2024年7月20日、東京支部の74期レーサー・栢場 優子選手が、2024年7月13日に浜名湖競艇場で開催された「一般・第8戦 マンスリーBOAT RACE杯」を最後に、16日付で日本モーターボート競走会に引退届を提出したことが報じられました。
栢場 優子選手といえば、2002年後期に勝率6.16でA1級に昇級した経歴を持ち、アスリート気質で日々の努力や練習の重要性に重きを置いてきた選手。
7月20日現在、栢場 優子選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内の選手紹介ページからは削除されており、7月20日頃に削除されたと推測できます。
確認したところ、「ボートレース平和島Official Site」の東京支部所属選手一覧ではまだ確認できる状況でありますが、近日中に削除される見込みです。
74期として1994年にデビューした栢場 優子選手。
2024年前期の勝率が3.92に低下しましたが、後期には4.60に持ち直しており、今期の成績だと2025年前期は勝率3.86となり、引退勧告を受けるような成績ではありませんでした。
このことから、引退勧告ではなく、一身上の都合やモチベーションの低下、病気や怪我といった理由で潔く身を引く決断をしたのかもしれません。
栢場 優子選手の基本情報・同期の注目選手・引退勧告の水準まで、近年の成績などから考え得る引退理由について考察していきたいと思いますので、ぜひ最後までご覧ください。
栢場 優子選手の基本情報
名前 (フリガナ) | 栢場 優子 (カヤバ ユウコ) |
登録番号 | 3693 |
生年月日 | 1971年7月26日 |
身長 | 160cm |
体重 | 44㎏ |
血液型 | A型 |
支部 | 東京 |
出身地 | 茨城県 |
登録期 | 74期 |
級別 | B1級 |
デビュー日 | 1994年5月 |
最終出走日 | 2024年7月13日 |
引退日 | 2024年7月16日 |
栢場 優子選手は1971年生まれ、東京支部所属のB1級レーサー。
B級歴の長い選手ですが、2015年以前はA2級とB1級を行き来しており、2002年後期には優出3回と優勝1回という結果を残して、A1級に昇級したほどの実力を有していました。
栢場 優子選手の特徴は、伸びをつける調整と展示タイムでいつもトップクラスに仕上げてくること。
軽量を利しての伸びまくりが主な武器で、ピット内を走り回っている姿がよく目撃される選手でもあります。
これは、師匠である内山 文典選手(3105・東京)から『握って勝てるように』とアドバイスされたことを、頑なに守ってきた証拠だと言われています。
趣味は“健康のため”にはじめたマラソン。
日々の努力や練習の重要性に重きを置くスタイルは、マラソンの練習と通ずるものがあり、コツコツと積み上げていくアスリート気質の起因はマラソンのようです。
2024年7月9日には、長年の選手生活を賞して、同期の本部 めぐみ選手と共に“30年表彰”を受けたことが発表されています。
- 勝ガマ ピット直送MOVIE Vol.1087
- ☆ 趣味はマラソン☆競艇女子『栢場 優子 選手』#1
栢場 優子選手の過去戦績
日付 | レース名 | レース場 | グレード | 戦績・概要 |
1994年5月 | 一般競走(タイトル不明) | 平和島 | 一般 | デビュー |
1995年2月 | 一般競走(タイトル不明) | 浜名湖 | 一般 | 初勝利 |
1999年11月3日 | ’99女子リーグ戦競走 第16戦 | びわこ | G3 | 初優出 |
2000年2月29日 | G1 第13回 JAL女子王座決定戦競走(現在のレディースチャンピオン) | 丸亀 | G1 | G1初出場・G1初勝利 |
2000年4月30日 | G3 クイーンカップ女子リーグ戦競走 第3戦 | 津 | G3 | 初優勝 |
2002年3月3日 | G1 第15回 JAL女子王座決定戦競走(現在のレディースチャンピオン) | 徳山 | G1 | G1初優出 |
