広島支部の正木聖賢選手が電撃引退!?現役生活26年のベテランボートレーサーに何があったのか?直近の成績などから引退理由を徹底調査!!

2024年9月7日、SGにも出場歴のあるベテランレーサーの正木 聖賢選手のBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除されたことが明らかになりました。

2024年9月5日、SGにも出場歴のあるベテランレーサーの正木 聖賢選手の斡旋が全て削除され、7日にはBOAT RACEオフィシャルサイトの選手プロフィールページが削除されたことが判明しました。

正木 聖賢選手といえば、長年、A級を維持してきましたが、2023年後期にはA2級への降級と勝率を自己最低の5.44まで落としており、「今までと様子が違う」「どこか調子が悪いのでは?」と心配されていました。

9月16日現在、ボートレースオフィシャルサイトの選手ページは削除されて、一方でボートレース宮島の広島支部所属選手一覧では情報の閲覧ができる状態が続いています。

しかし、引退届が受理された時点で選手登録は削除されたものと思われるため、こちらについても引退が理由であれば、近日中に削除される見込みです。

このように、日本モーターボート競走会に引退届が受理されたとすれば、その時点で選手登録と選手プロフィールページは削除されたものと推測できますが、2024年後期の勝率は6.24で好調を維持しており、現在まで引退を報じるニュースやケガを負ったという発表はなされていません。

しかし、何も公式発表がされていないことがボートレースファンの間でいろいろな憶測や、噂を囁かれるきっかけとなっており、引退がSNS上で広まると「確かに最近、精彩を欠いていた」という声が聞こえたことも確か。

出典:BOAT RACE公式サイト
出典:BOAT RACE宮島Official Site

81期として1997年にデビューした正木 聖賢選手。
2023年後期の勝率が5.44まで低下しましたが、今期の成績だと2025年前期は勝率5.71となり、引退勧告を受けるような成績ではありませんでした

このことから、引退勧告ではなく、一身上の都合やモチベーションの低下、病気や怪我といった理由で潔く身を引く決断をしたのかもしれませんし、もしかしたら一時的に選手登録が削除されている可能性もあります。

正木 聖賢選手の基本情報・同期の注目選手・引退勧告の水準まで、近年の成績などから考え得る引退理由について考察していきたいと思いますので、ぜひ最後までご覧ください。

正木 聖賢選手の記事を書くにあたり、いろいろな調査を行いましたが、現状を鑑みるに、一時的な登録削除というよりも引退の可能性の方が高いと言わざるを得ません。

そのため、ここでは一度、引退というかたちで記事を書かせていただきました。
もし、一時的な登録削除であった場合には早急に修正させていただきますので、ご了承ください。

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目次

正木 聖賢選手の基本情報

名前
(フリガナ)
正木 聖賢
(マサキ セイケン)
登録番号3920
生年月日1974年11月19日
身長170cm
体重54㎏
血液型O型
支部広島
出身地広島県
登録期81期
引退時の級別A1級
デビュー日1997年11月14日
最終出走日2024年8月27日
引退日2024年9月5日

正木 聖賢選手は1974年生まれ、広島支部所属のA1級選手です。

高校生の時に親戚に連れられて訪れた宮島競艇場で、同支部の先輩にあたる市川 哲也選手(3499)の走りに衝撃を受け競艇選手を志しました。

父は書家の正木 嗣鵬さんで、母も書家として知られており、自身も幼少期より書道を習っていた経歴から、レースに出場していない時は書道の練習や作品展への出展をする書家としての一面も併せ持っています。
また、ボートレース宮島の「御来場印」の書も正木 聖賢選手が揮毫したものとして有名です。

出典:日刊スポーツ
  • ターンマーク坊やTV vol.96 正木 聖賢選手
出典:【公式】ボートレース大村(メインch)
  • 【公式】「2022年 正木 聖賢 選手 “BOATRACEと書”」【モンタチャンネル】
出典:ボートレース宮島チャンネル【公式】
来場記念にいかが? 宮島ボートで「御来場印」を販売中 書は地元の正木聖賢が担当

