広島支部の出本正博選手が引退。現役生活36年のベテランボートレーサーに何があったのか?直近の成績などから引退理由を徹底調査!!

2024年5月3日、ベテランボートレーサーの出本 正博選手(広島・62期)が、引退することが明らかになりました。


広島支部の62期レーサー・出本 正博選手(3338)が、2024年5月3日の「第53回 サンケイスポーツ若葉賞」を最後に日本モーターボート競走会に引退届けを提出することが報じられました。

2024年5月4日頃にボートレース宮島オフィシャルサイト内の広島支部所属選手一覧から削除されたようです。
62期としてデビューした出本 正博選手にとって、2024年は33年ルールが適用される年
2024年前期の勝率が3.17に低下しましたが、今期の成績だと後期は勝率3.01となり、引退勧告の対象となる成績でした
このことから、引退勧告を覚悟して、潔く身を引く決断をしたのでしょう。
出本 正博選手の基本情報・同期の注目選手・引退勧告の水準から33年ルールまで、近年の成績などをもとに、引退理由について考察していきたいと思います。

目次

出本 正博選手の基本情報

名前
(フリガナ)
出本 正博
(デモト マサヒロ)
登録番号3338
生年月日1965年4月21日
身長163cm
体重56㎏
血液型B型
支部広島
出身地広島県
登録期62期
級別B2級
最終出走日2024年5月3日

出本 正博選手は1965年生まれ、広島支部所属のB2級レーサーです。

62期として宮島競艇場の一般戦でデビューを飾り、選手としてはとても実直で心優しく、後進の指導にも定評がありました。
36年間の選手生活での出場節数は657節で、通算48優出で優勝は2回、691勝という成績を収めています。
現役生活最後のレースは、2024年5月3日に宮島競艇場で開催された一般戦「第53回 サンケイスポーツ若葉賞」最終日の第4レース、地元水面で有終の美を飾りました。

同期(62期)の注目選手

出本 正博選手の同期である「62期」にはどのような選手がいるのでしょうか。

主だった選手を以下にまとめました。

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登録番号名前支部級別
3362間嶋   仁志三重A1
3350藤本   佳史山口A2
3339泉    具巳兵庫A2
3349吉田   一郎長崎B1
3357福島  陽子岡山B1
  • 間嶋 仁志選手(3362)/1969年7月28日生まれ/三重/A1
  • 藤本 佳史選手(3350)/1968年4月23日生まれ/山口/A2
  • 泉 具巳選手(3339)/1965年5月29日生まれ/兵庫/A2
  • 吉田 一郎選手(3349)/1968年1月27日生まれ/長崎/B1
  • 福島 陽子選手(3357)/1968年11月8日生まれ/岡山/B1

出本 正博選手の引退理由は?

出本 正博選手の引退理由は明言されていません
しかし、2024年後期の選手級別審査終了日である4月30日までを走り切り、4期通算の成績不振による引退勧告の対象となることが確定したため、引退を決断したと考えられます。

これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

では、出本 正博選手の場合は、本当に成績不振による引退勧告を受けるような立場だったのでしょうか?
まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。

成績不振による引退勧告の基準

まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。

あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補となるからです。
※選手登録3年経過していない選手は対象外。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

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判断項目基準
4期通算勝率3.8未満
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

33年ルールとは?

上記のほかにも、引退勧告には選手数が1,600人を超えた場合にのみ適用される33年ルールがあることをご存じでしょうか?

ボートレーサーは基本的に1,600人が上限とされています。
このルールを端的に表現すると「デビューから33年以上のベテランを対象として、4期通算勝率が4.80を下回っている選手から順に、選手数が1,600人になるまで足切りをするというルール」です。

正確には選手登録後33年経過かつ4期通算の勝率が4.80未満のレーサーに対して、退会勧告がなされます。
ただし、近年このルールは凍結されていました。
まず、勝率3.80未満の選手が引退して選手数が1,600人以内になれば、それ以上は選手数を減らす必要がないからです。

ところが、2023年前期から選手数の増加により、複数のベテラン選手が艇界から去る必要がでてきました。
そのため、33年ルールで引退するベテランレーサーは毎期ごと一定人数存在する状況に。

選手登録33年となれば、50~60代のレーサーがほとんど。
勝率4.80はオール4着では届かないため、それ以上の戦績が必要となります。

「登録から33年以内の選手の勝率ボーダーは3.80で、それ以上のベテラン選手は4.80というのは厳しい」という声も多く聞かれており、ルールの改変を求める声がある一方で「選手数が増えれば1人あたりの出走回数が減って大部分のレーサーは獲得賞金が減る」という背景があり、33年ルールの撤廃は難しいでしょう。

考えられる引退の理由は?

前述の基準と出本 正博選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受ける対象に該当していたと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

  • 4期通算勝率:基準を下回る期が3期続いており、4期通算すると勝率3.60で基準以下の状況
  • 4期通算事故率:事故率0.7以下(2022年8月以降、スタート事故はなし)
  • 4期通算出走回数:3期連続で出走数が60回以下

上記の“成績不振による引退勧告基準”の2つが当てはまるため、引退勧告を受けるような状況だったと推測できます。
そのため、考えられる引退理由として「引退勧告を前に自ら退く決断をした」ということでしょう。

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。

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級別出走数勝率
2019年前期B194走4.36
後期B1117走4.31
2020年前期B186走4.10
後期B181走3.73
2021年前期B188走4.19
後期B194走3.81
2022年前期B187走3.79
後期B199走4.03
2023年前期B244走3.50
後期B159走3.73
2024年前期B248走3.17