2024年7月13日 | 第8戦 マンスリーBOAT RACE杯 | 浜名湖 | 一般 | ラストレース |
1994年5月、平和島競艇場の一般戦で74期としてデビュー。
1995年2月に浜名湖競艇場で初勝利を手にして、1999年11月のびわこ競艇場で行われた「一般・’99女子リーグ戦競走 第16戦」で初優出を果たしたものの、残念ながら連に絡むことはできずに6着。
デビューから6年後の2000年4月30日に津競艇場で開催された「G3 クイーンカップ女子リーグ戦競走 第3戦」で悲願の初優勝を飾りました。
G1競争で見ると、2000年2月29日に丸亀競艇場で開催された「第13回 JAL女子王座決定戦競走(現在のレディースチャンピオン)」でG1初出場とG1初勝利を同時達成し、2年後の2002年大会でG1初優出(6着)、さらに2008年大会でも優出(3着)を果たしています。
選手生活30年間での優勝歴は次のとおりです。
- 2000年4月25日~30日開催:G3・クイーンカップ女子リーグ戦競走 第3戦(津競艇場)
- 2001年12月6日~10日開催:G3・女子リーグ第22戦 オールジャパンフラワーカップ(芦屋競艇場)
- 2011年12月24日~30日開催:一般・クリスマス男女W優勝戦(大村競艇場)
30年間の選手生活での出場節数は600期、出走数は5,183走。
通算36優出で優勝は3回、通算792勝を挙げて、生涯獲得賞金は3億7,766万4,791円という記録を残したベテランレーサーです。
現役生活最後のレースは、2024年7月13日に浜名湖競艇場で開催された一般戦「第8戦 マンスリーBOAT RACE杯」最終日の第2レースでした。
栢場 優子選手の師匠は内山 文典選手
栢場 優子選手の師匠は、同じ東京支部所属、52期の内山 文典選手です。
名前 (フリガナ) | 内山 文典 (ウチヤマ フミノリ) |
登録番号 | 3105 |
生年月日 | 1963年7月15日 |
身長 | 164cm |
体重 | 54㎏ |
血液型 | A型 |
支部 | 東京 |
出身地 | 東京都 |
登録期 | 52期 |
級別 | B1級 |
内山 文典選手は1963年生まれ、東京支部所属のB1級レーサー。
1983年に52期としてデビューを飾ると、2015年11月11日に住之江競艇場で開催された「グランプリ直前企画 坂上忍杯」5日目の2レースで、通算出走回数7931走にして、史上385人目の通算1,500勝を達成。
達成当時、内山 文典選手は『無心で走りました。感謝の気持ちでいっぱい。これからも一歩一歩頑張っていきます』と述べており、ファンの声援に頭を下げていました。
選手生活41年を超えるベテラン選手で、SG競争への出場歴やG1競争での優出・優勝歴はありませんが、現在も一般戦を中心に活躍を続けています。
また、2023年2月にはスタートと同時に転覆して“異常スタート”で返還欠場という珍アクシデントで話題となった選手でもあります。
【競艇】内山文典選手 スタートと同時に転覆
2023.02.28 19:39
内山文典選手は、東京にある江戸川競艇場で開催中で、この日シリーズの5日目を迎えた「第21回日本モーターボート選手会会長賞」の5R一般に1号艇で出走。
いつも通りにピットアウトし、艇番通りの1コースから進入しました。
ボートの起こしも他のスロー勢とほぼ同じタイミング。
助走を開始しトップタイミングでスタートするかに見えましたが、スタート直前にボートがはねて、スタートとほぼ同時に舳先から水面に突っ込みました。
そのままボートはひっくり返り転覆。
記録上は、異常スタートのため返還欠場となりました。なお、内山文典選手は、負傷のためこの日で途中帰郷しています。
- 【江戸川競艇場】珍アクシデント発生!!1号艇内山文典選手 異常スタートによる返還欠場
過去には自身の名前を冠したレースが行われたことも
2011年7月26日に江戸川競艇場で開催された「一般・第20回 アサヒビールカップ」初日の第5レース。