来場記念にいかが? 宮島ボートで「御来場印」を販売中 書は地元の正木聖賢が担当

[2022年12月20日14時10分]

宮島ボート御来場印の隷書体(れいしょたい)版(左)と草書体版(撮影・前原一樹)

宮島ボートでは今年5月から、来場記念として「御来場印」を販売している。

近年の御朱印、御城印ブームを捉え、同本場と広島支部の正木聖賢(48=広島)がコラボレーションして誕生。企画そのものは、ボートレース業界初とのこと。

書は正木が制作。5歳のころから、父であり書家の正木嗣鵬(しほう)のもとで習っていたという。ベテランの腕前を振るった一筆だ。

御来場印は「隷書体(れいしょたい)版」と「草書体(そうしょたい)版」の2パターンを用意。1枚300円、2枚セット500円で、同本場の中央スタンド棟1階サービスコーナーで購入することができる。

引用元:来場記念にいかが? 宮島ボートで「御来場印」を販売中 書は地元の正木聖賢が担当 – ボート : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

正木 聖賢選手の過去戦績

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1997年11月14日一般競走宮島一般デビュー
1998年1月5日’98宮島ニューイヤーカップ競走宮島一般初勝利
1998年7月27日第17回 蒲郡ボート大賞蒲郡一般初優出
2000年10月24日G1 第29回 つつじ賞王座決定戦開設48周年記念競走G1G1初出走
2001年9月9日(タイトル不明)平和島一般初優勝
2002年2月19日G1 第45回 中国地区選手権競走下関G1G1初勝利
2006年7月4日G1 オールジャパン竹島特別 開設51周年記念競走蒲郡G1G1初優出・G1初優勝
2006年9月9日第1回 アオケイ杯桐生一般通算500勝達成
2007年3月16日SG 第42回 総理大臣杯(ボートレースクラシック)平和島SGSG初出走
2015年8月9日SG 第42回 総理大臣杯(ボートレースクラシック)平和島SGSG初勝利
2015年3月8日坂上 忍杯福岡一般通算1,000勝を達成
2022年7月28日JESCOカップ平和島一般通算1,500勝を達成

正木 聖賢選手は1997年11月14日~18日に広島支部のホームプール・宮島競艇場で開催された一般競争で81期としてデビュー
翌1998年1月にデビューを飾った宮島の水面で21走目にして初勝利を手にすると、、1998年7月の蒲郡・一般戦で初優出を果たしたものの舟券に絡むことはできず6着。
そして、デビューから2年9か月後の2001年9月9日に平和島競艇場で開催された一般戦で悲願の初優勝を飾ると、2022年7月28日に同じ平和島競艇場で開催された「JESCOカップ」で通算1,500勝を達成しています。

G1競争で見ると、2000年10月に津競艇場で開催された「第29回 つつじ賞王座決定戦開設48周年記念競走」でG1初出走、2006年7月にG1初勝利、そして2006年7月4日に蒲郡競艇場で開催された「オールジャパン竹島特別 開設51周年記念競走」でG1初優出とG1初優勝を同時達成しました。

さらにSG競争でもその勢いはとどまることを知らず、2007年3月の「第42回 総理大臣杯(ボートレースクラシック)」では、SG初出走初勝利を果たしています。

確認できる記録では、2000年後期から2004年前期まではA級を維持しており、2004年後期に1度B級への降級を許していますが、2005年前期には見事にA1級に返り咲き、そこからはずっとA級を維持し続けています。
そのため、実に選手生活26年9か月のうちの20年間、A級を連続で維持するという素晴らしい成績でした。

