強い女性は美しい。今日は細川裕子選手について解説するぞ。
楽しみでやんす。
愛知支部所属のボートレーサーの中でもエース級の選手として、長年にわたってA級をキープして活躍を続けている細川裕子選手。
「外枠が好き」と公言しており、レースでは実際に外側から握って回るパワフルな走りが魅力的です。またターン力がトップクラスだと定評があり、選手仲間からも一目置かれています。
トップレーサーとして走り続ける細川裕子選手ですが、過去には大怪我を負い選手生命が危ぶまれた時期もありました 。怪我を乗り越えて、ますます強くなっていった細川裕子選手。
今回は、そんな細川裕子選手の強さの秘密や、結婚についても深掘りしていきます。
\ 稼いでる1,500人が選んだ激アツサイト! /
細川裕子選手の基本情報
名前 (フリガナ) | 細川 裕子 (ホソカワ ユウコ) |
登録番号 | 4123 |
生年月日 | 1981/12/11 |
身長 | 157cm |
体重 | 47kg |
血液型 | O型 |
支部 | 愛知 |
出身地 | 愛知県 |
登録期 | 88期 |
級別 | A1級 |
細川裕子選手がボートレーサーを目指したきっかけは父親
細川裕子選手がボートレーサーを目指すようになったきっかけは、父親がボートレース好きなことが大きく影響しています。
子どもの頃から父親と一緒によくボートレースを観に行っていたという細川裕子選手。父親から勧められてボートレーサーを目指すようになったのは、自然の流れだったのかもしれませんね。
細川裕子選手の師匠は広瀬聖仁選手
細川裕子選手の師匠は。61期の「広瀬聖仁(ヒロセマサヒト)選手」(登録番号3315)です。
広瀬聖仁選手は、1987年にデビューした選手歴36年目のベテラン選手。持ちペラ制当時は、ペラグループの中心選手としてメンバーを牽引していました。持ちペラ制廃止後にもその名残があり、プロペラグループでプロペラに関する情報交換や練習などを行うことが多いようです。
広瀬聖仁選手と細川裕子選手が、どのような師弟関係を築いているのかは不明です。しかし、整備やレースの技術など師匠から多くのことを学んだことが、細川裕子選手のレースの基礎となっているのではないでしょうか。
持ちペラ制は、1988年5月から2012年4月まで導入されていた制度。レース用のボートに取り付けるプロペラを、選手自身で研究し加工していた。
▼持ちペラ制を詳しく知りたい人はこちら!
細川裕子選手の弟子は清水さくら選手
細川裕子選手の弟子は、117期の「清水さくら(シミズサクラ)選手」(登録番号4913)です。
師匠の細川裕子選手と同じく、まくりを得意とする清水さくら選手。ターンスピードが速いがスタートには慎重なタイプです。一見ほんわかした不思議ちゃんキャラですが、実は芯がありしっかりした選手なのだとか。
清水さくら選手は子どもの頃から乗馬をやっていて、高校時代は馬術部でインターハイに出場した経歴の持ち主。馬とボートの乗り方は似ているのかと思いきや「馬は後ろに体を持っていく」「ボートは前を押さえて乗る」と全くの真逆なのだそうです。
まだ優勝経験がない清水さくら選手ですが、師匠の細川裕子選手と同じようにターンが上手い選手と言われているので、これからの活躍に期待したいところです。
細川裕子選手の2022年の成績
出走数 | 1着率 | 2連対立 | 3連対率 | 優勝数 |
230 | 33.0% | 54.7% | 72.6% | 1 |
細川裕子選手の初勝利
細川裕子選手がデビュー後に初勝利を挙げたのは、2002年2月27日。ボートレースからつで開催された一般戦で念願の初勝利を飾りました。
ボートレーサー養成所を卒業し、2001年5月22日にボートレース常滑でデビューしてから、約9ヶ月で掴んだ初勝利でした。
細川裕子選手の初優勝
なかなか優勝できずに苦戦する日々が続いていた細川裕子選手が、ついに初勝利を手にしたのは、デビューから9年目。2009年7月20日にボートレース大村で開催された一般戦「第6回夢の初優勝W決定戦〜マンスリーKYOTEI杯」でした。
3号艇5コースからスタートした細川裕子選手は、まくりを決めて念願の初優勝を勝ち取ったのです。
初優勝を決めたことで調子が上向いたのか、細川裕子選手は同年9月27日にボートレース住之江で行われた女子リーグ第9戦でも、6号艇6コースから2度目の優勝を決めています。
細川裕子選手の獲得賞金
順位 | 選手名(登録番号) | 支部 | 級別 | 獲得賞金額 |
---|---|---|---|---|
1位 | 遠藤エミ(4502) | 滋賀 | A1 | 64,398,000円 |
2位 | 平高奈菜(4450) | 香川 | A1 | 54,257,000円 |
3位 | 田口節子(4050) | 岡山 | A1 | 53,376,000円 |
4位 | 守屋美穂(4482) | 岡山 | A1 | 42,944,000円 |
5位 | 渡邉優美(4590) | 福岡 | A1 | 41,867,266円 |
6位 | 平山智加(4387) | 香川 | A1 | 39,361,000円 |
7位 | 小野生奈(4530) | 福岡 | A1 | 39,128,266円 |
8位 | 細川裕子(4123) | 愛知 | A1 | 34,867,739円 |
9位 | 西村美智子(4313) | 香川 | A1 | 34,562,739円 |
10位 | 寺田千恵( 3435) | 岡山 | A1 | 32,512,000円 |
2021年の細川裕子選手の獲得賞金額は「34,867,739円」です。
女子選手の中では賞金ランキング8位。男性を含めた含めた全ボートレーサーの中では97位の賞金額となっています。
細川裕子選手は結婚している?