なんとこのレースは、レースオーナーの粋な計らいで、出走者の栢場 優子選手の誕生日を祝して『栢場優子 生誕記念競走』という自身の名前を冠したレースが行われました。
スタート前にはレースオーナーから『水陸両用の走り人は不惑を迎えてさらに光り輝くとお伝えしておきます』というメッセージが贈られる一幕も。
さらにメッセージを受けて、栢場 優子選手本人からは『これからも水の上、そして陸の上でも走り抜けて行きたいと思います』というメッセージとともにレースオーナーへ向けた感謝の言葉が読み上げられました。
5号艇・松竹 大輔選手(愛知・100期)と6号艇・貞兼 淳二選手(福岡・74期)の2艇がフライングをきるという波乱の展開となったレース。
2号艇・2コースからコンマ12の3番手でスタートをきった栢場 優子選手は、1周1マークで内を小さく旋回して2番手につけると、2周1マークまで1号艇・長谷 浩選手(佐賀・48期)と激しく競り合いますが、クイックなターンで引き離して2着を獲得。
レースオーナーとファンの期待にしっかりとこたえて、舟券絡みの活躍で祝福への感謝を示しました。
ちなみに、このレースの3連単3–2–1は9番人気で、2,250円(22.5倍)という配当でした。
- 栢場優子生誕記念競走
同期(74期)の注目選手
栢場 優子選手の同期である「74期」にはどのような選手がいるのでしょうか。
主だった選手を以下にまとめました。
“2024年後期の勝率ナンバーワン”に輝いた天才肌の選手として、一般戦では圧倒的な強さを見せる「守田 俊介選手」をはじめ、2022年10月に史上161人目となる通算2000勝を達成した「石渡 鉄平選手」。
ほかにも、2005年のグランプリ覇者にして、史上23人目の全国24場制覇を果たした「辻 栄蔵選手」と栢場 優子選手の引退で“74期唯一の女性レーサー”となった「本部 めぐみ選手」などがおり、かなり豪華な顔ぶれです。
登録番号 | 名前 | 支部 | 級別 |
3721 | 守田 俊介 | 滋賀 | A1 |
3716 | 石渡 鉄平 | 東京 | A1 |
3719 | 辻 栄蔵 | 広島 | A1 |
3713 | 伊藤 誠二 | 愛知 | A2 |
3711 | 江本 真治 | 山口 | A2 |
3696 | 白井 友晴 | 埼玉 | A2 |
3704 | 本部 めぐみ | 三重 | B2 |
- 守田 俊介選手(3721)/1975年8月12日生まれ/滋賀/A1
- 石渡 鉄平選手(3716)/1974年12月6日生まれ/東京/A1
- 辻 栄蔵選手(3719)/1975年3月23日生まれ/広島/A1
- 伊藤 誠二選手(3713)/1974年9月20日生まれ/愛知/A2
- 江本 真治選手(3711)/1974年8月2日生まれ/山口/A2
- 白井 友晴選手(3696)/1972年4月26日生まれ/埼玉/A2
- 本部 めぐみ選手(3704)/1973年11月28日生まれ/三重/B2
本部 めぐみ選手は、栢場 優子選手の引退によって「74期」で唯一の現役女子レーサーになったんだね…
ちなみに、現役最後の“同期女子対決”は、6月25日の「ヴィーナスシリーズ第7戦 第17回マクール杯」初日の第7レースで、勝ったのは栢場 優子選手だったよ。
74期の“出世頭”は守田 俊介選手
守田 俊介選手は、「きもりやん」「ガリ田さん」という愛称で親しまれている、クセが強めのレーサー。
デビューから2年10ヶ月でSGに出場したり、4ヶ月の長期欠場明け緒戦でも優勝したりする“天才肌の選手”として知られており、一般戦では圧倒的な強さを見せるものの、SGや記念レースでは苦戦することが多い選手です。
名前 (フリガナ) | 守田 俊介 (モリタ シュンスケ) |
登録番号 | 3721 |
生年月日 | 1975年8月12日 |
身長 | 171cm |
体重 | 55kg |
血液型 | A型 |
支部 | 滋賀 |
出身地 | 京都府 |
登録期 | 74期 |
