広島支部の市川猛選手が引退!現役生活31年のベテランボートレーサーに何があったのか?直近の成績などから引退理由を徹底調査!!

2024年11月14日、73期のベテランボートレーサー・市川 猛選手(広島・3668)が、11月5日に日本モーターボート競走会に引退届を提出し、引退したことが明らかになりました。

広島支部の73期レーサー・市川 猛選手(3668)が、2024年10月25日の「瀬戸内オーシャンズX 第31回 日本財団会長杯」最終日の第7レースを最後に日本モーターボート競走会に引退届を提出したことが報じられました。

11月15日現在、市川 猛選手の情報は、ボートレースオフィシャルサイトの選手ページ・ボートレース宮島オフィシャルサイト内の広島支部所属選手一覧からはどちらも削除されており、11月10日までの期間に削除されたと推測できます。

1993年11月に宮島競艇場で73期としてデビューした市川 猛選手。
2024年後期の勝率は3.38でしたが、今期の成績だと2025年前期は勝率2.92となる予定で、2023年後期から勝率が3.80を超えることは1度もなかったため、引退勧告の対象となる成績でした。

このことから、引退勧告を覚悟して、選手生活31年目終える節目に潔く身を引く決断をしたのでしょう。

市川 猛選手の基本情報・レジェンドレーサーの実兄・同期の注目選手から引退勧告の水準まで、近年の成績などをもとに、引退理由について考察していきたいと思います。

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目次

市川 猛選手の基本情報

名前
(フリガナ)
市川 猛
(イチカワ タケシ)
登録番号3668
生年月日1971年3月29日
身長169cm
体重52㎏
血液型O型
支部広島
出身地広島県
登録期73期
級別B2級
デビュー日1993年12月
最終出走日2024年10月25日
引退日2024年11月5日

市川 猛選手は1971年生まれ、広島支部所属のB2級レーサーです。

73期として1993年12月に広島支部のホームプール・宮島競艇場の一般戦でデビューを飾り、約30年間の選手生活で通算452勝優出回数は19回でしたが、残念ながら優勝を掴むことはできず
生涯獲得金額は3億5,193万4,273円という成績を収めています。

先にデビューしていた、広島支部を代表するSG4冠の実兄・市川 哲也選手(3499)の影響でボートレーサーの道に進むことを決意。

そして、1992年10月にボートレーサー養成所に入学すると、1年間の訓練期間を経て、1993年12月に宮島競艇場でデビューを飾りました。

現役生活最後のレースは、2024年10月25日に宮島競艇場で開催された一般戦「瀬戸内オーシャンズX 第31回 日本財団会長杯」最終日の第7レースの3着。
デビュー・初勝利・初優出を飾った思い入れのある地元水面で有終の美を飾りました。

市川 猛選手の過去戦績

市川 猛選手の主な過去戦績は次のとおりです。
あまりに前の記録のため、1997年5月1日以前の記録については詳細を確認することができませんでした。

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1993年12月タイトル不明宮島一般デビュー
1994年8月タイトル不明宮島一般初勝利
1996年2月タイトル不明宮島一般初優出
2024年10月25日瀬戸内オーシャンズX 第31回 日本財団会長杯宮島一般ラストラン

市川 猛選手は、1993年12月に広島支部のホームプール・宮島競艇場開催された一般戦競争で73期としてデビューを飾り、約1年8か月後の1994年8月に初戦を飾った同じ水面で初勝利

デビューから2年2か月後の1996年2月宮島競艇場で開催された一般戦で念願の初優出を果たしましたが、その後も18回の優出を果たしたものの、2015年1月12日に宮島競艇場で開催された「一般・男女W優勝戦テレボートカップ 第15回 JLC杯競走」の2着を最高として、2020年以降は優出もできず、引退まで優勝することはかないませんでした

そして、初出走から30年を目前とした2024年10月20日~25日に宮島競艇場で開催された「一般・瀬戸内オーシャンズX 第31回 日本財団会長杯」最終日の第7レースの3着を最後に引退を決めました。

市川 猛選手の兄は市川 哲也選手

市川 猛選手の兄は同じ広島支部所属の67期・市川 哲也選手です。

名前
(フリガナ)
市川 哲也
(イチカワ テツヤ)
登録番号3499
生年月日1968年10月1日
身長162cm
体重51㎏
血液型A型
支部広島
出身地広島県
登録期67期
級別A2級