2017年後期には優勝2回・優出7回という好戦績を積み上げて、自己最高勝率7.27を記録しており、まだまだ現役選手として活躍できる実力を有していました。

26年9か月間の選手生活での出場節数は715期、出走数は6,746走。
通算190優出で優勝は21回、通算1,612勝を挙げるという記録を残しています。

現役生活最後のレースは、2024年4月12日に鳴門競艇場で開催された一般戦「第15回 鳴門商工会議所会頭杯競走」最終日の第8レースでした。

  • BOATCAST NEWS│正木聖賢 初優勝の地 平和島で1500勝達成! ボートレースニュース 2022年7月28日│
出典:ボートレース公式 BOATRACE official

同期(81期)の注目選手

正木 聖賢選手の同期である「81期」には、「ウィリーモンキー」の先駆者であり、その巧みな操縦テクニックから「ブルーインパルス」の異名を持つ池田 浩二選手や、スタート事故を起こさないことをモットーに2,910走スタート事故ゼロを記録した寺田 祥選手などがおり、かなり豪華な顔ぶれです。

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登録番号名前支部級別
3941池田  浩二愛知A1
3942寺田   祥山口A1
3940飯山   泰東京A1
3909佐々木 康幸静岡A1
3918深井  利寿滋賀A1
3915繁野谷 圭介大阪A2
  • 池田 浩二選手(3941)/1978年4月3日生まれ/愛知/A1
  • 寺田 祥選手(3942)/1978年9月20日生まれ/山口/A1
  • 飯山 泰選手(3940)/1978年2月23日生まれ/東京/A1
  • 佐々木 康幸選手(3909)/1973年8月15日生まれ/静岡/A1
  • 深井 利寿選手(3918)/1974年8月8日生まれ/滋賀/A1
  • 繁野谷 圭介選手(3915)/1974年4月29日生まれ/大阪/A2

81期の“出世頭”は池田 浩二選手

キャッチフレーズは、その巧みな操縦テクニックから「ブルーインパルス」と「イケコー」。
現在も愛知支部を象徴する存在・総大将として活躍を続けており、選手生活は25年を超えるベテランボ―トレーサーです。

名前
(フリガナ)
池田 浩二
(イケダ コウジ)
登録番号5115
生年月日1978年4月3日
身長170cm
体重53㎏
血液型O型
支部愛知
出身地愛知県
登録期81期
級別A1級

キャッチフレーズは、その巧みな操縦テクニックから「ブルーインパルス」と「イケコー」。

現在の競艇では必須のテクニック「モンキーターン」ですが、池田選手はそれをさらに発展させた「ウィリーモンキー」の先駆者として知られており、ハイレベルのターン技術と抜群のスタート力を武器に快進撃を続けています。

全盛期には“池田のイン戦は黙って買え。”と言われるほどの圧倒的な強さを誇り人気にこたえてイン戦を押し切る技術においては“艇界ナンバーワン”と言っても過言ではありません。

「絶対王者」松井 繁選手・「グランプリ2冠」の瓜生 正義選手と石野 貴之選手に次ぐ、現役SG優勝回数4位を誇る池田浩二選手ですが、G1では14回、SGでは10回優勝を飾っています。

池田 浩二選手の過去戦績

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日付レース名レース場グレード戦績・概要
1997年11月19日名古屋タイムズ杯争奪 第19回 全国三地区対抗戦常滑一般デビュー
1997年11月20日名古屋タイムズ杯争奪 第19回 全国三地区対抗戦常滑一般初勝利
1999年5月5日中日スポーツ杯争奪 第19回 チャンピオン大会常滑一般初優勝
2002年7月9日オールジャパン竹島特別開設47周年記念競走蒲郡G1G1初優勝
2003年6月29日第13回 グランドチャンピオン決定戦競走丸亀SGSG初優勝
2005年12月3日競帝王決定戦 開設51周年記念競走下関G1通算500勝を達成
2011年11月27日第14回 チャレンジカップ競走大村SG通算1,000勝達成
2014年2月1日中日スポーツ賞 第34回龍神杯争奪戦蒲郡一般通算50優勝達成
2018年6月11日開設64周年記念 G1競帝王決定戦下関G1通算1,500勝達成
2024年 4月27日土曜夜は『テレビ愛知あたりまえワールドが最高!』杯蒲郡一般通算2,000勝達成