級別 | B1級 |
守田 俊介選手は1975年生まれ、滋賀支部所属のA1級レーサーです。
2022年のBOAT RACE振興会のCMシリーズ「アイアム ア ボートレーサー」編において、吹越 満さん扮する「ガリコシ」の異名を持つベテラン選手のモデルとなりました。
モデルになったことに対して御本人は『なにもこんな話(=減量食として大量のガリを食べている話。)を採用せんでもええんちゃうかと思った』と後にコメントしています。
…というのも、守田 俊介選手は無類の回転寿司好き(守田曰く「ローリングシースー」「ボート界のすし太郎」)であり、ブログでもたびたび回転寿司店を訪れている様子をアップしているほどです。
守田 俊介選手の過去戦績
日付 | レース名 | レース場 | グレード | 戦績・概要 |
1994年5月11日 | 名称不明・一般戦競争 | びわこ | 一般 | デビュー |
1994年9月11日 | 名称不明・一般戦競争 | 福岡 | 一般 | 初勝利 |
1997年10月26日 | 名称不明・一般戦競争 | 津 | 一般 | 初優勝 |
2003年2月20日 | 第46回 近畿地区選手権 | びわこ | G1 | G1初優勝 |
2008年7月21日 | キリンカップ2008 | びわこ | G3 | 通算1,000勝を達成 |
2014年2月28日 | 中間市行橋市競艇組合施行44周年記念競走 | 若松 | 一般 | 通算1,500勝を達成 |
2015年10月25日 | 第62回 ボートレースダービー(全日本選手権競走) | 浜名湖 | SG | SG初優勝 |
2018年10月28日 | 第65回 ボートレースダービー(全日本選手権競走) | 蒲郡 | SG | 2回目のSG優勝 「神様からのプレゼント」と語る |
2019年9月20日 | 第54回東京スポーツ賞 | 多摩川 | 一般 | 史上21人目の全24場制覇 史上15人目の通算100優勝 |
2019年10月9日 | 津PR第4戦 秋の交通安全運動 | 津 | 一般 | 史上127人目の通算2,000勝を達成 |
上記の表を見ただけでも、どれだけの輝かしい戦績の持ち主かがわかるはずです。
SGや記念レースでは苦戦することが多いため、SGの獲得タイトルは“第62回 ボートレースダービー”と“第65回 ボートレースダービー”の2つだけですが、着実に勝ちを量産し続けることで勝率は常にトップレベルをキープしています。
さらに、2015年10月の「SG・第62回 ボートレースダービー(全日本選手権競走)」の優勝インタビューでは、整備が不得意であるということを否定し、「適当にやってバチっと合わせる『適当力』が凄いだけだ」と語るなど、インタビュー内容も秀逸。
しかも、優勝賞金3,500万円の全額を東日本大震災の復興支援を目的に日本財団・東日本大震災支援基金を通じて寄付するという男前なエピソードの持ち主でもあります。
2011年に東日本大震災が起きた時、「何か役に立ちたい」という気持ちからボランティアとして現地に向かったところ、あまりにも壊滅的な状態で怖くて何もできなかった自分への悔しさから「万が一、SGで優勝したら東日本大震災に全額寄付する」と決意していたそうです。
寄付した当時、ご本人は『こんな僕でもアツく応援してくれる人がいて、人生に一回の一世一代の最大の恩返し』と語っていました。
栢場 優子選手の獲得賞金
B級歴は長いものの、2015年以前はA2級とB1級を行き来しており、2002年後期にはA1級に昇級したほどの実力を有する栢場 優子選手。
2014年8月5日から11日に三国競艇場で開催された「第28回 レディースチャンピオン(女子王座決定戦)」以降はG1競争への出場経験はありませんでしたが、一般戦で活躍を続けていました。
2023年後期には自身の持つ最低勝率3.59を記録し、優勝はおろか優出さえできず、成績も振るわない状況が続いていました。
そのため、もちろん獲得賞金も全盛期よりは減少していることが予想できると思います。
