福井支部の小寺拳人選手が引退!113期のルーキーに何があったのか!?直近の成績などから引退理由を徹底調査!!

2024年11月14日、2020年4月に引退勧告寸前から奇跡の激走をみせた113期の小寺 拳人選手(福井・4800)が、11月8日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

福井支部の113期レーサー・小寺 拳人選手(4800)が、2024年10月30日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知ビクトリーカップ」を最後に日本モーターボート競走会に引退届を提出したことが報じられました。

11月15日現在、小寺 拳人選手の情報は、ボートレースオフィシャルサイトの選手ページからは削除されており、11月11日までの期間に削除されたと推測できます。

確認したところ、ボートレース三国公式サイト内の福井支部所属選手一覧ではまだ確認できる状況であるるため、近日中に削除される見込みです。

2013年11月16日に三国競艇場で113期としてデビューした小寺 拳人選手。
2024年後期の勝率は3.27でしたが、今期の成績だと後期は勝率2.33となる予定で、2021年前期から勝率が3.80を超えた次の期は必ず3.80を下回る状態が続いており、引退勧告の対象となる成績でした。

このことから、引退勧告を覚悟して、潔く身を引く決断をしたのでしょう。

小寺 拳人選手の基本情報・引退勧告寸前からの奇跡の激走を支えた先輩レーサー・同期の注目選手から引退勧告の基準まで、近年の成績などをもとに、引退理由について考察していきたいと思います。

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目次

小寺 拳人選手の基本情報

名前
(フリガナ)
小寺 拳人
(コデラ ケント)
登録番号4800
生年月日1993年6月22日
身長164cm
体重56㎏
血液型B型
支部福井
出身地福井県
登録期113期
級別B2級
デビュー日2013年11月16日
最終出走日2024年10月30日
引退日2024年11月8日

小寺 拳人選手は1993年生まれ、福井支部所属のB2級レーサーです。

約11年間の選手生活での出場節数は191期、出走数は1,434走で、優出1回・優勝は0回、通算49勝という成績で、生涯獲得金額は7,083万8,157円でした。

小寺 拳人選手がボートレーサーを志したきっかけは、父親がボートレースが好きだったことだそうです。

幼い頃から、競艇好きの父の影響で、実家の近くにある三国競艇場に足を運んでいたことでボートレースに馴染みがあった経験から、ボートレーサーの道に進むことを決意。

そして、高校卒業後の2012年10月にボートレーサー養成所に入学すると、1年間の訓練期間を経て、2013年11月に三国競艇場でデビューを飾りました。

小寺 拳人選手の過去戦績

小寺 拳人選手の主な過去戦績は次のとおりです。

スクロールできます
日付レース名レース場グレード戦績・概要
2013年11月16日しもつき第2戦三国一般デビュー
2015年11月30日しもつき第2戦三国一般初勝利
2020年12月13日遠鉄アタック Mooovi浜名湖 1周年記念浜名湖一般初優出
2024年10月30日スポーツ報知 ビクトリーカップ一般ラストラン

小寺 拳人選手は、2013年11月16日~21日に福井支部のホームプール・三国競艇場開催された「一般・しもつき第2戦」初日の第2レースで113期としてデビューを飾り、2年後の2015年11月30日に初戦を飾った同じ水面・同じ大会で239走目にして初勝利

デビューから7年後の2020年12月13日に浜名湖競艇場で開催された「一般・遠鉄アタック Mooovi浜名湖1周年記念」で念願の初優出を果たしましたが、その後は優勝することもかないませんでした。

そして、初出走から11年を目前とした2024年10月25日~30日に津競艇場で開催された「一般・スポーツ報知 ビクトリーカップ」最終日の第7レースの6着を最後に引退を決めました。

小寺 拳人選手の師匠はいない

小寺 拳人選手の師匠について調査しましたが、特定の師匠はいなかったようです。
強者揃いの福井支部で多くの先輩方の背中を見て、時に指導を受けながら技術を磨いていたのでしょう。

