東京支部の120期レーサー・下野 京香選手(4993)が、2024年5月6日にびわこ競艇場で開催された「一般・びわこヴィーナス!第5回酒処京都新京極スタンド杯」を最後に日本モーターボート競走会に引退届を提出したことが報じられました。
5月25日現在、下野 京香選手の情報は、ボートレースオフィシャルサイトの選手ページからは削除されており、5月24日頃に削除されたと推測できます。
確認したところ、ボートレース平和島公式サイト内の東京支部所属選手一覧ではまだ確認できる状況であるるため、近日中に削除される見込みです。
2017年5月14日に多摩川競艇場で120期としてデビューした下野 京香選手。
2024年前期の勝率は4.65でしたが、今期の成績だと後期は勝率2.87となる予定でしたが、デビューからこれまでに勝率が3.80を超えたのは2023年後期と2024年前期の2度で引退勧告の対象となる成績でした。
このことから、引退勧告を覚悟して、潔く身を引く決断をしたのでしょう。
下野 京香選手の基本情報・同期の注目選手・師弟関係から引退勧告の水準まで、近年の成績などをもとに、引退理由について考察していきたいと思います。
下野 京香選手の基本情報
名前 (フリガナ) | 下野 京香 (シモノ キョウカ) |
登録番号 | 4993 |
生年月日 | 1997年9月29日 |
身長 | 163cm |
体重 | 49㎏ |
血液型 | A型 |
支部 | 東京 |
出身地 | 東京都 |
登録期 | 120期 |
級別 | B2級 |
デビュー日 | 2017年5月14日 |
最終出走日 | 2024年5月6日 |
引退日 | 2024年5月21日 |
下野 京香選手は1997年生まれ、東京支部所属のB2級レーサーです。
約7年間の選手生活での出場節数は97期、出走数は798走で、優出・優勝はともに0回、通算37勝という成績で、生涯獲得金額は3,581万8,739円でした。
下野 京香選手は幼い頃から、競艇好きの父の影響で、実家近くにある平和島競艇場に足を運んでいたことからボートレースに馴染みがあったそうです。
転機となったのは、高校2年生の頃。
進路を選択するにあたって、はじめは公務員を選択しようとしましたが、「一度きりの人生なので何か変わったことがしたい」との思いがあり、決めきれずにいました。
そんな中で、誰も目指さないような職業として、ボートレーサーが候補にあがります。
“今までレースを目にしていた経験”と、学生時代にサッカーやバスケットボールに励んだ“運動能力の高さ”に加えて、約1,600万円という“高い平均年収への魅力”を総合的に判断した結果、ボートレーサーとしての道を歩みはじめたそうです。
そして、2015年12月にボートレーサー養成所の一般試験を受験して、見事に1発合格。
1年間の訓練期間を経て、2017年5月に多摩川競艇場でデビューを飾りました。
現役生活最後のレースは、2024年5月6日にびわこ競艇場で開催された「一般・びわこヴィーナス!第5回 酒処京都新京極スタンド杯」最終日の第6レースでした。
サッカーは小学4年生~中学2年生までの5年間プレーしていて、小学5年生で関東大会出場しているね。
バスケットボールは、中学1年生~高校3年生までの6年間プレーしていて、特技にもあげているよ。
- 未来のQueen|下野京香|女子レーサー|ボートレース
- 【GⅢレディース笹川杯】下野京香 とこなめは自力強化シリーズだ
ボートレース公式サイトの選手ページ
引退が報じられる直前に確認できた、下野 京香選手のボートレース公式サイトに掲載されていた選手情報をご紹介します。
女子レーサーの不足に伴い、4月中に下記1節の斡旋が追加されていましたが、下野 京香選手はこの斡旋を削除して、地元水面での引退を選択しました。
- 2024年5月23日~28日開催:第46回 デイリースポーツ杯(桐生競艇場)
なお、下の画像は2024年5月5日に確認した時のものなので、最終レース出走後に斡旋削除がされたようです。
2024年5月5日時点で入っていた次のレースの斡旋
2024年5月19日、引退が報じられる前に確認できた選手紹介ページ
2024年5月25日現在、確認できるボートレース平和島公式サイトの選手紹介ページ
下野 京香選手の過去戦績
日付 | レース名 | レース場 | グレード | 戦績・概要 |
2017年5月14日 | 第53回 日刊スポーツ賞 | 多摩川 | 一般 | デビュー |
2018年12月16日 | G3 オールレディース・サンケイスポーツ杯 | 戸田 | G3 | 初勝利 |
2024年5月6日 | びわこヴィーナス!第5回 酒処京都新京極スタンド杯 | びわこ | 一般 | 最終出走 |
2017年5月、多摩川競艇場の一般戦で120期としてデビュー。
2018年12月に戸田競艇場で161走目にして初勝利を飾るも、その後は優出・優勝歴はなし。