年度 | 級別 | 賞金女王ランキング | 獲得賞金 |
---|---|---|---|
2024年 | B1 | - | - |
2023年 | B1 | 圏外 | 13,031,000円 |
2022年 | B1 | 圏外 | 9,612,000円 |
2021年 | B1 | 圏外 | 8,951,340円 |
2020年 | B1 | 圏外 | 不明 |
2019年 | B1 | 圏外 | 不明 |
2018年 | B1 | 圏外 | 11,865,251円 |
B1級ボートレーサーの平均年収は約1,100万円といわれています。
栢場 優子選手は2015年以降はずっとB1級だったことから、今回の比較対象はB1級レーサーの平均年収1,100万円とします。
直近3年間のデータから算出した平均年収は、約1,053万円程度。
2015年以降はずっとB1級だったことを考慮すれば、B1級ボートレーサーの平均金額1,100万円よりやや少ない金額くらいです。
その理由は、B1級が長い期間続いていたことと、2011年以降に優勝歴がひとつもないことです。
ただ、2023年は直近3年間の中では最も1着数が多く、そのぶん獲得賞金額が340万円以上アップしており、その後の活躍も相まって最近では最も高い獲得賞金額を記録しました。
ちなみに、一般的な50代の社会人女性の平均年収は約434万円とされていますので、栢場 優子選手の平均年収の約1,053万円は2.4倍の金額に相当します。
直近3年間の平均年収をひと月に換算すると月収が約88万円ですから、一般人とはかけ離れた高収入です。
近年は獲得賞金額が1,000万円前後で推移していたようですが、全盛期の優勝歴・優出歴のあった時期の獲得賞金額はもっと高額だったことは容易に想像できるでしょう。
栢場 優子選手のラストレース
栢場 優子選手のラストレースは、2024年7月8日~13日に浜名湖競艇場で開催された一般戦「第8戦 マンスリーBOAT RACE杯」最終日の第2レースです。
このシリーズは、ここまで8走して1着を1本と2着を2本あげて舟券に貢献。
絶好枠1コースをゲットして、“現役最後のラストランを有終の美で飾りたい”という意気込みを胸に臨んだレース。
もちろんこのレースでの活躍を期待されたことと、最終戦を応援するファンの推しもあって、単勝オッズは1.5倍で1番人気。
さらに3連単のオッズでは、人気トップ3の買い目がいずれも“栢場 優子選手が1着”と予想していることから、このレースの舟券絡みの最有力候補と考えられていたことがわかります。
勝利へのプレッシャーがかかる条件下で、出走選手4名が自分よりも勝率が高いという厳しい状況。
コンマ22のスロースタートから、3号艇・ 松瀬 弘美選手のまくりが決まって3着となるも、最終戦でもしっかりと連に絡む活躍で観客からの声援にこたえてくれました。
このレースの3連単3–2–1は21番人気の4,040円(40.4倍)でした。
春夏は水温が上がって出足が弱くなるため、1コースの艇が逃げにくいといわれる浜名湖競艇場で、モーターの機力を味方につけて、初勝利を飾った水面で有終の美を飾ったのです。
デビューから30年目のラストレースでも、これまでの選手生活と同様にファンの期待に応えて、シリーズを“無事故”で走り切れたのは、日々の努力や練習を大切にコツコツと操縦技術を磨き続けた賜物でしょう。
出走表
単勝オッズ
枠番 | 級別 | 選手名 | 単勝オッズ |
---|---|---|---|
1 | B1 | 栢場 優子 | 1.5倍 |
2 | B1 | 西澤 日花里 | 12.0倍 |
3 | B1 | 松瀬 弘美 | 2.8倍 |
4 | B1 | 山下 夏鈴 | 5.4倍 |
5 | B1 | 倉田 郁美 | 19.3倍 |
6 | B1 | 森田 梨湖 | 174.3倍 |
3連単オッズ
買い目(人気順) | オッズ(倍) |
---|---|
1–3–4(1番人気) | 14.8 |
1–3–2(2番人気) | 20.1 |