市川 哲也選手は弟の市川 猛選手と同じ、広島支部所属のA2級選手です。
その甘いマスクから“ミルキースマイル”という異名を持っており、得意の「スタート力」を持ち味に、現在は一般戦を中心に活躍しています。

1990年に地元・宮島競艇場でデビューを飾り、デビューから3年10か月後の、2001年9月2日に多摩川競艇場で開催された SG「第47回 モーターボート記念(ボートレースメモリアル)」において、SG競争では史上5人目となる完全優勝を達成

しかも、この2001年の市川 哲也選手のSG完全優勝以来、今日まで20年以上も長きにわたってSG競争で完全優勝を達成した選手は現れておらず、競艇氏に名を刻んだレジェンドの一人と言えるでしょう。

さらに約3年後の2014年8月26日にボートレース唐津で開催された「一般・オラレ呼子開設8周年記念」で優勝して、史上11人目となる24場制覇を達成すると、直近では2021年9月18日に下関競艇場で開催された「一般・ふく〜る下関オープン9周年記念 日本トーター杯」最終日の第12レース・優勝戦で史上20人目となる通算100優勝を達成するという、競艇界においても突出した才能の持ち主として、輝かしい偉業を残しています。

市川 哲也選手の過去戦績

市川 哲也選手の主な過去戦績は次のとおりです。
あまりに前の記録のため、1997年5月1日以前の記録については詳細を確認することができませんでした。
そのため、ここではG1初優勝以降の戦績を主にご紹介します。

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1990年一般競走宮島一般デビュー
タイトル不明初勝利
タイトル不明初優出
1993年タイトル不明浜名湖一般初優勝
タイトル不明G1G1初出走
タイトル不明G1G1初勝利
タイトル不明G1G1初優出
1996年1月29日第10回 新鋭王座決定戦競走尼崎G1G1初優勝
タイトル不明SGSG初勝利
タイトル不明SGSG初優出
1997年7月2日SG 第7回 グランドチャンピオン決定戦競走尼崎SGSG初優勝
タイトル不明通算500勝達成
2001年9月2日第47回 モーターボート記念(ボートレースメモリアル多摩川SG史上5人目のSG完全優勝
2004年2月21日JLCカップ丸亀一般通算1,000勝達成
2006年2月16日第21回 倉敷市長杯争奪戦競走児島一般通算50優勝達成
2010年2月14日倶楽部平和島杯平和島一般通算1,500勝達成
2014年8月31日オラレ呼子開設8周年記念唐津一般史上11人目の24場制覇
2015年10月26日匠シリーズ 第3戦大村一般通算2,000勝達成
2021年9月18日ふく〜る下関オープン9周年記念 日本トーター杯下関一般史上20人目の通算100優勝達成

市川 哲也選手は、1990年11月頃に広島支部のホームプール・宮島競艇場で開催された一般競争でデビューを飾り、1993年には浜名湖競艇場で開催された一般戦で早くも初優勝を果たしました。

さらに、2014年8月31日に唐津競艇場で開催された「一般・オラレ呼子開設8周年記念」で史上11人目の24場制覇、2015年10月26日には「一般・匠シリーズ 第3戦」で通算2,000勝勝、さらに2021年9月18日に下関競艇場で自開催された「ふく〜る下関オープン9周年記念 日本トーター杯」で史上20人目の通算100優勝達成を達成しています。※ココから→

G1競争で見ると、1996年1月29日に尼崎競艇場で開催された「第10回 新鋭王座決定戦競走」で1初優勝の栄冠を手にしました。

SG競争でもその勢いは衰えることを知らず、デビューから7年を迎える前に1997年7月2日の「第7回 グランドチャンピオン決定戦競走」でSG初制覇を果たして、グラチャンのタイトルを獲得したのです。
そして迎えた2001年9月2日。
多摩川競艇場で開催された「第47回 モーターボート記念(ボートレースメモリアル)」で自身2度目のSG制覇と史上5人目のSG完全優勝を達成しており、今日まで20年以上も長きにわたってSG競争で完全優勝を達成した選手は市川 哲也選手以外に現れていません。

市川 哲也選手は1997年以前からA1級で活躍しており、2000年以降の期間はずっとA1級を維持していることから、実に選手生活34年のうちの24年以上もの長きにわたって、ずっとA1級を維持するという素晴らしい成績でした。