細川裕子選手は、2015年に結婚されています。気になるお相手の男性は、日本プロ麻雀連盟に所属している太田昌樹さんです。
細川裕子選手にとって夫は「仕事の理解があり、優しい」「悩んだ時に話を聞いて、違った観点からアドバイスをくれる」ありがたい存在なのだそうです。
夫の誕生日には高価なプレゼントを贈ったり「優勝したら賞金で夫になんでも買ってあげる」と発言するなど、夫のことが大好きでラブラブな様子。
細川裕子選手は、「夫と結婚してから成績が良くなりA1に返り咲いた」「夫は尊敬する存在」だと話しており、このインタビューからも太田昌樹さんのことを心から愛していることが伝わってきます。
選手生命が危ぶまれる大怪我から復帰
2004年9月28日、ボートレース住之江で開催された女子リーグ戦で、細川裕子選手は事故によって顔面に大怪我を負ってしまいました。これにより、2005年6月までレースを欠場することとなってしまったのです。
さらに深刻なことに、この怪我の影響によって一時期は視力が急激に低下して、選手生命を危ぶまれるほどになってしまいました。
ボートレーサーの規定では、視力は裸眼で「0.8以上」なければいけません。選手免許を更新する際に行われる視力検査で、この基準に満たなければ免許剥奪となり、引退を余儀なくされてしまうのです。
しかし懸命な治療の甲斐があり、視力を無事に回復することができた細川裕子選手。選手生命の危機を脱して、再びボートレーサーとして活躍できるようになったのでした。
細川裕子選手の出身高校
細川裕子選手の出身高校は「愛知県立三好高等学校」です。愛知県みよし市にある公立高校で、体育学科や体育コースを設置する公立高校の中では全国一の規模となっています。
三好高等学校の設置学科と偏差値は以下の通りです。
- 普通科(42)
- スポーツ科学科(40)
スポーツ科学科があるだけあって部活動が盛んで、複数の部活が全国大会や国体に出場する好成績を収めています。
中学生の頃に空手の全国大会で優勝している細川裕子選手。もしかすると、スポーツでこの三好高等学校に入学したのかもしれませんね。
細川裕子選手の趣味は夫との旅行
まだ若手選手だった頃にはスロットが趣味だったという細川裕子選手。しかし結婚した今では、夫と2人で旅行に出かけたり美味しいものを食べたりして楽しんでいるようです。
レース斡旋中は、選手宿舎に泊まり込まなければならず、外部との連絡も一切遮断されてしまうボートレーサーという職業。休日に愛する夫と一緒に過ごせる時間は、細川裕子選手にとって何よりも大切なのではないでしょうか。
細川裕子選手のSNS
細川裕子選手はSNSをやっているのかについて、調べてみました。
細川裕子選手ご自身のInstagramアカウントは、残念ながら発見できませんでした。
そこで「#細川裕子」とハッシュタグ検索をしたところ、210件の投稿を見つけることができました。仲間の選手やボートレース関係者の投稿から、細川裕子選手の貴重なオフショットを見ることができるかもしれません。
細川裕子選手は、Twitterもやっていないようです。
しかし、夫の太田昌樹さんのTwitterアカウントには、しばしば細川裕子選手が登場しています。夫婦で北海道に出かけた際のツーショット写真も投稿されていました。
夫からの発信によって、細川裕子選手のプライベートの様子を少し垣間見ることができるかもしれません。
コメント