1–2–3(3番人気) | 27.0 |
3–1–2(4番人気) | 27.1 |
1–4–3(5番人気) | 27.7 |
レース結果
レース映像
- 【引退】3693栢場優子ラストラン【74期】東京支部
栢場 優子選手の引退で「公式サイト内のプロフィールページ」が削除される
栢場 優子選手の引退が報じられた2024年7月20日。
情報の信憑性を確認するために、下記の2つの情報源で「栢場 優子選手のプロフィールページ」の存在有無を調査しました。
- BOAT RACE公式サイト内のプロフィールページ
- ボートレース平和島Official Siteの東京支部選手プロフィールページ
2024年7月20日時点で、それぞれのサイトに“栢場 優子選手のプロフィールページ”が存在していたのか…その調査結果をご紹介します。
ボートレース公式サイト内のプロフィールページ
2024年7月19日までに「BOAT RACE公式サイト」内のプロフィールページが削除されたことが確認できました。
現在、栢場 優子選手のプロフィールページにアクセスすると『※ データが存在しないのでページを表示できません。』と表示されて、以前のように情報を閲覧できない状態となっています。
また、同サイト内の検索機能を利用して“選手名”や“登録番号”で検索しても、すでに情報を見ることはできなくなっていました。
ボートレース平和島Official Siteの東京支部選手プロフィールページ
栢場 優子選手の情報は「BOAT RACE公式サイト」内から削除されましたが、2024年7月20日現在も「ボートレース平和島Official Site」では確認することが可能でした。
しかし、引退届が受理されて選手登録が削除された以上、東京支部所属選手一覧からも近日中に削除されるでしょう。
WEBニュースで引退が報じられる
2024年7月20日に「Yahoo!JAPANニュース」で栢場 優子選手の引退が報じられました。
報道はいたってシンプルなものでしたが、
【ボートレース】東京支部の栢場優子が引退
7/20(土) 15:52配信
ボートレーサーの栢場優子(52)=東京=が、引退していたことが20日、分かった。
16日に日本モーターボート競走会に引退届けを提出した。
また、2024年7月23日には競艇専門誌・マクールの【先週のボートニュース((7/15~21)】でも栢場 優子選手の引退がトピックスとして紹介されています。
栢場優子が引退
東京支部のベテラン・栢場優子さん(茨城52歳74期)が引退した。栢場さんは94年5月に平和島でデビューし、95年2月の浜名湖で初勝利を挙げた。02年後期には勝率6.16でA1級にも上がった。通算勝利数は835勝。通算36優出で優勝は3回。女子王座決定戦(現レディースチャンピオン)は02年と08年に優出を果たした。生涯獲得賞金は3億7766万4791円。現役最後のレースは7月13日の浜名湖。
Xでは“引退”を予感させるような投稿がされていた
「Yahoo!JAPANニュース」で栢場 優子選手の引退が報じられる少し前、Xでは次のような投稿がありました。
この投稿のとおりであれば、7月19日にこれまで入っていた斡旋予定が全て削除され、翌20日に「BOAT RACE公式サイト」内のプロフィールページが削除されたことがわかります。
投稿者の「きょーてい初心者」氏は、ボートレース常滑のXプレゼント企画で栢場 優子選手のサイン入りチェキが当選したことから応援をはじめた“純粋な栢場 優子ファン”です。
栢場 優子選手のレースの特徴を述べた投稿内容を見れば、現役最後の1年7か月間を真剣に応援していたことが伝わってきますね。
タオルを振って一所懸命に応援していた「きょーてい初心者」氏の姿。
栢場 優子選手が気付いていたことを願うと同時に、これらの投稿を栢場 優子選手ご本人が目にすることがあれば、きっと喜んでくれることでしょう。
栢場 優子選手がファンから愛された選手であることが良くわかる内容でした。
栢場 優子選手の引退理由は?
