強い女性は美しい。今日は川野芽唯選手について解説するぞ。
楽しみでやんす。
人気女性ボートレーサーの1人である、川野芽唯選手。男性顔負けの豪快なターンを決めることに定評があり、数々の結果を残しているトップレーサーの1人です。
イン逃げを得意としている川野芽唯選手ですが、どのコースからでも連に絡める実力を持っています。2015年には女子最高峰のレースである「クイーンズクライマックス」に出場し、4号艇4コースから優勝。女子選手の頂点にまで上り詰めました。
そんな川野芽唯選手は、プライベートでは沖縄を愛するあまりに沖縄に移住したことでも知られています。福岡支部所属の選手でありながら、沖縄の自然に囲まれて暮らす川野芽唯選手とは、一体どんな人物なのでしょうか。
今回は、川野芽唯選手について深掘りしていきます。
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川野芽唯選手の基本情報
(フリガナ) | 名前川野 芽唯 (カワノ メイ) |
登録番号 | 4433 |
生年月日 | 1986年3月25日 |
身長 | 164cm |
体重 | 46kg |
血液型 | AB型 |
支部 | 福岡 |
出身地 | 福岡県 |
登録期 | 100期 |
級別 | A2級 |
登録番号は4433でちょいゾロ目です。
ちなみに登録番号4444は桐生順平選手だよ!
川野芽唯選手がボートレーサーを目指したきっかけ
川野芽唯選手がボートレーサーを目指すようになったのは、友人に誘われてボートレース若松に行ったことがきっかけです。
高校を卒業し、社会人として工場で1年間働いていた川野芽唯選手。しかし過酷な労働環境で、仕事を辞めようかと悩んでいたときに、ボートレースと運命の出会いを果たしました。
川野芽唯選手の出身は福岡県飯塚市。オートレース場が近いことから昔からオートレースには馴染みがあったものの、ボートレースの存在は知らなかったといいます。
ある日、友人に誘われて行ったボートレース若松のナイター。そこで目にしたのは、ボートが走った時にキラキラと輝く水しぶきでした。ボートレースを初めて見た川野芽唯選手は、衝撃を受けるとともに「これだ!」と直感で感じたのだといいます。
そこからボートレースのことをひたすら調べ、受験に向けて仕事を辞めて試験対策に明け暮れました。試験までの準備期間はたったの3カ月。当時のボートレーサーの年齢制限は21歳未満だったため、チャンスは1回しかありませんでした。
川野芽唯選手は1度のチャンスに全てをかける思いで試験に挑み、見事に一発合格してボートレーサーへの切符を掴み取ったのです。
川野芽唯選手の師匠は岩崎正哉選手
川野芽唯選手の師匠は、79期の「岩崎正哉(イワサキマサヤ)選手」(登録番号3853)です。
1972年9月6日生まれ、福岡県出身、福岡支部所属の選手で、現在の級別はA2級。
2002年10月と2011年2月に、G1を2度も優勝している実力のある選手です。2000年台にはずっとA1級をキープし続け、現在に至るまでレースの第一線で活躍を続けています。
川野芽唯選手の弟子は大山千広選手
川野芽唯選手の弟子は、116期の「大山千広(オオヤマチヒロ)選手」(登録番号4885)です。
師弟関係を結ぶことになったきっかけは、大山千広選手の母で元ボートレーサーの「大山博美(オオヤマヒロミ)さん」と川野芽唯選手が、同じペラグループに所属していたことから始まります。
大山博美さんにお世話になっていたという川野芽唯選手。そのため、娘である大山千広選手がデビューしてからは行動を共にすることが多くなり、必然的に先輩としてプロペラやレースについてアドバイスを送るようになっていったそうです。
最初のうちは正式な師弟関係を結んでいなかったことから、お互いがお互いに遠慮しながらアドバイスをしたり受けたりする関係でした。しかし、だんだんとお互いの思いが強くなっていき、4年の時を経て正式な師弟関係を結ぶことになったのです。
川野芽唯選手は師匠として、大山千広選手の出場したレースはしっかりチェックして、良かった点を褒めたりや改善点を指摘したりしているのだそうです。
川野芽唯選手と大山千広選手。2人が師弟関係について語った動画はコチラです。
▼大山千広選手の詳しい情報はこちら!
川野芽唯選手の2022年の成績
出走数 | 1着率 | 2連対率 | 3連対率 | 優勝数 |
183 | 22.9% | 45.3% | 67.2% | 0 |
現在はA2級ですが、A1級の条件を満たしている数値もあります。
今後の昇格に期待ですね!