池田浩二選手は1997年11月に地元・常滑競艇場の水面でデビューし、2走目にして初勝利の水神祭を飾ったうえに、年末までの27走で4勝を記録する快進撃

2011年にはオールスター(笹川賞)・ダービー(全日本選手権競走)・グランプリ(賞金王決定戦)というSG戦3大タイトルを冠する圧巻の活躍と快挙を達成し、この年のMVPを獲得。

そして2023年には「SG・第50回 ボートレースオールスター」のファン投票で23,071票を集めて堂々の1位を獲得し、2年連続20回目の出場を果たしました。

さらに、2024年4月27日には、史上179人目となる通算2,000勝を達成しています。

正木 聖賢選手の引退理由は?

正木 聖賢選手の引退理由は明言されていません
そのため、現段階では“引退”か“登録の一時削除”かの判断は非常に難しい状況です。

そのため、今回は「選手登録の一時削除で、復帰してくれることに期待」という意味で、万が一の事態を想定して“引退”にスポットを当てて解説していきたいと思います。

これまで艇界を去った選手の多くは、「4期通算の成績不振による引退勧告」か「年齢的な理由で自ら身を引く」ことがほとんどでした。

しかし、正木 聖賢選手の場合は、これらの事由には該当しません
では一体、どのような引退理由が考えられるのでしょうか?

まずは成績不振による引退勧告の基準についてご紹介します。

成績不振による引退勧告の基準

まずはじめに、引退勧告とは「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」とされています。

あくまで勧告であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが現状です。

毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、選手登録3年経過後の4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補になるからです。

引退勧告の基準は次のとおりとなっています。

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判断項目基準
4期通算勝率3.8未満
4期通算事故率0.7以上
4期通算出走数60回未満
※自己都合により60回を下回る場合
競走の公正確保及び競技水準の向上化に関する規程

ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。

  • 選手登録3年以内の選手は対象外
  • 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
  • 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外

ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。

そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。

競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。

正木 聖賢選手の電撃引退に対するSNSの反応

正木 聖賢選手の電撃引退(※一時的な登録削除の可能性もあり)に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?

引退理由・斡旋削除の理由に関する情報提供を求める声」「引退を惜しむ声」など様々な声が寄せられていました。
これは、正木 聖賢選手が多くのファンから愛されていた証とも言えるでしょう。

現役としてA1級で活躍していた正木 聖賢選手が突然の斡旋全削除。
しかも、そこからの公式サイトのプロフィールページの削除と続いたら、当然のごとく引退を覚悟するところです。
もちろん驚きと戸惑う声が飛び交うのは当然のことだと思います。

ファンであれば、一時的なものと信じたい気持ちは大きいと思いますが、ケガなどの発表がない以上、やはり現役を退く道を決断したと判断せざるを得ません
※一時的な登録削除の可能性もあります。

その投稿された声の一部を抜粋してご紹介します。

引退理由・斡旋削除の理由に関する情報提供を求める声
引退を惜しむ声
その他に見られたさまざまな投稿

SNSで噂される引退理由

正木 聖賢選手の引退(※一時的な登録削除の可能性もあり)理由については、ここまで述べてきたように、はっきりとした理由は発表されていません
そのため、SNS上には様々な憶測が飛び交っている状況が続いています。

その中でも特に引退理由として多かった意見が『正木 聖賢選手が八百長に関与していたために“不正行為発覚で強制引退”になったのでは?」という意見でした。


確かな証拠は一切なく、正木 聖賢選手にとって不名誉な情報であることは確かなため、ここでは敢えてその可能性には言及しません

しかし、八百長の疑いも噂されていた渦中での突然の引退ということで、勘ぐられても仕方のないタイミングでしょう。
※一時的な登録削除の可能性もあります。

そのため、「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と勝負をしていた」と仮定すれば、八百長に加担していた可能性は低いでしょうし、逆に近くで八百長を持ちかける人がいたのであれば、その可能性はゼロではなくなります。

個人的には、競艇ファンを魅了してきた正木 聖賢選手の潔白を信じたい気持ちもあり、“弟子もいるのに、これまでの輝かしい戦績を八百長などという不名誉な言葉で簡単に汚せるのかな?”と疑う気持ちが大きいです。

直筆の書が来場印として採用されている宮島競艇場にとっても良い情報とは言えないので、『真相は闇の中』として明言は避けつつ、憶測はしないこととします

考えられる引退の理由は?