2001年後期には優勝6回・優出11回という好戦績を積み上げて、自己最高勝率8.51を記録。
さらに最近では、2055年前期に優勝1回・優出7回の戦績と勝率6.74という素晴らしい成績を残しており、まだまだ現役のトップレーサーと呼ぶにふさわしい活躍を続けています

出典:艇国データバンク
  • 通算101V! 市川哲也 地元で今年初優勝!│BOATCAST NEWS 2023年7月29日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE officialチャンネル
  • 【SGで完全優勝】市川哲也2001年! #shorts
出典:ボートレース公式映像配信 JLCレジャーチャンネル

市川 猛選手のデビュー戦

市川 猛選手のデビューは1990年11月頃のできことだったようです。
あまりに前の記録のため、詳細な記録までは確認することができませんでした。

市川 猛選手の初勝利

市川 猛選手の初勝利は1994年8月のできごとでした。
こちらについても詳細を確認することはできませんでしたが、デビューした水面で記念すべき初勝利を手にしたようです。

市川 猛選手の初優出

市川 猛選手の初優出は1996年2月のできごとでした。
こちらについても詳細を確認することはできませんでしたが、初出走・初勝利と同じ宮島競艇場でのできごとだったようです。

同期(73期)の注目選手

市川 猛選手の同期である「73期」にはどのような選手がいるのでしょうか。

主だった選手を以下にまとめました。

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登録番号名前支部級別
3685荒井  輝年岡山A1
3679飯島  昌弘埼玉A1
3686鳥居塚 孝博兵庫A2
3684清水  攻二山口A2
3681山谷   央東京A2
3662大庭  元明福岡A2
  • 荒井 輝年選手(3685)/1974年2月28日生まれ/岡山/A1
  • 飯島 昌弘選手(3679)/1968年4月23日生まれ/埼玉/A2
  • 鳥居塚 孝博選手(3686)/1975年1月31日生まれ/群馬/A2
  • 清水 攻二選手(3684)/1974年2月14日生まれ/山口/A2
  • 山谷 央選手(3681)/1973年6月30日生まれ/東京/A2
  • 大庭 元明選手(3662)/1969年12月22日生まれ/福岡/A2

大庭 元明選手はポンコツ会の会長であり、創設メンバーの大庭 元明選手。
ちなみに会長というのは肩書だけで、実際のところは平社員という位置づけだそうですが、本拠地として自身が経営する福岡県中間市のラーメン店「天竺」を提供したり、メンバーには「おいしい」といわれるとタダにしてしまうというお人好しなリーダー。
2022年6月には北九州市若松区内を自身の車で走行中に人身事故を目撃し、同乗していた西山 貴浩選手・森高 一真選手と救護活動に当たって若松警察署から表彰を受けるなど、人格者の一面も併せ持つ人気選手でもあります。

ポンコツ会というのは、その名の通り「ポンコツ」な人たちが集まる会です。主なメンバーは大庭さん、ボク、林恵祐さん、谷村啓司さんなどです。仕事(ボート)の話は一切しません。「いかに楽しく過ごすか」。テーマはこれだけです。最近はコロナ禍で集まることはできませんが、ずっとバカな話をしながらお酒を飲む会です。ポンコツでしょう(笑い)。

この会のリーダーを務めるのが大庭さん。本当に面白いですよ。この人は…。ずっと森進一さんのモノマネをしながら飲み続けています。

【貴浩西山のキャビらない話~特別編~】尼崎ボート「ダイスポスワンカップ」の見どころ教えます! 出てないけど…(笑い) | 東スポWEB (tokyo-sports.co.jp)
  • ポンコツ会SP飲み会‼最後まで立ってるのは誰だ?【西山貴浩・石野貴之・篠崎仁志・渡邉優美・大庭 元明・林 恵祐】
出典:ボートレース平和島劇場 P-Studio
  • 【石野貴之・西山貴浩】石野ポンコツ会脱退!?西山&大庭師匠の絆が見れてまさかの感動展開に!
出典:【あしやんTV】 ボートレース芦屋 YouTube チャンネル

市川 猛選手のラストレース

市川 猛選手のラストレースは、2024年10月20日~25日に宮島競艇場で開催された一般戦「瀬戸内オーシャンズX 第31回 日本財団会長杯」最終日の第7レースです。

このシリーズは、ここまで9走して1着と2着を1本ずつあげて舟券に貢献。
前走では大外6コースからの進入でしたが、スタートからスロー勢が出遅れて、このシリーズ2本目の5着という苦い結果となっていました。