2024年5月6日にびわこ競艇場で開催された「一般・びわこヴィーナス!第5回 酒処京都新京極スタンド杯」最終日の第6レースを最後に引退。
女子レーサーの不足に伴い、4月中に下記1節の斡旋が追加されていましたが、下野 京香選手はこの斡旋を削除して、地元水面での引退を選択しました。
- 桐生競艇場:5月23日~28日開催・一般戦「第46回 デイリースポーツ杯」
なお、下の画像は2024年5月5日に確認した時のものなので、最終レース出走後に斡旋削除がされたようです。
下野 京香選手の師匠は中谷 朋子選手
下野 京香選手の師匠は、兵庫支部所属、78期の中谷 朋子選手です。
通常、競艇界の師弟関係は同じ支部で築かれることが多いですが、下野 京香選手は支部の垣根を超えるほどの“尊敬と猛烈な愛”で、自ら弟子入りを志願して、弟子入りを果たしました。
名前 (フリガナ) | 中谷 朋子 (ナカタニ トモコ) |
登録番号 | 3845 |
生年月日 | 1976年9月29日 |
身長 | 159cm |
体重 | 44㎏ |
血液型 | A型 |
支部 | 兵庫 |
出身地 | 兵庫都 |
登録期 | 78期 |
級別 | A1級 |
中谷 朋子選手は、兵庫支部所属のA1級レーサーです。
トレードマークの金髪のショートカットとその実力から「金色のジャンヌ・ダルク」の愛称で親しまれ、SG出場経験も有する、女子ボートレーサーの中でもトップクラスの実力者。
インコースの3連対率は驚異の88.0%で、2018年4月16日には下関競艇場で開催された「G3・オールレディースジュエルセブンカップ」3日目の第11レースで通算1,000勝を達成しました。
- 祝1,000勝!!!中谷朋子選手水神祭✰(2018.04.16)【ボートレース下関】
下野 京香選手の最初の師匠は川口 貴久選手
下野 京香選手は、デビューから約3年後の2019年2月~2019年6月の間に中谷 朋子選手に弟子入りしたと推測されます。
“推測”という言葉を使ったのは、調査をしても正確な弟子入り時期については特定できず、その代わりに下野 京香選手のXの投稿から、2019年2月までは東京支部の川口 貴久選手(4128)の弟子であることが明言されていました。
その後、2019年6月の日刊スポーツの記事で『師匠の中谷朋子さん』と公言していることから、この間の期間に川口 貴浩選手のもとを離れて、中谷 朋子選手に弟子入りを志願したと推測されるのです。
中谷 朋子選手の弟子として再出発!愛称は「金色のキャサリン・ダルク」
憧れの中谷 朋子選手に弟子入りを果たすと、妹分として、師匠の愛称から「(金色のジャンヌ・ダルク公認)金色のキャサリン・ダルク」として、目標とする師匠の背中を追いかけはじめました。
愛してやまない、尊敬する師匠に弟子入りできたことで、下野 京香選手はとても幸せだったに違いありません。
髪色と髪型を師匠である中谷 朋子選手とお揃いにしたことからも、その喜びは明らかです。
X(旧Twitter)の自己紹介文にも『妹-金色のキャサリン・ダルク』と明記しており、アイコンも師匠とのツーショットという徹底ぶりです。
勝利者インタビューでは頻繁に師匠の名前が出るため、師弟関係はかなり良好な様子で、下野 京香選手の成績が急上昇したのは“師匠の教え”によるものが大きかったと推測できます。
度々明かしていた“師匠への愛”と“師弟エピソード”
ここまで述べてきたとおり、下野 京香選手の“師匠愛”はかなり強いのものですが、一方の中谷 朋子選手についてはどうだったのでしょうか。
次にご紹介する記事を読めば、東京支部と兵庫支部という長距離の師弟関係にも関わらず、親子のように強い絆で結ばれていたことがわかります。
相思相愛だった師弟関係だからこそ、“弟子の引退”で師匠である中谷 朋子選手が気を落としていないか心配ですね。
一部ですが、師弟関係のエピソードをご紹介します。
下野京香は誰よりも師匠の中谷朋子が大好き/徳山
[2019年6月29日22時43分]
下野は語る。「師匠の中谷朋子(兵庫)さんが、たぶん勝ったことを喜んでくれると思うんですが、それより1コースに頑張って入ったことに、よしよしと思ってくれていると思います」。東京支部の下野が、兵庫支部の中谷の弟子になった経緯は「実は誕生日が同じなんです(9月29日)。私はすごく人見知りなんですけど、同じあっせんになったときに、勇気を出して話しかけてみたんです。そこからあっせんがいくつか一緒になったのが、ご縁のはじまり」と説明する。
「中谷さんは褒めてくれるときは、きちんと褒めてくれる。叱ってくれるときは、すごく真剣に叱ってくれる。私は流されてしまいがちな性格なので、そういう環境が必要でした」。
それに加えて「中谷さんのレーススタイルが好きなんです。クリーンなレースを心がけているし、乗り方がかっこいい」とレースに向かう姿勢に感銘を受けたのだという。