現在まで、栢場 優子選手の引退理由は明言されていません。
しかし、引退が報じられる前の7月19日頃。
「BOAT RACE公式サイト」内の選手紹介ページに掲載されていた斡旋が全て削除されたことが判明しています。
ここからは、斡旋が全て削除された栢場 優子選手の引退理由について考察していきたいと思います。
ますはじめに、成績不振による引退勧告の基準について見ていきましょう。
成績不振による引退勧告の基準
選手生命に関わるとされる“引退勧告”は「日本モーターボート協会が競艇選手に引退を勧告すること」と定義されています。
あくまで“勧告”であり、引退を強制するものではありませんが、定められている条件が競艇選手には選手生命を続けていくうえで致命的なものであるため、勧告を受けて引退をするケースが多いのが実情です。
毎年5月と11月に新人がデビューすることに伴い、成績が振るわない選手にとっては4月と10月は厳しい勝負時とされます。
なぜなら、成績下位の選手が退会勧告を受けて引退をするため、選手登録3年経過後の4期通算勝率が3.80未満のレーサーが候補になるからです。
引退勧告の基準は次のとおりとなっています。
判断項目 | 基準 |
---|---|
4期通算勝率 | 3.8未満 |
4期通算事故率 | 0.7以上 |
4期通算出走数 | 60回未満 ※自己都合により60回を下回る場合 |
ただし、以下の条件に該当する選手については対象外、もしくは特例措置を講じられます。
- 選手登録3年以内の選手は対象外
- 1期の出走回数が50走未満の場合、次の期と合計した2期分でカウント
- 産休は出産のあった期と前後いずれかの期の合計2期を除外
ちなみに、4期通算といっても1期(半年)が49走以内ならばカウントせず、50走以上になった次の期と合わせて計算するという特例もあります。
そのため、勝率や事故点が厳しい選手は出走回数を調整して「49走止め」を行うこともあり、全く勝てなくてもデビューから7年間は選手を続けることが可能となっています。
※“登録から3年の猶予”と“50走未満を維持して4年”の合計が7年であり、産休などを挟む場合は更に延長されます。
競艇は1年を前期と後期にわけた2期制を採用しており、実施期間を前期は1月1日~6月30日、後期を7月1日~12月31日までとしています。
そのため、4期通算=2年通算となり、2年間の勝率・事故率・出走数を考慮して判断されることとなります。
※審査期間の前期:5月1日~10月31日と後期:11月1日~翌年4月30日までとは異なるため注意が必要。
【結論】考えられる引退の理由
前述の基準と栢場 優子選手の勝率・事故率・出走回数を見比べると、引退勧告を受けた可能性は極めて低いと考えられます。
その理由は以下のとおりです。
- 4期通算勝率:勝率は年々低下しているものの、基準を下回る期はなく、4期通算で勝率3.80以上
- 4期通算事故率:事故率0.7未満(2021年9月3日以降、スタート事故はなし)
- 4期通算出走回数:出走数は常に60回以上であり、60回未満の期はない
成績不振による引退勧告の基準のいずれにも該当しないため、引退勧告を受けるような立場ではなかったと推測できます。
そのため、考えられる引退理由として「年齢と体力の衰えを自覚して、自ら退く決断をした」、もしくは「公表していないけがや病気の治療(体の痛み)のために、自ら退く決断をした」ということでしょう。
そのような決断に至った経緯として、考えられるデータをご紹介します。
年 | 期 | 級別 | 出走数 | 勝率 |
---|---|---|---|---|
2020年 | 前期 | B1 | 63走 | 4.48 |
後期 | B1 | 71走 | 4.32 | |
2021年 | 前期 | B1 | 85走 | 3.94 |
後期 | B1 | 63走 | 3.95 | |
2022年 | 前期 | B1 | 105走 | 4.12 |