前述の基準と正木 聖賢選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受けた可能性はほぼないと考えられます。

その理由は以下のとおりです。

  • 4期通算勝率:勝率は年々低下しているものの、基準を下回る期はなく、4期通算で勝率3.80以上
  • 4期通算事故率:事故率0.7未満(2022年12月19日にフライングが1回以降はスタート事故なし)
  • 4期通算出走回数:出走数は常に60回以上であり、60回未満の期はない

成績不振による引退勧告の基準のいずれにも該当しないため、引退勧告を受けるような立場ではなかったと推測できます。
そのため、考えられる引退理由として「成績の低下が止まらない現状を鑑みて、自ら退く決断をした」、もしくは「公表していないケガや病気の治療のために、自ら退く決断をした」ということでしょう。

書家としても活動されていた正木 聖賢選手ですから、もしかしたら“書の道”に今後の活動拠点を移すことを決断されたのかも知れません

そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。

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級別出走数勝率
2019年前期A1158走6.89
後期A1137走6.84
2020年前期A2115走5.73
後期A1150走6.53
2021年前期A2119走5.94
後期A1146走6.43
2022年前期A1101走6.31
後期A1127走6.67
2023年前期A1170走6.84
後期A2119走5.44
2024年前期A1139走6.32
後期A1112走6.24

直近5年だけで見ても、平均120~150ほどあった出走数は年々減少して125ほどまで減少しました。
同様に勝率も2023年前期の6.84を目途に、2023年後期には選手人生の最低値の5.44まで下がって、徐々に低下していたことが読み取れます。

この結果から鑑みるに、現段階で考えられる理由の一つ目は、『体力の衰えを感じていたところに、勝率が過去最低まで落ちたことが決定打となり、潔く引退を決めた』ということです。
※一時的な登録削除の可能性もあります。

これは長年、A級選手として艇界のトップを走り続けてきた選手だからこそのプライド故の最も納得がいく理由でしょう。

引退理由について「八百長が濃厚」というSNSの意見も数多く見られましたが、確かな証拠は一切なく、正木 聖賢選手にとって不名誉な情報であることは確かなため、ここでは敢えてその可能性には言及しません
※一時的な登録削除の可能性もあります。

次に考えられる理由の二つ目として、病気やけがの可能性です。
しかし、引退前最後のレースである芦屋競艇場で開催された「一般・第19回 マリンテラスあしやカップ」でもそのような話は聞かれませんでした。

さらに2024年9月22日から出場を予定していた、大村競艇場の「一般・創刊70周年記念 中日スポーツ賞」の斡旋を削除して、そのまま引退届を提出したようなので、一概にケガや病気の可能性を否定できないのが現状です。

もし、病気やけがによって引退を決断したのであれば、ゆっくりと治療をして、一日も早い回復が望まれますね。
※一時的な登録削除の可能性もあります。

まとめ

正木 聖賢選手、デビューから約26年9ヵ月、お疲れさまでした。
素晴らしい活躍とボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供していただいたこと、心より感謝いたします。

正木 聖賢選手の第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。

…もし、引退ではなく、一時的な登録削除であれば、再び正木 聖賢選手を応援できる機会に恵まれることは、ボートレースファンにとって、本当に喜ばしいことのはずです。

しかし、現状を鑑みるに、一時的な登録削除というよりも引退の可能性の方が高いと言わざるを得ません。

そのため、ここでは一度、引退というかたで記事を書かせていただきました。
もし、一時的な登録削除であった場合には早急に修正させていただきますので、ご了承ください。

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