引退勧告寸前からの奇跡の激走を支えた先輩レーサー達

小寺 拳人選手はデビューから7年5か月後の2020年4月、4期通算勝率3.80未満に瀕して引退勧告を受ける窮地に立たされます。

そんな絶体絶命の状況で気持ちをきりかえるきっかけを与えてくれたのが、福井支部所属・81期の川村 正輝選手でした。

3期が終わった時点で結構な勝率不足があった小寺 拳人選手に対して、先輩である川村 正輝選手がかけた言葉は気持ちがいいほどストレートなものだったそうです。

川村 正輝選手

ここまで来たら、開き直ってやるしかない

小寺 拳人選手はこの言葉を聞いて以降、気持ちが軽くなったと振り返っています。

ほかにも、2020年4月の奇跡的な激走で引退勧告を回避した裏には、小寺 拳人選手を激励した複数の先輩レーサーの存在があったようです。

この時の様子を取材した日刊スポーツの記事で名前が挙がったのは、同じグループでこれまで小寺 拳人選手と練習をともにしていた武田 光史選手や中島 孝平選手、さらには静岡支部の川合 理司選手、滋賀支部の守田 俊介選手や中西 宏文選手というボートレース界の大物ばかり。

同じ支部だけでなく、支部の垣根を越えたトップレーサーからの激励は、小寺 拳人選手の闘志に火をつけたことでしょう。

スクロールできます
選手名選手写真登録番号登録期支部級別
川村 正輝選手392181期福井B1
武田 光史選手365472期福井A1
中島 孝平選手401384期福井A1
川合 理司選手383978期静岡B1
守田 俊介選手372174期滋賀A1
中西 宏文選手
※2020年12月引退
312353期滋賀引退
無知なネコ

2020年4月の引退危機の頃にはお子さんが誕生したばかりだったんだね…

おなご

下の記事は奥さんやお父さんの支えがあったことがわかる、良いエピソードだからぜひ読んでほしいな。

小寺拳人 三国の“奇跡の激走”で「クビ」宣告回避

小寺拳人 三国の“奇跡の激走”で「クビ」宣告回避

[2020年5月20日10時10分 ]

ボート界は、4期間で通算勝率3.80未満の選手に対し、退会勧告がなされる。いわゆる「クビ」宣告。
先月、この危機を奇跡的に回避した選手がいる。113期の小寺拳人(26=福井)だ。

選手生命を懸けた勝負駆けを成功させた小寺拳人

小寺 3期目が終わった時点で、結構な借金(勝率不足)があったので。そんな時に、川村正輝さんから、「ここまで来たら、開き直ってやるしかない」と言われ、そこから、気持ちが軽くなりました。

同じグループの武田光史、中島孝平、さらには川合理司(静岡)、守田俊介、中西宏文(滋賀)らの激励も受けた。4月には第1子が誕生したばかりだった。「結婚した時に、このままではクビになると伝えていました。それでも、一緒になって子供を産んでくれた」。妻への感謝が最後までもがく覚悟につながった。4月の地元戦では父親に送られレース場に向かった。

小寺 父親がボート好きだったから、選手になりました。車中では「9割、クビだから。でも、頑張ってくる」と言いました。自分でもあれだけの成績(オール3連対、選抜1着)を取れると思っていなかった。

結果的に、この三国の激走が生き残りにつながった。4月25日、追加あっせんの尼崎で気迫の4カドまくり。ついに勝率3.80を超えた。

小寺 僕は人に恵まれていたと思う。僕と同じ状況の後輩がいれば、力になりたい。

苦しんだぶん、これからたっぷりと活躍する覚悟だ。

引用元:小寺拳人 三国の“奇跡の激走”で「クビ」宣告回避 – 愛LoveRACE – コラム : 日刊スポーツ

小寺 拳人選手のデビュー戦

小寺 拳人選手のデビューは2013年11月16日
2013年11月16日~21日まで三国競艇場で開催された一般戦「しもつき第2戦」初日の第2レースでのできことでした。

このレースは「ほぼ全員がB1級選手」なうえに、40代のベテランレーサーが集う新人レーサーにはとても厳しい番組編成
6号艇・6コースからの出走で、コンマ08という新人選手にしては素晴らしいスタートを決めましたが、舟券に絡むことはできず、6着で終わっています。

おなご

新人レーサーの初出走は、出遅れたスタートから6着っていうのが既定路線なんだよ。

無知なネコ

そう考えると、しっかり踏み込んだ小寺 拳人選手は素晴らしいね!

