岡山支部の村上純選手が電撃引退!現役生活26年のベテランボートレーサーに何があったのか?直近の成績などから引退理由を徹底調査!!

2024年5月9日、ベテランSGレーサーの村上 純選手(49)が、引退していたことが明らかになりました。


2024年5月9日、岡山支部の81期レーサー・村上 純選手が、5月1日に日本モーターボート競走会に引退届を提出したことが報じられました。

村上 純選手といえば、長年、A級を維持してきましたが、2022年前期と2024年前期にB1級への降級を許しており、「今までと様子が違う」「どこか調子が悪いのでは?」と心配されていました。

5月10日現在、ボートレースオフィシャルサイトの選手ページは削除されていませんが、引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、選手ページについても近日中に削除されるでしょう。

出典:BOAT RACE公式サイト


81期として1997年にデビューした村上 純選手。
2024年前期の勝率が5.10に低下しましたが、今期の成績だと2024年後期は勝率4.33となり、引退勧告を受けるような成績ではありませんでした

このことから、引退勧告ではなく、一身上の都合やモチベーションの低下、病気や怪我といった理由で潔く身を引く決断をしたのかもしれません。

村上 純選手の基本情報・同期の注目選手・引退勧告の水準まで、近年の成績などから考え得る引退理由について考察していきたいと思いますので、ぜひ最後までご覧ください。

目次

村上 純選手の基本情報

名前
(フリガナ)
村上 純
(ムラカミ ジュン)
登録番号3919
生年月日1974年11月14日
身長169cm
体重55㎏
血液型O型
支部岡山
出身地岡山県
登録期81期
級別B1級
デビュー日1997年11月12日
最終出走日2024年4月12日
引退日2024年5月1日

村上 純選手は1974年生まれ、岡山支部所属のB1級選手です。

父は『瀬戸の若大将』の愛称で親しまれたセンター・アウト巧者・元競艇選手の村上 一行さん(2073)。
SGの優勝回数は2回、G1の優勝回数は9回、通算勝利数2,108回という素晴らしい戦績で活躍していた父への憧れからボートレーサーへの道を志したそうです。

父である元競艇選手の村上 一行さんはセンター・アウト巧者で、村上 純選手ご自身は「イン屋」として名を馳せるとは、血は争えないものですね。

  • ターンマーク坊やTV Vol.19 村上純
出典:【公式】ボートレース大村(メインch)
  • 2022 03 12 防長交通杯争奪戦 3919村上純選手 1,500勝達成 水神祭&インタビュー
出典:ボートレース徳山

村上 純選手の過去戦績

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1997年11月12日第7回 倉敷市議会議長杯争奪戦競走児島一般デビュー
1998年4月1日フラワーカップ競走唐津一般初勝利
1998年7月8日一般競走尼崎一般初優出
2001年1月24日ボートピア朝倉開設8周年記念競走丸亀一般初優勝
2004年7月8日中日スポーツ金杯争奪 G1マーメイドグランプリ常滑G1G1初出場
2004年7月12日中日スポーツ金杯争奪 G1マーメイドグランプリ常滑G1G1初勝利
2008年9月6日尼崎市長杯争奪 第32回 尼崎チャレンジ競走尼崎一般通算500勝達成
2013年3月15日SG 第48回 ボートレースクラシック(総理大臣杯)平和島SGSG初出場
2013年3月20日SG 第48回 ボートレースクラシック(総理大臣杯)平和島SGSG初勝利
2015年8月9日サッポロビールカップ若松一般通算1,000勝を達成
2022年3月12日防長交通杯争奪戦徳山一般通算1,500勝を達成

1997年11月、児島競艇場の一般戦で81期としてデビュー。
1998年4月に唐津で初勝利を手にして、1998年7月の尼崎・一般戦で初優出を果たしたものの不完走失格。
2001年1月、丸亀・一般戦で初優勝を飾り、2004年7月にG1初出場にして初優出。
さらに2013年3月には、平和島競艇場で開催された「第48回 ボートレースクラシック(総理大臣杯)」でSG初出場を果たすと初優出。
2022年3月12日には徳山・一般戦「防長交通杯争奪戦」3日目で通算1,500勝を達成
26年間の選手生活での出場節数は695期、出走数は6,033走。
通算193優出で優勝は45回、通算1,602勝を挙げて、生涯獲得賞金は5億7517万4247円という記録を残しています。

現役生活最後のレースは、2024年4月12日に鳴門競艇場で開催された一般戦「第15回 鳴門商工会議所会頭杯競走」最終日の第8レースでした。

同期(81期)の注目選手

村上 純選手の同期である「81期」には、「ウィリーモンキー」の先駆者であり、その巧みな操縦テクニックから「ブルーインパルス」の異名を持つ池田 浩二選手や、スタート事故を起こさないことをモットーに2,910走スタート事故ゼロを記録した寺田 祥選手などがおり、かなり豪華な顔ぶれです。

