強い女性は美しい。今日は日高逸子選手について解説するぞ。
楽しみでやんす。
現役最年長女性ボートレーサーとして、60歳を超えてもなお第一線で活躍を続ける日高逸子選手。ボートレース界の「グレートマザー」の異名を持ち、生涯獲得賞金は女子選手最高の10億円を超えるレジェンドです。
女子リーグ戦では、常に優勝候補の1人としてファンを沸かせ、2014年には女子最高峰のレースである「クイーンズクライマックス」で優勝して、賞金女王に輝いた経歴を持っています。
華々しい活躍を続ける日高逸子選手でしたが、2020年には3回のフライングで一時B2級に陥落。引退も考えますが、持ち前の精神力で60歳にして見事A1級に返り咲きました。
日高逸子選手の強さの裏側には何が秘められているのでしょうか。今回は、グレートマザー日高逸子選手を深掘りしていきます。
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日高逸子選手の基本情報
(フリガナ) | 名前日高 逸子 (ヒダカ イツコ) |
登録番号 | 3188 |
生年月日 | 1961年10月7日 |
身長 | 154cm |
体重 | 44kg |
血液型 | A型 |
支部 | 福岡 |
出身地 | 宮崎県 |
登録期 | 56期 |
級別 | A1級 |
【壮絶】日高逸子選手がボートレーサーを目指したきっかけ
日高逸子選手がボートレーサーを目指すようになったのは、22歳のとき。専門学校に通っていた当時、テレビCMで「ボートに乗って1000万円」と言うキャッチコピーを目にしたことがきっかけでした。
幼い頃から父親の暴力に怯える日々を送り、母親は父の暴力に耐えかねて蒸発してしまったという、壮絶な過去を持つ日高逸子選手。祖父母の元に預けられたものの家計は火の車で、兄と一緒に新聞配達の仕事をしながら苦労して育ったのだそうです。
日高逸子選手は幼少期から大人になるまで、ずっと金銭的に苦しい思いをしてきました。時にはクラブやラウンジで働いたり、サラ金からお金を借りることもあったといいます。そんな時に偶然飛び込んできた運命の出会いが、先述した「ボートに乗って1000万円」というCMでした。
「このチャンスに賭けてみよう」と意を決して試験に応募した日高逸子選手は、見事試験に合格し、ボートレーサーの切符を掴み取ったのです。
幼い頃からつらい経験をしてきたからこそ、そこから抜け出したいという思いが強かった日高逸子選手。幼少期の苦労が、今の負けず嫌いの原点になっているのかもしれませんね。
日高逸子選手の師匠は大屋勝利選手
日高逸子選手の師匠は18期の「大屋勝利選手」(登録番号1936)です。2006年に引退されています。
大屋勝利選手は、1979年に浜名湖で開催された「第14回総理大臣杯」で優出し、3着を取ったこともある実力のある選手でした。
日高逸子選手の夫は、師匠の妻から「レースに出かける朝だけはケンカしないように」という教えを受けて、ずっと守ってきたのだそうです。現役時代に家族ぐるみで師匠を信頼し、仲良くしてきたことが伝わるエピソードではないでしょうか。
レースの朝にケンカしたまま出かけたら、もやもやを抱えたままレースに出なければならないかもしれません。師匠の教えは、日高逸子選手の強さに大きく影響を与えているのではないでしょうか。
日高逸子選手に弟子はいない模様
日高逸子選手に弟子はいないようです。
日高逸子選手の2022年の成績
出走数 | 1着率 | 2連対率 | 3連対率 | 優勝数 |
242 | 18.1% | 40.9% | 68.1% | 1 |
競艇選手の最高峰であるA1級の選手らしいすらばしい成績です。
2023年前期は勝率のボーダーを満たせるかどうかが勝負でしょう。
日高逸子選手の初勝利
日高逸子選手は、1985年7月27日に福岡競艇場で開催された一般戦で初勝利を飾りました。
1985年5月23日に芦屋競艇場の一般戦でデビューしてから、2カ月で手にした初勝利。負けず嫌いな日高逸子選手は、勝つために人一倍努力していたに違いありません。
日高逸子選手の初優勝
日高逸子選手の初優勝は、デビューから2年2ヶ月経った1987年5月30日。桐生競艇場で開催された一般戦で初優勝を手にしました。
日高逸子選手の年収
年 | 賞金ランキング | 賞金額 |
2014年 | 女子1位 | 40,965,000円 |
2015年 | 女子12位 | 25,785,000円 |
2016年 | 女子10位 | 26,552,000円 |
2017年 | 女子11位 | 27,753,400円 |
2018年 | 女子6位 | 34,704,000円 |
2019年 | 女子8位 | 35,931,500円 |
2020年 | 女子32位 | 21,640,000円 |
過去7年間の賞金額を平均すると、日高逸子選手の年収は3,000万円くらいと想定されます。
全ボートレーサーの平均収入は約1700万円なことからも、日高逸子選手の年収は平均を大きく上回っていることが分かりますね。
日高逸子選手の生涯獲得賞金は10億円越え!