出典:艇国データバンク
出典:艇国データバンク

小寺 拳人選手の初勝利

小寺 拳人選手の初勝利は2015年11月30日
2015年11月28日~12月1日まで三国競艇場で開催された一般戦「しもつき第2戦」3日目の第3レースでのできことでした。

このレースは「2号艇~4号艇までがA2級、1号艇と5号艇がB1級選手」という配置。
小寺 拳人選手が最も登録期が若く、全員が格上の選手だったことから、非常に勝ちを狙いにくい状況だったことがわかります。

小寺 拳人選手は6号艇・6コースからの出走で、コンマ21のトップスタートを決めると、見事なまくり差しを決めて、初白星を獲得しています。
このレースの3連単641は、なんと120番人気の227,070円(2270.7倍)という超・超・超特大配当
インコースが主導権を握る傾向の強い三国競艇場で、デビューから2年239走目にして初勝利をあげました。

奇しくも、このレースで1号艇だった広島支部の市川 猛選手(3668)も2024年11月5日に日本モーターボート競走会に引退届けを提出しており、小寺 拳人選手と同じ11月14日に引退が報じられています。

競艇】デビュー238連敗の小寺拳人選手が初勝利

競艇】デビュー238連敗の小寺拳人選手が初勝利

2015.11.30 21:32

デビューから238連敗中だった113期の小寺拳人選手が本日の三国競艇3Rに6号艇で出走して1着になりました。
プロデビューから約2年で念願の初勝利を上げました。

4日間の短期決戦で争われこの日シリーズの3日目を迎えた三国競艇「しもつき第2戦」。
前半の3Rで待望の勝利が生まれました。

一般戦となった同レースは出走表通りの6艇が出走。
小寺拳人選手は6号艇で登場しました。
レースはコース取りに動きはなく枠なり3対3の隊形で進入。
大外6コースからの戦いとなった6号艇小寺拳人選手は.21のトップタイミングでスタート。
1周1マークで捲くり差してバックで3艇身抜け出して先頭に立ちました。
そのままトップを独走した6号艇小寺拳人選手は1着でゴール。
デビューから通算239戦目にして水神祭となる初勝利を上げました。

引用元:【競艇】デビュー238連敗の小寺拳人選手が初勝利 – 競の出来事

出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト

小寺 拳人選手の初優出

小寺 拳人選手の初優出は2020年12月13日
2020年12月8日~13日まで浜名湖競艇場で開催された一般戦「遠鉄アタックMooovi浜名湖 1周年記念」最終日の第12レースでのできことでした。

このレースは「1号艇から6号艇までの選手が全員A級、しかも1号艇の選手以外はA1級」という優勝戦を象徴するかのような配置。
もちろん全員が小寺 拳人選手よりも格上であり、現在もG1競争やSG競争で活躍する選手ばかり。
特に4コースの佐々木 康幸選手(3909)は、2022年7月に通算2,000勝を達成した静岡支部を代表するベテラン選手です。

小寺 拳人選手は6号艇・6コースからの出走で、ここでもコンマ14でまずまずのスタートを決めましたが、舟券に絡むことはできずに6着で終わっています。
このレースの3連単561は、78番人気の87,300円(873.0倍)という超特大配当に貢献。
選手にとって走りにくい難水面の常滑競艇場で、デビューから1年132走目にして初勝利をあげました。

