る期はなく、4期通算で勝率3.80以上
  • 4期通算事故率:事故率0.7未満(2023年7月28日以降、フライング事故はなし)
  • 4期通算出走回数:出走数は常に100回以上であり、60回未満の期はいまだ一度もない

成績不振による引退勧告の基準のいずれにも該当しないため、引退勧告を受けるような立場ではなかったと断言できます。

そのため、魚谷 智之選手が引退を決断するに至った理由として「当初から49歳で引退しようと思っていたところに、SGやG1といった上位グレードレースで優勝が年々遠のいていく現状を鑑みて、自ら退く決断をした」ということでしょう。

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。

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級別出走数勝率
2019年前期A1114走6.78
後期A1134走7.02
2020年前期A1133走7.74
後期A1123走7.53
2021年前期A1115走7.05
後期A1127走7.13
2022年前期A1121走6.83
後期A1120走7.47
2023年前期A1127走7.02
後期A1142走7.06
2024年前期A1135走6.74
後期A1136走7.26

直近5年だけで見ても、平均120~130ほどあった出走数は年々減少するどころか、むしろ増加していました。
同様に、勝率も2020年前期の7.74を目途に徐々に低下していたものの、それでも7.00前後の高値を維持していたことが読み取れます。

この結果から鑑みるに、引退の理由は魚谷 智之選手自身が語っていたとおり「(体力・技術の)クオリティー低下によるモチベーションの低下によりトップを狙えなくなった」ことで『お客さんに失礼だと思った』ことが最大の要因であり、引退を決断するきっかけになったことは間違いありません。

これは長年、A級選手として艇界のトップを走り続けてきた選手だからこそのプライド故の最も納得がいく理由でしょう。

“なぜこのタイミングなの?”という疑問についての答えは、魚谷 智之選手本人が語っていたように『49歳で辞めようと思っていたんですよ。たまたまタイミングが合って、今年がちょうど良かった』ということで納得するしかないようです。

魚谷 智之選手の電撃引退に対するSNSの反応

魚谷 智之選手の電撃引退に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?
引退を惜しむ、あたたかい声」「今までの活躍を労って賞賛する声」など、様々な声が聞かれましたが、やっぱり1番多かったのは「現役を退く選択を支持する声」でした。

具体的な内容としては、「引退を惜しむ、あたたかい声」では『もう一花と思ってたんだけどなあ…』『突然の引退は寂しい』『まだまだできると思ってるからこそ残念でならない』という声。

今までの活躍を労って賞賛する声」では、『現役でも屈指のレース巧者』『トビウオターンはまだまだ健在だった』という、魚谷 智之選手の操縦技術やレーススタイルを称賛する声。

そして「現役を退く選択を支持する声」では、『かっこいい引き際だと思います』『本人が決めたことなら尊重したい』 『まだA1で十分やれますが魚谷なりの美学なんでしょうね』『色々考えたんだろうしね』『引き際がとても美しく感動しました』『引き際を心得てるのは本当のプロフェッショナル』といった、最高の言葉で勇退する魚谷 智之選手の選択を受け入れて理解するようなメッセージを多く見ることができました。

ほかには『眩い光を放つ永遠不滅のゴールデンレーサー』と称する声や、魚谷 智之選手にまつわる過去の思い出にひたる様子を見ることができます。

そして最も素敵だと感じたのは、魚谷 智之選手にまつわる偉業と当時の感想を綴ってくれていた、次の“ぱっつん氏”の投稿でした。

きっと、魚谷 智之選手ご本人がこの言葉を目にしたら、選手冥利に尽きると感じるに違いありませんし、ぜひ目にしていただきたいと切に願います。

それでは、投稿内容の一部を抜粋してご紹介します。

引退を惜しむ、あたたかいメッセージ
今までの活躍を労って賞賛するメッセージ
現役を退く選択を支持するメッセージ
その他に見られたさまざまな投稿

まとめ

魚谷 智之選手、デビューから約29年7ヵ月、お疲れさまでした。
素晴らしい活躍とボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供し、何よりも多くのファンから愛された選手ということがよく伝わってきました。

あまりに突然で、まだまだ第一線で戦い続けられたであろう成績を維持しながら、ボートレース界の「トップを狙えなくなった」という理由で引退を決めたという、名残惜しくも、かっこよすぎる決断にまだ感情が追い付かないというボートレースファンも多いのではないでしょうか。

それでも長年、競艇界のトップで戦い抜いてきたレジェンドレーサーの“勇退”という決断
決断の裏にあるであろう魚谷 智之選手の想い。
その気持ちをこれから引き継いで活躍していく後輩レーサー達が、ボートレースの未来をさらに盛り上げてくれることを、魚谷 智之選手はきっと期待しているはずです。

《去り際の美学》とは、まさに今回の決断にこそふさわしい言葉でしょう
理想のレース・理想の走り・理想のターン・理想の選手像・理想の去り際…たくさんの理想を追い求めて、磨き、実現し続けた探究者である魚谷 智之選手。

これからボートレースに代わる追い求めるモノを見つけ、追い求めていくであろう魚谷 智之選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

**12月20日追記**
2024年12月20日、「BOAT RACE公式サイト」と「ボートレース尼崎Official Siteの兵庫支部選手一覧」内にあった、魚谷 智之選手のプロフィールページが削除されたことが確認されました。
これによって、日本モーターボート競走会に引退届が受理されたこと、選手登録の削除が行われたことが確定しており、ついに納得がいくまで理想を追い求め、結果を残したミスターセンタープールが艇界を後にしています。

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