下野の水神祭は、18年12月の戸田G3オールレディース4日目7R。4コースからコンマ14のトップタイスタートでまくりを決めた。
「その時、私の水神祭で(同じあっせんだった)師匠が一緒に飛び込んでくれたんです。普段は絶対飛び込まない方なので、すごくうれしかった」。
中谷は現在、フライング休み中。7月4日の蒲郡一般戦で復帰する予定だ。
「中谷さんの休み中に、私の地元(東京・大森)までわざわざ遊びに来てくださって、一緒に飲んでカラオケをしたのが、最近楽しかったこと」。
そして最後に「私、中谷さんとメッチャ似てるって、周りから言われるんです。どうですか?似てませんか?」。師匠がどこまでもお好きなようだ。
下野京香は誰よりも師匠の中谷朋子が大好き/徳山 – ボート : 日刊スポーツ (nikkansports.com)
【ボートレース】中谷朋子が、今節初勝利挙げた弟子の下野京香に大喜び「本当にうれしい」/江戸川
[2023年6月1日18時27分]
<江戸川ボート:オールレディース>◇G3◇3日目◇1日
中谷朋子(46=兵庫)は弟子の下野京香(25=東京)が8Rで今節初勝利を挙げたことを受けて「(下野選手が)活躍するのが本当にうれしいんですよ」と、自分のことのように喜んだ。
【ボートレース】中谷朋子が、今節初勝利挙げた弟子の下野京香に大喜び「本当にうれしい」/江戸川 – ボート : 日刊スポーツ (nikkansports.com)
同期(120期)の注目選手
下野 京香選手の同期である「120期」にはどのような選手がいるのでしょうか。
主だった選手を以下にまとめました。
登録番号 | 名前 | 支部 | 級別 |
4980 | 佐々木 完太 | 山口 | A1 |
4983 | 前田 篤哉 | 愛知 | A1 |
4989 | 石原 翼 | 静岡 | A1 |
4991 | 宗行 治哉 | 広島 | A1 |
4984 | 森下 愛梨 | 静岡 | B1 |
4987 | 島倉 都 | 群馬 | B1 |
4974 | 安井 瑞紀 | 岡山 | B1 |
- 佐々木 完太選手(4980)/1996年5月29日生まれ/山口/A1
- 前田 篤哉選手(4983)/1996年11月29日生まれ/愛知/A1
- 石原 翼選手(4989)/1997年5月14日生まれ/静岡/A1
- 宗行 治哉選手(4991)/1997年7月21日生まれ/広島/A1
- 森下 愛梨選手(4984)/1997年1月15日生まれ/静岡/B1
- 島倉 都選手(4987)/1997年4月4日生まれ/群馬/B1
- 安井 瑞紀選手(4974)/1993年5月9日生まれ/岡山/B1
下野 京香選手の引退理由は?
下野 京香選手の引退理由は明言されていません。
しかし、2024年後期の選手級別審査終了日である4月30日までを走り切り、4期通算の成績不振による引退勧告の対象となることが確定したため、引退を決断したと考えられます。
これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。
では、下野 京香選手の場合は、本当に成績不振による引退勧告を受けるような立場だったのでしょうか?
まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。
成績不振による引退勧告の基準
まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。
あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。
毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補となるからです。
※選手登録3年経過していない選手は対象外。
引退勧告の基準は次のとおりとなっています。
判断項目 | 基準 |
---|---|
4期通算勝率 | 3.8未満 |
4期通算事故率 | 0.7以上 |
4期通算出走数 | 60回未満 ※自己都合により60回を下回る場合 |
ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。
- 選手登録3年以内の選手は対象外
- 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
- 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外
ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。
競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。
考えられる引退の理由は?