【競艇】小寺拳人選手デビューしてから初めての優勝戦は6着

【競艇】小寺拳人選手デビューしてから初めての優勝戦は6着

2020.12.13 20:43

静岡県にある浜名湖競艇場で開催中の「遠鉄アタック Mooovi浜名湖1周年記念」は、本日シリーズの最終日を迎えました。
最終の12Rでは優勝戦が行われ、このレースがデビュー初優出となった113期の小寺拳人選手が6号艇で登場。
6着となりました。

今年4月にギリギリのところで4期通算勝率をクリアし現役続行を決めた小寺拳人選手。
それから約8ヶ月が経った今シリーズは初日から好調をキープし、シリーズ4日目までに2勝を上げる活躍で予選を突破しました。
シリーズ5日目となった昨日の準優勝戦は6号艇と不利な枠番でしたが2着。
デビュー初優出を決めました。
シリーズ最終日となったこの日は12Rに組まれた優勝戦に6号艇で登場。
大外ダッシュ6コースから進入し.14とまずまずのタイミングでスタートしましたが見せ場はなし。
最下位の6着でゴールしました。

敗れはした小寺拳人選手ですが、引退ギリギリのとろこまでいった男がついに優勝戦の舞台にまで上がる結果を出しました。

引用元:【競艇】小寺拳人選手デビューしてから初めての優勝戦は6着 – 競の出来事

出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE公式サイト

同期(113期)の注目選手

小寺 拳人選手の同期である「113期」にはどのような選手がいるのでしょうか。

主だった選手を以下にまとめました。

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登録番号名前支部級別
4787椎名   豊群馬A1
4796春園  功太三重A1
4786佐藤  博亮愛知A1
4788小池  哲也大阪A1
4794和田  拓也兵庫A1
4798浜先  真範広島A1
4804高田 ひかる三重A2
  • 椎名 豊選手(4787)/1988年9月16日生まれ/群馬/A1
  • 春園 功太選手(4796)/1991年8月6日生まれ/三重/A1
  • 佐藤 博亮選手(4786)/1988年4月1日生まれ/愛知/A1
  • 小池 哲也選手(4788)/1989年6月29日生まれ/大阪/A1
  • 和田 拓也選手(4794)/1990年6月30日生まれ/兵庫/A1
  • 浜先 真範選手(4798)/1993年4月16日生まれ/広島/A1
  • 高田 ひかる選手(4804)/1994年8月5日生まれ/三重/A2

小寺 拳人選手のラストレース

小寺 拳人選手のラストレースは、2024年10月25日~30日に津競艇場で開催された一般戦「スポーツ報知ビクトリーカップ」最終日の第7レースです。

このシリーズは、ここまで9走して3着を1本あげて舟券に貢献。
前走では大外6コースからの進入でしたが、スタートから一人だけ出遅れて、このシリーズ6本目の6着という苦い結果となっていました。

4号艇・4コースカドからの進入で、“現役最後のラストランを有終の美で飾りたい”という意気込みを胸に臨んだレース。

1・4コースにA級選手が配置され、福井支部の先輩でA2級の石田 政吾選手(3635)のイン戦ということもあり、単勝オッズは8.8倍で5番人気。
さらに3連単のオッズでは、人気トップ3の買い目がいずれも“石田 政吾選手が1着”と予想していることから、観客からは「小寺 拳人選手がこのレースで活躍するのは難しい」と判断されていたことがわかります。

勝利へのプレッシャーがかかる条件下で、出走選手全員が自分よりも勝率が高いという非常に厳しい状況。
コンマ25のスタートを決めるも、やはり石田 政吾選手がイン戦をしっかり逃げて、結果は6着という結果に終わりました。
福井支部の先輩である石田 政吾選手と土山 卓也選手と共に無事故完走で観客からの声援にこたえてくれました。

このレースの3連単132は5番人気の1.080円(10.8倍)でした。
決して良くない機力のモーターながら、相性の良かった三重支部のホームプールで有終の美を飾ったのです。

デビューから約11年目のラストレースでも、これまでの選手生活と同様にファンの期待に応えて、シリーズを“無事故”でがむしゃらに走り切れたのは、日々の練習で操縦技術をコツコツと磨き続けた賜物でしょう。