後期 | B1 | 89走 | 4.24 | |
2023年 | 前期 | B1 | 79走 | 3.59 |
後期 | B1 | 76走 | 4.24 | |
2024年 | 前期 | B1 | 106走 | 3.92 |
後期 | B1 | 106走 | 4.60 |
直近5年だけで見ても、2020年に平均60~70走ほどだった出走数は年々増加して平均100走を超えるほどまで増加しました。
同様に勝率も2020年前期の4.48を目途に徐々に低下の一途をたどり、遂に2023年前期には選手人生の最低値3.59まで下がっていたことが読み取れます。
この結果から鑑みるに、現段階で考えられる引退理由の一つ目は、『体力の衰えを感じていたところに、勝率が過去最低まで落ちたことが決定打となり、引退を決めた』ということです。
これは長年、一途に走り続けてきた選手だからこそのプライド故、最も納得がいく理由でしょう。
次に考えられる理由の二つ目として、病気やけが(体の痛み)の可能性です。
しかし、引退前最後のレースである浜名湖競艇場で開催された「一般・第8戦マンスリーBOAT RACE杯」ではそのような話は聞かれませんでした。
もし、病気やけが(体の痛み)によって引退を決断したのであれば、ゆっくりと治療をして、一日も早い回復が望まれますね。
『選手生活30年、通算出場節数が600節というキリの良い数字と、ラストランが初勝利を飾った浜名湖の水面だったことを鑑みれば、引退は53歳を迎える前だと以前から決めていた』というところでしょうか。
もう一歩踏み込むと、きっと『52歳のうちに引退することを数年前から考えていた』のかも知れません。
栢場 優子選手の電撃引退に対するSNSの反応は?
栢場 優子選手の電撃引退に対して、SNSにはそのような声が投稿されているのでしょうか?
「引退を惜しむ声」「今までの活躍を労って賞賛する声」そして「突然の引退に驚く声」が寄せられていました。
その中でも特に多かったのが「穴絡みの活躍に感謝する声」。
具体的な内容としては『自分より年上なのに頑張っているなと感心していました』『出場なさると必ず応援・購入していました』という、栢場 優子選手を長いこと応援してきたことが伝わる投稿が印象的でした。
ほかにも“世代交代”や“茨城女子”というワードが見られました。
“先月の桐生の二日目の赤井選手とのマッチレースは名勝負だった”というのは、6月25日から30日に桐生競艇場で開催された「一般・ヴィーナスシリーズ第7戦 第17回マクール杯」2日目の第9レースで、インの赤井 睦選手(4733・徳島・111期)に“抜き”で勝って、126.0倍(12,600円)の万舟券に貢献したレースを賞賛したものでしょう。
それでは、投稿内容の一部を抜粋してご紹介します。
引退を惜しむ声
今までの活躍を労って賞賛する声
突然の引退に驚く声
穴絡みの活躍に感謝する声
他にも見られたさまざまな投稿
まとめ
栢場 優子選手、デビューから約30年もの長きにわたってのご活躍、本当にお疲れさまでした。
素晴らしい活躍とボートレースの楽しみをたくさんのファンに提供し、何よりも多くのファンから愛された選手ということがよく伝わってきました。
近年では輝かしい活躍を見ることはできませんでしたが、引退勧告の対象とは程遠い成績を残しながらも、すっきりとキリの良い数字の並びと最終レースの開催場が初勝利を飾った水面であることを鑑みれば、きっと“引退”は栢場 優子選手自身が前々から決めていたものだったのでしょう。
SNSに投稿された「まだまだやれると思ってた」「このまま10年後も寸分違わぬ姿を見せ続けてくれると思ったのですが…」「ゆっくりできるといいですね」という言葉がファンの本心をよく表していると感じました。
人生100年時代、まだ半分の50代になったばかりの栢場 優子選手。
新たに歩み始める第二の人生が健康で幸多きものとなりますよう、心よりお祈りいたしております。
コメント