3号艇・3コースからの進入で、“現役最後のラストランを有終の美で飾りたい”という意気込みを胸に臨んだレース。

市川 猛選手以外は全てのコースにB1級選手が配置され、広島支部の後輩でB1級の三馬 崇史選手(5243)が2コース、当地勝率7.11の磯村 匠選手(4641)イン戦ということもあり、単勝オッズは10.6倍で4番人気。
さらに3連単のオッズでは、人気トップ3の買い目がいずれも“磯村 匠選手が1着”と予想しており、3番人気は123(12.4倍)になっていたことから、観客からは「このレースで市川 猛選手は3着で連に絡む活躍を見せてくれるかもしれない」と判断されていたことがわかります。

勝利へのプレッシャーがかかる条件下で、出走選手全員が自分よりも全国勝率が高いという非常に厳しい状況。
コンマ12でやや遅めのスタートとなるも、イン戦をしっかり逃げた磯村 匠選手と後輩の三馬 崇史選手に続き、3着という結果でラストランでも舟券に貢献する活躍を見せてくれました。

このレースの3連単132は3番人気の1,240円(12.4倍)でした。
5日目の前半カードではベテランの意地を見せた抜きで現役最後の白星を獲得し、相性の良かった広島支部のホームプールで有終の美を飾ったのです。

デビューから約31年目のラストレースでも、これまでの選手生活と同様にファンの期待に応えて、シリーズを“無事故”で走り切れたのは、日々の練習で操縦技術をコツコツと磨き続けた賜物でしょう。

出走表

出典:BOAT RACE公式サイト

単勝オッズ

枠番級別選手名単勝オッズ
1B1磯村   匠1.2倍
2B1三馬  崇史5.7倍
3B2市川   猛10.6倍
4B1松本  弓雄6.3倍
5B1鈴木  峻佑14.2倍
6B1中渡  修作57.0倍

3連単オッズ

買い目(人気順)オッズ(倍)
124(1番人気)7.1
125(2番人気)7.6
142(3番人気)12.0
123(4番人気)12.4
152(5番人気)13.3

レース結果

出典:BOAT RACE公式サイト

市川 猛選手の引退で「公式サイト内のプロフィールページ」が削除される

市川 猛選手の引退が報じられた2024年11月14日。
情報の信憑性を確認するために、下記の2つの情報源で「市川 猛選手のプロフィールページ」の存在有無を調査しました。

  • BOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ
  • ボートレース宮島Official Siteの福井支部選手プロフィールページ

2024年11月15日時点で、それぞれのサイトに“市川 猛選手のプロフィールページ”が存在していたのか…その調査結果をご紹介します。

ボートレース公式サイト内のプロフィールページ

2024年11月15日までに「BOAT RACE公式サイト」内のプロフィールページが削除されたことが確認できました。

現在、市川 猛選手のプロフィールページにアクセスすると『※ データが存在しないのでページを表示できません。』と表示されて、以前のように情報を閲覧できない状態となっています。

また、同サイト内の検索機能を利用して“選手名”や“登録番号”で検索しても、すでに情報を見ることはできなくなっています。

出典:BOAT RACE公式サイト

ボートレース宮島Official Siteの広島支部選手プロフィールページ

市川 猛選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内から削除されたと同時に、2024年11月15日現在「ボートレース宮島Official Site」でも情報を確認することはできませんでした。

引退届が受理されて選手登録が削除された以上、広島支部所属選手一覧から削除されたのでしょう。
一般的に引退が報じられてから、所属支部の選手紹介から削除されるのは一定期間を経過した後に行われることが多いのですが、今回は早い対応だったようです。

出典:ボートレース宮島official Site

WEBニュースで引退が報じられる

2024年11月14日に「Yahoo!JAPANニュース」で市川 猛選手の引退が報じられました。

【ボートレース】広島支部の市川猛が引退

11/14(木) 11:52配信

引退した市川猛

 ボートレーサーの市川猛(53)=広島=が引退していたことが14日、分かった。5日に日本モーターボート競走会に引退届けを提出した。
 市川は1993年12月、宮島・一般戦で73期としてデビュー。1994年8月、宮島・一般戦で初1着。1996年2月の宮島・一般戦で初優出。通算19優出も優勝はなし。通算452勝。生涯獲得賞金は3億5193万4273円。2024年10月25日の宮島・一般戦、最終日7Rの3着がラストレースとなった。

引用元:【ボートレース】広島支部の市川猛が引退(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース

記事に寄せられたコメント

報道はいたってシンプルなものでしたが、73期のベテランレーサーが引退を決めたとあって、『長年の活躍を労う声』や『実兄の市川 哲也選手と比較する声』が聞かれました。

お疲れ様です

兄弟であまりにも才能が違いすぎたね…

お疲れ様でした。第二の人生でも活躍されますように。

やっぱり兄貴が偉大すぎた。
ただ、この年齢まで良く頑張ったと思う。
引退しても、競艇選手が身内にいる以上、舟券は買えないが、まずはゆっくり過ごしてほしい。

市川 猛選手の引退理由は?