上記の表から鑑みるに、引退理由に「4期通算の成績不振による引退勧告」が関係していることは明白です。

直近5年だけで見ても、平均100ほどあった出走数は年々減少して60を超えることはなくなりました。
同様に勝率も2019年前期の4.36を目途に徐々に低下の一途をたどり、遂に2024年前期には選手人生の最低値3.17まで下がっていたことが読み取れます。

結論として『勝率・出走数が引退勧告の基準をクリアできなかったことが決定打となって引退を決めた』というところでしょう。

選手生活最後の水神祭

地元・宮島競艇場でのレースを最後に引退を決断したことで、万感の思いを胸にラストランが行われた2024年5月3日。

現役生活最後のレースは、インに構えるも、横田 茂選手のまくりが決まって、残念ながら6着という結果で幕を下ろしました。

全レース終了後、長年練習に勤しんできた、ゆかりのある宮島競艇場の大時計の前で、選手生活最後の水神祭が執り行われることに。

36年もの長きにわたり、ボートレースの最前線で戦い続けた師匠への感謝を込めて、弟子の下寺 秀和選手が発起人となったそうで、たくさんのファンや仲間、そばで支え続けた家族に見守られて、心温まる感動的な水神祭となりました。

出典:BOAT RACE公式サイト

ボートレースオフィシャルウェブサイトの「出本 正博選手の出場予定」を確認すると、下記の2大会への出場が予定されている状況となっています。

  • 2024/5/14~2024/5/19 下関「G3・マスターズリーグ第1戦 ケーブルネット下関杯」
  • 2024/6/1~2024/6/6 唐津「一般・にっぽん元気プロジェクト競走in唐津」
出典:BOAT RACE公式サイト

しかし、東スポWEBの取材で出本 正博選手ご自身が次のように語っていたため、このレースがラストランであることが判明します。

(自分も斡旋が6月まで入っていたので当然走り切ると思っていたけど)
『自分も最後まで仕事をやり遂げて『お疲れ様でした~』っていうのをイメージしてたけど、家族が「ラストランは見届けたい」というので、それなら最後は地元の宮島で…、と思い今大会をラストと決断しました。決めた以上は最後までしっかりと頑張りたいですね。』

このように胸中を明かしてくれたことで、5月3日の「第53回 サンケイスポーツ若葉賞」最終日を最後に競技人生から退くことがわかりました。

下寺秀和選手ってどんな選手?

名前
(フリガナ)
下寺  秀和
(シモデラ ヒデカズ)
登録番号4771
生年月日1993年2月8日
身長166cm
体重55㎏
血液型B型
支部広島
出身地広島県
登録期112期
級別A2級
デビュー日2013年5月17日

下寺秀和選手は1993年生まれ、広島支部所属のA2級レーサーです。

2013年5月に地元の宮島競艇場でデビュー、同年10月に初勝利を飾ると、初出走から2年後の2020年5月19日に三国競艇場で開催された「一般・けーぶるちゃん。杯」で初優勝を達成。
さらに2020年2月にはG1初出場にして初勝利、2021年9月にはG1初優勝を果たしています。

今回の師匠・出本 正博選手のラストラン水神祭の発起人となったことで、師弟関係はとても良好だったことがよくわかりました。

これだけ「師匠のために恩返しをしたい」という気持ちが行動に表れていることから、情に厚くて優しい一面を持っている選手と言えるでしょう。

【宮島ボート】下寺秀和が優出 今節で引退する師匠・出本正博へ「優勝して忘れられない節にしたい」

5/2(木) 20:21配信

 ボートレース宮島の「第53回サンケイスポーツ若葉賞」は2日、準優勝戦が行われた。10Rでは下寺秀和(31=広島)がインから逃げて優出を決めた。「伸びに寄せた人にもついていける。舟の向きや押し感がよく総合力でいいところにいる。スタートも分かっている。しっかり攻めたい」と仕上がりも上々だ。  今節を最後に師匠・出本正博が引退する。ともに選手として過ごすことができるのも最終日のみとなった。「いろいろなことがこみ上げてきて…。準優のスタートは緊張した。でも、優勝戦は大丈夫。優勝して忘れられない節にしたい」。師匠のラストシリーズで最高の結果を出して恩返しをするつもりだ。

【宮島ボート】下寺秀和が優出 今節で引退する師匠・出本正博へ「優勝して忘れられない節にしたい」(東スポWEB) – Yahoo!ニュース

SNSの反応は?

長年愛され続けた出本 正博選手の引退、および最後の水神祭を受けて、SNSにはどのような声があがったのでしょうか?
その一部を抜粋してご紹介します。

出本 正博選手の長期にわたる活躍に感謝と労いの声が多数。
特に『(弟子の下寺選手が)最後に師匠のためにどうしてもと声をあげて実現した水神祭』という師弟関係の強さを感じさせるフレーズには、感動とそんなにも慕ってもらえる師匠を賞賛したい気持ちでいっぱいになりました。

  • ラストラン前にも出本 正博選手を応援する投稿がされていました
  • 引退前最後の水神祭を飾ったことに対しての感想もちらほら…
  • 長年の活躍に対して「お疲れさまでした」という労いの声が多く聞かれました

まとめ

出本 正博選手、デビューから約36年、お疲れさまでした。
素晴らしい活躍とボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供し、何よりも多くのファンから愛された選手ということがよく伝わってきました。
弟子の下寺秀和選手が発起人となった引退前最後の水神祭は、長年支え続けたファンや報道関係者、広島支部の選手たち、そして最も身近で応援し続けた家族に見守られた、とてもハートフルで素適なセレモニーでした。
出本 正博選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

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