出走表

出典:BOAT RACE公式サイト

単勝オッズ

枠番級別選手名単勝オッズ
1A2石田  政吾1.5倍
2B1土山  卓也7.2倍
3B1木幡  純也4.6倍
4B2小寺  拳人8.8倍
5A2石塚  裕介7.2倍
6B2坂本  一真15.9倍

3連単オッズ

買い目(人気順)オッズ(倍)
123(1番人気)5.2
125(2番人気)5.8
135(3番人気)10.1
152(4番人気)10.6
132(5番人気)10.8

レース結果

出典:BOAT RACE公式サイト

小寺 拳人選手の引退で「公式サイト内のプロフィールページ」が削除される

小寺 拳人選手の引退が報じられた2024年11月14日。
情報の信憑性を確認するために、下記の2つの情報源で「小寺 拳人選手のプロフィールページ」の存在有無を調査しました。

  • BOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ
  • ボートレース三国Official Siteの福井支部選手プロフィールページ

2024年11月15日時点で、それぞれのサイトに“小寺 拳人選手のプロフィールページ”が存在していたのか…その調査結果をご紹介します。

ボートレース公式サイト内のプロフィールページ

2024年11月15日までに「BOAT RACE公式サイト」内のプロフィールページが削除されたことが確認できました。

現在、小寺 拳人選手のプロフィールページにアクセスすると『※ データが存在しないのでページを表示できません。』と表示されて、以前のように情報を閲覧できない状態となっています。

また、同サイト内の検索機能を利用して“選手名”や“登録番号”で検索しても、すでに情報を見ることはできなくなっています。

出典:BOAT RACE公式サイト

ボートレース三国Official Siteの福井支部選手プロフィールページ

小寺 拳人選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内から削除されましたが、2024年11月15日現在も「ボートレース三国Official Site」では情報を確認することが可能でした。

しかし、引退届が受理されて選手登録が削除された以上、福井支部所属選手一覧からも近日中に削除されるでしょう。

出典:ボートレース三国official Site
出典:ボートレース三国official Site

ボートレース三国の公式InstagramとX(旧:Twitter)で引退が公表される

2024年11月12日にボートレース三国の公式InstagramとX(旧:Twitter)で小寺 拳人選手の引退が公表されました。

ボートレース三国公式Instagram

ボートレース三国公式X(旧:Twitter)

WEBニュースで引退が報じられる

2024年11月14日に「Yahoo!JAPANニュース」で小寺 拳人選手の引退が報じられました。

ボートレース】福井支部の小寺拳人が引退

11/14(木) 12:05配信

引退した小寺拳人

 ボートレーサーの小寺拳人(31)=福井=が引退していたことが14日、分かった。8日に日本モーターボート競走会に引退届けを提出した。  小寺は2013年11月、三国・一般戦で113期としてデビュー。2015年11月、三国・一般戦で初1着。2020年12月の浜名湖・一般戦で初優出。通算1優出、優勝はなし。通算49勝。生涯獲得賞金は7083万8157円。2024年10月30日の津・一般戦、最終日7Rの6着がラストレースとなった。ビュー。2021年12月、とこなめ・ルーキーシリーズで初1着。優出はなし。通算21勝。2024年5月12日の蒲郡・一般戦最終日6Rの6着がラストレースとなった。生涯獲得賞金は2137万4263円。

引用元:【ボートレース】福井支部の小寺拳人が引退(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

小寺 拳人選手の引退理由は?