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登録番号名前支部級別
3941池田  浩二愛知A1
3942寺田   祥山口A1
3940飯山   泰東京A1
3909佐々木 康幸静岡A1
3915繁野谷 圭介大阪A1
3920正木  聖賢広島A1
  • 池田 浩二選手(3941)/1978年4月3日生まれ/愛知/A1
  • 寺田 祥選手(3942)/1978年9月20日生まれ/山口/A1
  • 飯山 泰選手(3940)/1978年2月23日生まれ/東京/A1
  • 佐々木 康幸選手(3909)/1973年8月15日生まれ/静岡/A1
  • 繁野谷 圭介選手(3915)/1974年4月29日生まれ/大阪/A1
  • 正木 聖賢選手(3920)/1974年11月19日生まれ/広島/A1

81期の“出世頭”は池田 浩二選手

キャッチフレーズは、その巧みな操縦テクニックから「ブルーインパルス」と「イケコー」。
現在も愛知支部を象徴する存在・総大将として活躍を続けており、選手生活は25年を超えるベテランボ―トレーサーです。

名前
(フリガナ)
池田 浩二
(イケダ コウジ)
登録番号5115
生年月日1978年4月3日
身長170cm
体重53㎏
血液型O型
支部愛知
出身地愛知県
登録期81期
級別A1級

キャッチフレーズは、その巧みな操縦テクニックから「ブルーインパルス」と「イケコー」。

現在の競艇では必須のテクニック「モンキーターン」ですが、池田選手はそれをさらに発展させた「ウィリーモンキー」の先駆者として知られており、ハイレベルのターン技術と抜群のスタート力を武器に快進撃を続けています。

全盛期には“池田のイン戦は黙って買え。”と言われるほどの圧倒的な強さを誇り人気にこたえてイン戦を押し切る技術においては“艇界ナンバーワン”と言っても過言ではありません。

「絶対王者」松井 繁選手・「グランプリ2冠」の瓜生 正義選手と石野 貴之選手に次ぐ、現役SG優勝回数4位を誇る池田浩二選手ですが、G1では14回、SGでは10回優勝を飾っています。

池田 浩二選手の過去戦績

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1997年11月19日名古屋タイムズ杯争奪 第19回 全国三地区対抗戦常滑一般デビュー
1997年11月20日名古屋タイムズ杯争奪 第19回 全国三地区対抗戦常滑一般初勝利
1999年5月5日中日スポーツ杯争奪 第19回 チャンピオン大会常滑一般初優勝
2002年7月9日オールジャパン竹島特別開設47周年記念競走蒲郡G1G1初優勝
2003年6月29日第13回 グランドチャンピオン決定戦競走丸亀SGSG初優勝
2005年12月3日競帝王決定戦 開設51周年記念競走下関G1通算500勝を達成
2011年11月27日第14回 チャレンジカップ競走大村SG通算1,000勝達成
2014年2月1日中日スポーツ賞 第34回龍神杯争奪戦蒲郡一般通算50優勝達成
2018年6月11日開設64周年記念 G1競帝王決定戦下関G1通算1,500勝達成
2024年 4月27日土曜夜は『テレビ愛知あたりまえワールドが最高!』杯蒲郡一般通算2,000勝達成

池田浩二選手は1997年11月に地元・常滑競艇場の水面でデビューし、2走目にして初勝利の水神祭を飾ったうえに、年末までの27走で4勝を記録する快進撃

2011年にはオールスター(笹川賞)・ダービー(全日本選手権競走)・グランプリ(賞金王決定戦)というSG戦3大タイトルを冠する圧巻の活躍と快挙を達成し、この年のMVPを獲得。

そして2023年には「SG・第50回 ボートレースオールスター」のファン投票で23,071票を集めて堂々の1位を獲得し、2年連続20回目の出場を果たしました。

さらに、2024年4月27日には、史上179人目となる通算2,000勝を達成しています。

村上 純選手の引退理由は?

村上 純選手の引退理由は明言されていません

これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

しかし、村上 純選手の場合は、これらの事由には該当しません
では一体、どのような引退理由が考えられるのでしょうか?

まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。

成績不振による引退勧告の基準

まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。

あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、選手登録3年経過後の4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補になるからです。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

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判断項目基準
4期通算勝率3.8未満
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。

そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

村上 純選手の電撃引退に対するSNSの反応

村上 純選手の電撃引退に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?
「引退を惜しむ声」「今までの活躍を労って賞賛する声」そして「弟子である池田 奈津美選手を気遣う声」が多く寄せられていました。

しかし、一方で一部SNSで取り沙汰された「八百長への関与疑惑を引退理由にあげる声も多かったことも事実。

その一部を抜粋してご紹介します。

引退を惜しむ、あたたかいメッセージ投稿
https://twitter.com/edogawamsr/statuses/1788488672658247923
八百長疑惑に関する投稿
弟子・池田 奈津美選手を気遣う投稿
その他に見られたさまざまな投稿

SNSで噂される引退理由

村上 純選手の引退理由については、ここまで述べてきたように、はっきりとした理由は発表されていません
そのため、SNS上には様々な憶測が飛び交っている状況です。

その中でも特に引退理由として多かった意見が『村上純選手が八百長に関与していたために“不正行為発覚で強制引退”になったのでは?」という意見でした。

その原因と推測されるのが、成績低迷が顕著となった2019年頃から「八百長疑惑」が浮上したこと。
そして、X(旧Twitter)でZ李さんが先導する暴露配信「ヤオトーーク」内で、村上 純選手と思しきイニシャル(MJ)が公開されたことに起因します。


確かな証拠は一切なく、引退された村上 純選手にとって不名誉な情報であることは確かなため、ここでは敢えてその可能性には言及しません

しかし、大きな騒動となっていた渦中での突然の引退ということで、勘ぐられても仕方のないタイミングでしょう。

そのため、「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と勝負をしていた」と仮定すれば、八百長に加担していた可能性は低いでしょうし、逆に近くで八百長を持ちかける人がいたのであれば、その可能性はゼロではなくなります。

個人的には、競艇ファンを魅了してきた村上 順選手の潔白を信じたい気持ちもあり、“弟子もいるのに、これまでの輝かしい戦績を八百長などという不名誉な言葉で簡単に汚せるのかな?”と疑う気持ちが大きいです。

弟子の池田 奈津美選手にとっても良い情報とは言えないので、『真相は闇の中』として明言は避けつつ、憶測はしないこととします

考えられる引退の理由は?

前述の基準と村上 純選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受けた可能性は極めて低いと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

  • 4期通算勝率:勝率は年々低下しているものの、基準を下回る期はなく、4期通算で勝率3.80以上
  • 4期通算事故率:事故率0.7未満(2022年5月1日以降、フライングが2回)
  • 4期通算出走回数:出走数は常に60回以上であり、60回未満の期はない

成績不振による引退勧告の基準のいずれにも該当しないため、引退勧告を受けるような立場ではなかったと推測できます。
そのため、考えられる引退理由として「成績の低下が止まらない現状を鑑みて、自ら退く決断をした」、もしくは「公表していないケガや病気の治療のために、自ら退く決断をした」ということでしょう。

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。

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級別出走数勝率
2019年前期A2118走6.14
後期A2138走6.04
2020年前期A1120走6.25
後期A2123走6.11
2021年前期A1129走6.42
後期A2130走5.44
2022年前期B1126走5.33
後期A1115走6.50
2023年前期A299走5.90
後期A2131走5.88
2024年前期B1108走5.10

直近5年だけで見ても、平均120~130ほどあった出走数は年々減少して110ほどまで減少しました。
同様に勝率も2022年後期の6.50を目途に徐々に低下の一途をたどり、遂に2024年前期には選手人生の最低値5.10まで下がっていたことが読み取れます。

この結果から鑑みるに、現段階で考えられる理由の一つ目は、『体力の衰えを感じていたところに、勝率が過去最低まで落ちたことが決定打となり、引退を決めた』ということです。

これは長年、A級選手として艇界のトップを走り続けてきた選手だからこそのプライド故の最も納得がいく理由でしょう。

引退理由について「八百長が濃厚」というSNSの意見も数多く見られましたが、確かな証拠は一切なく、引退された村上 純選手にとって不名誉な情報であることは確かなため、ここでは敢えてその可能性には言及しません

次に考えられる理由の二つ目として、病気やけがの可能性です。
しかし、引退前最後のレースである鳴門競艇場で開催された「一般・第15回 鳴門商工会議所会頭杯競走」でもそのような話は聞かれませんでした。

さらに2024年4月28日から出場を予定していた、宮島競艇場の「一般・第52回 サンケイスポーツ若葉賞」を私傷病で欠場して、そのまま引退届を提出したようなので、一概にケガや病気の可能性を否定できないのが現状です。

もし、病気やけがによって引退を決断したのであれば、ゆっくりと治療をして、一日も早い回復が望まれますね。

まとめ

村上 純選手、デビューから約26年5ヵ月、お疲れさまでした。
素晴らしい活躍とボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供していただいたこと、心より感謝いたします。

村上 純選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

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