前述の基準と下野 京香選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受ける対象に該当していたと考えられます。
その理由は以下のとおりです。
- 4期通算勝率:デビュー以来ずっと3.80を下回り続けており、4期通算すると勝率3.70で基準以下
- 4期通算事故率:事故率0.7以下(2024年2月12日にコンマ03のフライング歴あり)
- 4期通算出走回数:4期連続で出走数が60回未満
上記の“成績不振による引退勧告基準”の2つが当てはまるため、引退勧告を受けるような状況だったと考えられます。
そのため、考えられる引退理由として「引退勧告を覚悟して、自ら退く決断をした」ということでしょう。
そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。
年 | 期 | 級別 | 出走数 | 勝率 |
---|---|---|---|---|
2019年 | 前期 | B2 | 61走 | 1.49 |
後期 | B2 | 78走 | 1.51 | |
2020年 | 前期 | B2 | 43走 | 2.33 |
後期 | B1 | 71走 | 2.73 | |
2021年 | 前期 | B2 | 49走 | 2.35 |
後期 | B2 | 44走 | 2.68 | |
2022年 | 前期 | B2 | 43走 | 3.51 |
後期 | B2 | 49走 | 3.04 | |
2023年 | 前期 | B2 | 48走 | 2.71 |
後期 | B1 | 90走 | 4.41 | |
2024年 | 前期 | B2 | 48走 | 4.65 |
上記の表から鑑みるに、引退理由に「4期通算の成績不振による引退勧告」が関係していることは明白です。
直近5年だけで見ても、2019年に平均60ほどあった出走数は年々減少して、50を超えることはなくなりました。
勝率は2019年前期の1.49を底に徐々に上向いてきましたが、3.80を超えたのは2期のみ(2023年後期・2024年前期)であったことが読み取れます。
前述の『成績不振による引退勧告の基準』でも述べたとおり、勝率や事故点が厳しかった下野 京香選手は、出走回数を調整して「49走止め」を行っていたふしがあり、全く勝てていなかったものの、デビューから7年間は選手を続けることができたようです。
結論として『勝率・出走数が引退勧告の基準をクリアできなかったことが決定打となって引退を決めた』というところでしょう。
下野 京香選手の特技
下野 京香選手の特技は、“バスケットボール”と“料理”です。
バスケットボールについては、中学1年生~高校3年生までの6年間プレーしていたので、わかりやすいと思います。
そのため、ここではもう一つの特技である“料理”についてご紹介します。
この特技の情報源であり根拠は、2018年8月に競艇雑誌「マクール」で企画された『女子レーサーお料理対決』で、追加斡旋だった下野 京香選手が優勝したことです。
実家が都内でお弁当屋さんを営んでいるという情報とともに『見よう見まねで作った』という「アジのチーズ巻フライとカブの京風茶碗蒸し」を調理しました。
戸惑うことのない慣れた手つきで魚を捌くと、“彼女は本当に10代か!?”と審査員をはじめ、スタッフさえも舌を巻く調理テクニックを披露。
審査は、味・見た目・茶碗蒸し(課題料理)・手際の良さ・コストパフォーマンスの5項目を、各項目10点満点で採点し、審査員ひとり最高50点×2=100点満点で実施。
結果、下野 京香選手は81点を獲得して、2位の島田 なぎさ選手の78点を超えて、出場選手唯一の80点越えの高評価。
選手間で言うところの「追加泥棒」での優勝を果たして、初代・お料理女王のタイトルを手にしました。
記事の全文はこちらをご覧ください。
女子レーサーお料理対決 (macour.jp)
- 【月刊マクール企画】女子レーサーお料理対決!
SNSの反応は?
その美しいルックスと、ボーイッシュでカッコいい下野 京香選手の引退を受けて、SNSにはどのような声があがったのでしょうか?
その一部を抜粋してご紹介します。
これまで目覚ましい活躍や成績を残せていなかったにもかかわらず、「もう少し見たかった」という声や、「悲しい」という声が投稿されていました。
くしくも、引退したことが明らかになった5月24日は、師匠の中谷 朋子選手が今季初優勝を決めた日だったため、弟子の引退に花を添えたことを称する投稿が印象的でした。
まとめ
下野 京香選手、デビューから約7年もの間、本当にお疲れさまでした。
残念ながら、輝かしい活躍とまではいきませんでしたが、その美人でカッコいいルックスから、推しの選手を応援するボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供したことで、多くのファンから愛された選手ということがよく伝わってきました。
師匠の中谷 朋子選手との温かなエピソードや、誰よりも師匠を慕う姿に感銘を受けたファンが多く存在したことは間違いないでしょう。
まだ若い下野 京香選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。
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