小寺 拳人選手の引退理由は明言されていません

しかし、2025年後期の選手級別審査終了日である10月31日までを走り切り、4期通算の成績不振による引退勧告の対象となることが確定したため、引退を決断したと考えられます。

その証拠に、デビュー以来ずっと11年もの長きにわたって初優出より先の水神祭をあげることもできず勝率も3.80を上回れば次の期にはまた3.80を下回るシーソーゲームの連続

そのため、小寺 拳人選手自身が「今まで引退勧告にならないようにもがいてきたが、このままではいずれ近いうちに引退勧告の対象となる未来が待っている」「シーソーゲームにも疲れた」「こんな状況では幼い子供や妻に顔向けできない、安定した職業に転職しよう」と判断してもおかしくはなかったはずです。

これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

では、小寺 拳人選手の場合は、本当に成績不振による引退勧告を受けるような立場だったのでしょうか?
まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。

不祥事を理由に選手登録を抹消(=競艇界から強制引退)された選手・出場停止処分を受けた選手については次の記事で触れていますので、ぜひご確認ください。

八百長に関する事件・八百長への関与を噂された選手については、次の記事で触れています。

成績不振による引退勧告の基準

まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。

あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補となるからです。
※選手登録3年経過していない選手は対象外。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

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判断項目基準
4期通算勝率3.8未満
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても“1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算する”という特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

考えられる引退の理由は?

前述の基準と小寺 拳人選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受ける対象に該当していたと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

  • 4期通算勝率:デビュー以来ずっと3.80以上をずっと上回ることはなく、4期通算すると勝率3.65で基準以下
  • 4期通算事故率:事故率0.7以下(2024年1月9日と2月21日にフライング歴あり)
  • 4期通算出走回数:4期連続で出走数が60回未満

上記の“成績不振による引退勧告基準”の2つが当てはまるため、引退勧告を受けるような状況だったと考えられます。
そのため、考えられる引退理由として「引退勧告を覚悟して、自ら退く決断をした」ということでしょう。

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。

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級別出走数勝率
2019年前期B249走3.06
後期B174走3.42
2020年前期B248走4.96
後期B189走4.92
2021年前期B157走3.61
後期B1110走3.90
2022年前期B183走3.73
後期B151走3.92
2023年前期B174走3.81
後期B249走3.47
2024年前期B161走4.05
後期B245走3.27

上記の表から鑑みるに、引退理由に「4期通算の成績不振による引退勧告」が関係していることは明白です。

直近5年だけで見ても、2021年に平均80ほどまで増えた出走数は年々減少して、60を超えることはなくなりました。

勝率は2019年前期の3.06を底に徐々に上向いてきましたが、2020年前期の4.96を最高値として、徐々に低下していった様子が読み取れます。
そして、この期間において3.80を超えたのは6期のみで、つねに引退勧告のボーダーラインである勝率3.80前後を行ったり来たり、一進一退の状態でした。

前述の『成績不振による引退勧告の基準』でも述べたとおり、勝率や事故点が厳しかった小寺 拳人選手は、出走回数を調整して「49走止め」を行っていたふしがあり、全く勝てていなかったものの、デビューから11年間はなんとか選手を続けることができたようです。

結論として『勝率・出走数が引退勧告の基準をクリアできなかったことが決定打となって引退を決めた』というところでしょう。

小寺 拳人選手の電撃引退に対するSNSの反応は?

小寺 拳人選手の電撃引退に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?

引退を惜しむ声」「これからの第2の人生を応援する声」が寄せられていました。

具体的な内容としては『私が見るレースによく名前があったので残念です』『クビ回避した時の気持ちを忘れなければ…』といった声や、『新しい人生良きものになりますように』『選手生活、お疲れさまでした』という、小寺 拳人選手の今後を思いやる投稿が印象的でした。

ほかには『なけなしのお金を掛け、3.4着競って4着。。。思い出の選手です』という苦い記憶が印象に残っているという声や、『実は競艇選手のデビュー戦を初めて見た選手こと小寺拳人が手帳返したのか・・・』という、小寺 拳人選手を思い出の選手と捉えている投稿が見られました。

それでは、投稿内容の一部を抜粋してご紹介します。

まとめ

小寺 拳人選手、デビューから約11年の間、本当にお疲れさまでした。

残念ながら、輝かしい活躍とまではいきませんでしたが、そのがむしゃらに走って、引退勧告の基準となる4期通算勝率3.80の壁にあがき続ける姿で、懸命に戦い続けた選手ということがよくわかりました。

まだ若い小寺 拳人選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

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