市川 猛選手の引退理由は明言されていません

しかし、2025年後期の選手級別審査終了日である10月31日までを走り切り、4期通算の成績不振による引退勧告の対象となることが確定したため、引退を決断したと考えられます。

その証拠に、デビュー以来ずっと31年もの長きにわたって初優出より先の水神祭をあげることもできず、2021年以降は勝率も3.80下回ることも増えて、2023年後期からは3.80のボーダーをクリアできなくなっていました

そのため、市川 猛選手自身が「今まで引退勧告にならないようにもがいてきたが、身体能力の衰えもあり、引退勧告は回避できなない潮時だ」「選手生活31年、もう十分やってきた」と判断してもおかしくはなかったはずです。

これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

では、市川 猛選手の場合は、本当に成績不振による引退勧告を受けるような立場だったのでしょうか?
まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。

成績不振による引退勧告の基準

まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。

あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補となるからです。
※選手登録3年経過していない選手は対象外。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

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判断項目基準
4期通算勝率3.8未満
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

考えられる引退の理由は?

前述の基準と市川 猛選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受ける対象に該当していたと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

  • 4期通算勝率:基準を下回る期が3期続いており、4期通算すると勝率3.60で基準以下の状況
  • 4期通算事故率:事故率0.7以下(2024年6月以降、スタート事故はなし)
  • 4期通算出走回数:3期通算で出走数が60回以上であり、4期通算しても60回以上

上記の“成績不振による引退勧告基準”の1つが当てはまるため、引退勧告を受けるような状況だったと推測できます。
そのため、考えられる引退理由として「引退勧告を前に自ら退く決断をした」ということでしょう。

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。

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級別出走数勝率
2019年前期B194走4.21
後期B1100走3.83
2020年前期B1110走4.27
後期B1108走4.55
2021年前期B1103走3.73
後期B182走3.55
2022年前期B175走4.11
後期B166走4.14
2023年前期B190走3.96
後期B246走3.04
2024年前期B185走3.73
後期B240走3.38

上記の表から鑑みるに、引退理由に「4期通算の成績不振による引退勧告」が関係していることは明白です。

直近5年だけで見ても、平均100走ほどあった出走数は年々減少して70走を超えることはなくなりました。
同様に勝率も2020年後期の4.55を目途に徐々に低下の一途をたどり、遂に2023年後期には選手人生の最低値3.04まで下がっていたことが読み取れます。

結論として『勝率・出走数が引退勧告の基準をクリアできなかったことが決定打となって引退を決めた』というところでしょう。

市川 猛選手の電撃引退に対するSNSの反応は?

市川 猛選手の電撃引退に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?

引退に際して比較された選手生活を労う声」「兄の市川 哲也選手との関係を驚く声」が寄せられていました。

具体的な内容としては『常にお兄さんと比較されて大変な選手人生だったと思う』といった声や、『市川猛さんって市川哲也と兄弟だったの、今知った…』という、市川 猛選手の兄弟関係に触れている投稿が多くみられました。

ほかには『また一人ベテランがいなくなる(中略) 次々と若手に入れ替わる業界、やはり厳しい世界です』という世代交代が進むボートレース界を憂う声や、『斡旋がまだ入っとったけぇ 全部走られてから引退されるのかと』という、市川 猛選手の突然の引退報道にショックを受けている様子が印象的でした。

それでは、投稿内容の一部を抜粋してご紹介します。

まとめ

市川 猛選手、デビューから約31年、お疲れさまでした。
素晴らしい活躍とボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供し、何よりも多くのファンから愛された選手ということがよく伝わってきました。

残念ながら、輝かしい活躍とまではいきませんでしたが、兄の市川 哲也選手と共にボートレースの人気を長年支え続けた選手ということがよくわかりました。

市川 猛選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

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