毎年、高額の賞金を手にしている日高逸子選手。その生涯獲得賞金は、女子選手過去最高額の10億円を超えています!
1985年にボートレーサーとしてデビューしてから、男性選手とも互角に戦い、数々のタイトルを獲得してきた日高逸子選手。長年に渡って第一線で活躍し、通算2000勝を達成。2014年には、女子の最高峰のレースであるクイーンズクライマックスでも優勝を手にしています。
これからも現役で戦い続ける日高逸子選手。今後も生涯獲得賞金は増えていくことでしょう。
ちなみに2000勝を達成した選手は150人ほどしかおりません。
日高逸子選手以外にどのような選手が通算2000勝を達成しているのかは、こちらの記事にわかりやすくまとまっているので是非!
【引退の危機】3度のフライングでB2級に降格
2020年前期に3度のフライングを切ってしまった日高逸子選手。
フライングをした選手には厳しい罰則があり、3度目のフライングともなると約半年間のフライング休みが課されてしまいます。その間はレースにも出場できないために無収入になり、選手にとっては死活問題です。
このフライングによって日高逸子選手は、2020年秋にA1級からB2級に降格となってしまいました。いったんB2級に落ちてしまうと、出走回数が激減するため、A1級への復活は難しいと言われています。
一時は引退も考えた日高逸子選手でしたが、現役続行を決意して地道にトレーニングを続け、2021年2月にボートレース鳴門でレース復帰を果たしました。
B2級でレースに復帰してから、A級復帰を目指して努力を続ける日々が続きます。しかし追い討ちをかけるように、日高逸子選手の身にさらなる試練が降り掛かりました。
2021年夏、日高逸子選手に子宮の異常が発覚したのです。ガンの可能性もあったため、開腹手術で子宮を全摘出することとなってしまいました。無事に手術を終え、幸運なことに検査の結果は良性。ホッと胸を撫で下した日高逸子選手は、退院後数日で復帰に向けたトレーニングを開始したのでした。
大手術を乗り越えた日高逸子選手は、持ち前の不屈の精神で人一倍の努力を積み重ねて、無事レースに復帰することとなりました。
女子最年長優勝記録を塗り替えてA1級に復帰
2020年に3度のフライングでB2級に降格してしまった日高逸子選手ですが、フライング休みと大手術を乗り越えて、ついに復帰を果たします。
復帰後の日高逸子選手は2022年1月にはA2級に上がり、勢いを落とさぬままに7月にはA1級に返り咲くことができました。60代でのA1復帰は、女子選手では初の快挙となりました。
さらに、2022年3月にボートレース尼崎で開催された「オールレディース競走あまがさきピンクルカップ」では、60歳5カ月で見事優勝を勝ち取ります。この優勝で、自らが持つ女子最年長優勝記録(58歳9カ月)を塗り替えました。
そのときの、喜びの優勝者インタビューがこちらです。
60歳を過ぎてもなお、女子ボートレーサーのトップとして走り続ける日高逸子選手は、本当にかっこいいですね。
世界の公営競技で60歳以上の女子の優勝は前例がなく、ギネス世界記録に申請中。認定されれば「世界一」の称号を手にすることになる。
日高逸子選手の出身高校
日高逸子選手の出身高校は、宮崎県串間市にある「宮崎県立福島高等学校」です。
2023年に創立100周年を迎える歴史ある公立高校で「福高(フクコウ)」と呼ばれています。2017年に串間市立串間中学校と連携した中高一貫教育がスタートし、宮崎県初の連携型中高一貫教育校となっています。
現在の設置学科と偏差値を以下にまとめました。
- 普通科(45)
学生時代の日高逸子選手は、バスケットボール、テニス、器械体操など部活動を転々としていたそうです。現在もボートレース界の第一線で活躍する日高逸子選手ですが、高校時代から体を動かすことが好きだったことが伺えます。
日高逸子選手の趣味は釣りとゴルフ
日高逸子選手の趣味は、釣りとゴルフです。オフの日にはたびたび釣りに出掛けているようで、SNSにも釣りの写真がアップされています。
また、フライング休み中に練習を始めたゴルフは、楽しみながらも体力づくりやメンタルの強化など、レースにつながるトレーニングにもなっているということです。
日高逸子選手のSNS
日高逸子選手はSNSで発信をしているのか調べてみました。
日高逸子選手はInstagramを開設しています。しかし投稿件数は少なく、2019年から更新もされていないようです。
しかし「#日高逸子」と検索すると456件の投稿がヒットしました。他のアカウントからの投稿でも、日高逸子選手のオフショットを見ることができます。
日高逸子選手は1.6万フォロワーのTwitterをやっています。発信内容は、ブログ更新のツイートが多いようです。
ブログ
日高逸子選手はアメブロで2011年からブログを継続しています。公式ブログの「私はあきらめない」というブログ名は、公募によって決められたのだそうです。
レースの話、趣味、プライベートなど、日高逸子選手やボートレースのことを深く知れる、濃い内容のブログはボートレースファン必見です。
コメント
コメント一覧 (2件)
日高選手ほんとかっこいい
この歳でB2におちてA1復帰したの本当にすごい
おかっぱかわいい