川野芽唯選手の初勝利
2009年1月18日、ボートレース若松で開催された「JALナイトクイーンカップ」最終日1Rで初勝利を挙げました。
2007年5月8日にボートレース児島でデビューしてから1年8カ月。初勝利までに時間がかかってしまった川野芽唯選手ですが、183走目にしてようやく初1着を掴み取りました。
川野芽唯選手の初優勝
川野芽唯選手はボートレース児島で開催された「女子リーグ第15戦 第23回瀬戸の女王決定戦」で初優出を果たします。2010年12月28日の優勝戦では3コースからまくり差しを決めて、初優出にして初優勝を飾りました。
【2021年】川野芽唯選手の獲得賞金
2021年の川野芽唯選手の獲得賞金額は「23,586,999円」です。
女子選手の賞金ランキングでは28位にランクインしています。
川野芽唯選手は沖縄愛が溢れるレーサー
沖縄の魅力に心を奪われた川野芽唯選手は、2016年頃に沖縄県に移住して、生活の拠点を沖縄に移しています。
「海も人も全てが最高!」と沖縄愛を語る川野芽唯選手。レースの合間の束の間の休みには、沖縄で愛犬と一緒にのんびりと過ごしているようです。
そんな川野芽唯選手の沖縄愛は、レース用のヘルメットからも伝わってきます。シーサーをあしらい、沖縄の魅力をたっぷりと詰め込んだ川野芽唯選手のヘルメット。実は、同じボートレーサーである東京支部の114期「倉持莉里(クラモチリリ)選手」がデザインして作ったのだそうです。
シーサーは沖縄の守り神。川野芽唯選手は、シーサーに守られながらレースで戦っているのかもしれませんね。
【2022年10月】メニエール病の疑いで途中帰郷
2022年10月11日〜16日にボートレース住之江で開催された「VS大阪スポーツ賞第33回アクアクイーンカップ」に出場予定だった川野芽唯選手。初日12Rのドリーム戦メンバーにも選ばれ、6枠で出場予定でした。
しかし、ボートレース場入りしたレース前日、前検合格後に回転性のめまいに襲われてしまったのです。メニエール病の疑いがあると診断された川野芽唯選手は、私傷病のため途中帰郷となってしまいました。
その後復帰され、すばらしい成績を残しています。
川野芽唯選手が乗るはずだったドリーム戦6号艇には、代わりに徳島支部所属の「喜多須杏奈(キタスアンナ)選手」(登録番号4714)が出場。
▼喜多須杏奈選手の詳しい情報はこちら!
川野芽唯選手は結婚している?
川野芽唯選手は、現在結婚をしていません。
しかしながら、過去には「結婚したのでは?」と憶測を呼ぶ出来事がありました。
2014年1月15日にボートレース丸亀で開催された女子リーグ戦競走第9戦から、川野芽唯選手の現住所が福岡県から愛知県に変更されたのです。これが「川野芽唯選手は結婚したのではないか?」という憶測を呼ぶこととなってしまいました。。
ですが、レース期間が終わった1月21日。川野芽唯選手はブログを更新して、結婚説を完全否定しています。住所が変わった理由については、明言していないため不明です。
川野芽唯さんが結婚説を完全否定したブログ記事はこちらです。
川野芽唯選手の出身高校
川野芽唯選手の出身高校は、福岡県飯塚市にある「福岡県立嘉穂(かほ)中央高等学校」です。
元々は農学校として福岡県飯塚市に開校した学校でしたが、2005年に福岡県立高校の再編成計画に伴って3つの高校が合併し「福岡県立嘉穂総合高等学校」として新たに開校して現在に至ります。
現在の、福岡県立嘉穂総合高等学校の設置学科と偏差値を下記にまとめました。
- 普通科総合コース(43)
- 工業科(44)
- 農業食品科(42)
- 情報科(42)
川野芽唯選手の高校時代のエピソードが出てこないため、どんな高校生活を送っていたのかは不明です。ですが、ボートレーサー試験に準備期間3カ月で一発合格したことから、学力も身体能力も高く優秀な学生だったのではないでしょうか。
川野芽唯選手の趣味は買い物や旅行
買い物や旅行が趣味だという川野芽唯選手。束の間の休日には外に出かけて、大好きな沖縄を満喫しているようです。
ボートレーサーは、全国各地のボートレース場を飛び回らなくてはなりません。たまの休みに沖縄に帰ったときには、美しい自然や海に触れることで疲れを癒しているのかもしれませんね。
川野芽唯選手のSNS
川野芽唯選手の気になるSNSについて調べてみました。
川野芽唯選手はInstagramを投稿しています。
完全にプライベートの発信をしており、沖縄での生活の様子や愛犬「ルーカスくん」の写真をメインに投稿しています。他にも、沖縄の風景を撮影した美しい写真も多く投稿され、見どころ満載です。
川野芽唯選手のTwitterは、15,500フォロワーの人気アカウントです。
ペットたちと暮らす自宅の様子や家族とのエピソードなど、プライベートの様子をたくさんツイートしています。
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